[完結]勇者の旅の裏側で

八月森

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第1章

36節 わたしがやりました

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 三日目は、出立の準備を整える以外にすることがなかった。
 依然天候は荒れていたが、前日より着実に勢いは弱まっている。それはこの日一日が進むごとにゆっくり、けれど確かに表れ、夜になる頃にはあれだけ激しかった風雨もほとんど止んでいた。
 私たちは朝一番で出立できるようにと、早くに就寝する。

 翌日、台風一過。
 数日ぶりの晴天の下で、私たちは宿の店主に簡単な挨拶をし、エスクードの街を旅立とうとしていた。

「お世話になりました」

「おう。また来た時は寄ってくれ。……しかし、本当にいいのか? あんな立派な馬」

「わたしたちも無事に帰れるか分からないからね。帰ってこなかったら、そのままここで飼ってあげて」

 さらっと怖いことを言うアレニエさん。馬というのは、私たちがここまで乗って来た彼らのことだ。
 目的地までは徒歩でもそう遠くないし、連れていけば魔物の餌にされる恐れもある。魔将との戦いに巻き込むのも酷だ。それなら、誰かに預けたほうがいいだろう、と。 

 そうして挨拶を交わす私たちの背後から、数名の兵士が話し合う声が聞こえてきた。

「――しかし、参ったな……」

「かなり激しかったし、濁流で運ばれたんだろう」

「直すのは時間がかかるな……しばらくは回り道か」

 どうやら、早朝から嵐の被害状況を確認しに行っていた兵士たちが戻って来たようだ。
 被害の有無は私自身気になっていたので、なんとか人見知りを抑え込んで直接話を聞いてみる。

「あの……お疲れさまです。どんな様子でしたか?」

「ん、ああ、数日前に来た神官さんか。いや、街に被害はそんなに出なかったんだが、アクエルド大橋が壊れちまってな」

「……えぇっ!?」

 予想以上の被害に、大きな声が出てしまう。

「アクエルド大橋って……私たちも来るときに渡った、あの……?」

「そう、その橋。どうも、上流から土砂やら流木やらが大量に運ばれたみたいでな。橋脚から壊されて、大幅に崩落しちまった。嵐のせいもあるが、今の季節は雪解け水で元から水量も増えてたからなぁ……」

 被害は広範囲に及んでおり、ロープや渡し板での応急措置も難しいという。
 ペルセ川を越える橋は他にもあるし、南下した先には港から船も出ているが、どちらもここからは結構な距離がある。
 物流や人の移動――特にパルティールとの交流は制限されることになる。こちらへやって来るはずだった勇者一行も進路の変更を余儀なくされるだろうが、この点は私たちにとって不幸中の幸いと言えるかもしれな…………ん?

 胸中で疑問を覚える私の背後で、同じく話を聞いていたらしい宿の店主が声を掛けてくる。

「お前さんたち、嵐の前にこっちに来れたのは運が良かったのかもな。帰りは大変そうだが」

「うん、まぁ、どうにかなるんじゃないかな。……おじさんたちこそ、橋が壊れてると不便じゃない?」

「なに、当面は人員も物資もうちの国だけでなんとかなる。まだ魔物も少ないしな。困るのはむしろ、これから来るはずだったパルティールの補充兵や、勇者一行のほうだろう」

「そっか。……うん。それなら良かった、かな」

 ……あれ? なんだろう。店主に返答するアレニエさんの反応もどこか引っかかる。表情も、ここまではいつもの仮面だったのが、今は少しだけそれが取れている、ような……?

「じゃあ、わたしたちはそろそろ出発するね」

「おう、もう行くのか。気をつけろよ」

「ありがと。ほら行こ、リュイスちゃん」

「え? あっ、と……。……皆さん、お世話になりました」

 慌てて挨拶を済ませ、私たちはエスクードを後にした。



  ***



 しばらく、互いに無言で歩き続ける。
 昨日まで降っていた雨もすっかりと止み、雲の切れ間から陽光が差し込んでいる。
 地面はまだ少しぬかるんでいるが、歩けないほどではない。『森』まで問題なく辿りつけるだろう。

 ちらりと、隣を歩くアレニエさんの表情を窺う。

 こうして見る限り、特別普段と様子が違うわけじゃない。少なくとも、いつもの微笑は崩れていない。
 けれど、先刻の受け答えが。嵐の夜に窓から出ていく姿が。なにより、私たちにとって都合の良すぎる被害が。胸の内に、疑念を残している。

「アレニエさん」

「なにかな? リュイスちゃん」

 彼女はこちらに目線だけを寄越し、前を向いたまま歩き続ける。心なしか、いつもより歩調が速い。

「兵士の皆さん、橋が壊れたと言っていましたね」

「そうだね」

「あの橋が使えないと、かなり遠回りになるそうですね。勇者さまも、しばらくこちらには渡れないとか」

「みたいだね。すぐに来ないのは渡りに船だよ。むしろ渡る船がないのかなこの場合」

「……」

 アレニエさんの表情はぴくりとも変わらない。
 変わらないのはつまり、普段から浮かべている仮面の笑顔だからだ。疑念が確信に変わっていく。

「一昨日の夜、外は嵐なのに、用事があるって出ていきましたよね」

「色々ちょうど良かったからね」

「……何をしていたかは内緒、とも言ってましたね」

「言ったね。というか」

 それまで歩みを止めなかった彼女は不意に立ち止まり、周囲に人の気配がないのを確認してから振り向き、告げる。

「わたしがやりました」

 あっさり白状した!

「もう街からも離れたし、ごまかすのも限界みたいだしね」

 彼女は事も無げに言う。
 具体的な方法は分からないが、橋を壊したのは予想通りアレニエさんだったらしい。できれば当たってほしくなかったが。

「……私は知らないほうがいいって、こういうことですか」

「あれだけ自然に驚いてくれれば、こっちに疑いの目は向かないでしょ。リュイスちゃんは毎回反応が素直でかわいいから助かるよ」

「それは……事前に知っていたら、確かにぎこちなくなっていたでしょうけど……」

 さらっとかわいいとか言わないで欲しい。

「……理由はもちろん、勇者さまがこちらに来れないように……ですよね」

「ここまで噂が届くくらい近づいてたみたいだからね。嵐でこっちの足が止められたのも痛かったし。その嵐のおかげで、多分証拠も残らないけど」

「……もし、見つかったら……」

「重罪だろうね。人も物も行き来できなくなるし、あの橋、なんか国同士の友好の証に建てられたって聞いた気もするし。しかもわたし下層民だから、なおさら罪が重くなるんだよね。良くて冒険者の資格剥奪かなぁ」

「そんな……でも、アレニエさんがそうしたのは、勇者さまを助けるためで……」

「わたしとしては助けるというか、まだ死なれちゃ困る、ぐらいなんだけど。まぁ、それはいいや。どのみち、事情は説明できないでしょ?」

「……はい……」

 公表できないからこそ、こうして秘密裏に助けようとしているのだし……

「まぁ、もしバレてもリュイスちゃんは知らん顔で気にしなくていいよ。わたしが勝手にやったんだし」

「な……そんなこと……! 依頼のためにやったのなら、私にだって責任が……!」

「ないよ、そんなの。そもそもリュイスちゃん、こういう、人に迷惑かけるやり方思いつかないし、仮に思いついてもやらないでしょ?」

「そう、かもしれませんが……」

「というわけで、リュイスちゃんはただの雇い主で被害者ってことで。実際ここまで知らなかったんだから、嘘にもならないでしょ? わたしは最悪逃げればなんとでもなるし、こないだ言った通り、人嫌いだからね。誰かに迷惑かけるのも、嫌われるのも、別にどうでもいいよ」

「……でも……そんなの……」

 本当は、分かっている。
 橋を利用していた人々、特に先日まで滞在していたエスクードの街にはかなりの不便を強いてしまうが……
 それでもこれは、人的被害を出さずに勇者を死地から遠ざけ、その歩みも遅らせることができる、おそらく現状では最適な方法だと。

 そして彼女がここまで強硬な手段に出たのは……きっと、私のせい。想定以上に近づいていた勇者の影に、私が焦っていたからで、その責が私に及ばぬよう配慮までしてくれたのも、理解している。

 だとしても……相談は、して欲しかったと思う。
 これは私が持ち込んだ依頼で、彼女はそれを遂行するために動いた。
 ならばその責任は――たとえあずかり知らなかったとしても――私も共に負うべきだし、負わせて欲しかった。私たちは、共に旅をする、パートナーなのだから。

 第一、手段は確かに乱暴だが、今回に関しては勇者を救うため……いわば人助けに必要だったから実行しただけだ。それは結果的に、橋の損壊で困る人以上に、より大勢を助ける希望に繋がるはず。
 それをこちらの都合で機密を強いて、挙句彼女一人を罪人として差し出すなど、できないし、したくない。

 本人は他者への無関心を標榜ひょうぼうするし、確かに本心なのかもしれないが……この件で彼女が罪に問われ、糾弾きゅうだんされる結末は、やはり私には我慢ならな――……

「(……あれ?)」

 なんだろう……なにか、胸に引っかかるものがある。
 理由を説明できないもどかしさ? それとも、彼女の物言いに対して?
 ……いや。そういえば、つい先刻も同じような引っかかりを覚えた気がする……そうだ。確かエスクードを発つ際、彼女は――

「……あの、アレニエさん」

「ん?」

「アレニエさんは、『人嫌いだし、迷惑かけるのもどうでもいい』んですよね」

「ですよ」

「でも……さっき宿のご主人に、『橋が壊れてもなんとかなる』と言われて……少し、ホっとしていませんでしたか……?」

「――え……リュイスちゃん気づ――」

 それまで全く動じなかった彼女の表情が、ほのかに朱に染まった。

「……や、その……どうでもいい、っていうのは、本当なんだよ? ただ、橋壊したのはやりすぎだったかなぁ、って、後になって、ちょっとだけ……その……うん。ほんとに、ちょっとだけ、だから……」

 顔を赤くし、なぜか恥ずかしそうに手を小さくパタパタ振るアレニエさん。
 初めて見るその様子を、珍しいと思うよりも先に、溢れてくる感情があった。

「(――可愛い……!)」

 普段は柔らかく嫣然えんぜんと微笑んでいる彼女があたふたする様子に、年相応の人間味を感じ安心すると共に、愛しさが込み上げてくる。

 そして、理解したこともある。いや、以前から知っていたことかもしれない。
 笑顔の仮面で偽悪的に振る舞う彼女は一側面でしかなく、他人を思いやる心根の優しさも確かにあるのだと。
 それが嬉しくなって、気づけば私は笑顔で口を開いていた。

「アレニエさんにも罪悪感とかあったんですね」

「……リュイスちゃんも結構言うようになったね」

 笑顔にわずかな苦々しさを滲ませながら、彼女はややジト目でこちらを見る。すみません、調子に乗りました。

 私は自身の心境の変化に、自分で驚いていた。
 あの時、故郷に立ち寄らなければ。
 任務を受諾し、王都から旅立たなければ。
 なにより、アレニエさんと出会えなければ。
 おそらく、今こんな気持ちにはなれていなかったはずだ。
 こうして笑顔で彼女と軽口を言い合えることが、なんでもないやり取りが、嬉しくてたまらない。

「……もし真相を知られたら、やっぱり私も一緒に謝りますね」

「わたしに押し付けてもいいんだよ?」

「知ってしまった以上、そんなことできません。私は虚偽を許されぬ神官で……なにより、アレニエさんのパートナーなんですから」

 本当は、街の人に正直に話して謝るのが筋かもしれない。
 けれど先ほど述べた通り、彼女の行動は依頼の遂行の――勇者を救うためのものだ。人々に過度な不安を抱かせぬよう、その理由を説明することもできない。

 ならば余計に波風を立てるよりは、このまま黙っていたほうがいい。街の人に不便を強いるのは心苦しいが、無事に任務を達成すれば大義名分も立つ、と思う。残りの罪悪感には、私が耐えればいい。

「それに……『証拠は残らない』……ですよね?」

 少しだけ、悪戯っぽく笑う。
 彼女のことだ。泊まっていた宿だけでなく、現場である橋周辺にも、証拠になるような物は残していないのだろう。

 私の言葉に、笑みを湛えた彼女が頷く。
 いつものように柔らかいその笑顔は、けれどいつもより自然な感情が表れているように私には見えた。仮面は、ほんの少しでも剥がせただろうか。

「……ちなみに、具体的にはどうやって……?」

「まず手頃な木を蹴り倒して流木を作ります」

「すみません、一つ目から分かりません」

「えー」

「――……」

「――……」

 旅立つ前には考えられなかったほど賑やかに、私たちは『森』の入り口に向かう。
〈流視〉の光景に間違いがなければ、あの奥で魔将が待ち構えているはずだ。
 敗れた場合は言うまでもなく。たとえ、無事に打ち倒せたとしても。
 私たちの旅の、終わりが近づいていた。
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