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真相2
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「俺の妻に気安く触れるな」
「まだ結婚してない癖に、兄さんも随分ご執心だなぁ。……まぁ、ずっと想い続けてきただけあるから、仕方がないと言えば仕方がないけど」
ヴォルフの言葉が何か引っかかり、アンバーは「ん?」と首を捻る。
「あの……。王宮でお会いしたアッヘンバッハ伯爵夫人にも、『ずっと婚約者がいると言い続けている』と仰っていましたよね? あの私……。いま物凄い事に気づいてしまったのですが、まさかレオ様って……」
今度はまったく別の方向から驚愕が訪れ、アンバーはレオからも距離を取った。
「どうして離れる」と不満げな顔をしているレオがいる一方、弟のヴォルフはニヤニヤと意地悪に笑っていた。
「そう。レオ兄さんこそが、君のご両親がずっと約束をしていた、アルトマン公爵だよ」
「――――」
もう何も言えなくなったアンバーは、目を可能な限り見開いてレオを凝視する。
「……済まない。事情があって弟の名を名乗っていた。ヘレヤークトフントというのは通り名で、公爵家の名前でもあの城の本当の名前でもない。使用人たちも了承済みだ」
「じ、事情って……。わ、私ずっとレオ様の事、ヴォルフ様とお呼びして……。まったく関係のない方に買われたのとばかり思っていて……」
動揺しきっているアンバーの前で、レオは困った顔をした後、ポツリと呟いた。
「……君はレオ・マルコ・フォン・アルトマンという人物を嫌っていただろう」
「……え?」
「君の父上が金を貸していた商人が、アルトマン公爵という男に脅されて逃げた。そう聞いて、仇敵のように思っていただろう」
「あ……、は、はい。そう言えば」
自分がアルトマン公爵という顔も知らない人物を、また聞きの噂から毛嫌いしていたのを思い出す。
だが今となって目の前のレオがアルトマン公爵だと知っても、嫌いになどならない。
逆に素朴な疑問が浮かび上がった。
「……どうして商人を脅したのです? レオ様は理由もなくそのような事をなさらないでしょう。それにあの手紙は……」
父から見せられた手紙を思い出し、真っ直ぐにレオを見つめ質問をぶつけると、ヴォルフが謝罪してきた。
「済まない、アンバーさん。その事件の発端は俺なんだ。手紙を代筆したのも俺だ」
「……どういう、事です?」
レオのマントを胸の前で掻き合わせ、アンバーは困惑してヴォルフを見つめる。
「さっき話した通り、俺は兄さんの代わりに裏の仕事をしていた。だが時には素顔を晒し、民草に紛れて情報収集もしていた。公爵の地位を継いだ兄さんの代わりに、俺はあちこちで直接情報を仕入れていたんだ。その折りに、兄さんの婚約者だという君を見守るため、レイクウッドに赴く事もあった」
「あぁ……、そういう繋がりが」
納得して頷けば、ヴォルフは苦り切った顔で続ける。
「街をうろついていた時、酒場でそれなりに裕福そうな商人たちが悪巧みをしていたのを聞いてしまった。『商売をするのに困っていると言えば、領主は幾らでも金を貸してくれる。それならもっとたかっても構わないんじゃないか』……と」
「そんな……」
父が領民のためにと頭を悩ませていたのに、民はありがたがるのを通り越えて甘い汁を吸おうとしていた。
「俺もドランスフィールド卿には思い入れがある。いずれは繋がりを持つ家だし、どうしてもそいつらが許せなかった。気がつけば俺はそいつらを脅し、レイクウッドから出て行けと……アルトマンの名を出して告げてしまったんだ」
「――――」
すべては、未来の義弟となるヴォルフの好意からだった。
「この事を報告をして、兄さんは怒らなかった。商人が持ち逃げした分の金を、結婚後の支援としてちゃんと払うとドランスフィールド卿に書状を送った」
そこから先は、レオが受け継いだ。
「……俺は君に嫌われるのが怖かった。血も涙もない猟犬と言われているが、ずっと恋い焦がれていた君に嫌われるのだけは、この世で一番怖かった。……稚拙な理由かもしれないが、アルトマンの名を隠して弟の名を名乗っていた。……幸い、ヘレヤークトフントという通り名は、アルトマン公爵という名よりもずっと浸透しているから、割に自然に嘘をつけたのだが……。弟に代筆してもらって〝アルトマン公爵として〟ドランスフィールド卿に手紙を送ったのも、君に不自然に思わせないためだ。弟が生きている事をご存知のドランスフィールド卿は、それを察してくれた。屋敷では君にアルトマン公爵家の封蝋がついた封筒を見せなかったのも、気遣ってくれての事だろう」
「ああ……」
そう言えばあの時、父は便箋のみを渡してきた。
城でレオが手紙に封蝋をしているのは何度も見ていて、「これがヴォルフ様の家の家紋なのね」と思った記憶も新しい。
「そんな……理由で……」
ふ……と体から力が抜け、アンバーはレオの胸板に額をつける。
「……でも私、確かに攫われた自分を買った人が、あのアルトマン公爵だと知ったら、より嫌っていたかもしれません。お父様は色々とアルトマン公爵についてご存知のようでしたが、見知らぬ方に何の興味もなかった私は……。使用人たちから聞いた噂で判断し、あなたを勝手に憎んでいました。申し訳ございません」
素直に謝れば、いつものあの手が優しく頭を撫でてくれる。
「……いいんだ。こうして何もかも上手くいった」
優しく許してくれるレオに感謝しつつ、ふとアンバーはまたもう一つの事に気づいた。レオの執務室のデスクにあった、赤い封筒だ。
「あの、もしかして……。レオ様に秘密クラブの封筒を出して、秘密クラブに招待したのもヴォルフ様ですか?」
何となくの直感だったが、そうだと思うとあの組織の敵であるレオが潜り込めた理由が理解できる。
「そう。意外にスジがいいね。俺はクエーレとして『ソドムの会』の幹部として働きながら、兄さんに情報を渡していた。本当は君が兄さんに買われたあの日、軍が突入する予定だった。あの日はローテローゼ卿も会場にいて、摘発するには絶好の機会だった」
ヴォルフの言葉に、アンバーは作戦が失敗した理由に思い当たり、また憂い顔になる。
「……あの時失敗したのは……、私が売られたから……ですね?」
「それもご名答。兄さんは君が自分の所に嫁ぎに来ると思い、自分を嫌っている君をどう迎えようかと思案していた。その矢先の仕事で、どういう巡り合わせか君がステージ上に『商品』として出されている。ここで突撃をすれば、君に多大なる恐怖を与えるだろう。それとも大枚をはたいて買い上げ、一度安全な場所に移してしまうか。……兄さんは悩んだ挙げ句、君の安全を考慮して突撃をやめた」
「……すみません。私、何をしてもご迷惑ばかり……」
悲しげに目を細めるアンバーを、レオは優しく撫でて「気にするな」と微笑む。
「どちらにせよ、兄さんはアンバーさんに嫌われる運命だった。アルトマン公爵として軍を突撃させて君を保護しても、嫌っている相手の暴力行為を目の前にして嫌うだろう。大金を払ってアンバーさんを買ったとしても、人は自分を買った相手を好きになると思えない。アンバーさんが適齢期になってすぐドランスフィールド卿に結婚を申し込めなかったのは、嫌われてるという恐れがあったからだ」
「……ヴォルフ。さすがに傷つくから、『嫌われる運命』はやめてくれ。俺はいま、ちゃんとアンバーに愛されている」
「おや、済まない兄さん」
軽口を叩き合う兄弟を前に、アンバーは微笑みつつも自分が情けない。
ふとあまりの薄着にくしゃみをし、それを心配したレオがアンバーを抱き上げた。
「そろそろ城に戻るか。まずは色んな男の手垢のついた君を、風呂に入れたくて仕方がない」
至近距離からレオが覗き込み、薄い色の瞳に載せられた情欲にゾクリと肌が粟立つ。
「あーあ。もう。はいはい、ごちそうさま」
ヴォルフは椅子から立ち上がり、誰もいないダンスホールに向かってパンパンと手を打ち鳴らした。
「……色々片付いたのだから、お前もそろそろ城に戻ってこい。たまには残された家族と、新しい家族で仲良くやろう」
レオの言葉にヴォルフが振り向き、また人を食ったような笑みを浮かべる。
「『仲良くやろう』って、二人の寝室に俺が入ってもいいっていう事か?」
「……殺すぞ?」
レオが冷ややかな笑みを浮かべ、ヴォルフが屈託なく笑う。
顔はまったく同じだが、正反対の性格の二人に、アンバーもいつの間にか笑い出していた。
その心には――、もう何の憂いも恐怖もない。
「まだ結婚してない癖に、兄さんも随分ご執心だなぁ。……まぁ、ずっと想い続けてきただけあるから、仕方がないと言えば仕方がないけど」
ヴォルフの言葉が何か引っかかり、アンバーは「ん?」と首を捻る。
「あの……。王宮でお会いしたアッヘンバッハ伯爵夫人にも、『ずっと婚約者がいると言い続けている』と仰っていましたよね? あの私……。いま物凄い事に気づいてしまったのですが、まさかレオ様って……」
今度はまったく別の方向から驚愕が訪れ、アンバーはレオからも距離を取った。
「どうして離れる」と不満げな顔をしているレオがいる一方、弟のヴォルフはニヤニヤと意地悪に笑っていた。
「そう。レオ兄さんこそが、君のご両親がずっと約束をしていた、アルトマン公爵だよ」
「――――」
もう何も言えなくなったアンバーは、目を可能な限り見開いてレオを凝視する。
「……済まない。事情があって弟の名を名乗っていた。ヘレヤークトフントというのは通り名で、公爵家の名前でもあの城の本当の名前でもない。使用人たちも了承済みだ」
「じ、事情って……。わ、私ずっとレオ様の事、ヴォルフ様とお呼びして……。まったく関係のない方に買われたのとばかり思っていて……」
動揺しきっているアンバーの前で、レオは困った顔をした後、ポツリと呟いた。
「……君はレオ・マルコ・フォン・アルトマンという人物を嫌っていただろう」
「……え?」
「君の父上が金を貸していた商人が、アルトマン公爵という男に脅されて逃げた。そう聞いて、仇敵のように思っていただろう」
「あ……、は、はい。そう言えば」
自分がアルトマン公爵という顔も知らない人物を、また聞きの噂から毛嫌いしていたのを思い出す。
だが今となって目の前のレオがアルトマン公爵だと知っても、嫌いになどならない。
逆に素朴な疑問が浮かび上がった。
「……どうして商人を脅したのです? レオ様は理由もなくそのような事をなさらないでしょう。それにあの手紙は……」
父から見せられた手紙を思い出し、真っ直ぐにレオを見つめ質問をぶつけると、ヴォルフが謝罪してきた。
「済まない、アンバーさん。その事件の発端は俺なんだ。手紙を代筆したのも俺だ」
「……どういう、事です?」
レオのマントを胸の前で掻き合わせ、アンバーは困惑してヴォルフを見つめる。
「さっき話した通り、俺は兄さんの代わりに裏の仕事をしていた。だが時には素顔を晒し、民草に紛れて情報収集もしていた。公爵の地位を継いだ兄さんの代わりに、俺はあちこちで直接情報を仕入れていたんだ。その折りに、兄さんの婚約者だという君を見守るため、レイクウッドに赴く事もあった」
「あぁ……、そういう繋がりが」
納得して頷けば、ヴォルフは苦り切った顔で続ける。
「街をうろついていた時、酒場でそれなりに裕福そうな商人たちが悪巧みをしていたのを聞いてしまった。『商売をするのに困っていると言えば、領主は幾らでも金を貸してくれる。それならもっとたかっても構わないんじゃないか』……と」
「そんな……」
父が領民のためにと頭を悩ませていたのに、民はありがたがるのを通り越えて甘い汁を吸おうとしていた。
「俺もドランスフィールド卿には思い入れがある。いずれは繋がりを持つ家だし、どうしてもそいつらが許せなかった。気がつけば俺はそいつらを脅し、レイクウッドから出て行けと……アルトマンの名を出して告げてしまったんだ」
「――――」
すべては、未来の義弟となるヴォルフの好意からだった。
「この事を報告をして、兄さんは怒らなかった。商人が持ち逃げした分の金を、結婚後の支援としてちゃんと払うとドランスフィールド卿に書状を送った」
そこから先は、レオが受け継いだ。
「……俺は君に嫌われるのが怖かった。血も涙もない猟犬と言われているが、ずっと恋い焦がれていた君に嫌われるのだけは、この世で一番怖かった。……稚拙な理由かもしれないが、アルトマンの名を隠して弟の名を名乗っていた。……幸い、ヘレヤークトフントという通り名は、アルトマン公爵という名よりもずっと浸透しているから、割に自然に嘘をつけたのだが……。弟に代筆してもらって〝アルトマン公爵として〟ドランスフィールド卿に手紙を送ったのも、君に不自然に思わせないためだ。弟が生きている事をご存知のドランスフィールド卿は、それを察してくれた。屋敷では君にアルトマン公爵家の封蝋がついた封筒を見せなかったのも、気遣ってくれての事だろう」
「ああ……」
そう言えばあの時、父は便箋のみを渡してきた。
城でレオが手紙に封蝋をしているのは何度も見ていて、「これがヴォルフ様の家の家紋なのね」と思った記憶も新しい。
「そんな……理由で……」
ふ……と体から力が抜け、アンバーはレオの胸板に額をつける。
「……でも私、確かに攫われた自分を買った人が、あのアルトマン公爵だと知ったら、より嫌っていたかもしれません。お父様は色々とアルトマン公爵についてご存知のようでしたが、見知らぬ方に何の興味もなかった私は……。使用人たちから聞いた噂で判断し、あなたを勝手に憎んでいました。申し訳ございません」
素直に謝れば、いつものあの手が優しく頭を撫でてくれる。
「……いいんだ。こうして何もかも上手くいった」
優しく許してくれるレオに感謝しつつ、ふとアンバーはまたもう一つの事に気づいた。レオの執務室のデスクにあった、赤い封筒だ。
「あの、もしかして……。レオ様に秘密クラブの封筒を出して、秘密クラブに招待したのもヴォルフ様ですか?」
何となくの直感だったが、そうだと思うとあの組織の敵であるレオが潜り込めた理由が理解できる。
「そう。意外にスジがいいね。俺はクエーレとして『ソドムの会』の幹部として働きながら、兄さんに情報を渡していた。本当は君が兄さんに買われたあの日、軍が突入する予定だった。あの日はローテローゼ卿も会場にいて、摘発するには絶好の機会だった」
ヴォルフの言葉に、アンバーは作戦が失敗した理由に思い当たり、また憂い顔になる。
「……あの時失敗したのは……、私が売られたから……ですね?」
「それもご名答。兄さんは君が自分の所に嫁ぎに来ると思い、自分を嫌っている君をどう迎えようかと思案していた。その矢先の仕事で、どういう巡り合わせか君がステージ上に『商品』として出されている。ここで突撃をすれば、君に多大なる恐怖を与えるだろう。それとも大枚をはたいて買い上げ、一度安全な場所に移してしまうか。……兄さんは悩んだ挙げ句、君の安全を考慮して突撃をやめた」
「……すみません。私、何をしてもご迷惑ばかり……」
悲しげに目を細めるアンバーを、レオは優しく撫でて「気にするな」と微笑む。
「どちらにせよ、兄さんはアンバーさんに嫌われる運命だった。アルトマン公爵として軍を突撃させて君を保護しても、嫌っている相手の暴力行為を目の前にして嫌うだろう。大金を払ってアンバーさんを買ったとしても、人は自分を買った相手を好きになると思えない。アンバーさんが適齢期になってすぐドランスフィールド卿に結婚を申し込めなかったのは、嫌われてるという恐れがあったからだ」
「……ヴォルフ。さすがに傷つくから、『嫌われる運命』はやめてくれ。俺はいま、ちゃんとアンバーに愛されている」
「おや、済まない兄さん」
軽口を叩き合う兄弟を前に、アンバーは微笑みつつも自分が情けない。
ふとあまりの薄着にくしゃみをし、それを心配したレオがアンバーを抱き上げた。
「そろそろ城に戻るか。まずは色んな男の手垢のついた君を、風呂に入れたくて仕方がない」
至近距離からレオが覗き込み、薄い色の瞳に載せられた情欲にゾクリと肌が粟立つ。
「あーあ。もう。はいはい、ごちそうさま」
ヴォルフは椅子から立ち上がり、誰もいないダンスホールに向かってパンパンと手を打ち鳴らした。
「……色々片付いたのだから、お前もそろそろ城に戻ってこい。たまには残された家族と、新しい家族で仲良くやろう」
レオの言葉にヴォルフが振り向き、また人を食ったような笑みを浮かべる。
「『仲良くやろう』って、二人の寝室に俺が入ってもいいっていう事か?」
「……殺すぞ?」
レオが冷ややかな笑みを浮かべ、ヴォルフが屈託なく笑う。
顔はまったく同じだが、正反対の性格の二人に、アンバーもいつの間にか笑い出していた。
その心には――、もう何の憂いも恐怖もない。
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