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リリネリア・ブライシフィック

嘘をつく理由

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エリザベートは、孤児で、昔のことはよく覚えていない。それは、私がつくりあげた設定だった。これであればどんなに突かれてもほころびが出ることはない。かぽり、と瓶を開ける音が間抜けに響く。

「そう。昨日は突然ごめんね。押し入って、手に触れたりして」

「ああ。………いえ」

「エリザベートさん、手の………そうだな。左手の親指の付け根にあるホクロ。それは昔から?」

気持ち悪い。何でそんなピンポイントに聞いてくるのか。私はため息混じりに、いい加減うんざりしてきた。私はちらりとその男を見て答えた。

「それが何か?」

「……………。ごめん。これは僕の早とちりかもしれないんだけどーーーきみは、いや、あなたはやっぱりリリネリアじゃないかな」

その言葉に、思わず動揺してしまった。執拗に、リリネリアの正体を辿ろうとする男。かしゃん、と小瓶が床に落ちる。瓶が砕ける。ガラス細工が細やかに光を反射する。ガラスが割れる音に男が驚いた様子を見せた。それを尻目に私はそっと瓶に手を伸ばした。

「僕がやる」

ルドが、カウンターの中に断りもなく入ってきた。不法侵入だと詰って憲兵に突き出そうか迷った。だけど、やめておく。万が一レジナルドだった場合、それは無意味だからだ。それに、この男と必要以上にかかわり合いになりたくない。

「触らないでください」

先に言っておいて、私はまた瓶に手を伸ばし、砕けたガラスに触れた。一枚、ガラスを拾うとその横に屈んだルドが同じように拾い集めていく。羽織ったマントが床につくのも構わずに男はそれを拾い上げる。その距離の近さにいやな胸騒ぎを感じた。

「…………リリィ」

思わず、ビクリと肩がはねた。条件反射としか言いようがなかった。嫌だ。忘れたい。思い出したくない。リリネリアだったことを、思い出したくない。思い出して、いいことなどない。
思わず肩が揺れたのを、見逃さなかったのだろう。ぐっと、ルドが私の顔を覗き込んできた。その距離の近さに思わず仰け反る。ふわりと、嗅ぎなれない香水の匂いがした。

「………やっぱり、きみはリリィなの」

それは、確認する、と言うよりも半ば断言めいていた。私はそれを聞きながら、自分が息を詰めているのに気がついた。

ーーーここまで、嘘をつく理由って何?

ふと、私は意地を張る必要が無いことに気がついた。私が死んだことになっているのは誰あろうレジナルドが一番分かっているはず。私をリリィと読んだ時点で、目の前の男がレジナルドであるという確証は強くなっていた。

「…………だとして、なにか私にお話でも?」

言った途端、ルドーーーレジナルドの顔が強ばった。そして、口を開けて、言葉を忘れたかのように逡巡し、次には言いにくそうな。辛そうな顔を私に向けた。

ーーー何のつもり?

その全てが計算のように思えて、私は立ち上がった。細かいガラス片はまだ残っているけど、それは後で箒で片してしまえば問題ないだろう。

「残念ですけれど、私はリリネリアではありません」

私は立ち上がってそう告げた。そう、もう私はリリネリアではない。リリネリアであった、何か、だ。何も知らない、無邪気な少女はもういない。穢れを知らず、まっさらで、何も知らない少女はもういない。空をただ青いと思うだけの、蜂蜜の甘さだけを知っているような、夢見がちな少女はもういないのだ。

「僕は……………いや。………リリネリア、あなたは今、一人で暮らしているの?ああ、ガーネリアさんがいるんだっけ」

私はリリネリアではないと言っているのに、レジナルドはリリネリアと決めつけて話を進めていく。レジナルドの顔色は冴えない。どこか、石でも飲み込んだような重苦しい顔をしている。今更だ。私はカウンターの下の引き出しから布を取り出して割れた瓶を置いた。

「それで、なにか御用ですか?」

「…………ああ。うん、実はここ最近薬屋に無理な注文をつける輩がいるんだ」

しばらくレジナルドは黙っていたが、難しい顔をしたかと思いきやなにか諦めたような顔をして、立ち上がった。その顔にはなんの感情も浮かんでいない。

「注文?」

「法外な数の媚薬を売れだとかーーー避妊薬を融通しろとか、そういった難癖だ」

「ああ…………」

それは今に始まったことではない。薬屋を営む時点で、そういう無理をおしてくる連中は僅かながもいる。だけどその際いつもガーネリアに追い払ってもらっているのだ。ガーネリアはただの侍女ではない。武闘に秀でている家のもので、並大抵の男には負けない。剣を持たせれば近衛騎士にも負けないだろうと言われた、とガーネリア本人が少し照れながらも教えてくれた。

「それだけですか?」

「うん。………あとは、きみと……エリザベートさんと少し話がしてみたかった」

レジナルドの殊勝な態度に腹の奥がぐるぐるした。それを悟られないように私はガラス瓶を片付けて、話は終わりだとばかりにカウンターの椅子に座った。

「そうですか。ご忠告どうもありがとうございました」

もし、本当に彼がレジナルドだというのならーーー。
私は彼に問いたかった。今更、私に会いに来て何の用なのかと。妃を娶って新婚もいいところの彼が、私になぜ会いに来たのだろう。今それを聞けば?もう彼は私に会いに来ることもないだろうか。そんなことを考えていると、不意に突き刺さる視線を感じた。レジナルドだ。だけど、そちらを見るつもりはなかった。不意に、気配が揺らぐ。
レジナルドが扉に向かって歩いていた。

「………ここ最近、薬屋の被害は増大している。エリザベートさんのところも、いつその集団が押しかけるか分からない。また来るから」

後付けのように言葉を重ねて、レジナルドは私が答える前に店を出ていった。私はそちらを見ずに、ため息だけをこぼした。
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