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○3章 温泉へ行こう

 -14『こうかはばつぐんだ』

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「おのれ魔王め。勇者である私が成敗してくれよう」

 壁に飾られていた剣を手に取り、マルコムが颯爽とドミナータへ構える。

「我がハーレムの礎のため、塵と消えろ!」

 言葉の端だけ聞くと格好いいマルコムの口上に、ドミナータは不敵に笑みを返す。そして魔道書を前へ掲げた。

「ぐふふ、最初の犠牲は貴様なんだの。ならばくれてやるだの。『ブラックヒストリア』!」

 瞬間、マルコムの周囲を黒い靄が覆う。
 ブラックホールか。それとも体に侵食してくるのか。
 魔法の実態がつかめない。いや、実際に何も起こってない。

 攻撃というよりも、ただ黒い光がまとわりついただけのような。

「どういう冗談だ」とマルコムが嘲笑を浮かべてすぐのことだった。

「――酒場で酔っ払ってもいないのに倒れた振りをし、女子の下着を覗こうとする癖が十歳の頃からやめられない」
「……なっ?!」

  『ダメージ2 残りHP8』

 なんだいまの。
 ドミナータが何か言ったかと思えば、突然マルコムが胸を打たれたように屈みこんだ。

「――八歳の頃、隣の家に住むお姉さんに告白した。その時の決め台詞は『お姉さん、ボクを飼ってみない?』」
「……ぐはぁっ?!」

  『ダメージ2 残りHP6』

 今度はマルコムが吐血までしはじめる。

「これが、あいつの攻撃なのか?」と俺は呆気にとられた気分で眺めていた。

「――下着の色は紫が好き」

  『ダメージ2』

「――母親にお尻を叩かれて叱られるのがちょっと快感だった」

  『ダメージ2』

「――性に目覚めたのは三歳」

  『ダメージ2 女神の加護発動 残りHP1』

「あ、あぶない。加護がなければ即死だった」

 立て続けに呪文のように述べられたそれに、マルコムは瞬く間に瀕死へと追いやられてしまっていた。

「むむ。まだ生きてやがるんだの。しぶといやつだの。ならばもっと喰らわせてやるんだの」

「――七歳の頃、母親の下着を盗んだ」

  『ダメージ2 スキル発動』

「――それがバレた翌日、遺書を書いて家出しようとしたが見つかって怒られた」

  『ダメージ2 スキル発動』

「――八歳の頃、隣のお姉さんに悪戯で軽く指でカンチョウされ、辺りに血の洪水を巻き起こした。でも気持ちよかった」

  『ダメージ2 スキル発動』

「――誕生日になるたびにお姉さんにカンチョウをねだるようになったが、素直に気持ち悪くて、一時間に及ぶ罵倒を浴びた。でも気持ちよかった」

  『ダメージ2 スキル発動』

「――ほどなくして引っ越してしまったお姉さんのことが忘れられず、村の似た女性に手当たり次第告白していったが、やはり気持ち悪がられ、しまいには『魔王を倒すまで帰ってくるな』と村を追い出された。でもその罵倒すら気持ちよかった」

  『ダメージ2 スキル発動』

「……ぐっはぁぁぁぁぁぁっ!!」

 凄まじいほどの吐血を見せて倒れ込んだマルコムを前に、ドミナータが丸い腹を膨らませて高笑いする。

「見たんだの。これが我がブラックヒストリア。相手の心の闇を増幅し、直接ダメージを与える禁術なんだの!」

 つまり黒歴史を抉るってことか。
 間違いなく強い。いろんな意味で。

「むむむ。まだこいつ生きてるんだの。もっとやらないとダメなんだの」

 やめたげて!
 というかいっそ殺してあげて!

 ただでさえ知りたくもないマルコムの恥ずかしい黒歴史が垂れ流されていっているだから。

 それを聞いているのも苦痛だし、女性陣は一様にどん引きしている。

 発動率が低いはずのスキルで女神の悪戯によって生きながらえているマルコム。もはや女神の幸運というより、女神の嫌がらせのようにしか思えない。天国に来るなよ、こっち来るなよ、みたいな感じで。

 しかしさすがに吐血しまくり、もはや抜け殻のように倒れ込んでしまっていた。

 あいつはもう使い物にならないだろう。

 それにしてもあのブラックヒストリアという魔術。
 つまりは相手の黒歴史を掘り起こし精神的ダメージを与えるというもののようだ。
 誰にも教えていない自分だけの秘密が暴露される。これほど恐ろしい魔法、見たことがない。

「バッカじゃないの。あんなやつに最初から期待なんてしてないわよ。あたしがさっさと蹴散らしてあげるわ」

 マルコムを鼻で笑って見下したヴェーナが、ふんぞりかえるように前に立つ。

「あたしたちもこのブタおじさんの元で働かせようってつもりだったようね。騙そうとしたツケは高くつくわよ」
「むむ。そう言ってられるのも今の内なんだの」
「あたしは別に恥ずかしい過去なんてないもの」

 手に魔法で生み出した槍を構えるヴェーナ。だが、それを振りかぶって駆け出すよりも先にドミナータのブラックヒストリアが彼女を包み込んだ。

「――いつも忘れぬ、心と胸を満たす三センチの詰め物」
「っ?!」

  『ダメージ2 残りHP8』

 ヴェーナが咄嗟に、顔を真っ赤にして自分の体を抱え込む。

「――五歳下の少女に『私よりぺったん』だと尊厳を傷つけられ、絶対的な実力を手に入れることで見返そうとしている」
「っっ?!」

  『ダメージ2 残りHP6』

「――貧乳」
「っっっ?!」

  『クリティカル! ダメージ4 残りHP2』

 何か棘にでも突き刺されたかのようにヴェーナは仰け反ると、白目をむき、そして大急ぎで部屋のカーテンにくるまって隠れてしまった。顔だけを覗かせ、

「違うもん、ばーか!」と子供みたいに叫んでいる。

 なんというか。
 マルコムとは別方向でなんとも残念な結果だ。

 なんだかんだ、あっという間に二人もやられてしまった。
 ヴェーナは黒歴史というよりも、ただの悪口のようでもあったが。

「ヴェーナまでやられたか。攻撃方法はともかく、なかなかやるな」
「ふぁっふぁっふぁっ、だの。やはりわらわは最強なんだの」

 悦に浸る様子のドミナータ。
 残るは俺と、ミュンにスクーデリアのみ。
 あとはおまけ程度に足元にいるケルベロスのポチだけだ。

 もし前に出ようものなら己の尊厳を失いかねない。たちまちドミナータのブラックヒストリアによって心を抉られることだろう。

 俺たちは牽制しあうように動けなくなっていた。

 攻撃魔法のフレイムで一気に燃やし尽くすか。いや、下手に動いた瞬間に術をかけられかねない。

 それだけはイヤだ。
 黒歴史をばらされるなんて、絶対に。

「ふぉっふぉっふぉっ。このままお前たちを捕らえて、わらわの小間使いとして一生可愛がってやるんだの。あ、男は用がないから始末するんだの」
「始末するのはマルコムだけでお願いします」
「お前もなんだの」
「やっぱ駄目か」

 頼んでみたけれどあっさりと一蹴されてしまった。
 しかし、それに憤るように前に出たのはミュンだった。

「それは困ります!」
「な、なんなんだの」

 突然強気に声を張った少女に、ドミナータが虚をつかれて驚きを見せる。

 まるで俺を庇うように、ドミナータを前にして佇むミュンの姿は、バックパックのある普段よりもずっと大きく勇ましく見えた。

「エイタさんは私たち、リリーテナ家の名を再び世に轟かせるためにも、クレスレブと共にこれから多くの偉業を達成していただかなければなりません。魔王を倒したり、果ては一国の主となるほどに」

 要求内容めっちゃ盛られてませんかね。

「エイタさんを殺すというのなら、私が身を挺してでも守り抜きます!」

「むむ。お前たち、もしかしてそういう蜜月の関係なんだの?」
「そうです!」

 一切のよどみなくミュンは頷く。
 イヤ、ちょっと待て。その件は保留にしているはずだ。

 ドミナータは不機嫌そうに鼻を鳴らした。

「おのれ、むかつくんだの。わらわの目の前でいちゃいちゃするんじゃないんだの。もう怒っただの。お前も少し懲らしめてやるんだの」

 再びドミナータが魔術書を構える。

 まずい。
 このままではマルコムたちみたいにミュンもやられてしまう。

 咄嗟にミュンへと手を伸ばそうとしたが、しかし遅かった。ドミナータのブラックヒストリアがミュンの全身を包み込む。

「――毎朝、田口エイタを起こすときは五分ほど眺めてから起こしている」
「寝顔は子供のようにすごく可愛いんです」
「ええっ?!」

  『…………』

 あれ、何も表記されない。
 まさかコンピューターというわけでもないだろうし、表記バグではないだろう。

 ブラックヒストリアを受けたはずなのに、ミュンは快活に返事をするだけで、まったく何も影響を受けていないように見える。

 ドミナータもその不発を不思議そうにいぶかしんでいた。

 というか、ちょっと待て。
 なにやってやがるんだ、ミュンは。

「もう一度だの」

「――睡眠学習として、寝る前に田口エイタのその日の格好いい場面や優しかった場面などを思い出し、悦に浸ってから眠る」
「はい! とっても楽しいです!」
「ふぁっ?!」

  『エイタにダメージ3 残りHP4』

「――田口エイタの服を洗濯するときにいつも顔を埋めている」
「はい! 不思議なにおいがします!」
「おいミュンなにやってんだ!」

  『エイタにダメージ3 残りHP1』

 驚きすぎるあまり、俺に流れ弾が来やがった。
 しかも普通にくらうよりダメージがでかいじゃねーか!

 ミュンは快活に返事をしただけでダメージもないというのに、何故か俺のライフだけが削れた。

 なんで勝手に瀕死にさせられてるんだ、俺。そんなのありかよ。

 突然やって来た死の恐怖に、俺だけが場外で勝手に焦る。

 しかし一向にダメージを受けないミュンに、ドミナータも動揺の色を濃く見せ始めていた。弾ませた声で「まだまだありますよ」と催促までされる始末。

「な、なんでなんだの。お前、これが後ろめたいことではないんだの?」
「ふぇ? まったくですけど」
「な……なんだと、なんだの」

 目を見開いて驚愕するドミナータ。

 純真無垢に向けられたミュンのつぶらな瞳がまぶしい。

「あ、ありえないんだの。こんなこと、ありえないんだの」

 そんな彼の頭上に、

「あーらよ、っとぉ」

 いつの間にかこっそりと歩み寄っていたスクーデリアが、机上に置かれていた花瓶を叩きつける。思い切り振りかぶった、花瓶が粉々に砕けるほどの強烈な一撃。

「ふごぉっ!」と悲鳴を漏らしたドミナータが、吐血と鼻水を噴き出して床に叩きつけられた。

  『ダメージ9 残りHP1』

「お姉さん優しいから、命だけは助かるように手加減しておいてあげたからぁ」

 血まみれになった割れた花瓶の先をギラつかせながら、スクーデリアは微笑を浮かべてドミナータを見下ろしていた。

 ふう、助かった。
 流れ弾の精神ダメージで人知れず死ななくて、本当によかった、俺。
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