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二章

あの日の真実 【ロディアス】

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頭が酷く痛む。
ロディアスは寝不足の頭のまま、執務室へと向かった。
昨夜、国王の寝室に戻ったのは明け方だ。

(エレメンデールにはかなり無理をさせてしまったから、まだ寝てるかな)

窓の外に視線を向ければ、まだ夜の帳が落ちている。太陽も登っていないような時刻だが、悠長にしている時間はない。
執務室に入ると、ひんやりとした空気が彼を迎えた。
初夏が近いとはいえ、レーベルトは北方に位置する国なので朝はかなり冷え込む。

肌寒さすら感じる涼しさだ。

メイドや従僕を呼びつけるのが面倒で、彼は乱雑な手つきで暖炉に火をおこした。
ぱちぱちと火の爆ぜる音がする。
あといくらかもすれば、暖まるだろう。
日中は、冷夏のレーベルトであっても暖かさを感じるものだが、今はまだ夜の帳が降りている。
少なくとも朝陽が登るまでは、暖炉はつけておいた方がいい。

もっとも、今は頭を冷やしたいので、寒いままでも構わなかったが。
しかし、執務室が冷えたままであれば、後で来る側近に怪しまれる。
彼は執務椅子に腰かけると、短く舌打ちをした。

「くそ……」

ぐしゃりと髪をかきまぜた。
やり切れない思いだった。

「……………」

はぁ、と大きくため息を吐いた。
息は、白く色づきはしないものの、室内はひんやりと涼しい。誰もいないのをいいことに、頬杖をついた。
彼は、昨晩あったことをしっかり覚えていた。元々、酒で記憶が飛ぶ質ではないのだ。

(僕がしたことはほとんど強姦だ。……自分勝手に感情を押し付け、許しを求め。……今更何を、と思っただろうな)

今までは抑えられていたのだ。
酔いを感じても、沸き起こる激情は理性でねじ伏せていた。
時には水を浴びて、無理に酔いを冷ましていた。

だけど──昨夜は、昨夜だけは。だめだったのだ。

昨夜は、女神祭が執り行われた。
女神祭は、愛するひとと過ごす日だ。

彼は寝る前に、いつものように酒を飲んだ。
ひたすら、なにかを忘れるように──いっそ全て忘れられればと。
そう思っているうちに、きっと、いつも以上の量の酒を口にしていた。
知らず知らずのうちに、タガが外れたのだ。

かなり遅い時間帯だった。
エレメンデールは、既に眠りについているだろう。
だから、せめて顔だけでも見られれば、と思った。
穏やかに眠っている顔を見れば、彼もまた、ほんのわずかでも、心の平穏を取り戻せるだろう。

まるで夢遊病者のごとく、『それが正しい』と、狂った思考が囁いた。
カーペットに放り捨てていた、紺のローブを乱雑に肩に羽織る。
足元がふらつき、テーブルや壁にも激突しながら部屋を出た。部屋を出ると、近衛騎士がロディアスに気がついたが彼はそれを無視して、エレメンデールの部屋へと向かった。

辛うじて残っている理性で、泥酔していることを悟られないよう取り繕う。
王として、情けない姿は見せられないと最低限の理性が働いたのだ。

しかし、それも彼女の私室に入るまでだった。
部屋に入るなり、足元は覚束無くなり、思考が混濁する。
はあ、と吐いた息は熱っぽくて、酒の匂いに満ちている。

静かに、彼女の寝室に足を踏み入れた。
仄かに彼女の香りがした。

「……。…………」

もう、それだけで。

せめて顔だけでも見られれば、と思った。
だけど、実際にエレメンデールの顔を見て。
彼は自身の思い違いを痛感した。

どうして、それだけで良いと思えたのだろう。

彼女の健やかな寝顔を見て。
愛しいひとがすぐそばにいるのに。

 「──、」

手を、伸ばせば届く距離に。

エレメンデールは、あどけない寝顔をさらし、健やかな寝息を立てていた。

彼女を見て彼は──触れたい、と思ってしまったのだ。

それは、強烈な感情だった。
およそ、この半年忘れていた欲望だった。

彼女の、そのあたたかな熱を知っているからこそ。
くちびるに口付け、肌に触れたいと思った。
その柔らかな熱に触れれば、あるいは。

そう思うと、もうだめだった。

酒は、ひとの理性を脆くさせる?

それは誤りだ。
実際は、ひとの本性を暴く劇物だ。

その通りに、ロディアスの本性は明かされてしまった。



ここ数ヶ月、彼の私生活はかなり乱れていた。
知っているのは、ロディアスを幼少期から知る従僕長と側近のミュチュスカだけ。

寝る前に口にするのはいつからかハーブティーではなく、酒になった。
眠りは浅くなり、何かに急かされるように睡眠時間を削るようになった。いつしか夢は、彼に安らぎを与えるものではなく、恐れを抱かせるものになっていた。
眠っているうちに、全てがひっくり返ってしまいそうな、全てを失いかねない、恐ろしさがあった。
何を危惧しているのか、明確な答えはない。

だけど、彼が呑気に眠りについている間に全て、失せてしまうように感じたのだ。もはやそれは強迫観念に近い。

起きている間はまだマシだが、寝る前が特に酷かった。
眠りたくないのに、睡眠など欲していないのに、人間の身である以上、最低限の休息は必要だ。彼はほぼ義務のように眠ることを自身に強制した。
今、自分が倒れるわけにはいかない。
ただ、それだけの思いで。

眠りを求めて──。
いや、違う。
気を紛らわせるために、酒を口にした。
気がつけば、あっという間にグラスを開けていた。
日に日に、酒の量は増えていく。
それに比例して、彼の不眠もまた悪化した。

彼は、つまみを用意させることはしなかった。
ただ、酒精のきついウイスキーのボトルを従僕長に用意させ、それをひたすら飲んだ。
きつい苦味と、喉をかける熱に囚われているわけではない。
だけど、酒が巡り、ほんのわずかに思考が鈍れば、それで良かった。

『仮定を想像するのは、愚かなものだ』

彼女に言ったとおりだ。
だけど、ロディアスはあれ以来──正確には、ルエインを第二妃にしてから、考えずにはいられなかった。

もしも、を幾度となく想像した。
それは、麻薬のように甘い時間だった。

もし、ドゥランで革命が起きていなかったら。
もし、ステファニー公爵が早々にロディアスに見切りつけ、ルエインを他所に嫁がせていたら。
もし、貴族の争いが熾烈なものでなければ。

──もし、ロディアスが王太子でなく、エレメンデールもまた、王女でなかったら。

互いに、どこかの村で生まれた平民であったのなら。

ロディアスは自身の妄想に自嘲した。
女々しい妄想だ。およそ、まともな思考ではない。
そんな、とち狂った空想に溺れているくらいなら、その時間を公務に当てた方がよっぽどいい。

それは理解しているが、それを考えている時がいちばん、彼の心を穏やかにさせた。もう、どうしようもなかった。

ほんの少しずつ、狂っていく。
薄皮を剥ぐような日々が続く。

これが続けば──彼は、ロディアスは、ひととしての何かを失いそうで、恐ろしかった。

あの日。
ルエインを娶ったその日。

──彼は、初夜を完遂できなかった。
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