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第二章 二人の過去
三 蜘蛛
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町の中心部を離れても、しばらくはぽつぽつと建つ民家や田んぼ、畑などが広がる。だが港に繋がる街道を走り続ければ、そういった点在する家も見当たらなくなった。
起伏に富む六堂の土地と比べ、この辺りは山よりも平地の方が多い。主な景色はただただ広がる平原だ。
太陽が頭上を超えて僅かばかり傾きだした頃。藤と浄は、走り続けている馬の鼻息が荒くなってきたことを感じていた。
「藤、そろそろ馬を休めよう」
「ああ、わたしもそう思っていた」
すんなりと合意し、一度街道をそれて、近くを流れていた川辺へと向かう。すると、馬は自然と川に頭を近づけて水を飲み始めた。
二人も馬から降り、浄は近くの木陰に入って腰を下ろす。馬での旅は、走っている馬はもちろん、乗っている人間も疲労するものだ。
藤は馬の鞍につけていた荷物から竹の皮に包まれた握り飯を出すと、包みを開いて、浄に差し出した。あわせて竹筒の水筒も手渡す。
「船の出港予定時刻は」
浄は礼など特に何も言わず、握り飯をそこから一つ受け取りむしゃりと食う。
「酉刻半だ。乗るのは松柏本土へ向かう商船。わたしたちが同乗する話は行っているだろうから、少しは待ってくれるとは思うが」
藤も端的に答えながら、浄の横に腰を下ろし、残った握り飯を手に取り食べる。少し固めに炊いた米の中には、梅干しが入っている。程よい塩味と酸味が疲れた体に美味しい。
「なるほど。まあどちらにしても、日暮れ前には港につきたいな」
浄の言葉に藤は頷いた。夜になると、馬は思うように走れない。お前のせいで旅程の余裕がないのだ、との言葉は、米と一緒に嚥下する。
「四半刻で出るか」
浄は早々に握り飯を食べ終え、水筒の水を飲み干す。彼の提案に、藤も異論はなく頷く。浄は大きく伸びをすると、かたわらの木に凭れ掛かり、そっと目を閉じた。少しの時間でも仮眠を取る姿勢だ。
浄の目が閉じられたのを幸いと、藤はその様子をじっと見つめる。ここまでの道中も、藤は何食わぬ顔で先を急ぎながら、疑われない範疇で浄のことを観察していた。
この世には朝廷からも、組の支配からも逃れた者たちが盗賊として生活をしている。そのため、町の外では彼らに襲われる危険がつきものだが、浄には町を出ても緊張感を持っている様子はなかった。身のこなしには変に力が入ったところがなく、常に自然だ。
藤もまた握り飯を食べきると、空になった水筒を持って川へと向い、水を汲む。そして水筒を馬の鞍に戻しながら、浄の様子を伺った。眠っているかどうかの判断は難しいが、彼は先程とまったく同じ姿勢で目を閉じたままだ。
藤は荷物の中から、そうっと小さな木箱を取り出した。三寸四方の黒い木箱で、極小の空気穴が空いている。浄の側へと近寄り、彼の死角になる木の反対側で、木箱の一面を滑らせて開ける。中から出てきたのは、一寸半ほどの大きさの蜘蛛だ。
黒地に赤と青の斑点を持つ蜘蛛を、藤は注意深く木の幹に乗せた。そして、その尻にあたるところを軽く手拭いでつついて、木から離れる。
蜘蛛は手拭いに追い立てられるように、木に凭れている浄の方へと走り出していった。
それは、六堂ではよく暗殺に使用される、染蜘蛛という蜘蛛だった。
この世のあちこちで自然に生息している無害な蜘蛛だが、よく噛むことで知られる。さらに染蜘蛛は、その名の通りの特性を持っている。与える餌によって見た目の色が変わるのだが、同様に毒を与え続ければ、体内に毒を蓄積するのだ。
この蜘蛛は、藤が長屋の戸棚の奥で育てた、毒草を食べ続けた個体。その毒の濃縮度は、一度噛まれれば、瞬く間に全身に痺れが回る程強い。
藤は手塩にかけて育てた蜘蛛の動向を、注意深く見守った。蜘蛛は音もなく幹の上を伝い、浄の首元のすぐ側まで近寄った。蜘蛛が軽く跳躍すれば、浄の無防備な肌に取り付く、という、その時。
それまで目を閉じ、脱力しきっていた浄の体が飛び跳ねた。地面に足の裏をつけ、目にも留まらぬ速度で抜刀し、木を斬りつける。否、斬ったのはその上にいた蜘蛛で、木には軽く傷がついただけだ。見事に中心部で両断された蜘蛛は、ぽとりと地に落ちる。
反応速度の凄まじさに、藤は息を失った。この場に一瞬で走った殺気に、ただただ圧倒される。
「……どうした、浄」
藤は軽く唾を飲み込むと、辛うじて、そう平静を装って尋ねた。手にしていた小箱を手拭いで包み、着物の袂へ落とす。
自分が斬ったものを、斬った後で確認した浄は、身に漲った殺気と共に刀を納める。
「いや、何でもない。蜘蛛が俺に噛みつこうとしていたようだ」
成り行きで立ち上がった浄は、寝始めた時のようにもう一度伸びをして、馬の様子を確かめる。彼らは水を飲み終え、今度は草を食んでいた。
「そろそろ出るか」
浄の低く穏やかな声に、藤は短く同意することしかできなかった。
一度の休憩を挟んだ後は馬で駆け続け、藤と浄は日没を追いかけるような形で、一次目的地である港村、白虎イへと到着した。
白虎イは松柏や都との交易を主に行っている村で、村内の雰囲気は洗練されている。
他所ではほとんど見かけることのない石畳の上を馬で走ると、小気味良い蹄の音が響いた。道に点々と配置された灯籠に火が灯され、夜になっても明るい村の様子は、見ようによっては白虎の町と比べても栄えている。
二人は村中央部にある白虎組の拠点で馬を預けると、港に停泊する商船へと向かった。
続々と荷が積み込まれる船は、見上げる程に大きい。三本の帆柱が立つ帆船である。
船長に寿から預かった手紙を見せて乗船を許可され、二人は馬から船に乗り換える形で出港した。
起伏に富む六堂の土地と比べ、この辺りは山よりも平地の方が多い。主な景色はただただ広がる平原だ。
太陽が頭上を超えて僅かばかり傾きだした頃。藤と浄は、走り続けている馬の鼻息が荒くなってきたことを感じていた。
「藤、そろそろ馬を休めよう」
「ああ、わたしもそう思っていた」
すんなりと合意し、一度街道をそれて、近くを流れていた川辺へと向かう。すると、馬は自然と川に頭を近づけて水を飲み始めた。
二人も馬から降り、浄は近くの木陰に入って腰を下ろす。馬での旅は、走っている馬はもちろん、乗っている人間も疲労するものだ。
藤は馬の鞍につけていた荷物から竹の皮に包まれた握り飯を出すと、包みを開いて、浄に差し出した。あわせて竹筒の水筒も手渡す。
「船の出港予定時刻は」
浄は礼など特に何も言わず、握り飯をそこから一つ受け取りむしゃりと食う。
「酉刻半だ。乗るのは松柏本土へ向かう商船。わたしたちが同乗する話は行っているだろうから、少しは待ってくれるとは思うが」
藤も端的に答えながら、浄の横に腰を下ろし、残った握り飯を手に取り食べる。少し固めに炊いた米の中には、梅干しが入っている。程よい塩味と酸味が疲れた体に美味しい。
「なるほど。まあどちらにしても、日暮れ前には港につきたいな」
浄の言葉に藤は頷いた。夜になると、馬は思うように走れない。お前のせいで旅程の余裕がないのだ、との言葉は、米と一緒に嚥下する。
「四半刻で出るか」
浄は早々に握り飯を食べ終え、水筒の水を飲み干す。彼の提案に、藤も異論はなく頷く。浄は大きく伸びをすると、かたわらの木に凭れ掛かり、そっと目を閉じた。少しの時間でも仮眠を取る姿勢だ。
浄の目が閉じられたのを幸いと、藤はその様子をじっと見つめる。ここまでの道中も、藤は何食わぬ顔で先を急ぎながら、疑われない範疇で浄のことを観察していた。
この世には朝廷からも、組の支配からも逃れた者たちが盗賊として生活をしている。そのため、町の外では彼らに襲われる危険がつきものだが、浄には町を出ても緊張感を持っている様子はなかった。身のこなしには変に力が入ったところがなく、常に自然だ。
藤もまた握り飯を食べきると、空になった水筒を持って川へと向い、水を汲む。そして水筒を馬の鞍に戻しながら、浄の様子を伺った。眠っているかどうかの判断は難しいが、彼は先程とまったく同じ姿勢で目を閉じたままだ。
藤は荷物の中から、そうっと小さな木箱を取り出した。三寸四方の黒い木箱で、極小の空気穴が空いている。浄の側へと近寄り、彼の死角になる木の反対側で、木箱の一面を滑らせて開ける。中から出てきたのは、一寸半ほどの大きさの蜘蛛だ。
黒地に赤と青の斑点を持つ蜘蛛を、藤は注意深く木の幹に乗せた。そして、その尻にあたるところを軽く手拭いでつついて、木から離れる。
蜘蛛は手拭いに追い立てられるように、木に凭れている浄の方へと走り出していった。
それは、六堂ではよく暗殺に使用される、染蜘蛛という蜘蛛だった。
この世のあちこちで自然に生息している無害な蜘蛛だが、よく噛むことで知られる。さらに染蜘蛛は、その名の通りの特性を持っている。与える餌によって見た目の色が変わるのだが、同様に毒を与え続ければ、体内に毒を蓄積するのだ。
この蜘蛛は、藤が長屋の戸棚の奥で育てた、毒草を食べ続けた個体。その毒の濃縮度は、一度噛まれれば、瞬く間に全身に痺れが回る程強い。
藤は手塩にかけて育てた蜘蛛の動向を、注意深く見守った。蜘蛛は音もなく幹の上を伝い、浄の首元のすぐ側まで近寄った。蜘蛛が軽く跳躍すれば、浄の無防備な肌に取り付く、という、その時。
それまで目を閉じ、脱力しきっていた浄の体が飛び跳ねた。地面に足の裏をつけ、目にも留まらぬ速度で抜刀し、木を斬りつける。否、斬ったのはその上にいた蜘蛛で、木には軽く傷がついただけだ。見事に中心部で両断された蜘蛛は、ぽとりと地に落ちる。
反応速度の凄まじさに、藤は息を失った。この場に一瞬で走った殺気に、ただただ圧倒される。
「……どうした、浄」
藤は軽く唾を飲み込むと、辛うじて、そう平静を装って尋ねた。手にしていた小箱を手拭いで包み、着物の袂へ落とす。
自分が斬ったものを、斬った後で確認した浄は、身に漲った殺気と共に刀を納める。
「いや、何でもない。蜘蛛が俺に噛みつこうとしていたようだ」
成り行きで立ち上がった浄は、寝始めた時のようにもう一度伸びをして、馬の様子を確かめる。彼らは水を飲み終え、今度は草を食んでいた。
「そろそろ出るか」
浄の低く穏やかな声に、藤は短く同意することしかできなかった。
一度の休憩を挟んだ後は馬で駆け続け、藤と浄は日没を追いかけるような形で、一次目的地である港村、白虎イへと到着した。
白虎イは松柏や都との交易を主に行っている村で、村内の雰囲気は洗練されている。
他所ではほとんど見かけることのない石畳の上を馬で走ると、小気味良い蹄の音が響いた。道に点々と配置された灯籠に火が灯され、夜になっても明るい村の様子は、見ようによっては白虎の町と比べても栄えている。
二人は村中央部にある白虎組の拠点で馬を預けると、港に停泊する商船へと向かった。
続々と荷が積み込まれる船は、見上げる程に大きい。三本の帆柱が立つ帆船である。
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