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練習室Cのピアノ
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「私、高校時代にお父さんが死んじゃったでしょ? あの時、学校にいて死に目に会えなかったんだけど、それに間に合えば良かったなぁ……なんて、思っちゃう」
その言葉が、ぽつん……と心の奥に落ちた。
(そうか、〝願い〟ってそういう事なのかもしれない。私やお祖母ちゃんに関わっていて、皆を幸せな結末に向かわせる願い)
「ん? どした? 花音」
「ううん。ありがとう」
「変なの」
友人にきっかけをもらい、花音は一刻も早くあのピアノの前に立たなくてはと思った。
友達と駅で別れてから、花音は祖母の家に電話をかけた。
『はい、もしもし。海江田でございます』
遅い時間の電話だが、家政婦の安野なら出てくれると思っていた。
生前、洋子は大切な手だからという理由で、いっさい料理をしなかった。
再婚したあとは亡き祖父がピアノに理解を示し、家事を引き受けてくれたようだ。
やがて家政婦を雇うようになり、現在に至る。
現在の家政婦の安野という人は、五十代のふくよかな女性だ。
多少ミーハーな面もあるが、洋子をとても尊敬していて最期の時まで尽くしてくれていた。
洋子は亡くなったので、今後は支払われるべき金を受け取ったあと、契約終了させるのかもしれない。
または母を新たな契約相手として、現在の海江田家の管理人となる道もある。
当面は葬儀あとのゴタゴタが落ち着くまでは、安野は無人になった海江田家を管理する事になっていた。
「もしもし、安野さん? 花音です」
『あぁ、花音さん! その後お変わりありませんか?』
「はい。安野さんもお疲れ様です。その、これからなんですが、そちらに行っても構いませんか?」
『えぇ、構いませんけど……。どうかしましたか?』
「いえ。ちょっとした事なんです。特に何も用意しなくていいですから。確認したらすぐ帰りますので」
『分かりました。玄関の鍵を開けておきますね』
「はい。じゃあ、また」
電話を切ったあと、花音は地下鉄に乗って大通駅に向かい、乗り換えをして最寄り駅で降りた。
タクシーを拾って海江田邸まで向かい、遅い時間なのでチャイムは鳴らさず家に入った。
入ってすぐは天井の高い玄関ホールになっていて、シャンデリアが下がっている。
すぐ横手には階段とエレベーターがあり、そこから上階の住居スペースに繋がっていた。一階の他の部分は手洗い以外すべてレッスン室だ。
電気をつけ、花音は緊張しながら廊下を進んでいく。
練習室はA、Bがグランドピアノのある部屋で、CからEまでがアップライトピアノのある待機練習室だ。例の黒いアップライトピアノは、練習室Cだ。
「……こんばんは」
練習室Cに入り、電気をつける。
梨理がここにいるというので思わず挨拶をしたが、勿論誰も返事をしない。
花音は荷物をソファに置き、アップライトピアノの椅子に座る。
洋子が所持しているピアノは、すべて昔ながらの良い物だ。
『最近作られたピアノは白鍵が樹脂製の物もありますが、昔に作られた物はちゃんとした木製の鍵盤ですからね』
そう言っていたのは、祖母と古くからの馴染みの調律師だ。
花音は両手を広げて外側から内側へと、鍵盤を撫でてゆく。
ドクッ、ドクッ……と心臓が嫌な音を立てて鳴っていた。
練習室に入ってピアノを目にしてから、花音は異様な緊張状態にあった。
六年前の事件以来初めて、ピアノの前に座る。
白鍵を静かに押すと、綺麗な音がする。
「っ……!」
この六年ピアノを弾いていなかったので、自分のこの手が音を出したのだとにわかに信じられず、ギクッとして身を強ばらせた。
周囲が静かなだけあり、余計にいまの一音は響いたように感じられる。
「……梨理さん、ピアノを弾いたらあなたに会えるの? 願いを叶えてくれるの?」
口に出して尋ねても、誰も答えない。
鏡のように磨き上げられたピアノには、花音の顔が映っているだけだ。
その言葉が、ぽつん……と心の奥に落ちた。
(そうか、〝願い〟ってそういう事なのかもしれない。私やお祖母ちゃんに関わっていて、皆を幸せな結末に向かわせる願い)
「ん? どした? 花音」
「ううん。ありがとう」
「変なの」
友人にきっかけをもらい、花音は一刻も早くあのピアノの前に立たなくてはと思った。
友達と駅で別れてから、花音は祖母の家に電話をかけた。
『はい、もしもし。海江田でございます』
遅い時間の電話だが、家政婦の安野なら出てくれると思っていた。
生前、洋子は大切な手だからという理由で、いっさい料理をしなかった。
再婚したあとは亡き祖父がピアノに理解を示し、家事を引き受けてくれたようだ。
やがて家政婦を雇うようになり、現在に至る。
現在の家政婦の安野という人は、五十代のふくよかな女性だ。
多少ミーハーな面もあるが、洋子をとても尊敬していて最期の時まで尽くしてくれていた。
洋子は亡くなったので、今後は支払われるべき金を受け取ったあと、契約終了させるのかもしれない。
または母を新たな契約相手として、現在の海江田家の管理人となる道もある。
当面は葬儀あとのゴタゴタが落ち着くまでは、安野は無人になった海江田家を管理する事になっていた。
「もしもし、安野さん? 花音です」
『あぁ、花音さん! その後お変わりありませんか?』
「はい。安野さんもお疲れ様です。その、これからなんですが、そちらに行っても構いませんか?」
『えぇ、構いませんけど……。どうかしましたか?』
「いえ。ちょっとした事なんです。特に何も用意しなくていいですから。確認したらすぐ帰りますので」
『分かりました。玄関の鍵を開けておきますね』
「はい。じゃあ、また」
電話を切ったあと、花音は地下鉄に乗って大通駅に向かい、乗り換えをして最寄り駅で降りた。
タクシーを拾って海江田邸まで向かい、遅い時間なのでチャイムは鳴らさず家に入った。
入ってすぐは天井の高い玄関ホールになっていて、シャンデリアが下がっている。
すぐ横手には階段とエレベーターがあり、そこから上階の住居スペースに繋がっていた。一階の他の部分は手洗い以外すべてレッスン室だ。
電気をつけ、花音は緊張しながら廊下を進んでいく。
練習室はA、Bがグランドピアノのある部屋で、CからEまでがアップライトピアノのある待機練習室だ。例の黒いアップライトピアノは、練習室Cだ。
「……こんばんは」
練習室Cに入り、電気をつける。
梨理がここにいるというので思わず挨拶をしたが、勿論誰も返事をしない。
花音は荷物をソファに置き、アップライトピアノの椅子に座る。
洋子が所持しているピアノは、すべて昔ながらの良い物だ。
『最近作られたピアノは白鍵が樹脂製の物もありますが、昔に作られた物はちゃんとした木製の鍵盤ですからね』
そう言っていたのは、祖母と古くからの馴染みの調律師だ。
花音は両手を広げて外側から内側へと、鍵盤を撫でてゆく。
ドクッ、ドクッ……と心臓が嫌な音を立てて鳴っていた。
練習室に入ってピアノを目にしてから、花音は異様な緊張状態にあった。
六年前の事件以来初めて、ピアノの前に座る。
白鍵を静かに押すと、綺麗な音がする。
「っ……!」
この六年ピアノを弾いていなかったので、自分のこの手が音を出したのだとにわかに信じられず、ギクッとして身を強ばらせた。
周囲が静かなだけあり、余計にいまの一音は響いたように感じられる。
「……梨理さん、ピアノを弾いたらあなたに会えるの? 願いを叶えてくれるの?」
口に出して尋ねても、誰も答えない。
鏡のように磨き上げられたピアノには、花音の顔が映っているだけだ。
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