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其の四 奇術師
七
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「磯っぽい気分や」
「海にでも行ってきたんか?」
石井は、トランプを器用に混ぜると、安藤に一枚選ばせた。スペードの七。見て覚えてから、トランプの束の中に戻す。石井は念を込めるような動作をすると、にっこり笑う。
「さっき選んだカードを、この中から探してみて下さい。きっとどこにもないはずです」
安藤は、素直にトランプの中からスペードの七を探した。全部見終えて、確かにないことを確認する。
「ありませんでしたよね。消えたカードは、そこにあるはずです」
安藤は、石井が指をさした己のポケットを探る。スペードの七が、確かにあった。
「どや」
「へーへー、すごいすごい」
石井はとたん無表情に戻ると、「やる気ないなあ」と言う。
「気分、良くないねん」
すると石井は声を潜めるようにする。
「……名前盗られたからか?」
「いや、関係ないと思う」
昨日名前を失ってから、安藤はあらゆるノートや教科書、プリントを漁った。安藤の名前は、安藤とだけしか書いていなかった。両親に訊いても、「何言っとんねん」である。自分たちが付けた息子の名前を、存在すら忘れていたのだ。ないことが当たり前になっていた。そのうち、名前があったことまで忘れてしまうのかもしれない。
「こんなことあんねんな。逆に他人事って感じするわ」
「だからやめとけって言ったのに」
「後悔はしてへん」
あまりにも間抜けだけれど、とは付け加えなかった。
蒼井を助けた人とは違い、安藤はこういう勝負で勝てないのだ。
「今の俺やったら、その人を連れ帰ることが出来るかもしれんって思うし」
「ん?」
石井はトランプを生き物のように並べたり混ぜたりしていたが、安藤の言葉に手を止める。
「同じ状況になったら、同じ場所に行くやろ、きっと。何か分からんけど、そのはずやねん。それに今日、変な夢見たし」
「あかんで」
石井は低く言う。
あまり見ない表情に、安藤はとっさに口を閉じた。
「いつも自分が一番って顔してんのに、何で急にそんなこと言うねん」
「……別に自分が一番なんて思ってへんわ」
「劣等感なんて抱いたことないんやろなって、ずっと思ってた」
「んなわけない」
石井は一度瞬きをすると、「ふうん」と大して感嘆のない声を上げた。
「人は見かけによらんな」
「そっちもな」
「あかんで」
石井はもう一度言う。
「変なことしたら脱出マジックの助手としてこき使うで」
「そんな大袈裟なことやんの?」
「うん来年」
「へえー」
どんなことをやるのか訊こうとしたら、頭上から声が降って来る。
「僕は、自己犠牲の精神が尊いとは思わない」
緊張感が走る声は、見るまでもなく蒼井のものだ。
安藤は固まった。
じゃんけん小僧の一件では散々話をしたが、何でもない教室で話しかけられるのは初めてだったからだ。
思わず周りを伺うと、近くで会話をしていた生徒たちの視線が一気に集まったのを見た。
蒼井が、クラスメイトに話しかけた。
それは、すでにちょっとした事件なのだ。
「え、えっと、りっきーの脱出マジックの話?」
へへへ、なんて笑ってみれば、蒼井は自分の席に着くと、くるりと振り返った。
「僕の人生は僕のものだよ、僕は愉快な日常を送りたいだけだ、誰だってそうだろう」
蒼井の瞳はどこまでも真っ直ぐだ。誤魔化しなんて通用しない。
理不尽へ対する怒りや、様々な感情を内包した力強さは、身体の奥の方に秘められているようだった。意思の乱れは一瞬も見られない。
蒼井倫太郎という人がどういう人間か、安藤は以前よりも理解をしていた。
「愉快な日常か」
悲観した人生よりよほど良い。
石井は突然拍手をした。
「良いこと言うなあ、蒼井君。俺も毎日マジックして、けっこう愉快に暮らしてるで」
「そやろな。俺、二人に楽しく暮らす方法、教えてもらおかな」
教室内のざわつきを感じながら、これも日常となっていくのだろうかと、安藤は少しだけ思った。
蒼井の目的は明快でいて簡潔だ。羨ましさを覚えていていると、声がかかる。
「あれ、珍しい」
いつものクラスメイトの声に、安藤は軽く手を上げた。
「いつの間に仲良しになってるね? 僕も混ぜてよ」
現れたのは、黒羽一輝だ。蒼井が嫌う、唯一のクラスメイトである。
「黒羽がいない間に親交を深めててな」
蒼井の雰囲気が変化する。黒羽のいる空気に、一気に不機嫌な表情になると、蒼井は前を向いて肘を付いた。
あからさまな態度だったが、黒羽は嫌な顔一つもせず、ひょうきんに笑って見せる。悪い奴ではないはずだが、蒼井は黒羽が嫌いなのだ。
「あれ、僕は駄目?」
「まあまあ、黒羽もさあ、蒼井君に構い過ぎんのやめたら?」
「ええー」
はっきりと蒼井の嫌いを聞いている身としては、ほどほどにしてあげて欲しい、という気持ちもあった。
今となっては、蒼井は得体の知れないクラスメイトではなくなったのだ。
真っ直ぐで力強い蒼井を知ってしまったからには、知らんふりは出来ない。
黒羽は不服そうに、「いいなあ」と安藤を見ていた。
視線は妙にひんやりとしたものだったが、安藤は大して気に留めなかった。
黒羽が蒼井に構うのは、特別な理由なんてなく、ただ面白いだけなのだろうと思っていたのである。黒羽の「いいなあ」がどこまで真剣性を帯びたものなのかなんて、考えることもなかった。
「海にでも行ってきたんか?」
石井は、トランプを器用に混ぜると、安藤に一枚選ばせた。スペードの七。見て覚えてから、トランプの束の中に戻す。石井は念を込めるような動作をすると、にっこり笑う。
「さっき選んだカードを、この中から探してみて下さい。きっとどこにもないはずです」
安藤は、素直にトランプの中からスペードの七を探した。全部見終えて、確かにないことを確認する。
「ありませんでしたよね。消えたカードは、そこにあるはずです」
安藤は、石井が指をさした己のポケットを探る。スペードの七が、確かにあった。
「どや」
「へーへー、すごいすごい」
石井はとたん無表情に戻ると、「やる気ないなあ」と言う。
「気分、良くないねん」
すると石井は声を潜めるようにする。
「……名前盗られたからか?」
「いや、関係ないと思う」
昨日名前を失ってから、安藤はあらゆるノートや教科書、プリントを漁った。安藤の名前は、安藤とだけしか書いていなかった。両親に訊いても、「何言っとんねん」である。自分たちが付けた息子の名前を、存在すら忘れていたのだ。ないことが当たり前になっていた。そのうち、名前があったことまで忘れてしまうのかもしれない。
「こんなことあんねんな。逆に他人事って感じするわ」
「だからやめとけって言ったのに」
「後悔はしてへん」
あまりにも間抜けだけれど、とは付け加えなかった。
蒼井を助けた人とは違い、安藤はこういう勝負で勝てないのだ。
「今の俺やったら、その人を連れ帰ることが出来るかもしれんって思うし」
「ん?」
石井はトランプを生き物のように並べたり混ぜたりしていたが、安藤の言葉に手を止める。
「同じ状況になったら、同じ場所に行くやろ、きっと。何か分からんけど、そのはずやねん。それに今日、変な夢見たし」
「あかんで」
石井は低く言う。
あまり見ない表情に、安藤はとっさに口を閉じた。
「いつも自分が一番って顔してんのに、何で急にそんなこと言うねん」
「……別に自分が一番なんて思ってへんわ」
「劣等感なんて抱いたことないんやろなって、ずっと思ってた」
「んなわけない」
石井は一度瞬きをすると、「ふうん」と大して感嘆のない声を上げた。
「人は見かけによらんな」
「そっちもな」
「あかんで」
石井はもう一度言う。
「変なことしたら脱出マジックの助手としてこき使うで」
「そんな大袈裟なことやんの?」
「うん来年」
「へえー」
どんなことをやるのか訊こうとしたら、頭上から声が降って来る。
「僕は、自己犠牲の精神が尊いとは思わない」
緊張感が走る声は、見るまでもなく蒼井のものだ。
安藤は固まった。
じゃんけん小僧の一件では散々話をしたが、何でもない教室で話しかけられるのは初めてだったからだ。
思わず周りを伺うと、近くで会話をしていた生徒たちの視線が一気に集まったのを見た。
蒼井が、クラスメイトに話しかけた。
それは、すでにちょっとした事件なのだ。
「え、えっと、りっきーの脱出マジックの話?」
へへへ、なんて笑ってみれば、蒼井は自分の席に着くと、くるりと振り返った。
「僕の人生は僕のものだよ、僕は愉快な日常を送りたいだけだ、誰だってそうだろう」
蒼井の瞳はどこまでも真っ直ぐだ。誤魔化しなんて通用しない。
理不尽へ対する怒りや、様々な感情を内包した力強さは、身体の奥の方に秘められているようだった。意思の乱れは一瞬も見られない。
蒼井倫太郎という人がどういう人間か、安藤は以前よりも理解をしていた。
「愉快な日常か」
悲観した人生よりよほど良い。
石井は突然拍手をした。
「良いこと言うなあ、蒼井君。俺も毎日マジックして、けっこう愉快に暮らしてるで」
「そやろな。俺、二人に楽しく暮らす方法、教えてもらおかな」
教室内のざわつきを感じながら、これも日常となっていくのだろうかと、安藤は少しだけ思った。
蒼井の目的は明快でいて簡潔だ。羨ましさを覚えていていると、声がかかる。
「あれ、珍しい」
いつものクラスメイトの声に、安藤は軽く手を上げた。
「いつの間に仲良しになってるね? 僕も混ぜてよ」
現れたのは、黒羽一輝だ。蒼井が嫌う、唯一のクラスメイトである。
「黒羽がいない間に親交を深めててな」
蒼井の雰囲気が変化する。黒羽のいる空気に、一気に不機嫌な表情になると、蒼井は前を向いて肘を付いた。
あからさまな態度だったが、黒羽は嫌な顔一つもせず、ひょうきんに笑って見せる。悪い奴ではないはずだが、蒼井は黒羽が嫌いなのだ。
「あれ、僕は駄目?」
「まあまあ、黒羽もさあ、蒼井君に構い過ぎんのやめたら?」
「ええー」
はっきりと蒼井の嫌いを聞いている身としては、ほどほどにしてあげて欲しい、という気持ちもあった。
今となっては、蒼井は得体の知れないクラスメイトではなくなったのだ。
真っ直ぐで力強い蒼井を知ってしまったからには、知らんふりは出来ない。
黒羽は不服そうに、「いいなあ」と安藤を見ていた。
視線は妙にひんやりとしたものだったが、安藤は大して気に留めなかった。
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