君の未来に私はいらない

南コウ

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第三章 八年前とは違う夏

第二十一話 応援してくれる人

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 ひまわり畑を一周した後、俺達はレジャーシートを広げ、昼食を摂ることにした。日和はバスケットからお弁当を取り出し、レジャーシートに並べる。

 梅紫蘇おむすび、から揚げ、玉子焼き。夏場に持ち運ぶことを想定した日和らしいチョイスだ。お弁当を前にして、朝陽は目を輝かせる。

「どれも美味しそうです! 食べてもいいですか?」

「どうぞ、お口に合えばいいけど」

 朝陽はさっそくおむすびを頬張る。から揚げと玉子焼きにも箸を伸ばした。

「うまっ! 日和さんってお料理上手なんですね! あ、玉子焼きは、砂糖多めの甘口なんだ! めっちゃ私好みです!」

 朝陽はもぐもぐと口を動かしながら、嬉々として感想を伝える。その反応を見て、日和は安心したように微笑んだ。

「気に入ってくれて良かった! 麦茶もあるよ」

 日和は水筒のカップに麦茶を注き、朝陽に振舞った。朝陽はコップを受け取ると、一気に飲み干す。

「ぷはーっ! この一杯のために生きてるんだぁ、私は!」

「おっさんかよ」

 カップを握りしめて感動に浸る朝陽に突っ込みを入れる。そんなやりとりを見て、日和はクスクスと笑っていた。

「ほら、圭ちゃんもどうぞ」

 日和に勧められて、俺もおむすびに手を伸ばす。一口齧ると、梅の酸味が口いっぱいに広がった。暑くて食欲が失せた状態でも、このおむすびなら食べられそうだ。

「どうかな?」

 日和は不安そうな表情を浮かべながら、顔を覗き込む。俺はおむすびを飲み込んでから、感想を伝えた。

「ああ、うまいよ」

「良かったぁ」

 日和は安心したように頬を緩めた。すると朝陽は、から揚げに手を伸ばしながら笑う。

「これが、お袋の味なのかなぁ」

 その言葉に深い意味はないのだろうけど、俺の胸にはチクリと刺さった。朝陽はお袋の味を知らない。いや、いま初めて知ったんだ。

 あの日、日和が交通事故に遭わなければ、こうして家族三人で食卓を囲み、笑い合っていたのかもしれない。そう考えると、やるせない気分になった。何も知らない日和は、謙遜しながら笑う。

「お袋の味なんて大袈裟だよ!」

「そんなことないですよ! あ、そうだ! あとで作り方を教えてください!」

「もちろん。簡単だからすぐにできるよ!」

「やった! 約束ですよ!」

 和やかに笑い合う二人。だけど俺だけは笑えなかった。重々しい罪悪感が、胸の内を支配した。



 昼食を終えてから、もう一度、丘の上からひまわり畑を見渡す。金色に輝くひまわりと空の青さに圧倒されていると、いつの間にか日和が隣にやって来た。

「どう? 小説の続き、書けそう?」

 俺の顔を覗き込みながら、小説の進捗を気にする日和。そういえば、取材のためにこの場所に来たんだった。すっかり目的を見失っていたが、不自然に思われないように頷く。

「おかげさまで。わざわざ付き合わせて悪かったな」

「ううん、いいの。私も楽しかったし!」

 日和はふわりと笑う。こんな暑い中連れまわされたのだから、文句の一つでも言っていいはずなのに、日和は終始楽しそうに笑っていた。それは無理して明るく振舞っているわけではなく、心から楽しんでいるように見えた。

 日和は普通の人よりも純粋なのだろう。だから俺のしょうもない用事にも、付き合ってくれたのかもしれない。それは今回の取材に限った話ではない。日和はずっと、俺に合わせてくれた。子どもの頃も、付き合ってからも、結婚してからも。嫌な顔一つせず、まるで自分の意志でそこにいるかのように笑っていた。

 だけど、日和はそれで良かったのだろうか? 俺に合わせるだけの人生で幸せだったのか?

 もっと、自分の意思を貫いていたら、違った未来が待っていたのかもしれないのに。日和の未来を知っているからこそ、こうして俺の都合に付き合わせてしまっていることに罪悪感を覚えた。

 日和は雲一つない青空を見上げながら呟く。

「圭ちゃんは凄いよね」

「何が凄いんだよ?」

「好きなことがあって、それを続けられる勇気がある。私にはそういうのないから、羨ましい」

 その言葉の真意が分らなかった。俺は凄くはない。ただ自分勝手に好きなことをやっているだけだ。

「俺は全然凄くないよ。俺なんかよりも日和の方がずっと凄い。学力は学年でもトップクラスだし、面倒ごとだって率先して引き受ける。そっちの方がよっぽど凄いだろう」

「私は言われたことをやっているだけだから。勉強だって、好きでやっているわけじゃないよ」

「そうだとしても自分のやるべきことを理解して、ちゃんと実行するのは凄いことだろう」

 賞賛したつもりだったが、日和は俯きがちに苦笑いを浮かべていた。

「私は圭ちゃんみたいに、夢中になれるものがないだけだよ。だから、やるべきことしかやっていないの」

 日和はどこか寂しそうに目を伏せる。夢中になれるものがない。日和からそんな言葉を聞いたのは初めてだった。

「でも、薬剤師になるって夢はあるだろう?」

 そう尋ねると、日和は驚いたようにポカンと口を開いた。

「進路の話って、圭ちゃんにしたっけ?」

 全身から汗が噴き出す。この時代の俺は、日和の進路はまだ知らなかった。余計な発言をしたことを心底後悔した。しかし日和は俺の失言を追求することなく、話を続けた。

「薬剤師を目指しているのだって、お母さんに言われたからだよ。女は一生稼げるスキルを身につけておいた方がいいって、散々言われていたから」

「そう、なんだ」

 その話も初めて聞いた。高校三年になってから、日和は隙間時間を見つけては参考書を開いていた。多分俺の倍は勉強していただろう。

 その姿を見て、薬剤師になることが日和の夢なのだと納得した。そうでなければ、あれほどストイックに勉強を続けられない。

 薬剤師になることは、日和が心から望んでいた夢ではない。それならば、どうしてあんなにも努力を続けられたのだろうか?

 不思議に思う俺とは裏腹に、日和は曇り顔を振り払うように笑顔を作った。

「私は、圭ちゃんの夢を応援しているよ」

 こんなに真っすぐ応援してくれる人は他にいるだろうか? 俺は改めて、日和の純粋さを目の当たりにした。



 日が落ちる前に、俺達はひまわり畑を後にした。行きは汗だくになりながら登った坂だったけど、帰りはあっという間に駅まで辿り着いた。

 電車に揺られてしばらく経った頃、日和は窓枠に頭を預けて居眠りをしていた。日和の隣に腰掛ける朝陽も、日和の眠気につられたようにコクリコクリと船を漕いでいる。

 日和の寝顔を盗み見ながら、俺は先ほどのやりとりを思い出す。日和は、俺の夢を応援していると言っていた。それは上っ面の言葉ではないと思う。

 思い返せば、小説を書き続けられたのは日和がいたからだ。純粋に俺の小説を心待ちにしてくれた日和がいたから、書きたいという原動力が生まれたんだ。日和の存在がなければ、小説家を志すこともなかったはずだ。

 ぼんやりと日和の寝顔を眺めていると、とある可能性が脳裏に過る。俺が小説を書けなくなったのは、日和がいなくなったからではないか?

 今までは、朝陽の世話に追われていたから書けなくなったのだと思い込んでいた。だから、朝陽さえ実家に預ければ、今まで通り書けるようになると思っていた。

 だけど、本当にそうなのだろうか? 一人になった俺は、もう一度筆を取ることができるのだろうか? 誰からも賞賛されずに創作活動を続けるのは、気が遠くなるほどに孤独な道に感じた。

 そういえば、以前朝陽が言っていた。未来の俺は、小説を書いていないと。それはつまり、孤独に耐えきれなかったということだろう。

 日和のいない世界では、小説は書けない。

 その仮説が正しいとするならば、俺は一生書けないことになる。きっと日和が死んだのと同時に、俺の夢も死んだのだろう。

 心の底から望んでいた夢に執着がなくなるのは、とてつもなく切ない。だけどほんの少し、重荷から解放された気がした。
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