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十三年前の悲劇2

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 気がつけば、アドナは祖国の軍病人にいた。
 全身に酷い火傷を負い、最初は口もきけない状態だった。そこに元からファイアナにいるウォーリナの治癒術士が通い、時間をかけて治してくれた。
 その時の治癒術士の女性とアドナは懇意になり、結果的に結婚し子供も生まれた。
 動けるようになって事件の後確認を始めたが、あの爆発の中心地にいて生きている者は他にいなかった。
 爆心地に向かえば、辺り一帯は焦土と化し荒野になっている。
 ウィンドミドルのアイリーン砦も、酷い損害を受けたようで修繕工事が行われていた。
 両国とも王を失い、国としての機能が一時停止している。
 そのまま次の王が正式に決定するまで、幸か不幸か戦争も一時停戦となった。
 僅かな平和の間、アドナはヘイゲスの姿を探す。
 まだ全身が火傷で熱く感じる中、やっとアドナは事の発端とも言えるヘイゲスと話す機会を得た。
「あなたは……、どういうおつもりだったのか」
 体の痛みも込められた怒気のある声に、三十六歳の美壮年はシニカルに笑う。
「私はこう見えて、良い大学を出た宰相ですからね。父も宰相をしていて、その仕事を引き継いだばかりです。あのような戦場で散る訳には参りません」
「そうじゃない。ウィリア陛下は我が国や陛下に対して、他意はまったく無かった。それなのに無いものをあるように言い、焚きつけた。その結果陛下も、ウィリア陛下もリーズベット様も。……皆亡くなられてしまった。……この責任をどう取るおつもりか!」
 最後に苛烈に怒鳴りつけると、火傷した喉が痛んだ。
 ひりつく痛みを感じ、咳き込むアドナを見てもヘイゲスは特に反省した様子は見せない。
 それどころか、猫なで声とも言える不気味な声で丸め込もうとする。
「……将軍。私は陛下を真の王として見ることができませんでした。陛下は良くも悪くもファイアナ人の特性が強すぎます。臣下を怒鳴りつけ、力でものを言わせようとする姿は民の模範になりません」
「……あえて、あの惨劇を招いたと言うのですか」
 低く唸るアドナの体から、炎の色のオーラが立ち上る。
「怖い顔をされないでください。……王妃様がそうお望みなのです」
 最後に小声で囁かれ、アドナは思いも寄らない人からの圧力に瞠目した。
「王妃陛下が……」
 あまりのショックに、アドナは眩暈を覚えた。
「……王子殿下を王に据えるおつもりなのか」
「どう……でしょうね?」
 怒りを押し殺したアドナの声に、ヘイゲスは窓の方を見て楽しげに呟く。
「まさか……」
 ヘイゲスの整った横顔、長い睫毛。高い鼻梁。貴族の女性たちが騒ぐ美貌を見て、アドナは嫌な予感がした。
 思えばヘイゲスは宰相という役職柄、王家の近くにいることが多い。
 その過程でもしも彼が王妃と通じ、王を亡き者とする計画を企てていたら――?
 もしその野望が果てしなく、カンヅェルを越えて自身が王になるなどという、大それたことを考えていたら――?
「……っ」
 あまりの無礼に、アドナは怒りを燃やした。
「ヘイゲス殿。あなたを生かしておけない」
 立ち上がったアドナの巨躯を見上げ、それでもヘイゲスは余裕の表情だ。
「……将軍。あなたの新妻は可愛らしいですね?」
 目を細め、可愛らしい猫の話でもしているような声音に、アドナはゾッと背筋を震わせた。
「……あなたは……」
「将軍の新妻の腹には、新しい命が宿っているそうですね? そのためには、将軍という地位も健康な体も、母体も大切にしなければなりませんね」
 豪奢なソファに座ったままの優男を前に、幾つもの武勲がある将軍はピクリとも動くことができなかった。
 ファイアナの土地は暑く、外には昼間の陽炎が立つほどの気温を告げる虫が鳴いている。だというのに、アドナはとても寒く体が震えるほどの思いをしていた。
「……私に、どうしろと……?」
 猫の一歩のように、ひたりと静かにアドナが問う。
「まずは、お座りください。あなたのように逞しい方に目の前で立たれると、何やら脅されているように圧倒されてしまいます」
 自分がアドナを脅している癖に、ヘイゲスは白々しいことを言う。
「失礼……しました」
 ヘイゲスの言うことを聞いて腰を下ろしたこの時から、アドナは自分の今後をすべて予測した。誇り高い戦士が、卑劣な貴族の傀儡となるのだ。
 戦士としての矜持を持って生きていたアドナには、この上ない屈辱だ。
 自分一人なら思いのまま行動できたとしても、妻とこれから生まれる子供を巻き込めない。
「すべては王妃様の御心のままに、私は動いております。王妃様は『あの時』爆心地で何があったのか、真実を明かすことを望まれておりません」
「……なぜ……」
「陛下が女性を理由に暴言や乱暴をし、和平のテーブルをかき乱したとなればファイアナが不利になります。あくまで我が国は王をウィンドミドルの王に殺された、被害ある国です。戦争は亡き王の意志を継いで続けられ、我が国の悲願はウィンドミドルの北部を我が領土とすることです」
 目を細めたヘイゲスを、アドナは化け物でも見るような目で凝視する。
「……王妃陛下がそのようにお望みなのか?」
 震えるアドナの言葉に、ヘイゲスは散歩のコースを告げるような声で応える。
「……戦争が続けば、いずれカンヅェル殿下が前線に出ることもあるでしょうね。殿下は陛下に似て、非常に色欲がお強くいらっしゃる。独り身の殿下にもしものことがないよう……。将軍はその身をかけてお守りくださいね」
 ニッコリと微笑んだヘイゲスの顔を見て、アドナは世界が崩れてゆく音を聞いた気がした。
「私はともかく……殿下まで亡き者にするおつもりか?」
「あぁ……。将軍は言葉が悪くていけませんね。私は事故が起こらないよう、宜しくお願い致します。と申し上げているのです」
「…………」
 金色がかった赤銅色の目を伏せ、アドナはまだ十八歳の王子を思う。
 父のメレルギアによく似た外見で、奔放な性格だ。気分屋で女好き。文武に秀でているが、特にその才能をどこかに発揮しようとはしていない。
 磨けば誰よりも光る王の器だというのに、彼は自身の野心を持たないがために、知らない場所で利用されようとしている。
「いいですか? 将軍。口は災いの元です。将軍はともかく、奥方や生まれた子の周囲にどのような人間がいるか分かりませんからね」
 そこでヘイゲスは立ち上がり、窓辺に歩いて行く。
 窓から差し込む光が、絨毯の上にヘイゲスの細長い影を落とした。
「早く平和になった治世で、望む未来を見たいものです」
 庭園を見下ろして、ヘイゲスは歌うように呟く。
(お前の言う『望む未来』は、陛下も殿下も亡き者にした後、自分が王座についた未来だろうが……!)
 内心でそう毒づくも、人質を取られたアドナは何も言うことができなかった。
 やがてヘイゲスの言葉を裏付けるように、アドナの妻は王妃から目をかけられ懇意になっていった。
 アドナが口を酸っぱくして辞退するように言っても、人のいい妻は「ありがたいことです」と王妃を疑おうとしない。
 そのようにして、アドナは沈黙の誓いを立てるようになったのだ。
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