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【第22話】
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その3年後にはそれを現実のものとするのだが、傲岸不遜(ごうがんふそん)ぶりは益々ひどくなっていった。
いまになってこそ、自分は別人だったと思えるのだが、もし、あのまま会社を潰すことがなければ、自分を顧(かえり)みることもなかっただろうし、ともすれば、今回のような罪を犯すこともなかったかも知れない。
だが、けれど、もしそうだったとするなら、金にまみれた中で、大切なものを失ったのも事実だ。
そう、あのままの良介だったなら、妻だった江梨子は確実に彼のもとから去っていっただろうから。
そして、ほんとうの幸せとは何かを知らぬまま、その後の人生を生きていっただろう。
それは、たとえどんなに出世しようと、どんなに金があろうと不幸でしかない。
それを思えば、すべてを失い、どん底まで落ちたとはいえ、江梨子という存在を失わずにすんだことは、良介にとってこの上ない幸運であった。
平凡であっても家族3人で暮らすことがほんとうの幸せなのだと気づいたことは、良介にとって最良の幸福だと言えるのではないだろうか。
(俺は恵まれてる………)
良介はこみ上げる想いに思わず涙し、眼を閉じた。
そのままいつの間にか眠ってしまい、ふと気づくと、列車は郷里の駅に着くところだった。
駅を出ると、客待ちをしていたタクシーに乗り、良介は福森家の墓のある寺の名を告げた。
閑散とした商店街を走る途中で、線香と墓前に供える花を買った。
小さな町中を抜け、タクシーは山間を走った。
センターラインなどなく、緩やかにくねってつづく細い舗道を30分ほど走り、タクシーは寺に着いた。
本堂の脇から墓地へとつづく石畳を歩いていく。
西の山が昏れ始め、蜩(ひぐらし)の鳴く音が、そこかしこから降り落ちていた。
「来たよ。母さん」
良介は、墓の周りの草を毟り、墓石を丹念に洗い流した。
墓前に花を手向け、線香を供えると、尻のポケットに入れていた封筒を取り出した。
それは、拘置所で書いた母への手紙だった。
「母さんに言えなかったことを書いたんだ。読んでくれるかな」
封筒を墓前に置き、掌を合わせた。
黙祷(もくとう)をし、線香に水をかけ、墓前をあとにしようとした。
そのときだった。
「良介さんじゃありませんか?」
と声がかかった。
その声に顔を向けると、寺の住職の姿があった。
「あ、どうも。お世話になってます」
とつぜんのことに狼狽し、良介は慌てて頭を下げた。
まさか住職に遭うとは思わなかった。
「いえいえ。お顔を拝見するのは、ずいぶん久しぶりです」
住職の物言いはとても静かだ。その住職と顔を合わせるのは、父の納骨以来だろう。
「はい。いまだに親不孝をしています」
「そんなことはありません。お正月とお盆には、必ずお参りしていらっしゃるでしょう」
「あ、はァ………」
確かに盆と正月には墓参りに来ている。
だが一度として、住職の姿を見かけたことはなかった。
それもそのはず、良介はたったひとり、お忍びのようにそっと来てはそっと帰っていたのだ。
それなのになぜ、墓参りに来ていることを知っているのだろうか。
それが良介は不思議だった。
「ご先祖さまを敬うのは、心が一番大切なことです」
住職は、眼に微笑をたたえた。
その眼は、何もかもお見通しなのですよ、と言っているようだった。
住職はきっと、神の眼を持ってるいるのかも知れない。
いや、仏に仕えてる身なのだから、仏の眼か。
良介は真面目にそんなことを思った。
「良介さん、少しお時間はありますか? お渡ししたいものがあるのですが」
「え、いや、あの………、はい、少しなら………」
唐突に訊かれ、良介はどぎまぎした。
「では、こちらへ」
言われるままに住職のあとをついていった。
いまになってこそ、自分は別人だったと思えるのだが、もし、あのまま会社を潰すことがなければ、自分を顧(かえり)みることもなかっただろうし、ともすれば、今回のような罪を犯すこともなかったかも知れない。
だが、けれど、もしそうだったとするなら、金にまみれた中で、大切なものを失ったのも事実だ。
そう、あのままの良介だったなら、妻だった江梨子は確実に彼のもとから去っていっただろうから。
そして、ほんとうの幸せとは何かを知らぬまま、その後の人生を生きていっただろう。
それは、たとえどんなに出世しようと、どんなに金があろうと不幸でしかない。
それを思えば、すべてを失い、どん底まで落ちたとはいえ、江梨子という存在を失わずにすんだことは、良介にとってこの上ない幸運であった。
平凡であっても家族3人で暮らすことがほんとうの幸せなのだと気づいたことは、良介にとって最良の幸福だと言えるのではないだろうか。
(俺は恵まれてる………)
良介はこみ上げる想いに思わず涙し、眼を閉じた。
そのままいつの間にか眠ってしまい、ふと気づくと、列車は郷里の駅に着くところだった。
駅を出ると、客待ちをしていたタクシーに乗り、良介は福森家の墓のある寺の名を告げた。
閑散とした商店街を走る途中で、線香と墓前に供える花を買った。
小さな町中を抜け、タクシーは山間を走った。
センターラインなどなく、緩やかにくねってつづく細い舗道を30分ほど走り、タクシーは寺に着いた。
本堂の脇から墓地へとつづく石畳を歩いていく。
西の山が昏れ始め、蜩(ひぐらし)の鳴く音が、そこかしこから降り落ちていた。
「来たよ。母さん」
良介は、墓の周りの草を毟り、墓石を丹念に洗い流した。
墓前に花を手向け、線香を供えると、尻のポケットに入れていた封筒を取り出した。
それは、拘置所で書いた母への手紙だった。
「母さんに言えなかったことを書いたんだ。読んでくれるかな」
封筒を墓前に置き、掌を合わせた。
黙祷(もくとう)をし、線香に水をかけ、墓前をあとにしようとした。
そのときだった。
「良介さんじゃありませんか?」
と声がかかった。
その声に顔を向けると、寺の住職の姿があった。
「あ、どうも。お世話になってます」
とつぜんのことに狼狽し、良介は慌てて頭を下げた。
まさか住職に遭うとは思わなかった。
「いえいえ。お顔を拝見するのは、ずいぶん久しぶりです」
住職の物言いはとても静かだ。その住職と顔を合わせるのは、父の納骨以来だろう。
「はい。いまだに親不孝をしています」
「そんなことはありません。お正月とお盆には、必ずお参りしていらっしゃるでしょう」
「あ、はァ………」
確かに盆と正月には墓参りに来ている。
だが一度として、住職の姿を見かけたことはなかった。
それもそのはず、良介はたったひとり、お忍びのようにそっと来てはそっと帰っていたのだ。
それなのになぜ、墓参りに来ていることを知っているのだろうか。
それが良介は不思議だった。
「ご先祖さまを敬うのは、心が一番大切なことです」
住職は、眼に微笑をたたえた。
その眼は、何もかもお見通しなのですよ、と言っているようだった。
住職はきっと、神の眼を持ってるいるのかも知れない。
いや、仏に仕えてる身なのだから、仏の眼か。
良介は真面目にそんなことを思った。
「良介さん、少しお時間はありますか? お渡ししたいものがあるのですが」
「え、いや、あの………、はい、少しなら………」
唐突に訊かれ、良介はどぎまぎした。
「では、こちらへ」
言われるままに住職のあとをついていった。
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