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其の四 奇術師
八
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夏休みが終わってから、安藤の帰宅は早い。部活がないためだ。
しばらく安静と言われてしまっているので、大人しくするほかなかった。怒られてまで、わざわざ何かをしようなんて意思はない。
物寂しいものである。
活気がないし、やる気がない。
いつもに増して、無気力だ。
昇降口までやって来て靴を履き替えようとしたところで、安藤は気付く。靴の上に、手紙が置いてあったのだ。
何と古典的な。
好奇心に駆られ、安藤は手紙を開いた。
そこには小さな丸文字が並んでいた。見る間でもなく理解した。これは、ラブレターというやつである。
放課後、南校舎の裏にある木の下で待ってます。
字から推察するに、大人しそうな印象の女の子だ。
放課後とあることから、安藤が怪我をして部活に行けていないことを知っている人だろう、と推察する。いつも体育館の隅にいた女子生徒の誰かだろうか。
安藤は冷静に考えながら、指定の場所へ向かうことにした。
安藤はモテるのである。ラブレターをもらったことだって、別に初めてではない。
少し気分が上向きになったような気持ちで、可愛い子だったら良いなと思いながら、安藤はゆっくり歩いた。南校舎の裏は、人気のない場所である。告白するならうってつけだ。
ちょうど木の下が見える場所までやって来たところで、安藤は足を止めた。
見知った顔があったからだ。
「お、安藤君! こっちこっち」
「黒羽?」
立っていたのは、可愛い女の子ではなく、黒羽一輝である。
まさか悪戯だろうか?
不審に思いながら近づくと、黒羽はにこにことして「ごめん」と笑った。
「変な呼び方をして、悪いね。君に話があったもんだから」
手紙の主はこいつか。
安藤は、内心で毒づいた。
下手に動揺を悟られたくはないので、平然な顔をして言う。
「別に良いけど、普通に呼べば良くね?」
「それはそうだけど、人目のない場所に呼び出すには、こういうのがいいかなって。期待した?」
黒羽の言い方が何となく癪に触って、「別に」と素っ気なく返す。
思えば、安藤は黒羽との付き合いが長いわけではない。今年初めて同じクラスになったけれど、学校外で会ったことはない。仲が良いわけではないのだ。
「で、何の話?」
さっそく切り出せば、黒羽はゆっくりと口角を上げた。
独特の間が、どうにも奇妙だ。今まで黒羽に対してどうこうなんて思うことはなかったけれど、思わず安藤は後ずさった。
何も映さないような真っ黒の瞳が、細くなる。
なんだか、いつもと雰囲気が違う。
「蒼井君は、どうして僕に素っ気ないんだろうね?」
「は?」
蒼井の仏頂面を思い浮かべ、安藤は眉間に皺を寄せた。
「それで、今度はお前か」
目の前にいる人物から出たとは思えない、冷ややかな声だった。
驚いて顔を見れば、黒羽は得体の知れない表情をしていた。ぞっとする。
黒羽なのに、安藤の知っている黒羽ではないようだった。
攻撃的な視線は、今までの人生で見たことのない暴力的なものだ。
黒羽はやれやれと首を振った。
「困るんだよ、彼の隣にいるのは、僕のような彼の真の価値を分かる人間じゃないとね」
「真の……?」
何を言っているんだと思う前に、黒羽はいったいどうしてしまったのか、という疑問が頭を過る。
こんな黒羽を、安藤は知らなかった。普通で、特別変わったようなこともないクラスメイトだと、ずっと思っていた。
数秒の内にいったい何が起きた?
この空気感を、安藤は最近味わったことがある。じゃんけん小僧だ。
得体の知れないものと対峙している恐怖に襲われた。
クラスメイトの黒羽一輝は消え去り、これこそが真の正体であると言わんばかりだ。
黒羽は、こいつは、いったい何だ?
「いい加減にしておかないと、奴と同じように、消すよ?」
敵対心が込められた笑顔に、背筋が凍った。
言い知れぬ感情が湧き上がって来る。
奴と同じように消す。
黒羽は確かにそう言った。
安藤は一歩前に出た。二歩、三歩。
そして感情に任せて胸倉を掴む。
「っ」
安藤の行動が意外だったのか、黒羽は僅かに目を見開いた。しかし、薄く笑う。
一瞬にして、激情が心の内に流れ込んできた。こんな感情が自分の内にあることを、安藤は今まで知らなかった。いや、ただ覚えていなかっただけなのかもしれないと、どこかで考えている冷静な自分がいた。
「何だ、その目は」
見下すような声は、黒羽が上の立場にいることを現している。とても嫌な気分だった。反吐が出そうだ。
「お前、いったい何なん?」
酷い気分を押さえつけながら言う。
これがどういう感情なのか、安藤はよく分からなかった。酷い気分であることだけは確かで、それ以上に何と言ったらいいのか分からない。
「あの人を消したんはお前か」
「覚えてるの? いや、まさかね。蒼井君じゃあるまいし。君は忘れているんだよ。思い出すことなんてないはずだ」
苛立ちが募っていく。
安藤は怒鳴るように言った。
「俺の記憶消したんはお前か!」
「何で怒ってるの?」
黒羽は薄ら笑いを浮かべていた。
「怒る理由なんてないでしょ」
安藤は、乱暴に黒羽を解放した。
「君は何も覚えてないんだからね」
「うっさいねんさっきから!」
安藤は一歩下がり、頭を押さえる。
酷い気分で、頭がくらくらしてきた。地面がぐらぐらと揺れる不快感は、吐き気を催すほどだ。
すると、頭を強く殴られた後のような、鈍い痛みを感じた。気分が悪い。気持ち悪くて仕方がない。どうしようもないくらいに最悪だ。
ぱっと視界が暗くなった。
見えるのは宇宙だ。
自分の存在はとてもちっぽけで、それでも自分は自分でしかない。回る記憶とどうしようもない人生の映像が、昔の映画のように過ぎ去っていく。
こんなもの。
こんなもの!
「おい!」
良く知った声に顔を上げるが、何も見えなかった。真っ暗で、分かるのは方向のみだ。
「何やっとんねん!」
石井の声慌てた声に、少し頭痛が和らいだ。
何でここに、と思うけれど、上手く頭が回らない。
何をやっているのか、こっちが聞きたいくらいである。
「待て! 止まれ!」
何が?
石井の声が渦を巻く。少しずつ遠ざかっていくようだった。
「待たない」
冷酷な声を聞いた瞬間、安藤の意識は消えた。
しばらく安静と言われてしまっているので、大人しくするほかなかった。怒られてまで、わざわざ何かをしようなんて意思はない。
物寂しいものである。
活気がないし、やる気がない。
いつもに増して、無気力だ。
昇降口までやって来て靴を履き替えようとしたところで、安藤は気付く。靴の上に、手紙が置いてあったのだ。
何と古典的な。
好奇心に駆られ、安藤は手紙を開いた。
そこには小さな丸文字が並んでいた。見る間でもなく理解した。これは、ラブレターというやつである。
放課後、南校舎の裏にある木の下で待ってます。
字から推察するに、大人しそうな印象の女の子だ。
放課後とあることから、安藤が怪我をして部活に行けていないことを知っている人だろう、と推察する。いつも体育館の隅にいた女子生徒の誰かだろうか。
安藤は冷静に考えながら、指定の場所へ向かうことにした。
安藤はモテるのである。ラブレターをもらったことだって、別に初めてではない。
少し気分が上向きになったような気持ちで、可愛い子だったら良いなと思いながら、安藤はゆっくり歩いた。南校舎の裏は、人気のない場所である。告白するならうってつけだ。
ちょうど木の下が見える場所までやって来たところで、安藤は足を止めた。
見知った顔があったからだ。
「お、安藤君! こっちこっち」
「黒羽?」
立っていたのは、可愛い女の子ではなく、黒羽一輝である。
まさか悪戯だろうか?
不審に思いながら近づくと、黒羽はにこにことして「ごめん」と笑った。
「変な呼び方をして、悪いね。君に話があったもんだから」
手紙の主はこいつか。
安藤は、内心で毒づいた。
下手に動揺を悟られたくはないので、平然な顔をして言う。
「別に良いけど、普通に呼べば良くね?」
「それはそうだけど、人目のない場所に呼び出すには、こういうのがいいかなって。期待した?」
黒羽の言い方が何となく癪に触って、「別に」と素っ気なく返す。
思えば、安藤は黒羽との付き合いが長いわけではない。今年初めて同じクラスになったけれど、学校外で会ったことはない。仲が良いわけではないのだ。
「で、何の話?」
さっそく切り出せば、黒羽はゆっくりと口角を上げた。
独特の間が、どうにも奇妙だ。今まで黒羽に対してどうこうなんて思うことはなかったけれど、思わず安藤は後ずさった。
何も映さないような真っ黒の瞳が、細くなる。
なんだか、いつもと雰囲気が違う。
「蒼井君は、どうして僕に素っ気ないんだろうね?」
「は?」
蒼井の仏頂面を思い浮かべ、安藤は眉間に皺を寄せた。
「それで、今度はお前か」
目の前にいる人物から出たとは思えない、冷ややかな声だった。
驚いて顔を見れば、黒羽は得体の知れない表情をしていた。ぞっとする。
黒羽なのに、安藤の知っている黒羽ではないようだった。
攻撃的な視線は、今までの人生で見たことのない暴力的なものだ。
黒羽はやれやれと首を振った。
「困るんだよ、彼の隣にいるのは、僕のような彼の真の価値を分かる人間じゃないとね」
「真の……?」
何を言っているんだと思う前に、黒羽はいったいどうしてしまったのか、という疑問が頭を過る。
こんな黒羽を、安藤は知らなかった。普通で、特別変わったようなこともないクラスメイトだと、ずっと思っていた。
数秒の内にいったい何が起きた?
この空気感を、安藤は最近味わったことがある。じゃんけん小僧だ。
得体の知れないものと対峙している恐怖に襲われた。
クラスメイトの黒羽一輝は消え去り、これこそが真の正体であると言わんばかりだ。
黒羽は、こいつは、いったい何だ?
「いい加減にしておかないと、奴と同じように、消すよ?」
敵対心が込められた笑顔に、背筋が凍った。
言い知れぬ感情が湧き上がって来る。
奴と同じように消す。
黒羽は確かにそう言った。
安藤は一歩前に出た。二歩、三歩。
そして感情に任せて胸倉を掴む。
「っ」
安藤の行動が意外だったのか、黒羽は僅かに目を見開いた。しかし、薄く笑う。
一瞬にして、激情が心の内に流れ込んできた。こんな感情が自分の内にあることを、安藤は今まで知らなかった。いや、ただ覚えていなかっただけなのかもしれないと、どこかで考えている冷静な自分がいた。
「何だ、その目は」
見下すような声は、黒羽が上の立場にいることを現している。とても嫌な気分だった。反吐が出そうだ。
「お前、いったい何なん?」
酷い気分を押さえつけながら言う。
これがどういう感情なのか、安藤はよく分からなかった。酷い気分であることだけは確かで、それ以上に何と言ったらいいのか分からない。
「あの人を消したんはお前か」
「覚えてるの? いや、まさかね。蒼井君じゃあるまいし。君は忘れているんだよ。思い出すことなんてないはずだ」
苛立ちが募っていく。
安藤は怒鳴るように言った。
「俺の記憶消したんはお前か!」
「何で怒ってるの?」
黒羽は薄ら笑いを浮かべていた。
「怒る理由なんてないでしょ」
安藤は、乱暴に黒羽を解放した。
「君は何も覚えてないんだからね」
「うっさいねんさっきから!」
安藤は一歩下がり、頭を押さえる。
酷い気分で、頭がくらくらしてきた。地面がぐらぐらと揺れる不快感は、吐き気を催すほどだ。
すると、頭を強く殴られた後のような、鈍い痛みを感じた。気分が悪い。気持ち悪くて仕方がない。どうしようもないくらいに最悪だ。
ぱっと視界が暗くなった。
見えるのは宇宙だ。
自分の存在はとてもちっぽけで、それでも自分は自分でしかない。回る記憶とどうしようもない人生の映像が、昔の映画のように過ぎ去っていく。
こんなもの。
こんなもの!
「おい!」
良く知った声に顔を上げるが、何も見えなかった。真っ暗で、分かるのは方向のみだ。
「何やっとんねん!」
石井の声慌てた声に、少し頭痛が和らいだ。
何でここに、と思うけれど、上手く頭が回らない。
何をやっているのか、こっちが聞きたいくらいである。
「待て! 止まれ!」
何が?
石井の声が渦を巻く。少しずつ遠ざかっていくようだった。
「待たない」
冷酷な声を聞いた瞬間、安藤の意識は消えた。
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