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8 不幸自慢なら負けない
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湯気で周囲が白く煙っていた。
シズカケンを大鏡の前のタイルに座らせ,血や煤で汚れたシャツを脱がせた。肉づきの薄い痩身だったが,何処までも透明で,骨格のきれいな体だった。
鏡のなかの祀鶴歌と目があう。急に怒りがこみあげる。何であたしがあんたの世話なんかしなきゃなんないのよ!
ズボンは穿かせたままで頭からシャンプーをぶっかけた。横側と後方とで段差のある長髪を乱暴に洗い,シャワーで適当に流す。んもうっ!――どんどん腹がたってくる。ボディーソープを振りかけて粗雑に塗りこめる。
祀鶴歌の全身が小刻みに震えていた。両手で顔をおおい,泣いている――
「何,何,何? 今度は誰? 一体誰の御登場なの?」
「アレクサンドロフ……」吐息だけで祀鶴歌は言った。
「は? なんて?」
「僕ね,お風呂は1人で入りたい……」
「何だ,やっとメインが戻ってきたんじゃん――ああ,よかった。どうなることかと思ったわ」ソープ塗れの手で祀鶴歌の頭を小突いた。その手を握りしめられる。
「体は全部,全部,全部自分で洗えるし……バスタブやベッドのなかで……」
「祀鶴歌!――」握られた手を振りおとした。病気にかかわる深い部分を突きつけられているのだと気づいた。「いい加減,戻ってきてよ! あたし,もう限界だから」
バスルームを出ようとして,背後から抱きとめられた。
「怒らないで! お願いだから怒らないで! 愛しているんだ――でもあなたの教えたことは普通じゃない」
背負い投げして冷水を浴びせた。熱に浮かされたみたいな両眼が正常さをとりもどす。
「不幸自慢なら負けない。あんたよかひどい仕打ちを受けた人間はいっぱい,いるわよ」
「未琴ちゃん……」涙の溢れだす目に腕を置いた。腕の下から涙の雫が滴りおちて髪の筋に宿る水滴と溶けあった。
「よくあるパターンじゃん? 最初に会った大人が最悪だった――それだけの話よ」
「違う!」と上半身を起こす。「アレクサンドロフは素敵な人だった。もとボクシングの世界王者で,神父をしていたのさ。赤子の僕をひきとって宗教も言葉も歴史も数学も,武術だって教えてくれた」
「そしてあっちの方面も」
「下品な言い方やめてよ! 彼を侮辱しないで!」
「バァーカ,そいつのせいで,あんたは病気になったんだよ」
「僕が悪いのさ――幼かったせいで教わる全てを当然のこととして受けいれてしまった」
「無分別な幼子に,不道徳をすりこむトンデモ神父」
「彼を悪く言うな!」
「あんたは偽善者よ」
「偽善者? 僕の何処が?」
「よく知らない。でもきっとそう――あんたはそのエロオヤジを殺したんだわ。どんなに弁護したって偽善にすぎないじゃん。結局は憎くて堪らなかった。だから殺してしまった」
「愛しているから殺したんだ!」
……愛しているから殺した? そんなこと絶対にありえない。「そんなのやっぱり偽善だわ」
「愛しているから殺した。それは真実なのさ。でも――」何度か深く頷いた。「偽善だね――自分の思いを抑えられずに誰かの命を奪うなんて許されない。犯罪者の僕がきれいごとを言ってみても所詮は偽善だ」立ちあがり,シャワーの水勢を強めた。室内の湯気も濃度を増していく。ズボンを脱ぐのが目端に映り,外へ出ようとすると,呼びとめられた。
「ありがとう,話を聞いてくれて。負の感情を共有してもらえたみたいで,とても楽になれるんだ。できればまた話し相手になってもらいたいな――あっ」とドアステップに近づく。「僕のほうもいつでも聞くから,未琴ちゃんの不幸自慢」
それ以上の前進を阻むためにドアを閉めた。「自慢話は嫌いなの」
シズカケンを大鏡の前のタイルに座らせ,血や煤で汚れたシャツを脱がせた。肉づきの薄い痩身だったが,何処までも透明で,骨格のきれいな体だった。
鏡のなかの祀鶴歌と目があう。急に怒りがこみあげる。何であたしがあんたの世話なんかしなきゃなんないのよ!
ズボンは穿かせたままで頭からシャンプーをぶっかけた。横側と後方とで段差のある長髪を乱暴に洗い,シャワーで適当に流す。んもうっ!――どんどん腹がたってくる。ボディーソープを振りかけて粗雑に塗りこめる。
祀鶴歌の全身が小刻みに震えていた。両手で顔をおおい,泣いている――
「何,何,何? 今度は誰? 一体誰の御登場なの?」
「アレクサンドロフ……」吐息だけで祀鶴歌は言った。
「は? なんて?」
「僕ね,お風呂は1人で入りたい……」
「何だ,やっとメインが戻ってきたんじゃん――ああ,よかった。どうなることかと思ったわ」ソープ塗れの手で祀鶴歌の頭を小突いた。その手を握りしめられる。
「体は全部,全部,全部自分で洗えるし……バスタブやベッドのなかで……」
「祀鶴歌!――」握られた手を振りおとした。病気にかかわる深い部分を突きつけられているのだと気づいた。「いい加減,戻ってきてよ! あたし,もう限界だから」
バスルームを出ようとして,背後から抱きとめられた。
「怒らないで! お願いだから怒らないで! 愛しているんだ――でもあなたの教えたことは普通じゃない」
背負い投げして冷水を浴びせた。熱に浮かされたみたいな両眼が正常さをとりもどす。
「不幸自慢なら負けない。あんたよかひどい仕打ちを受けた人間はいっぱい,いるわよ」
「未琴ちゃん……」涙の溢れだす目に腕を置いた。腕の下から涙の雫が滴りおちて髪の筋に宿る水滴と溶けあった。
「よくあるパターンじゃん? 最初に会った大人が最悪だった――それだけの話よ」
「違う!」と上半身を起こす。「アレクサンドロフは素敵な人だった。もとボクシングの世界王者で,神父をしていたのさ。赤子の僕をひきとって宗教も言葉も歴史も数学も,武術だって教えてくれた」
「そしてあっちの方面も」
「下品な言い方やめてよ! 彼を侮辱しないで!」
「バァーカ,そいつのせいで,あんたは病気になったんだよ」
「僕が悪いのさ――幼かったせいで教わる全てを当然のこととして受けいれてしまった」
「無分別な幼子に,不道徳をすりこむトンデモ神父」
「彼を悪く言うな!」
「あんたは偽善者よ」
「偽善者? 僕の何処が?」
「よく知らない。でもきっとそう――あんたはそのエロオヤジを殺したんだわ。どんなに弁護したって偽善にすぎないじゃん。結局は憎くて堪らなかった。だから殺してしまった」
「愛しているから殺したんだ!」
……愛しているから殺した? そんなこと絶対にありえない。「そんなのやっぱり偽善だわ」
「愛しているから殺した。それは真実なのさ。でも――」何度か深く頷いた。「偽善だね――自分の思いを抑えられずに誰かの命を奪うなんて許されない。犯罪者の僕がきれいごとを言ってみても所詮は偽善だ」立ちあがり,シャワーの水勢を強めた。室内の湯気も濃度を増していく。ズボンを脱ぐのが目端に映り,外へ出ようとすると,呼びとめられた。
「ありがとう,話を聞いてくれて。負の感情を共有してもらえたみたいで,とても楽になれるんだ。できればまた話し相手になってもらいたいな――あっ」とドアステップに近づく。「僕のほうもいつでも聞くから,未琴ちゃんの不幸自慢」
それ以上の前進を阻むためにドアを閉めた。「自慢話は嫌いなの」
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