輪廻の果てに咲く桜

臣桜

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過去8-4

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 そして時は優しく、穏やかに流れた。
 かつて一華と沙夜が幼い姉妹だった時、時人がいつも側にいたように、秋月家の家族には時人が寄り添っていた。
 かと言って必要以上に密着する訳でもなく、沙夜と夫に誘われて時人が遊びに行ったり、一華の家族も交えてキャンプなどをする時には男手として呼ばれたりもした。

「ときひとさん」
 一人用のテントの前、簡易椅子に座ってボウッと空を見上げていた時人を、幼い声が呼ぶ。
 呼ばれる前にその香りで時人は彼女に気付いており、幼い声を聞くまでは、まるですぐ側に葵がいるような優しい空気に身を浸らせていた。
「どうしたの? 美弥ちゃん」
 おむつをしてハイハイをしていた美弥はいつのまにか歩くのが上手になり、気が付けばおしゃまな女の子に成長していた。
「ちゃんはつけないで? 美弥は一人前のレディなんだから」
 その言い方に思わず時人は笑顔になり、端正な顔がクシャッと優しくなる。
「美弥ね、ケッコン指輪作ってきたの」
「結婚指輪?」
 その単語に思わず自分の首から下げた鎖に繋がっているリングを思い出し、沙夜と交わした約束やらの諸々が芋づる式に思い出されて、ドキッとした。
「美弥とときひとさんはケッコンするの。ときひとさん、指輪してるけど奥さんいないでしょう? だから、美弥とおそろいの指輪をしたら、二人はフウフになるの」
 たどたどしい言い方でまだ四歳には難しい単語を言い、美弥が取り出したのはアカツメクサで作った小さな指輪だ。
 美弥の小さな手は土弄りで汚れてしまっているが、小さなレディはそれにも気を留めることもなく指輪を作っていたらしい。
「ママがね、アカツメクサの花言葉には『豊かな愛』があるのよ、って言ってたの」
 沙夜の少女時代そっくりの黒いおかっぱを揺らし、長い睫毛を伏せて時人の骨ばった指にアカツメクサの指輪をつける。
「花言葉?」
「ときひとさん、知らないの? お花にも、宝石にも、カクテルっていうお酒にも、意味があるんだって」
「美弥ちゃんは物知りだね」
 そういう所に気が向くのは女の子らしいな、と思って頭を撫でると、レディの自尊心を傷付けられて美弥がむくれる。
「だから、ちゃんづけはやぁよ」
「はい、すみません。レディ」
 苦笑した時人が美弥の汚くなった小さな手を取り、恭しく礼をする真似をすると、美弥がにっこりと天使のように微笑んだ。
「いいえ、レディはちょっとの事では怒りませんわ」
 恐らく美弥が見ているアニメのプリンセスが、そういう反応をしているのだろう。
 澄ました顔で鷹揚に頷く美弥が小さめに作ったアカツメクサの指輪を差し出し、時人の手に持たせる。
「じゃあ、ときひとさんは美弥の指に指輪をはめて、豊かな愛を誓ってください」
「分かりました、レディ」
 実来と葵の育った実家は京都の名のある家でも、実来の娘の沙夜が嫁いだのは一般人だ。その一般家庭にいる小さな美弥にとって、こんな風に自分を特別扱いしてくれる『大人の男性』は時人以外にいない。
 加えて、時人は小さな美弥から見ても格好よく、王子様役に相応しい。
 沙夜と約束をした日に彼女が想定した現実問題は、今の所現実とはならず、美弥は他の誰に目をくれる事なく時人に懐いている。
 普通なら父親と結婚すると言うような年齢なのに、この歳から美弥は時人と結婚すると公言してはばからないのだ。
「ママには内緒だよ」
 作り物のように小さな手にアカツメクサの指輪をはめ、時人が茶色い目で優しく笑う。
「はい、秘密です」
 そう言って白い歯を見せる美弥の笑顔は、幼い頃の沙夜の笑顔に酷似している。
「ママは?」
「パパと、いちおばさん達と、バドミントンしてるよ。あっち」
 美弥が指差した方を見ると、キャンプ地の場所が開けた所で大人四人と諒が、ラケットを持って笑っていた。
「美弥はしないの? きっと楽しいよ?」
 今度は小さなレディに怒られないように、そう呼んだ。
「バドミントンも好きだけど、美弥はときひとさんと一緒にいる方がだいじなの」
 そう言って美弥が時人の膝の上にちょこんと座り、時人はもう暦では秋になろうとしている風が吹くなか、小さな体を抱いて大切な家族達の笑い声を聞いていた。
 空は青く、薄い雲が頼りなく浮かんでいる。
 一華がこの自然公園で子供達に流星群を見せたいと言ったのが、今回のキャンプの発端だった。
 大人の男の指におよそ相応しくない可憐な花の指輪を見て時人が微笑み、『花言葉』という単語をもう一度思い出してみる。
 今まで気にもしなかったことだ。
 そういえば、葵もルビーの指輪に思いを込めたのでは?
 自分と運命の相手の間に、星座や誕生日や、色んな事にこだわっていたのでは?
 そう思って、ふと心がざわついた。
 葵からの手紙。
 季節にこだわって便箋を選んでいたという葵が、わざわざ夏の盛りに桜の柄を選んだというのが、ずっと引っ掛かっていた。
 あの手紙を受け取ってからは、葵がいなくなってしまった現実を受け止めるのが精一杯だった。最期に葵が遺した手紙の細かいヒントに視点を当てれば、自分が知りたくない事実が浮かび上がるかもしれないと思い、何もしないでいた。
 だが今なら――。
 美弥が側にいる今なら、穏やかな気持ちで過去に向き合えるかもしれない。
「美弥、調べたい事があるから、ちょっとデバイスを弄っていいかい?」
「どうぞ。けど、そのまま遊んじゃやぁよ?」
 レディらしい分別で美弥が答え、けれど両親がいつもデバイスを通じてあれこれしているのに対し、子供ながら憧れたり詰まらないと思う気持ちもあるのだろう。
「遊ばないよ。調べものが終わったらすぐに閉じるから」
「ならどうぞ」
「どうもありがとう」
 そんなやり取りをしながら時人は腕時計式のデバイスを起動させ、「桜 花言葉」と検索をする。
 検索結果に出た桜の花言葉は八つ。
「心の美しさ」「精神美」「あなたに微笑む」「冷静」「気まぐれ」「艶やかな美人」「優雅」「優れた美人」。
 どれも抽象的で印象の薄い言葉で、花言葉を説明するサイトによれば、心の美しい人へ花を捧げる時、桜を贈るといいという事が書いてあった。
 だがどれも納得できない。
 葵が自分の事を「心の綺麗な人」と言ってくれていたのは覚えているが――、あの間際のシーンでそれを伝えたかったのだろうか?
 そう思って別のサイトを見ようとし、ふと検索順のなかに「桜 花言葉 フランス」というのが候補に出ているのに気づいた。
 桜という花は日本の花というイメージがあるが、海外にもそういえばワシントンの桜も有名だ。
 そんな事を思いながらそのページを見て、彼の目が見開かれた。
 目の前で桜の花が咲き誇る幻想が見え、視界の中で花びらが散ってゆく。
 鼻の奥がツンとして、美弥が生まれてから穏やかに生きてきた時人の目に切ない涙が浮かんだ。

 フランスでの桜の花言葉。
「私を忘れないで」。

 あの時――、もしかしたら自分が殺されるかもしれないという運命の時、葵はどんな気持ちであの手紙を書いたのだろう?
 ここまで時人が気付くと思って、桜の便箋を使ったのだろうか?
 もしかしたら、単なる偶然かもしれない。
 けれど気付かなければ、一生このままだったかもしれない。
 生きる事に貪欲さを見せない時人は、目の前の必要最低限の事にしか興味を示さない。
 しかし葵は『もしも』の確率に賭けたのだろうか?
 美弥が生まれたのは、四月一日。
 そう思い付いて、時人は四月一日生まれの人間の運勢のページを開いた。
 普段の時人なら、こういう占いめいたページの言葉はあまり信じない。
 けれど、そこに書いてあった四月一日生まれの人間の人となりには、美弥にそうあって欲しいという真面目な性格。
 最後に四月一日生まれの誕生石やラッキーカラーなどが書いてある欄があり、そこにもあった。
 誕生花に『桜』と。

 サァッとキャンプ場に爽やかな風が吹き、その優しい風の中で薄ピンクの花びらが舞う幻想が時人を優しく包み込む。
 膝の上に乗っている美弥の重みと芳しい香りを感じ、『そこ』に葵がいるのだと知る。

「私を忘れないで」
 桜の中で葵がこちらを見ていて、その隣に美弥もいる。

 夢の中で「会いに行く」と伝え、「もう一度愛しに行く」と言っていた葵。
 その言葉の中には、葵自身である美弥もまた時人を愛しているから、他の女性を見ないで美弥を愛して欲しいという意味があったのだろうか。

 忘れないよ。
 ――一生、忘れない。

 二十四年経っても、この思いは色褪せることはない。
 静寂の冬のようにシンとしていた時人の心は、美弥の誕生と共に春を迎えた。
 桜の花の中で美しい女児が産声を上げ、その隣で美しい人が後ろ姿を見せている。
 過ぎ去ってゆく後ろ姿と、この世に誕生した新しい命はいつもすぐ側にある。
 親しくしている家族とこの春一緒に行った花見の写真を、家に帰ったらもう一度見てみよう。
 満開の桜の中で微笑む美弥の中に、『彼女』の笑顔があるかもしれない。
 あれから夢で『彼女』に会う事はなくなったが、代わりに美弥に会うといつもそこに『彼女』を感じる。
 命は、受け継がれている。
 透明さを感じさせる青空に吸い込まれる笑い声を聞いて時人が涙を流し、力強い手がそれをグッと拭った。

 その日の晩に見た流星群は、きっと一生忘れない。
 ペルセウス座流星群。
 天から星が降って来そうな迫力に、それまで眠たいと言っていた美弥と諒が興奮した。
 大人五人、子供二人でただただ黒い空から星が落ちてくる様を見る。
 空を見上げている時人のズボンを、簡易椅子に座っている美弥の手が引いた。
「ときひとさん、お空が泣いてるの?」
「そうだね、この世界の色んな人が喜んだり怒ったり、泣いたり。それを空が表してくれているのかもね」
 流星群の正体はといえば、彗星の残骸が地球の軌道に入って落ちる際に熱を発し、光るという事だけだ。
 その際に流星が落ちてくる中心方向に見える星座から、○○座流星群と名付けられるだけで、科学的に立証されている。
 けれど、人というのは不思議なものだ。
 不思議な現象、綺麗な景色などを目にしたら、それを非科学的なものに結び付けたくなる。
 有名な言い伝えでいえば、流れ星に願い事をすれば叶うとか、海外の言い伝えでは星には必ずその人を守護する星があり、人が死ぬとその星が落ちるとも言われている。
 葵の星は落ちたのだろうか?
 そして美弥の星は誕生して、今光っているのだろうか?
 そんな事を思いながら次々と流れる流星を見上げ、願う。
 美弥と諒が、健やかに大きくなれるようにと。
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