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第二章 日常に溶け込んでいく
第十六話 透矢の事情
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小説を読み終えた後、日和は透矢のことを話題にあげた。
「そういえば、明日は透矢の試合だけど、圭ちゃんも応援行くよね?」
「ああ。そのつもりだけど」
透矢から来いと言われた手前、断るわけにはいかない。それに過去の俺も試合を観に行っていたから、日和に念押しされるまでもなく試合会場には足を運ぶつもりだった。
「そっかぁ、よかった! 透矢ね、今年は絶対に甲子園に行くんだって張り切っていたから、圭ちゃんも応援してあげてね!」
日和は楽しそうに透矢の話をする。透矢の頑張りを間近で見てきたのだから、応援するのは当然だろう。
だけど、なぜだろう。日和の笑顔を見ていると、置いてけぼりにされた気分になる。透矢と日和の間には、俺が介入できないような絆が構築されている気がした。心の中に宿った物寂しさを追い払いながら、日和に尋ねる。
「日和はさ、透矢のこと、どう思ってるんだ?」
「どうって?」
「透矢と付き合いたいとは思わないのか?」
「付き合うって、恋人になるってこと?」
「ああ」
日和の表情から笑顔が消える。沈黙に耐えながら日和の言葉を待っていると、小さく溜息をつく音が聞こえた。
「圭ちゃんは知ってる? 透矢のおうちのこと」
諭すような口調。日和の問いかけに、俺は首を横に振った。すると日和は、ゆっくりと事情を話し始めた。
「透矢のお母さん、夏休みが始まる少し前から入院しているんだって。透矢のうちって、お父さんいないじゃん? だから今、おうちのことは透矢がやっているんだよ」
その話を聞いて、俺はハッとした。同時に過去の記憶が蘇る。
高校二年の冬、透矢の母親は亡くなった。当時の俺は、透矢の抱えている事情なんて全く知らなかった。いつも能天気に笑っていたあいつが、重すぎる現実を抱えているなんて、まるで想像もしていなかった。
透矢は他人に暗い部分を見せない奴だ。嫌なことがあっても、何事もなかったかのように笑い、陽気な自分を演じている。
それは透矢の強さなのかもしれない。マイナスの感情を誰にも悟られることなく、自分の中だけで処理していた。そんなのは誰にでもできる芸当ではない。
だけど、厄介ごとも笑いながら受け流すあいつを見ていると、時々心配になる。他人に弱みを見せないあいつが、いつか潰れてしまわないかと。
日和は目を伏せながら、話を続ける。
「透矢ね、夏の大会が終わったら野球部を辞めるんだって。入院中のお母さんのサポートをしないといけないし、家のこともやらないといけないから。だから、今年が最後の大会なの」
透矢は二年だから、今年ダメでも来年がある。周囲の人間は、そんな言葉を投げかけていた。
だけど、透矢に来年はない。母親が入院しているとなれば、生活するだけで手いっぱいなはずだ。とても部活を続けられる状況ではない。
透矢は必死で打ち込んできた野球を、捨てなければならない状況に追い込まれていたんだ。うちに来たときは、そんな事情には一切触れなかった。もしかしたら、変に気を遣われることを嫌がったのかもしれない。
でもそうか。日和はこの時点で透矢の事情を知っていたのか。
それはつまり、日和だけには重い現実を打ち明けていたことになる。透矢にとって日和は、それほどまでに特別な存在なのだろう。
「私ね、透矢を応援しているんだ。この先も、困っていたら助けてあげたい」
日和は真っすぐ俺の瞳を見据える。その瞳からは、強い意志が滲んでいた。
俺は考える。もしも透矢と日和が付き合ったら、日和は透矢の家のことも背負わなければならない。それはきっと、楽な道ではないだろう。
それでも自分勝手に夢を追いかける男よりは幾分マシに感じた。透矢だったら、日和に全てを押し付けるような真似はしない。辛い状況でも、支え合って生きていくはずだ。そうやって辛い現実を乗り越えた先で、二人が心から笑っている気がした。
日和の隣に居るべきなのは、俺ではない。透矢だ。俺は日和から目を逸らし、他人事のように伝える。
「日和と透矢はお似合いだと思うよ。一緒にいれば、きっと幸せになれる」
一瞬だけ、胸の奥がざわついたが、その言葉に後悔はない。日和がじっとこちらを見つめていることには気付いていたが、視線を合わせることはできなかった。
「圭ちゃんには、そんなこと言ってほしくなかったな……」
その声は、アブラゼミの鳴き声にかき消されそうなほどに弱々しかった。
「そういえば、明日は透矢の試合だけど、圭ちゃんも応援行くよね?」
「ああ。そのつもりだけど」
透矢から来いと言われた手前、断るわけにはいかない。それに過去の俺も試合を観に行っていたから、日和に念押しされるまでもなく試合会場には足を運ぶつもりだった。
「そっかぁ、よかった! 透矢ね、今年は絶対に甲子園に行くんだって張り切っていたから、圭ちゃんも応援してあげてね!」
日和は楽しそうに透矢の話をする。透矢の頑張りを間近で見てきたのだから、応援するのは当然だろう。
だけど、なぜだろう。日和の笑顔を見ていると、置いてけぼりにされた気分になる。透矢と日和の間には、俺が介入できないような絆が構築されている気がした。心の中に宿った物寂しさを追い払いながら、日和に尋ねる。
「日和はさ、透矢のこと、どう思ってるんだ?」
「どうって?」
「透矢と付き合いたいとは思わないのか?」
「付き合うって、恋人になるってこと?」
「ああ」
日和の表情から笑顔が消える。沈黙に耐えながら日和の言葉を待っていると、小さく溜息をつく音が聞こえた。
「圭ちゃんは知ってる? 透矢のおうちのこと」
諭すような口調。日和の問いかけに、俺は首を横に振った。すると日和は、ゆっくりと事情を話し始めた。
「透矢のお母さん、夏休みが始まる少し前から入院しているんだって。透矢のうちって、お父さんいないじゃん? だから今、おうちのことは透矢がやっているんだよ」
その話を聞いて、俺はハッとした。同時に過去の記憶が蘇る。
高校二年の冬、透矢の母親は亡くなった。当時の俺は、透矢の抱えている事情なんて全く知らなかった。いつも能天気に笑っていたあいつが、重すぎる現実を抱えているなんて、まるで想像もしていなかった。
透矢は他人に暗い部分を見せない奴だ。嫌なことがあっても、何事もなかったかのように笑い、陽気な自分を演じている。
それは透矢の強さなのかもしれない。マイナスの感情を誰にも悟られることなく、自分の中だけで処理していた。そんなのは誰にでもできる芸当ではない。
だけど、厄介ごとも笑いながら受け流すあいつを見ていると、時々心配になる。他人に弱みを見せないあいつが、いつか潰れてしまわないかと。
日和は目を伏せながら、話を続ける。
「透矢ね、夏の大会が終わったら野球部を辞めるんだって。入院中のお母さんのサポートをしないといけないし、家のこともやらないといけないから。だから、今年が最後の大会なの」
透矢は二年だから、今年ダメでも来年がある。周囲の人間は、そんな言葉を投げかけていた。
だけど、透矢に来年はない。母親が入院しているとなれば、生活するだけで手いっぱいなはずだ。とても部活を続けられる状況ではない。
透矢は必死で打ち込んできた野球を、捨てなければならない状況に追い込まれていたんだ。うちに来たときは、そんな事情には一切触れなかった。もしかしたら、変に気を遣われることを嫌がったのかもしれない。
でもそうか。日和はこの時点で透矢の事情を知っていたのか。
それはつまり、日和だけには重い現実を打ち明けていたことになる。透矢にとって日和は、それほどまでに特別な存在なのだろう。
「私ね、透矢を応援しているんだ。この先も、困っていたら助けてあげたい」
日和は真っすぐ俺の瞳を見据える。その瞳からは、強い意志が滲んでいた。
俺は考える。もしも透矢と日和が付き合ったら、日和は透矢の家のことも背負わなければならない。それはきっと、楽な道ではないだろう。
それでも自分勝手に夢を追いかける男よりは幾分マシに感じた。透矢だったら、日和に全てを押し付けるような真似はしない。辛い状況でも、支え合って生きていくはずだ。そうやって辛い現実を乗り越えた先で、二人が心から笑っている気がした。
日和の隣に居るべきなのは、俺ではない。透矢だ。俺は日和から目を逸らし、他人事のように伝える。
「日和と透矢はお似合いだと思うよ。一緒にいれば、きっと幸せになれる」
一瞬だけ、胸の奥がざわついたが、その言葉に後悔はない。日和がじっとこちらを見つめていることには気付いていたが、視線を合わせることはできなかった。
「圭ちゃんには、そんなこと言ってほしくなかったな……」
その声は、アブラゼミの鳴き声にかき消されそうなほどに弱々しかった。
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