妹と婚約者の逢瀬を見てから一週間経ちました

編端みどり

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1巻

1-2

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 二人の仲を知っている人はほとんどいませんでした。数少ない目撃者は、お父様から賄賂わいろを貰って口をつぐんでいたと分かりました。つまり、お父様もドロシーの行為をご存知だったのです。相変わらずドロシーに甘いのですね。姉の婚約者に言い寄る娘を叱るくらいの常識は持ち合わせておいて欲しかったです。今までバレなかったのはドロシー付きの使用人とお父様に守られていたからなのでしょう。
 あの廊下は人通りが少ないので、ドロシーの部屋まで待てずにいちゃついていたのでしょうね。幸い、わたくしとリアがふたりの口付けを目撃した事は、気付かれていません。
 本当に、リアと一緒で良かったです。そうでなければ、冷静になれないままドロシーとケネス様を問い詰めていたでしょう。その場合、わたくしはすぐ感情的になって声を荒らげる醜い婚約者だと言われ、不利になっていたかもしれません。両親はドロシーの味方ですし、お義母かあ様も証拠がなければ息子のケネス様の言葉を信じるでしょう。
 あの時取り落としたプレゼントは、リアが回収してくれました。そして、わたくしの手で暖炉に放り込まれ、灰になりました。頑張って作った刺繍入りのハンカチだったのですが、もう二度とケネス様の名前も家紋も見たくありません。燃えさかるプレゼントが灰になると、ケネス様への愛情も綺麗さっぱり消え去ってしまいました。


 帰って来たポールは報告を受け、泣きながらわたくしに抱きついてきました。もう大きくなってきたから、家族でも婚約者以外の異性と抱き合ってはいけないと教えていたのですが……今回ばかりはポールの優しさが嬉しくて涙が止まりませんでした。

「姉さんを裏切るなんて許せない。あの裏切り者共を今すぐ僕が切り捨てて来るよ」

 そう言って、ポールは本当に剣を持って行こうとしました。

「待って! 実の姉と子爵家の跡取りに剣を向けるなんて、駄目よ。そんな事をしたらポールがタダでは済まないわ!」 
「あんな人、姉だと思った事はない。血は繋がっているし、表向きは姉さんと呼ぶけど、僕の姉はエリザベス姉さんだけだ。それに、あの男も許さない。姉さんを大事にすると言うから祝福したのに……前々から怪しいとは思っていたけど、あんなクズだと思わなかった。切り捨てるのがダメなら、手袋を叩きつけて来るよ」
「決闘を申し込まないでちょうだい!」 
「大丈夫。僕は成人した騎士にも勝ったんだ。あのクズはそんなに鍛えてない。負けるわけないよ」

 そこからポールをなだめるのは大変でした。
 セバスチャンもリアもポールに賛成して、決闘の作法を指導し始めてしまいましたので、必死で止めました。
 けれど、ポールが泣きながら自分の事のように怒ってくれたおかげで、わたくしの悲しみはだいぶ癒えました。泣いていても何も変わりません。わたくしは、前に進むしかないのです。幸い、わたくしには泣いてくれる大切な家族がいます。厳しくも優しい使用人達がいます。わたくしは一人ではないのです。

「ポール、セバスチャン、リア。本当にありがとう。もう大丈夫よ。絶対にあの男と別れる。ケネス様がドロシーと結婚したいなら勝手にすれば良いと思っているわ。けど、今までの代償は支払って頂くわ。必ず」
「「「当然だよ!(です!)」」」
「まずは、お義母かあ様にこの事実を知って頂きましょう。ケネス様には大ダメージよ」
「結婚式は来週だよ。世間体があるから、見逃して結婚しろとか言われない?」
「可能性は低いと思うけど、ケネス様と我慢して結婚しろと言われたら、姿を消すわ。その場合はポール、しばらく商会にかくまわせて。もうお義母かあ様の手は離れているし、平民になって従業員として働いていれば諦めて下さるでしょう。平民と貴族は結婚出来ないもの。ドロシーと結婚しろとお義母かあ様が言い出すのはあり得るけど、それは大歓迎よ。ドロシーはお義母かあ様の厳しい指導を受けるわ。あの甘えっ子に耐えられると思う?」
「無理だね」
「でしょう? それに、お義母かあ様は浮気や不倫が大嫌いなの。ケネス様にも浮気をするなと常々おっしゃっていたから発覚しただけでかなり絞られる筈よ。亡くなられたお義父とう様があちこちに愛人を作っていて、大変ご苦労なさったのですって。だからきっと、ケネス様は跡取りから外されるわ。弟君が優秀だと聞いているから、問題ないでしょうしね」
「じゃあ、ドロシーは結婚出来ても当主になれない浮気男と暮らさなきゃいけない訳か」

 ああ、可愛い弟が冷たい目をしておりますわ。ドロシーの呼び方もいつの間にか呼び捨てになっております。

「その状態になっても離縁はきっと無理よ。贅沢もさせて貰えないし、毎日お勉強させられる」
「あの女には地獄だろうね」
「ドロシーが反省して心を入れ替えればあの子の為になるし、駄目でも我が家の財を食い潰すドロシーを引き取って頂けるのよ。こんなチャンスはないわ」

 ドロシーは妹です。でも、ここまでされたドロシーを気遣える程わたくしは優しくありません。
 お義母かあ様はなんだかんだケネス様に甘いので、浮気について厳しく𠮟り飛ばしても、最終的にドロシーとの結婚を認めることはありえるでしょう。でも、ケネス様を跡取りにする事はないと思います。根回しもせずに婚約者の妹と浮気をする人が当主になれるのか……冷静に判断して下さると思います。
 ドロシーが家にいなければ、無駄遣いをする人が一人減ります。ポールが成人するまで、なんとか家に残りたいですが、無理なら平民になって影でポールを支えましょう。

「姉さんは、良いの? あの男を愛していたよね?」
「あんなもの見せられても愛し続けられるほどわたくしの心は広くないの」
「姉さん……」
「気にしないで。結婚前に分かって良かったわ。あんなのと結婚しても幸せになれないもの。幸い、今ならギリギリ間に合う。わたくしは、運が良かったのよ」

 ケネス様の事は好きでした。けど、今は大嫌いです。
 ケネス様との幸せな思い出が沢山あった筈なのに、一切思い出せません。
 だからもう、良いのです。


 次の日になりました。わたくしはお義母かあ様と劇を観覧しております。
 ドロシーがわたくしの部屋を漁ってアクセサリーを持って行ったとリアから報告がありましたので、きっと着飾ってケネス様とに来ると思います。緊張しますわ。

「お義母かあ様、本日はありがとうございます」
「こちらこそ。素敵な劇に招待してくれてありがとう。ケネスも誘ったのだけれど、友人との約束があるのですって」
「そうなのですね。残念ですわ」

 え、友人との約束ですか? ケネス様が来なかったらどうしましょう。けど、ドロシーが着飾るならきっとお相手はケネス様ですよね?
 不安に思っておりましたら、お義母かあ様が嬉しそうに声を弾ませました。最初は厳しかったお義母かあ様ですが、今はわたくしを認めて下さり、自分の娘のように扱って下さいます。

「ついに来週は結婚式ね。エリザベスが娘になるのが楽しみだわ」
「わたくしも、お義母かあ様と家族になれる日を指折り数えて楽しみに待っておりました」

 嘘はいていません。けど、胸がチクリと痛みます。
 お義母かあ様を騙すようで心苦しいのですが、わたくしが訴えるだけでは足りません。母は厳しいといつもケネス様はおっしゃいますけど、お義母かあ様はケネス様をとても大事になさっています。だって、お義母かあ様はケネス様の誕生日にはいつも贈り物を用意しておられますし、商会の商品を査定する時にも、ケネス様の好きそうな物があれば個別に購入なさっています。それだけ大事にしている息子が不貞をしたと聞いても、すぐには信じられないでしょう。
 時間があれば、お義母かあ様に心労を与えないよう、ゆっくり話し合いの機会をもうける事も可能でした。
 でも、来週には結婚式なのです。もう時間がありません。
 悲しいですけれど、ここできっぱりと断ち切る方がお互いの為ですわ。
 お義母かあ様のことは今でも大好きです。両親に放っておかれたわたくしは、リアとお義母かあ様を心から慕っています。厳しい方ですし、街中で叱られた事もありますけど、両親に褒められた事も叱られた事もないわたくしはお義母かあ様に叱られる事が嬉しくて幸せでした。
 お義母かあ様は家族になるのだからと、色々な事を教えて下さいました。
 お義母かあ様のご指導のおかげで領地はうるおうようになりました。飢饉ききんの時は、たくさんの食料を分けて下さいました。商会を作り、一生懸命働いて頂いた食料のお金を三倍にして返した時、初めてお義母かあ様が褒めて下さいました。あの時は、とっても嬉しかったです。
 ですがごめんなさい、お義母かあ様。わたくしはもう、ケネス様を愛せませんわ。
 今までの事を思い出していると、涙が出そうになります。いけませんわ。まだ劇で泣くには早いです。今泣けば、不審に思われてしまいます。


 複雑な感情を抱えながら劇を観覧しておりましたが、第一幕が終わってもあの二人の姿を見つけることは出来ませんでした。来なかったのかしら。ほかの手を急いで考えませんと。
 ひとまずリアに連絡を取ろうと思い、外に出ようとすると、騒がしい声がしました。どうやら、第一幕に間に合わず外で待たされた方が騒いでおられるようです。
 なんだか聞き覚えのある声ですわ。嫌な予感がして声が聞こえた方向を見ると、ケネス様がドロシーをエスコートしておられました。
 ずいぶんくっついていますね。わたくしは、あんな風にエスコートして頂いた経験はありません。チクリと胸が痛みました。もう、本当に終わりなのですね。
 劇場内に、ドロシーの下品な声が響きます。

「もう! 途中からでも入れてくれれば良いじゃない! 気が利かないわね!」
「全くだ! 可愛いドロシー、すまないね。さ、ゆっくり見ようね」
「はい! 愛しておりますわ! ケネス様!」

 ドロシーが、ケネス様に寄り添って……く、口付けを交わしております。
 ここは、劇場ですよ⁉
 常識を考えて下さいまし! 劇場で口付けをしても良いのは、特別席に座っている時だけです!
 特別席は、高位貴族の方しか購入出来ませんのでドロシーが知らなくても仕方ありませんけれど……いや、そんな事ありませんわ。成人したこの国の貴族なら知っていて当然です。
 ああ、なんだか頭がクラクラして参りました。ドロシーはともかく、ケネス様は常識があると思っておりましたのに。こんなに人目がある所で口付けなんて、大恥です!
 下品……下品過ぎますわ!
 ケネス様も、ドロシーにうっとりせずに止めて下さいまし!

「……ケネス……?」

 隣から、お義母かあ様の冷たい声が聞こえます。
 自分で仕組んだ事なのに物凄く怖いです‼ 
 だけど、わたくしもここで初めてケネス様の裏切りを知ったと思って頂きませんと。
 腹立たしいのですが、まだ胸にはケネス様から頂いたブローチがあります。これをあの男に突き返すまでは、逃げる訳に参りません。昨日、投げつけた時に少し欠けてしまったブローチは、まるで、わたくしの心を写しているかのようです。ケネス様と婚約してからずっと身に付けていた大切な物でしたのに、今は、自分の胸に存在しているのがまわしくて仕方ありません。
 さぁ、頭を切り替えましょう。昨日の自分を思い出すのです。わたくしは、震えた声で呟きました。

「ケネス様……何故……妹と……?」
「……エリザベス……あの下品な娘はエリザベスの妹なの?」
「は、はい。申し訳ございません」

 低い、とても恐ろしい声です。
 今更ながら、『自分が苦労したから、息子達は浮気をしないように育てた』と、いつもお義母かあ様はおっしゃっていたことを思い出します。だから、大丈夫だと思っておりました。感じていた僅かな不安を、全て押し潰してしまったのです。
 ……お義母かあ様のせいにしてはいけませんね。悪いのは、ケネス様とドロシーです。そして、ケネス様と仲良く出来ず、浮気の予兆に気づけなかったわたくしにも責任があります。だからこそ、わたくしの手で終わりにしてみせます。
 隣にいるお義母かあ様の気配が、重くなりました。怒っておられるのは間違いありません。
 本音を言えば、お義母かあ様が怖過ぎて、これ以上ここにいたくありません。
 ですが、自分で決めた事です。あの男に反省して頂く為にも、もう少し頑張りませんと。

「お義母かあ様、もうすぐ第二幕が始まります。劇が終わるまでは声を掛けず見守りましょう。わたくし、耐えますから……」

 そう言ってハンカチを取り出すと、お義母かあ様が抱きしめて下さいました。涙が出てきて止まりません。お義母かあ様の娘に、なりたかったですわ。


「説明なさい」

 劇が終わってベタベタといちゃついていたケネス様とドロシーに、静かにお義母かあ様が声を掛けました。また口付けを交わしています。周りが引いている事にすら気が付かないなんて、この二人はどうしてしまわれたのでしょうか。周囲を見渡すと、お友達や知り合いを何人かお見かけしました。気を遣って席を外してくれる方もおられましたが、ジッと観察している方もいます。わたくし自身も今は、一歩引いた位置で三人を見守っています。
 お義母かあ様に声をかけられたケネス様は、呆然とした表情で固まっておられます。
 ですが、ドロシーはお義母かあ様を知らないからとんでもない事を言い出しました。

「誰よ、このおばさん。私達は貴族なのよ。気安く声をかけないでよね」

 ドロシーの発言で、場が凍りつきました。
 確かに今日は、商談の後ですので、一目で貴族と分かるようなドレスは着ていません。しかし、観劇に来るのは生活に余裕のある人だけです。つまり、貴族や大商人がほとんどなのです。劇場で知らない方に声をかけて頂いたら、丁寧に返事をするものなのに……
 ケネス様は、真っ青な顔のまま黙りこくっています。お義母さまから目をそらそうとした結果、わたくしに気が付いて更に顔を青くしておられますね。
 一方、ドロシーは扇子せんすで顔を隠しているだけのわたくしに気が付きません。いつも周りを見ろとドロシーに注意していたのですが、やはりわたくしの話は聞いていなかったのですね。
 お義母かあ様は、声色をとても優しいものに変えて、ドロシーに話しかけました。

「失礼致しました。とっても情熱的で素敵だったからお声がけ致しましたの。とてもお似合いね。貴方達はご夫婦なの?」

 これはお義母かあ様の得意技なのです。ああやって、優しく話して情報を引き出すのだと以前教えて下さいました。わたくしは未熟で、まだお義母かあ様のように上手に出来ません。

「えっ⁉ そう見えます⁉ やっぱりお姉様よりわたくしの方がケネス様に相応ふさわしいですよね!」
「ご夫婦か聞いたのだけど……まぁいいわ。ねぇ、貴方達は愛し合っているのよね?」
「そうです! やだ! このおばさん話が分かるわ! 嬉しい! ケネス様! お似合いですって!」

 ドロシー! お願いだからもうやめて下さい‼
 お義母かあ様は優雅に笑っていますけど、手に持つ扇子せんすにヒビが入っておられますわ‼

「ケネス様、初めまして。何度も口付けをされているのを拝見しましたわ。わたくし、夫とは死別してしまったものだから羨ましくて。本当に仲がよろしいのね」

 初めましてと聞こえましたが、気のせいではありませんよね。
 息子に……初めましてですか。もう、全てお義母かあ様にお任せしましょう。
 怖くて口を出せません。

「そうなのね。おばさんは綺麗だから、また良い人が見つかるわよ」

 ドロシー!  おばさんと呼ぶのは三回目ですよっ‼ 
 お願いです! せめて、おばさんと呼ぶのはやめて下さいましっ‼ 
 お義母かあ様は、淡々と返事をしておられますけど……怖すぎます。

「おなぐさめ頂いて嬉しいわ。そんなに熱い口付けを交わす仲だし、ケネス様と……貴女は?」
「ドロシーよ!」
「ケネス様とドロシー様はご結婚なさっているの?」
「色々あって結婚は無理なの。あ、でもね! ケネス様から三年したら一緒になりましょうって言われたのよ! 素敵でしょう? でも、わたくしは三年もお待ちできないから、今日は最後の思い出に連れて来て頂いたの」
「あら、どうして三年も待つの? こんな素敵な彼女を待たせるなんて良くないわ。すぐ結婚なさればよろしいじゃない。身分差でもおありなの?」

 カタカタカタカタ。
 あ、ケネス様が小刻みに震えるだけのお人形のようになってしまわれました。ドロシーは、ケネス様の異常に気付く様子はなく、嬉しそうにお義母かあ様と話を続けています。さすがお義母かあ様ですね。言い逃れ出来ないように少しずつ情報を集めておられます。わたくしが出来るのは、出来るだけ顔を隠してドロシーにバレないようにする事だけです。ドロシーはわたくしに全く気が付かず、楽しそうに話を続けています。

「身分差は少しあるけど問題ないの。でも無理なのよ」
「そうなの? ドロシー様はまだ若いわよね? 三年待てば婚姻出来るなら素晴らしい事じゃない。ご両親がお二人の仲をご存知なら、婚約者は連れて来ないのではないかしら? ご両親がご存知ないのなら、お知らせしてはいかが?」
「両親は知っているわ。応援もしてくれる。けど、わたくしがケネス様と一緒になるのは無理だから……」

 その時、底冷えする声が響きました。

「姉の、婚約者ですものねぇ」

 ドロシーの言葉を遮ったお義母かあ様は、にっこり笑って微笑みました。
 ケネス様は、真っ青な顔で震えておられます。ようやくドロシーも、ケネス様の異常に気が付きました。

「え……?」
「お初にお目に掛かります。リンゼイ子爵家の当主ですわ。そうねぇ、分かりやすく言うと、ケネスの母親ですわ。このような場で話しかけられた時は、相手の身分が分からなければ丁寧な対応をする事をおすすめしますよ。エリザベスと違って、恥知らずな娘ね。バルタチャ家の当主もこの事をご存知だったなんて、馬鹿にしているわ。ケネス、ちゃんと説明なさい」

 無理、無理です! お義母かあ様! 
 ケネス様はもうカタカタ動くお人形のようですわっ‼

「なっ……何よ‼ だましたの⁉ あ! お姉様もいるじゃない‼」

 ようやく気が付いたのですね。遅過ぎますわ。

「二人揃ってわたくしとエリザベスをだましていたのね。ご両親もご存知だったなんて……リンゼイ子爵家もめられたものね」

 お義母かあ様は、優しい口調で穏やかに話しかけておられます。
 この声は、最上級にお怒りになった時のものです。
 ですが、この場でそれが分かるのはわたくしとケネス様だけです。ドロシーは、お義母かあ様の優しい声に叱られていないと判断し、調子に乗りベラベラと話し始めました。

「ケネス様はわたくしを愛しているの! 何度も婚約者を変えるようにお願いして下さったのに、お姉様でないと駄目だと話を聞いて下さらなかったのでしょう。お義母かあ様、わたくしの方がケネス様に相応ふさわしいですわ!」
「貴女にお義母かあ様と呼ばれる筋合いは無いわ。それに、ケネスからそんな話は聞いてない。貴女本当にエリザベスの妹? 礼儀もなってないし、エリザベスとは違いすぎるわ」

 わたくしと比べられて、ドロシーが奇声を上げました。ドロシーは、わたくしと比較されると怒るのです。家庭教師の先生が、たまたま見かけたわたくしを褒めた時、ドロシーは屋敷で暴れて、泣いて、家庭教師の先生に掴み掛かりました。それ以来、ドロシーの先生には、わたくしの名前を出さないようにお願いしております。
 確かに、比べられるのは嫌ですよね。わたくしも両親からドロシーと比べて可愛げがないといつも言われます。とても嫌ですわ。だから、これに関してだけはドロシーの気持ちも分からないでもないです。それ以外は、全く理解できませんが。
 心配したケネス様がドロシーに声を掛けると彼に抱き着いて泣き始めました。今回は嘘泣きではありません。わたくしと比較されるのは、泣くほど嫌なのでしょう。
 ケネス様は、わたくしをにらみつけています。完全に嫌われましたわね。
 今はわたくしもケネス様の事が嫌いですからおあいこですわ。
 こんなところで騒ぎになりたくありません。お義母かあ様がどう動くか判断したら、すぐに逃げましょう。わたくしは、お義母かあ様に習った通り、自分の意思を伝える事にしました。
 ここは多くの人の目があります。結婚間近の婚約者の妹と口付けを交わしているのですから、ケネス様の不貞は明らかです。
 商売は、信用が第一ですから、お義母かあ様は世間体をとても気になさるお方です。多くの目撃者がいますので、わたくしの意思を無視して結婚式を決行しようとはなさらないでしょう。

「両親も知っていたとは思いませんでしたわ。すぐに話し合いの場をもうけましょう。わたくしは、ケネス様と結婚出来ませんわ。契約違反ですもの。お義母かあ様、今までありがとうございました。娘になれず本当に申し訳ございません。ケネス様も、今までありがとうございました。どうぞドロシーとお幸せに。ごめんなさい、続きは明日でよろしいですか? ここにいるのは辛過ぎますから、失礼致します」
「うちの馬鹿息子がごめんなさいね。明日、そちらにおうかがいするわ。本当にごめんなさい」
「うちの両親はともかく、お義母かあ様……いえ、リンゼイ子爵は何も悪くありません」
「もう母とは呼んでくれないわよね。エリザベス、今までありがとう。契約にのっとって婚約を解消しましょう。もちろん、賠償ばいしょうもするわ。だけど……」
「分かっておりますわ。不貞の原因はわたくしの妹。我が家も賠償ばいしょうをしないといけないでしょう。ケネス様とドロシーが婚姻すれば慰謝料は相殺になるでしょうけれど、婚姻しなければ我が家が慰謝料を払う立場になる可能性が高いでしょうね」

 姉の婚約者と知っていたのですから、ドロシーの有責は明らかです。
 そして、ケネス様の方がドロシーより年上です。次の相手を探すのが大変だという理由で、男女問わず年上が慰謝料を貰える事が多いのです。不公平ですし、問題が多い法律ですから、現在見直しがされております。若い初心うぶな女性を騙す者もいるそうですからね。
 しかし、現在の法律では明らかにドロシーが不利です。賠償ばいしょう金を払いたくない両親はドロシーとケネス様の婚約を勧めるでしょう。

「エリザベスの気持ちを聞かせて」

 お義母かあ様は、わたくしを気遣って下さいます。
 なんてありがたいのでしょうか。息子の気持ちを繋ぎ止められなかったと、責められる事も覚悟しておりました。だけど、お義母かあ様はケネス様やドロシーに怒っているだけで、わたくしが悪いとは思っていらっしゃいません。
 何でもかんでもわたくしのせいにするうちの両親とは大違いです。お義母かあ様の好意に甘えて自分の希望を言う事にしました。

「ケネス様にも、ドロシーにも二度と会いたくありません。それ以外に望みはありませんわ。わたくしは家でうとまれておりますから、両親はドロシーの味方をするでしょう。愛し合う者同士結ばれればよろしいのでは? 妹は成人しましたので婚姻可能ですわ」

 わたくしの言葉に、ドロシーはパァッと顔を輝かせました。
 ドロシー、良かったですね。だけど、ポールはドロシーも両親も許さないと思いますよ。
 ポールとセバスチャンは両親を追い出す計画を立てていますので、近いうちに両親は実権を奪われて別荘にでも軟禁されると思います。わたくしとポールで当主の仕事を代行しておりますので、ポールは今すぐ男爵位を継げる才覚が備わっております。
 結婚式も、準備は出来ているし招待客も同じですので、一週間後に花嫁だけ入れ替えてそのまま行われる可能性が高いと思います。あまり恥を広げる訳にいきませんし、両親もお金をケチって延期は嫌だと言うでしょう。
 ドロシーが家を出れば、ポールも動きやすくなります。それに、お義母かあ様は希望を聞いたら極力叶えて下さるお人です。こう言っておけば、きっと婚約解消の条件に、二度とわたくしと会わない事と加えて下さる筈です。もし加えられなかったら、条件を加えるよう訴えれば良いですわ。それくらいの権利はありますもの。

「分かったわ。エリザベスがそう言うなら、ケネスとドロシー様が婚姻出来ないか、バルタチャ男爵に聞いてみましょう。明日うかがうわ。エリザベス、悪いけど明日まではこの恥知らず達と会って頂ける?」
「ええ、明日で最後ならお会いしますわ」
「残念だわ。エリザベスが家に来るのを楽しみにしていたのに。本当にごめんなさい」
「わたくしも両親よりもお義母かあ様を尊敬しております。今までも、これからも。様々な援助やお気遣い、本当にありがとうございました」

 我慢していたのに、また涙が流れてしまいます。泣き崩れる事のないように、ハンカチで涙を拭き真っぐ前を向きます。

「エリザベス……こんなに良い子をどうして……本当にごめんなさい。さ、ケネス。じっくり話を聞かせて頂戴。帰るわよ」


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