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本編

第6話

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 参加者のほとんどが食堂内で食事をしている今なら、施設内を移動しても問題は無い。
 そう判断した美奈穂は、一番下っ端な自分が行動した方が早いと目的の部屋へ急いだ。


『え? 番だって理解した方法?』

 自分以外のスタッフが過去、この催しに参加して運命の番と出会い、今も共にいる。
 夕食前の休憩中、その事実を知らされた美奈穂は衝撃のあまりしばらく唖然とするばかりだった。
 真っ白になり何も考えられなかった頭の中が、ようやくいつも通りに戻ったのは、料理の最終的な仕上げをしようと、他の皆が調理場へ戻り始めた時。
 慌ててその後を追いかけた彼女は、咄嗟に近くに居た美智子と亜沙美をつかまえた。
 そのまま二人の手を引いて他のスタッフから距離をとった後、胸の奥から湧き上がる恥ずかしさを押し殺し、コソコソと質問をぶつけてみる。

『方法って言っても』

『口で説明するとかよりも』

 耳打ちされた二人は最初、美奈穂からの問いに数秒首を傾げていた。
 だけど、お互いの顔を見合うと何やら言葉を濁し始める。
 まさか、簡単には教えられない秘密が隠されているのだろうか。
 そんな思いが頭を過った瞬間、先輩女性二人の声がピッタリと重なる。

『会えばわかるから』

『……へ?』

 返ってきた言葉は、一人勝手に様々な憶測を立てていた美奈穂にとって、あまりにも拍子抜けする言葉だった。
 その気持ちが声に出てか、何とも腑抜けた返事が口から零れる。
 ポカンと無防備に口を開け、間抜けな表情を浮かべる後輩を前にした美智子達は、それぞれ苦笑交じりに言葉を続けた。

『今まで感じたことのない感覚に気付くから、すぐにわかるよ』

『そうそう。相手と一対一で向き合った時に“この人だ”ってなるから』

 それは的確なようで、的確とは言い難い、なんとも不思議なアドバイス。
 まるで世間話でもするように、二人はヒラヒラと手を振って笑うばかり。

『ほらほら。恋バナもいいけど、今は仕事仕事!』

 その後、美智子に手を引かれ、亜沙美に背中を押されながら調理場へ戻るまで、美奈穂はずっと混乱の一途を辿る頭の中を整理してばかりだった。





「えっと、三〇八号室は……ここだ!」

 別館四階まで階段を駆け上がり、乱れた息を整えながら一部屋ずつ部屋番号の確認を続けること数分。ようやく目的の部屋へたどり着いた。
 ドクドクと普段より速い鼓動を感じて、無意識に手が左胸へのびる。
 この部屋に泊まっている藤沢という男性以外、宿泊客は全員食堂に集まっている。
 そのためか、午前中にみんなで掃除をしていた時よりも辺りは静まり返っていた。

「ふう……よし。藤沢さん、いらっしゃいますか?」

 大分呼吸が落ち着いてきた頃、一度大きく深呼吸をした美奈穂は、心の中で自分に気合を入れる。
 そして、わずかに震える右手をドアの前に掲げ、軽く拳を作るとリズミカルにノックをし、部屋の主に声をかけた。

「私、スタッフの谷崎と申します。もう夕食のお時間なんですが……姿が見えないので、お迎えに来ました」

 少しずつ、少しずつ、遠慮がちなノックと少し張った声で、扉の向こうに居るはずの人物へ呼びかける。
 向こうからの反応を待つため、声掛けをしばらく止めることも忘れない。
 だけど、その待ち時間は美奈穂に新たな不安を抱かせた。

(あれ? 当然のように来ちゃったけど、ここに居るって決まったわけじゃない、よね!?)

 無意識のうちに、目的地を彼の部屋に限定してしまった自分の失念に気づく。
 すると、一定の間隔で続いていた声掛けのリズムが崩れた。

 そうだ。部屋で寝ているのかもしれないなんて、こっちが勝手に推測しただけじゃないか。
 共有スペースに居るかもしれないし、施設の外に居るかもしれない。
 考えればそれだけ、頭の中に浮かぶ“もしかしたら”は増え続ける。

(次に声をかけて出て来なかったら、他の所を探してみよう)

 自分にとって不毛でしかない連鎖を断ち切るように、美奈穂は軽く頭を左右に振って思考を切り替えた。
 と言っても、次の行動を決めたところで行き先をどこにするかという新たな壁にぶち当たることを、彼女はまだ気づいていない。

「後からお出しすることは出来ないんです。今ご飯を食べておかないと、夕飯抜きになっちゃいま……」

 これは言っていいことなのかな。
 そんな疑問を抱きつつ、お節介をやく美奈穂。
 コンコンと遠慮がちなノック音と一緒に、もう一度扉の向こうへ声をかけた。
 数秒後、半分惰性的に続くノック、そしてお節介な言葉の二つが、不意を突かれるように途切れた。
 その理由は、美奈穂の耳に確かに聞こえた、ガチャリとドアロックを外す音のせい。

「わかったわかった。今から行けばいいんだ、ろ……えっ?」

 何故か「はあ……」と盛大なため息を吐く声が聞こえ、目の前の閉ざされたドアが開いていく。
 美奈穂は、ようやく反応が返ってきたことと、探し人が部屋に居てくれたことが嬉しくて、無意識に口角をあげていた。
 それはまるで、パッと花が咲くような可憐な笑顔。


 そして彼女は、どこか気だるげに部屋から顔を出した藤沢光志と対面する。
 ラフなTシャツに細身の黒いパンツを履いた彼は、欠伸をかみ殺す口元を手で隠しながら、手元へ落としていた視線を上げる。
 そして、その瞳に美奈穂の姿を映した瞬間、心の底から驚いたと言わんばかりに、大きく目を見開いた。

「……っ!」

 色濃い困惑を顔に滲ませる光志。その姿を間近で目にした美奈穂もまた、気づけば目を見張り言葉を失っていた。

(な、に……これっ!?)

 階段を駆け上がった時に一度無意識にのばし、落ち着いた心音に遠ざけたはずの右手が、再び左胸のあたりへ向かう。
 今度はさっきと違い、エプロンに皺が寄るのも気にせず、彼女はその胸元をかきむしる様に手元にある布を握りしめた。

 数分前に感じた鼓動の上を行く激しい心音が、身体の中から嫌でも指先へ伝わっていく。
 これは、長距離走を走り切った後に経験した苦しさに近い、いやそれ以上だ。
 いつの間にか半開きになった口元。そこから新鮮な酸素を取り込みたいとばかりに、美奈穂は荒々しい呼吸を繰り返す。
 そんな彼女の視線は、一瞬たりと目の前にいる自分を見下ろす男から、離れてはくれなかった。

『今まで感じたことのない感覚に気付くから、すぐにわかるよ』

『そうそう。相手と一対一で向き合った時に“この人だ“ってなるから』

 夕食前、美智子と亜沙美から教えてもらった言葉が頭の中によみがえる。
 彼女たちの言葉は、一瞬にして、美奈穂の心の片隅に芽吹いた戸惑いと疑念の芽を成長させる養分に変わった。

(ま、さか……この人、が?)

「はあ……っ、はあ……っ!」

 何度酸素を吸いこもうとしても、身体が欲する量に見合わない呼吸のせいで頭の中に白いモヤがかかっていく。
 徐々に遠のいていく意識のなかで、美奈穂は胸元を抑えていない左手を無意識のまま彼の方へ伸ばした。

 そして心の中で密やかに願う。


 ――嗚呼、彼が欲しい、と。


「……っ!? おい! おい、アンタ、しっかりしろ!」

 足元が覚束なくなり、グラリと前のめりに身体が傾く。
 その感覚に気づいた瞬間、床に叩きつけられると残り僅かな意識のなかで覚悟する。
だけど不思議なことに、感じたのは痛みとは程遠い、心の底から安心するぬくもりだった。

 目を瞑っちゃダメと、何度も自分に語り掛ける甲斐もなく、どこか焦った男の声を聞きながら、美奈穂の意識はプツリと途切れた。
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