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一輪のバラと最初の告白2

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「俺は第一王位継承者で良かったな。君にこうやって、ずっと一緒にいてもらう権利を得たんだから」
「母は先王陛下をお守りしきれませんでした。私は母に憧れていますが、同じ轍は踏みません。どうぞご安心を」
 夕暮れ時の空は、ラベンダー色から赤紫へとグラデーションに染まっていた。
 果てしなく広い王宮の敷地には、中央の太陽宮殿の他、対角線に四つの宮がある。
 その一つである月の離宮には、ディアルトとその母シアナが暮らしている。
 星の離宮には国王とその家族が生活し、花の離宮は王位継承者の身辺警護をする者――リリアンナの住まいとなっている。
 月の離宮と花の離宮は、二〇〇メートルほど離れている。
 有事の時にリリアンナが全力疾走をして、二十秒ほどで辿り着くことができる距離だ。
 毎朝ディアルトを起こしに行く時も、その足がなまってはいけないからと、彼女は走って迎えに行く。
 純粋な肉体能力でそれなので、彼女が風の加護を使えば瞬く間だ。
「君が毎日努力しているのは、俺も知っている。……というか、騎士たちに混じって体を鍛えているのを、毎日見ているからね。リリアンナのことは信頼しているし、何も心配していない。だが俺は、未来の王の立場で君を家族として守りたい」
「私は殿下には不釣り合いかと存じます。殿下にはもっと華々しく女性らしい、家庭に入るに向いた方がお似合いかと存じます」
 茜に白銀の鎧を光らせたリリアンナは、しゃなりとして美しい。
 一歩ごとに揺れる長いポニーテールも、品の良い動きをしている。
「リリアンナ。それを決めるのは君じゃない、俺だ。俺が自分に相応しい女性は君だと判断した。君が俺に似合う女性を勝手に決めるのは、早計だよ」
「大変失礼致しました。差し出がましい口をききました」
「……そうじゃなくて……」
 頑ななリリアンナの言葉に、思わずムッとして言い返したディアルトだが、彼女の謝罪を聞いて首を振る。
「君にそう言わせたいんじゃないんだ。俺の立場を利用して、君に『護衛』の言葉を言わせたいんじゃない。俺は、リリアンナという一人の女性の言葉が欲しい」
「私はいつも、心からの言葉を殿下に発しています」
 ディアルトがどれだけ求めても、リリアンナの言葉は事務的だ。
 その時、リリアンナが何かに気付いて手を差し伸べた。
 人の目には見えないが、そこに小さな風の渦がある。リリアンナを慕う風の精霊が何かを伝えにきたのだ。
 金色が混じった緑色の目を前方にやり、リリアンナは精霊の言葉に耳を傾ける。
 だがその対話もすぐに終わり、彼女はまた手を差し伸べて精霊を解放した。
「今のは精霊? 何て?」
「前線の戦いが、今日も終わったそうです」
 夕焼けに照らされる中、リリアンナは祈るように呟く。
「もう……十五年以上も続いているのか」
 ポツリと呟かれた言葉に、リリアンナは沈黙を返す。
 隣国ファイアナは、火の精霊に祝福された国だ。
 火なだけあり、人々の心にいい意味でも悪い意味でも精霊は火をつける。
 国民性は活発で明るく、感情が豊かだ。同時に好戦的とも言える。
 ファイアナはその性質の通り国土の一部が砂漠化していた。国土を開発しようとして森林を切り開いた結果で、自業自得と言えばそれまでだ。
 しかしそこでファイアナは植林をして水や土、風の国からの援助を受けて、また緑を取り戻そうとしなかった。
 侵略し、より良い国土を手に入れれば良いと思っていたのだ。
 ファイアナの現国王は『苛烈王』とも呼ばれ、周辺国が何度交渉のテーブルに彼を呼んでも、応じたことがない。
 ウィンドミドルは国土が広く、森林や海、湖など恵まれた国だ。
 運が悪いことにそこをファイアナに目をつけられ、「それだけ国土が広いのだから、少しぐらいいいだろう」という精神で攻め込まれている。
 今や国境近くには要塞が幾つも建てられ、毎日国境を越えて攻めてこようとするファイアナの軍を食い止めている。
 その中にはリリアンナ同様、風の精霊に愛された騎士や術士が大勢いる。
 一般の騎士や兵のことも、リリアンナは大事に思っていた。
 同じ『戦う身』として、自分だけ安全な王宮でぬくぬくとしているのが申し訳ない。
 少なからずそのように思っているのを、ディアルトだって分かっていた。
「前線の騎士や兵士たちへの祈りは、捧げても捧げても足りません」
「……君が毎朝、俺を起こしにくる前に祈っているのも知っているよ」
「なぜ」
「……君の寝顔を覗きに行ったことがあるから」
「…………」
 うっかり自分の探偵行為を白状せざるを得なくなったディアルトは、リリアンナからこれ以上ない冷たい目線をもらった。
「君は起きるのが早いね。早朝に起きて走り込みをして、汗を流して。それから食事をしてから、俺の所に来ているんだろう?」
「よくお分かりですね」
「…………」
 またディアルトが墓穴を掘った。
 そんな主に呆れたように溜め息をつき、リリアンナは釘を刺す。
「あまりお一人で出歩かれませんよう。何のために私がいるのか、分からなくなります」
「言っておくが、俺も強いからな? 純粋に剣だけでなら、君に勝つ自信がある」
 腰に下がっている剣に手が触れ、その重さはディアルトが重たい剣を振り回す男だと自覚させる。
「存じ上げています。腕力だけで長剣とレイピアなら、すぐに結果が出るでしょう」
「よく言うよ。レイピアが細身の剣だからと言って、騎士の持つ片手剣とあまり重量差はない。君の刺突は地獄の突きだと騎士が言っていた。ここでこうやって君が謙遜するのも、俺が王子だから……なのかな」
 月の離宮が近くなってきた。
 ディアルトは片手に持ったバラを、所在なさげにユラユラ動かしている。
 芝生の上に真っ直ぐ通った石畳に、二人分の影が長く伸びていた。
「私は護衛係で、それ以上にも以下にもなるつもりはございません」
 月の離宮前に立っている衛兵が、二人の姿を目視して居住まいを正す。
 例え反ディアルト派の王妃親衛隊であったとしても、この国の軍を担う者たちが皆リリアンナに憧れているのは事実だ。
 ディアルト派の騎士たちは、彼がリリアンナと一緒に修練場に姿を表せば、仲間のように歓迎する。
 そうすればリリアンナからの覚えも良く、ディアルトをだしに彼女に話しかけることもできるからだ。
 一緒に歩ける時間があと少しだと思うと、ディアルトは夕方が少し嫌いだ。
 手にしていたバラを見ると、薄く綺麗な紙で包まれた花は、まだ綺麗に咲いている。
「リリアンナ。ひとまず、このバラを受け取ってもらえないだろうか? 受け取ったからと言って、俺の気持ちに応えてくれたとか早合点はしないから。ただ単に、このために用意されたバラの行き場がなくて」
 月の離宮の前、ディアルトはまたリリアンナにバラを差し出す。
 彼女はじっとバラを見つめた後、小さく息をついて頷いた。
「……いいでしょう。私の宮で飾っておきます。たしか一輪挿しがあったはずですから」
「ありがとう」
 想いを伝える赤いバラは、やっと想い人の手に収まった。
「しかし……、急になぜ?」
 綺麗に花びらを巻いたバラは満開ではなく、まだこれから徐々に開くのを楽しめる状態だ。
 ご丁寧に、六分から七分咲きほどのそのバラは、リリアンナの好みの形をしていた。
 レディたちが「愛らしい」と好む丸弁でなく、輪郭がツンと尖った剣弁高芯咲きのものだ。
「さっきも言った通り、今の時勢いつ何があるか分からない。その前に、君への愛を叫んでおこうと思って」
「……よく私の好みが分かりましたね」
「花の離宮にあるバラを見れば、すぐ分かるさ。他に植えてある花々も百合やウィスタリアなど、直線的な物が多い。君が丸っこく可愛らしい物を、それほど好まないのは感覚的に分かっている」
「……なるほど。殿下の洞察力には脱帽です」
「あれ? 君、半分バカにしてる? 君のことならいつも見てるじゃないか」
「さぁ、もう夕食の匂いがしていますよ」
 ディアルトの言葉を途中で遮り手でスッと離宮を示すと、彼はあからさまに詰まらない顔をした。
 だがすぐに顔を上げ、妙に確信を得た目でリリアンナに微笑みかける。
「俺はこれから、合計一四〇四本のバラで、君を落としてみせる」
 途方もない宣言に、リリアンナはあきれ果ててただ会釈をするだけだった。
 けれど夕焼けを背景に不敵に笑うディアルトが、やけに心の奥に残ってしまう。
「……じゃあ、リリアンナ。いつもの命令だ」
 一日に一回、ディアルトはリリアンナにある命令をしていた。
 彼女が身辺警護になってからすぐ始まり、もう日常の中に紛れている命令。
「……どうぞ」
 リリアンナは目を瞑り、少し上を向いた。
 無防備なその顔を、ディアルトはじっと見つめる。
 整った顔つきに、目を閉じれば際立つ睫毛の長さ。通った鼻筋に、綻び始めたバラのような唇。
 しばらく神が与えたかのような美貌を鑑賞した後、ディアルトはリリアンナの顎に手をかけ――、キスをした。
「…………」
 ただ、唇が触れるだけのキス。
 けれど、たった五秒ほどのそのキスを、ディアルトは毎日心待ちにしていた。
 だから夕方というリリアンナとの別れの時間帯も、嫌いになりきれないでいる。
「……ありがとう」
 柔らかな唇が離れ、少し湿った吐息が漏れる。
「どうぞごゆっくりお休みください。素敵なバラをありがとうございました」
 リリアンナがそう言って一礼した後は、ディアルトもグズグズ長引かせず離宮に入ることを約束している。
 手がスルッとリリアンナの頬から顎を撫で、惜しむように指が宙を掻いてゆく。
「おやすみ。リリアンナ」
 青いマントを揺らしてディアルトは離宮の中に入ってゆき、リリアンナも衛兵に一礼してから自分の花の離宮へ歩いてゆく。


「……いい香り」
 ディアルトの前では何も言わなかったのに、リリアンナは花にバラを近づけて香りを吸い込んだ。
 花の女王と呼ばれる、誇り高い匂いがする。
 そして王子の前ではニコリともしなかったリリアンナは、微かに笑みを零すのだった。
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