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2 真実を聞く耳と闇を見る目と

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 聴蝶と観空が警察署で待っていた。聴蝶が飛びついてくる。亜麻色のつぶらな瞳を細めながら同色のロングヘアーと顎とを小刻みにふるわせ,忙しげに両手を動かしてみせては,片方の手の指先を左右の肩に交互につける。「大丈夫か」の手話だ。
 聴蝶はろう者だ。5歳のときに聴力を失った。母親を亡くしたことから来るショックが原因ではないかと疑われた。
 見様見真似で覚えた手話を繰り返す――大丈夫。心配ないから。
「全く――どうしておまえはこう事件に関係してしまうんだ? 俺たちまで巻きこまれて迷惑だよ」観空が気怠げに毒を吐いた。彼は聴蝶の双子の兄だ。切れ長の漆黒の瞳を漂わせ,廊下の照明を見あげる。大量の前髪を斜めに垂らした大胆なスタイルの頭が烏羽色に輝く。「夜だから車で来られた。昼だとどうする? 何かあっても俺たちは身動きとれないから」
 観空は夜間だけ視力がきく。日中は視界から光を消滅させてしまう。何故そうなってしまったのか高名な医者たちにも分からない。恐らくこれも心的原因に依拠するものらしい。観空が明の世界を見なくなったのは20年前の高校時代に彼の恋人が自殺してからだ。
「おまえ……」観空が私を見た。焦点の定まらない瞳が芯をとりもどし,何かを摑みだす。「影が近づいてくる――おまえに近づいてくる」
 びくりとする。背後から聴蝶に両肩を抱かれた。「ああ,ああ……」と声を絞りだす。
 人差指をふり,どうしたのかと尋ねる。
 聴蝶が手招きをしてから私を指さす。その指が推移して斜め上空を突く――あなたを呼んでる!
「誰が? 誰が呼んでいるの?」
 親指を突きたてる――彼よ! 彼が呼んでる! あなたを呼んでる彼の声が聞こえるの!
「だから誰!」
 中指の第2関節に親指をあて「K」を形づくると,右から左へ滑らせる。人差指と中指を密着させて縦に並べる。親指を立て人差指と中指を横むきにのばすと,右から左へ移動させる。ガウジ――指文字はそう伝えた。
 聴蝶は真実を聞き,観空は闇を見る。それは到来する時の声を察知し,危機を洞察する力でもある。2人の聞いて見たことは現実のものとなるのだ。
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