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第2章 転生令嬢たちは平穏な生活を望む。

03. 姉は絶句する。

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この国──アルムガルト王国の王都の中心部には、絢爛豪華な宮殿が君臨する。
デビュタントの貴族子女が集う舞踏会は、その離れにある大広間で毎年開催されていた。
そのときだけは特別に離宮の近くまで馬車を乗りつけることを許可されており、衛兵たちが立ち並ぶ中、何台もの馬車が連なって離宮へと向かった。


「クレヴィング侯爵家令息アドルファス様!並びにヴェインローゼ伯爵家令嬢アーテル様!」

名乗りを受けて、アーテルはアドルファスのエスコートで会場に入った。
一瞬、会場中の視線が集まるが、それもすぐに散っていく。

会場には爵位の低い者から順に入場する。
アーテルは侯爵令息であるアドルファスと一緒に入場したが、伯爵家であるルチアは父と共に先に入場しているはずだ。

「申し訳ないですが、アーテル嬢。第二王子殿下の入場後は──」
「ええ、わかっております。アドルファス様は王子殿下の侍従でいらっしゃいますから、そのお傍に控えられるのは当然でございますわ。私にはお構いなく」
「⋯⋯はい⋯⋯いや、そうなのですが⋯⋯」

第二王子レイフォードも、アーテル姉妹やアドルファスと同じく、今年デビュタントを迎える。

変わり者と噂の王子殿下は、傍にあまり人を置きたがらないらしい。
最たるものが婚約者だろう。
第二王子とはいえ、デビュタントの歳になっても相手らしい相手がいないのは非常に珍しかった。

側近も普通の王族と比べると明らかに少なく、アドルファス以外にほんの数人しかいないらしい。
その中でも同い年であるアドルファスが一番のお気に入りであるらしく、自然と侍従たちの取りまとめのような役割も担うようになった彼は、誰よりも長く第二王子の傍に控えている。

今回だって、もしかしたらアドルファスにはエスコートの役目をお願いできないかもしれないと思っていたくらいなのだ。
屋敷に迎えに来てここまで付き添ってくれただけで、ありがたいほどである。

「殿下の御成りまでに妹と合流するつもりです。彼女を捜してもよろしいでしょうか?」
「え⋯⋯ええ、はい。お手伝いします⋯⋯」

しかし、だからこそ解せないのだ。
今こうして何故だか微妙な顔をしている彼が、良い印象のまったくないだろう自分に、ここまでよくしてくれる理由が。

(まぁ、自分が婿に入るからだと言えばそれまでなんだけど⋯⋯でも、それにしては愛想がないのよね)

とはいえ、前世の記憶がよみがえって以来、以前のアーテルと今のアーテルも別人のようになってしまっている。
そのアーテルの変化を歩み寄りと捉えて、以前よりも態度が軟化したというところだろうか。

アドルファスについて考えるのはそのくらいにして、アーテルは会場内を見渡した。
伯爵家の後継ではあるが、離宮とはいえ宮殿に踏み入るのはもちろんこれが初めてだ。
生まれながらの生粋の貴族令嬢であるアーテルの目にもまぶし過ぎるほどの豪華さに、思わず目を細めた。

(ルチアは淡いピンクのドレス⋯⋯──あら?)

彷徨わせていた視線が会場の端で留まる。
そこに白金髪に淡いピンクのドレスの令嬢と、父と同じ薄茶の髪の男性の組み合わせを見つけたのだ。
そんな二人が対峙する相手は──

(⋯⋯どなただったかしら?見覚えがあるような⋯⋯)

「見つかりましたか?」

思い出そうと眉を寄せていると、一点を見つめるアーテルに気づいたらしいアドルファスに声をかけられた。
驚きながらも頷き、ルチアらしき令嬢がいた方向を示す。

と──そのときだった。

「第二王子レイフォード・ブレイアム・サトクリフ・アルムガルトゥス殿下!」

仰々しい王子殿下の本名が一際高らかに読み上げられると、瞬間、会場の空気が変わったのがわかった。
静かな興奮とでも表現すればいいのだろうか。
大きな歓声が上がるわけではなかったが、明らかに居合わせる人々の熱量が増したのだ。

はっとして会場入り口を振り返れば、まさに王子殿下が入場するところだった。
彼は衆目が注がれる中を特に気負った風もなく歩いてくる。
きらびやかな照明に金の髪が輝いているのが遠目にもよく見えた。

「⋯⋯レイの奴め、もう来たのか⋯⋯」

隣から低い呟きが聞こえ、アーテルはぎょっとして婚約者を仰ぎ見た。
彼は何やら恐ろしい形相をしていたが──アーテルが見ていることに気づき、誤魔化すように咳払いをした。

「失礼、アーテル嬢。⋯⋯その、よろしければ──」
「大丈夫です、アドルファス様。お行きください」

何事か言いかけたアドルファスにアーテルが笑顔で言えば、彼は何やらまた微妙な表情をした。
だがすぐに小さく首を振って嘆息すると、申し訳ないと、軽く頭を下げて踵を返す。
あとは早足で王子殿下のもとへと、颯爽と歩き去ってしまった。

その後ろ姿を見送ったアーテルは、先程ルチアらしき人物を見かけた方を振り返った。

(アドルファス様がいらっしゃらないなら、私のダンスのお相手はどうしようかしら)

本来こういう場では、決まった相手がいる場合はまずその相手と踊るのだが、職務に赴いたアドルファスと踊ることはできまい。
文字通りのダンスではあったのだが。

(かといって、お父様とは踊りたくないわ。絶対に。意地でも)

ルチアはそうなる可能性が非常に高いと思われるが、それとも先程対峙していた誰かと踊る約束を取り付けたのだろうか。
そうだとしたら、珍しく父が良い仕事をしたと言えよう。

(⋯⋯とりあえず、合流しましょうか)



「──お姉さま!」

何やら喋る父の前で仏頂面をしていたルチアが、アーテルの接近に気づき、ぱっと顔を明るくした。
見る限り、近くに先程の男性の姿はない。
もう別れてしまったのかと不思議に思いながらも、アーテルも笑顔を返した。

「見つけられてよかったわ、ルチア」
「わたしもです!⋯⋯でも、婚約者の方は?」

喜びながらも心配になったらしい。ルチアの表情が曇る。

「アドルファス様は第二王子殿下のお傍に控えられるらしいから、別れたの。それでルチアのところに来てみたのだけれど⋯⋯」
「うれしいです⋯⋯!お姉さまと一緒だと心強いので!」
「ふふ、私もよ」
「⋯⋯アーテル、お前⋯⋯!」

微笑みを交わし合う姉妹を憎々しげに父が睨む。

「そんなことを言いながら、ルチアの邪魔をしに来たわけではないだろうな?」
「邪魔?何を邪魔するとおっしゃるのですか?」
「とぼけるな!ルチアの縁談を邪魔しに来たのだろう!」

何を言い出すかと思えば、相変わらず父は斜め下を行く。

「ルチアに縁談があるのですか?それはよいことです。私も彼女のことが心配だったので⋯⋯」
「見え透いた嘘をつくな!ルチアにどんな縁談が来たのか探りに来たのだろう。小賢しい女だ!」
「⋯⋯お父様。先程から決めつけてばかりですわね。確かに気にはなりますが、私はルチアさえよければ⋯⋯」

言いながら、アーテルは異変に気づいた。
周りがやけに騒がしい。と言っても、うるさいわけではないのだ。
密やかに、それでいて誰もが何事かをささやき合っている。

まさかこの醜い親子喧嘩もどきを見られているのかと、アーテルが焦ったときだった。

人垣が割れる。
割れた人々は一様に頭を垂れて道を譲っていた。
そうやってできた道を、人を従えて悠々と歩いてくる人影がある。

「初めまして、『ヴェインローゼの薔薇』と謳われるご令嬢がた」

照明に輝くまばゆいばかりの金髪。
宝石のような翡翠の瞳が笑みの形に細まって、真っ直ぐにこちらを向いていた。

「レイフォードと申します。よろしければ、私と踊っていただけませんか?」

あまりに突然すぎる第二王子殿下のご登場に、アーテルは絶句した。
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