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なあ、と隣の健に話を振る。なんだよと返し、彼は軽くビールのジョッキを煽って。
「……ある日、突然さあ。特定の人間が、やたらかわいく見えるのってなんだと思う?」
そして、俺の言葉を聞くなり盛大に吹き出した。
「うわなんだよ汚ねえな。すいませーんおしぼり下さい大量に」
居酒屋の、少し広い個室。比較的年の近い同僚たちで集まっての、少しばかり早い忘年会の最中だ。俺が声を張り上げると、テーブルのそこここからおしぼりが飛んでくる。
咳込む健に水を渡してやり、汚れたテーブルを拭き取った。幸い、口の中にあったのはそれほど多い量ではなかったようで、飛んできたおしぼりだけでも事足りる。
「な、なんっ、だよ、急にっ」
「こっちの台詞だっつーの。大丈夫かよ」
げほげほと咳込む健の背中を軽くさすってやると、てめぇのせいだろうがと睨まれた。
「唐突すぎんだよ。あーびっくりしたもう一杯水くれ」
「俺のせいかよ。ほら水」
言われた通りに、空いていたグラスへピッチャーの水を入れてやる。
一気にそれを飲み干して、彼は深いため息をついた。
「いきなり色恋沙汰の話持ち出すなよ」
「は?」
「は?じゃねぇっつーの。今の話だ今の話」
どん、と乱雑に空のグラスをテーブルに置く。
「特定の誰かさんがかわいく見えるんだろ?」
「おう」
「今までなんとも思ってなかったのに、急に何もかもがかわいいと」
「……おう」
「どう考えてもお前好きだろ、その誰かさんが」
「……は?」
同じ言葉を間抜けな顔で吐いて。それから、俺は自分が何を言ったのかをいまさらながら理解し、顔が一気に熱くなった。
残っていた、綺麗なおしぼりを開いて顔面に当てる。ひんやりしたそれが、少しでも熱を冷ましてくれることを期待して。
「で、どこの誰だよ?そんな珍しい姿のお前、面白ぇな」
「いや、その……だな」
「なんだぁ?長い付き合いの俺にも言えねぇってかぁ?」
眼鏡の奥の両目が、ぎらりと光った。
「おねーさーん!こっちビール追加で!」
「んだよもう飲まねえよ!やめろ!」
「うるせぇ飲め!吐くまで飲め!どこの誰だ!」
どっちの意味でだよと思いつつも、時すでに遅し。オーダーは通り、目の前に置かれたジョッキをやけくそで煽った。
「飲んでますかぁ?」
「見ての通り!飲まされてます!」
テーブルの向こうからかけられた声にすら、同じようにやけくそで答える。
くすくすと笑うその同僚は、今年赴任してきたばかりで現代文を担当している女性だ。彼女はおもむろに立ち上がったかと思うと、健とは反対側の俺の横に座りなおした。
にやついた健がそっと離れていく。正直、面倒だなと息を吐いた。
「ね、野下先生。よかったら抜けて静かなところで飲み直しません?」
お約束の誘い文句だ。ちら、と横目で彼女を見る。
ふわふわとした長い髪に、体の線をしっかり意識させるようなニット。スタイルに自信があるんだろうな、と思わせるタイトスカートから覗く足は、確かに綺麗だと思った。
薄く色づいた唇をはじめとした、控えめな化粧も好印象。だけど。
「あー……すみません、俺明日早いんで」
「あら、お休みですよね?」
「ええ、まぁ。そうなんですけど、ちょっと実家のほうに用事があって、朝早く出ないといけないんですよ」
あくまで、お誘いは嬉しいんですけど、という空気は壊さないようにふるまう。にこりと微笑んで、けれどもそれ以上は立ち入るなと牽制も込めて。
「……そうですか、残念です」
「すみませんね」
柔和な笑顔を張り付けたまま、ジョッキを傾けた。彼女がそれじゃ、と席を立ったのを見計らって、健が戻ってくる。
「断ったのかよ、めずらし」
「人聞き悪いこと言うな。同じ職場で遊ぶほど馬鹿じゃねェよ」
「……俺、別に遊びだなんてひとっことも言ってねぇけど。真面目にお付き合いするっていう選択肢はねぇのかよ」
「あ」
墓穴を思い切り堀った気がした。
「なんだよお前、マジじゃん」
「マジって、何がだよ」
「さっき言ってた、そのかわいく見える誰かさんにマジ惚れしてんじゃねぇの?」
ぽかん、と勝手に口が開いて。呆然とするあまり、手から滑り落ちそうになったジョッキを慌てて支える。
「……顔、真っ赤だぞ」
「いや、いやいやいや、いや」
「……往生際悪ぃなぁ。お前絶対その誰かのこと、本気で好きなんだって。じゃなきゃそんな顔するなよ」
「どんなだよ……」
「そこそこ長い付き合いの俺も、見たことねぇような顔だよ」
笑いながら言って、ほれ、とおしぼりを顔面にぶち当てられた。
「いやいやいやいや」
独り言が暗い部屋の中に漂う。
なんとか潰れる寸前で飲み会を脱出して、帰宅したのが五分前。
着替えるのも風呂に入るのも億劫で、スーツ姿のままベッドに寝転んだ。
ネクタイだけは外し、下に落とす。このまま寝てしまおうか、風呂は明日の朝でいいか、なんてことを考えていると、また不意に健の言葉が頭をよぎっていった。
「待て待て男だぞ?あんな細っこくて色白で照れ屋ですぐ顔赤くして抱きしめるとなんかいい匂いがしたって」
自分で言ってて阿呆かと思う。
両手を上に伸ばし、その手を軽く動かした。確か、このぐらいの肩幅で。このぐらいの厚みで、さらさらの髪がここにあって。
震えていた両手。泣かない、と虚勢をはる声。赤くなった耳。柔らかく笑う両目。
「……嘘だろ」
そんなことを思い出していると、酔っているにも関わらず――いや、酔っているからなのかわからないが、俺の下半身はしっかり主張を始めていた。
多少のためらいはありながらも、自分のそれに手を伸ばす。ベルトを外す音がやけに大きく聞こえた。
『……先生』
耳から離れてくれない、あの声。演奏を褒めたときの、赤くなった顔を頭の中で何度も反芻しながら、固くなったそれを擦る。
あの、しっかりと着込んだ制服を一枚一枚剥がしてやりたい。ただでさえ俺を揺さぶるあの目を蕩かせて、泣かせてやりたい。
そんな、けして綺麗だとは言えない思いを抱いたまま、どろりとした白濁が手の中を汚す。
はあ、と息を吐いて。それを枕元のティッシュで拭き取り、ゴミ箱に放り込んだ。
俺の、この中身も。それと一緒くたに捨てられればいいのに、と思いながら。
定期テストの週で助かった、と思う。
廊下で遭遇してもまともに顔が見れないと言うのに、授業なんてできる気がしない。
一度試験監督で教室には行ったが、なんとか全力で誤魔化した。
「先生さよならー」
「おう気をつけてなぁ」
無事にテストも終わり、明日からは休みに入る。そうしたら、しばらくは顔を合わせないで済むし、その後は終業式を挟んで冬休みだ。
テストから解放された生徒たちを見送って、職員室へと戻った。子供たちは終わりだが、俺たちにはこれからまだ採点という仕事が山になっている。
「ほれ」
「サンキュ」
いつものように、健がコーヒーをくれたので礼を言って受け取った。
「で、どうよ?そのかわいい誰かさんとは」
「……どうもこうもならねえよ」
俺は教師で、あいつは生徒で、しかも男同士で。
一口飲んで息を吐くと、呆れた顔の健に背中を叩かれた。
「痛えな」
「ったく、つまんねー顔しやがって。いーだろ、好きなんだから好きにしろよ」
「そういうわけにいかねえから、どうもする気もないっつってんだよ」
言葉は乱暴だし、からかっているような物言いだけれども。その表情から、本当に心配してくれているのはわかる。悪いな、と小さくつぶやいた。
微妙な顔になった健が、自分の席に引き上げていって。俺は俺で、採点の作業を再開する。
しばらくして顔をあげると、日が傾き始めていた。そろそろ帰らなくては、と思う。
「あ」
帰り支度をしようかと思って引き出しを開けると、写真部の生徒から預かったフィルムが転がり落ちてきた。
それを手に取り、少し考える。子供たちがテスト休みに入れば、俺たちも基本的には休みだ。
次に会うのは終業式で、そこを逃すと現像することはできないし、現像した物を渡すこともできない。
「……まあ、まだ時間的には早いからいいか……仕方ないか、忘れてたのは俺だしな」
独り言をつぶやいて立ち上がると、俺は暗室と社会資料室の鍵を手に取った。
音楽室の鍵は、所在無さげに揺れている。
こんなもんかな、と。現像が終わった写真を並べ、一通り眺めた。
多分に俺の趣味が詰まった部活だけれど、それぞれの部員たちが好きだと思う物を撮って。それをこうして目にできるというのは、悪くない。
今度何かに応募させてみるか、なんて考えながら乾燥にかけることにした。
「あー……もう暗くなっちまったか」
遮光が必要な作業はもう終わったからと、カーテンをめくる。外は暗く、何なら雨まで降りだしていた。
ツイてない、とため息を吐く。もう今日の夕飯はコンビニだな、なんてことを考えていると、暗室のドアを叩く音がした。
いい加減帰れってことか、とか。同僚の誰か、健とかかな、とか。そんなことを思いつつ、無防備に扉を開ける。
「もう真っ暗だよ、先生」
「っ……」
眉尻を下げ、首を傾げるその姿は、俺が今一番視界に入れてはいけない相手だ。
「なんで」
「んと、頼まれました。いつまでも帰る気配がないから、って」
誰に、という言葉を飲み込む。
「……面倒かけたな」
「別に?いつかと逆だね」
屈託のない笑顔で、圭が言った。
どう、思うんだろう。懐いている相手が、こんな汚い感情を腹のうちに納めていると知ったら。
「で、お前はこんな時間まで何してたの」
「テスト終わったし、練習。で、雨が降ってきたから切り上げて、職員室に鍵返しに行ったら、ここの鍵がまだ戻ってきてないからって」
「そうか」
俺は普通に話せているだろうか。
「僕も、さぁ。先生と話したいなぁって思ってたし」
「え?」
ずい、と圭が俺の体を押し込む。意外と強いその腕の力に驚きながら、数歩下がった。
圭の背中のその向こうで、扉が閉まる。
「……ねぇ。僕、先生になんかした?」
頭の中が痺れるような気がした。
「ずっと、避けてたよな?定期テストの、期間中」
「そ、れは」
「僕、けっこうあんたのこと好きなのに。そりゃ先生だって人だから、生徒の好き嫌いだってあるだろうけどさ」
視線を落ち着きなく彷徨わせる。細い太ももの前で握った拳が、震えているのが見えた。
「そ、そりゃ、僕は、さぁ。友達の龍太とかみたいに頭がいいわけじゃ、ねぇけど。あんたの、亮吾先生の授業、けっこう、がんばったんだよ。テストも」
「……なあ、お前、それわざとやってんの?」
そんなわけはない。わけはないのに、頭の中をみっともない嫉妬がぐるぐると巡る。
――俺が目の前にいるのに。他の男の名前を出さなくてもいいだろう、と。
圭が龍太、と呼ぶ友人のことは知っていた。リーダーシップに溢れ、友達思いで。とにかく目立つし、俺たちとしても頼りになる生徒だということも。
でも、だから。余計に嫉妬の火が燃え上がって、消えてくれそうにない。こいつの、圭の隣に、何の負い目もなく堂々といられる同級生の友人に。
俺の言葉に、何を言われているのかおそらく理解していない圭の目が上げられる。
「こっち、きて」
「……え……」
俺の声に戸惑いを全面に映した表情に、若干の後悔が湧き上がってきた。だけどきっと、こいつはこのぐらいしないとわからない。
震えの止まった手。その手首を思い切り掴み、少しの距離を引き寄せる。バランスを崩した細い体を受け止めて、何か言いたげに動いたその口を塞いだ。
びく、と肩が跳ねる。驚きに開かれたままのそこから舌を入れて、これでもかと中を蹂躙して。
背中を指先でなぞれば、くぐもった声を漏らす。そんなものに夢中になって、何度も角度を変えては余すところなく、圭の口腔を犯した。
「っ……は、ぅ……っ」
力の入らない体が、俺に体重を預けてくる。それを引きはがし、すぐ近くの机に寄りかからせた。
「……こういうことになるから、避けてた」
「せ、んせ」
「頼むから、帰れ。今すぐ、俺の前から――」
突然、近くで轟音が鳴り響く。
二人して一瞬飛び上がり、圭は猫のように身を竦ませ。俺はカーテンを開けて窓の外を見た。
轟音の原因は、光る空のせいだ。雨が強くなっているにも関わらず、そこらじゅうで雷が響いている。
カーテンを閉めて、元の位置に戻ると、その場にしゃがみ込んだ圭がいた。
「なに、お前……雷、苦手なの?」
「と、ととと、得意な、ひと、なんて、いんの?!」
光は暗室のカーテンで遮断できているものの、響く轟音はそうはいかない。どこかに落ちたんじゃないかと思うような音が聞こえるたびに、びくびくと体を震わせている。
それを見ていると、かわいいという感情が膨れ上がってきて。同時に、さっきまでの毒気はどこかへ抜かれてしまったようで、手近な椅子を引き寄せるとそれに腰を下した。
「なぁ、圭」
「な、なな、なに」
「なにって、さっき俺にされたこと忘れた?」
雷に怯えつつも、不思議そうな目が俺を見上げる。一瞬のあと、ぼっと音がしたんじゃないかっていうぐらい、顔が真っ赤に染まった。
「あ、あの、え、っと」
「悪い、先言わせて。俺、どうもお前のことが好きになってたっぽいわ」
え、という形に固まった口。衝動的とはいえ、それに触れたことを思うだけで立ち上がれなくなりそうで、足を組み替えた。
「……別に、何か期待してるわけじゃないから。ただ、言わないとなんで俺がお前を避けてんのかわかんねえだろ」
「それ、はっ」
「さっきみたいに、口塞いでさ。逃げられないように強く抱きしめて、背中撫でて。んで、その制服全部丁寧に剥ぎ取って押し倒して、全身くまなく触りたいし」
呆然とした赤い顔が、俺を見つめる。それもかわいい、なんて思ってしまうんだから重症だ。
「いいとこ探して気持ちよくさせて泣かせて縋らせて、わけわかんなくしてやりたい。声が枯れるまで喘がせて――」
「な、なななな、なに言って、なに言ってんの?!」
「なにって、俺の本音」
一定の距離を空けて、触れないように。必死に理性を総動員し、続ける。
「軽蔑するだろ?先生面して、頭の中じゃそんなことばっか考えてる」
「……い、いま、も……?」
「当然。じゃなきゃあんなキスするかよ」
はあ、とため息で何かを逃がし、乾燥の終わった写真を手に取った。
「だからもう近づくな。帰れ」
「……ぼ、僕」
「このまま、こんな狭くて暗い部屋にいたら本当に何するかわかんねえぞ」
そう言ってはみるけれど。圭はその場にぺたんと座り込んだまま、俺を睨みつけてくる。
その震える涙目が煽ってくるのに、わかってないっていうのは厄介だ。
「た、たてな……」
小さな声が聞こえた。え、と問い返す。
「さ、さっき、の、雷で……腰、ぬけて、立てない」
「……マジか」
「そ、それ、に、あの、えっと、その」
もごもごと口の中で何やらつぶやくから、椅子から下りて近寄った。
みないで、というさらにか細い声。何を、と思いながら視線を動かす。それは、暗い中でもすぐにわかってしまった。
「……お前、どんだけ食われてえの」
「ち、ちが、っ」
「俺がお前をどうしたいかって言ったよな?で、なにこれ」
「っ、ひ、うっ」
制服のズボンを押し上げる、勃ち上がった圭自身を指先で撫でる。びくりと跳ねて、俺の腕を弱々しく掴んだ。
「ち、ちが、っ、ちがく、て、せんせい、が、あんなこと、言うから、っ」
「……ふーん?なに、想像した?」
「あ、ぅあ、っ、だ、だめ、手、だめっ」
少しの動きにすら、びくびくと反応を返すから。このまま押し倒して既成事実でも作ってやろうかと思う。
一応それは思うだけにしておいて、耳元に唇をよせ囁いた。
「どっちにしたって、まだ雷治まってないしな。帰れないだろ」
「っあ、ああっ!」
ベルトを緩め、前を寛げる。腰上げて、と低く言えばできない、と返ってきた。
どうやら、腰が抜けているのは本当らしい。苦笑して、もう片方の手で軽く持ち上げてやる。
ズボンと下着を一緒にずらすと、とろりと透明な雫を零すそれが震えた。
「や、だ……みない、で」
「何言ってんだお前。見るに決まってんじゃん」
「な、んで、や、っ」
「……悪い。挿れたりしない、から……」
手を貸して、と言えばおずおずと差し出される。
「サンキュ……ん、っ、そう、一緒に、握って」
「え、あ、ぁうっ、あ、あぁっ」
圭のそれを目の当たりにして、痛いぐらいに固くなった俺自身を擦り合わせた。
「んっ、あ、あぁ、っ……あ、つぃ、っ……」
「……ああ、熱いな」
「せん、せの……あつぃ……っ」
涙の膜が浮いて、とろけた両目が俺を見る。止まらなくなりそうで、これだけ、もう少しだけ、と近づいた唇を重ねた。
「ふ、ぅう、う、ぁあっ」
「っ、は……やばい、出る」
「あ、う……も、もう……むり、っ」
濡れた音は、雨と雷のそれにかき消されるはずなのに。はっきりと俺の耳に届いて、否応なく手の動きを速めてしまう。
「あ、ぁあ、あああっ!」
「っ、く、あ……っ」
びく、と。一瞬先に絶頂を迎えた圭の体が仰け反って、腰が突き出されて。その動きに誘われるように、俺もその薄い腹へと欲を吐き出した。
「……ある日、突然さあ。特定の人間が、やたらかわいく見えるのってなんだと思う?」
そして、俺の言葉を聞くなり盛大に吹き出した。
「うわなんだよ汚ねえな。すいませーんおしぼり下さい大量に」
居酒屋の、少し広い個室。比較的年の近い同僚たちで集まっての、少しばかり早い忘年会の最中だ。俺が声を張り上げると、テーブルのそこここからおしぼりが飛んでくる。
咳込む健に水を渡してやり、汚れたテーブルを拭き取った。幸い、口の中にあったのはそれほど多い量ではなかったようで、飛んできたおしぼりだけでも事足りる。
「な、なんっ、だよ、急にっ」
「こっちの台詞だっつーの。大丈夫かよ」
げほげほと咳込む健の背中を軽くさすってやると、てめぇのせいだろうがと睨まれた。
「唐突すぎんだよ。あーびっくりしたもう一杯水くれ」
「俺のせいかよ。ほら水」
言われた通りに、空いていたグラスへピッチャーの水を入れてやる。
一気にそれを飲み干して、彼は深いため息をついた。
「いきなり色恋沙汰の話持ち出すなよ」
「は?」
「は?じゃねぇっつーの。今の話だ今の話」
どん、と乱雑に空のグラスをテーブルに置く。
「特定の誰かさんがかわいく見えるんだろ?」
「おう」
「今までなんとも思ってなかったのに、急に何もかもがかわいいと」
「……おう」
「どう考えてもお前好きだろ、その誰かさんが」
「……は?」
同じ言葉を間抜けな顔で吐いて。それから、俺は自分が何を言ったのかをいまさらながら理解し、顔が一気に熱くなった。
残っていた、綺麗なおしぼりを開いて顔面に当てる。ひんやりしたそれが、少しでも熱を冷ましてくれることを期待して。
「で、どこの誰だよ?そんな珍しい姿のお前、面白ぇな」
「いや、その……だな」
「なんだぁ?長い付き合いの俺にも言えねぇってかぁ?」
眼鏡の奥の両目が、ぎらりと光った。
「おねーさーん!こっちビール追加で!」
「んだよもう飲まねえよ!やめろ!」
「うるせぇ飲め!吐くまで飲め!どこの誰だ!」
どっちの意味でだよと思いつつも、時すでに遅し。オーダーは通り、目の前に置かれたジョッキをやけくそで煽った。
「飲んでますかぁ?」
「見ての通り!飲まされてます!」
テーブルの向こうからかけられた声にすら、同じようにやけくそで答える。
くすくすと笑うその同僚は、今年赴任してきたばかりで現代文を担当している女性だ。彼女はおもむろに立ち上がったかと思うと、健とは反対側の俺の横に座りなおした。
にやついた健がそっと離れていく。正直、面倒だなと息を吐いた。
「ね、野下先生。よかったら抜けて静かなところで飲み直しません?」
お約束の誘い文句だ。ちら、と横目で彼女を見る。
ふわふわとした長い髪に、体の線をしっかり意識させるようなニット。スタイルに自信があるんだろうな、と思わせるタイトスカートから覗く足は、確かに綺麗だと思った。
薄く色づいた唇をはじめとした、控えめな化粧も好印象。だけど。
「あー……すみません、俺明日早いんで」
「あら、お休みですよね?」
「ええ、まぁ。そうなんですけど、ちょっと実家のほうに用事があって、朝早く出ないといけないんですよ」
あくまで、お誘いは嬉しいんですけど、という空気は壊さないようにふるまう。にこりと微笑んで、けれどもそれ以上は立ち入るなと牽制も込めて。
「……そうですか、残念です」
「すみませんね」
柔和な笑顔を張り付けたまま、ジョッキを傾けた。彼女がそれじゃ、と席を立ったのを見計らって、健が戻ってくる。
「断ったのかよ、めずらし」
「人聞き悪いこと言うな。同じ職場で遊ぶほど馬鹿じゃねェよ」
「……俺、別に遊びだなんてひとっことも言ってねぇけど。真面目にお付き合いするっていう選択肢はねぇのかよ」
「あ」
墓穴を思い切り堀った気がした。
「なんだよお前、マジじゃん」
「マジって、何がだよ」
「さっき言ってた、そのかわいく見える誰かさんにマジ惚れしてんじゃねぇの?」
ぽかん、と勝手に口が開いて。呆然とするあまり、手から滑り落ちそうになったジョッキを慌てて支える。
「……顔、真っ赤だぞ」
「いや、いやいやいや、いや」
「……往生際悪ぃなぁ。お前絶対その誰かのこと、本気で好きなんだって。じゃなきゃそんな顔するなよ」
「どんなだよ……」
「そこそこ長い付き合いの俺も、見たことねぇような顔だよ」
笑いながら言って、ほれ、とおしぼりを顔面にぶち当てられた。
「いやいやいやいや」
独り言が暗い部屋の中に漂う。
なんとか潰れる寸前で飲み会を脱出して、帰宅したのが五分前。
着替えるのも風呂に入るのも億劫で、スーツ姿のままベッドに寝転んだ。
ネクタイだけは外し、下に落とす。このまま寝てしまおうか、風呂は明日の朝でいいか、なんてことを考えていると、また不意に健の言葉が頭をよぎっていった。
「待て待て男だぞ?あんな細っこくて色白で照れ屋ですぐ顔赤くして抱きしめるとなんかいい匂いがしたって」
自分で言ってて阿呆かと思う。
両手を上に伸ばし、その手を軽く動かした。確か、このぐらいの肩幅で。このぐらいの厚みで、さらさらの髪がここにあって。
震えていた両手。泣かない、と虚勢をはる声。赤くなった耳。柔らかく笑う両目。
「……嘘だろ」
そんなことを思い出していると、酔っているにも関わらず――いや、酔っているからなのかわからないが、俺の下半身はしっかり主張を始めていた。
多少のためらいはありながらも、自分のそれに手を伸ばす。ベルトを外す音がやけに大きく聞こえた。
『……先生』
耳から離れてくれない、あの声。演奏を褒めたときの、赤くなった顔を頭の中で何度も反芻しながら、固くなったそれを擦る。
あの、しっかりと着込んだ制服を一枚一枚剥がしてやりたい。ただでさえ俺を揺さぶるあの目を蕩かせて、泣かせてやりたい。
そんな、けして綺麗だとは言えない思いを抱いたまま、どろりとした白濁が手の中を汚す。
はあ、と息を吐いて。それを枕元のティッシュで拭き取り、ゴミ箱に放り込んだ。
俺の、この中身も。それと一緒くたに捨てられればいいのに、と思いながら。
定期テストの週で助かった、と思う。
廊下で遭遇してもまともに顔が見れないと言うのに、授業なんてできる気がしない。
一度試験監督で教室には行ったが、なんとか全力で誤魔化した。
「先生さよならー」
「おう気をつけてなぁ」
無事にテストも終わり、明日からは休みに入る。そうしたら、しばらくは顔を合わせないで済むし、その後は終業式を挟んで冬休みだ。
テストから解放された生徒たちを見送って、職員室へと戻った。子供たちは終わりだが、俺たちにはこれからまだ採点という仕事が山になっている。
「ほれ」
「サンキュ」
いつものように、健がコーヒーをくれたので礼を言って受け取った。
「で、どうよ?そのかわいい誰かさんとは」
「……どうもこうもならねえよ」
俺は教師で、あいつは生徒で、しかも男同士で。
一口飲んで息を吐くと、呆れた顔の健に背中を叩かれた。
「痛えな」
「ったく、つまんねー顔しやがって。いーだろ、好きなんだから好きにしろよ」
「そういうわけにいかねえから、どうもする気もないっつってんだよ」
言葉は乱暴だし、からかっているような物言いだけれども。その表情から、本当に心配してくれているのはわかる。悪いな、と小さくつぶやいた。
微妙な顔になった健が、自分の席に引き上げていって。俺は俺で、採点の作業を再開する。
しばらくして顔をあげると、日が傾き始めていた。そろそろ帰らなくては、と思う。
「あ」
帰り支度をしようかと思って引き出しを開けると、写真部の生徒から預かったフィルムが転がり落ちてきた。
それを手に取り、少し考える。子供たちがテスト休みに入れば、俺たちも基本的には休みだ。
次に会うのは終業式で、そこを逃すと現像することはできないし、現像した物を渡すこともできない。
「……まあ、まだ時間的には早いからいいか……仕方ないか、忘れてたのは俺だしな」
独り言をつぶやいて立ち上がると、俺は暗室と社会資料室の鍵を手に取った。
音楽室の鍵は、所在無さげに揺れている。
こんなもんかな、と。現像が終わった写真を並べ、一通り眺めた。
多分に俺の趣味が詰まった部活だけれど、それぞれの部員たちが好きだと思う物を撮って。それをこうして目にできるというのは、悪くない。
今度何かに応募させてみるか、なんて考えながら乾燥にかけることにした。
「あー……もう暗くなっちまったか」
遮光が必要な作業はもう終わったからと、カーテンをめくる。外は暗く、何なら雨まで降りだしていた。
ツイてない、とため息を吐く。もう今日の夕飯はコンビニだな、なんてことを考えていると、暗室のドアを叩く音がした。
いい加減帰れってことか、とか。同僚の誰か、健とかかな、とか。そんなことを思いつつ、無防備に扉を開ける。
「もう真っ暗だよ、先生」
「っ……」
眉尻を下げ、首を傾げるその姿は、俺が今一番視界に入れてはいけない相手だ。
「なんで」
「んと、頼まれました。いつまでも帰る気配がないから、って」
誰に、という言葉を飲み込む。
「……面倒かけたな」
「別に?いつかと逆だね」
屈託のない笑顔で、圭が言った。
どう、思うんだろう。懐いている相手が、こんな汚い感情を腹のうちに納めていると知ったら。
「で、お前はこんな時間まで何してたの」
「テスト終わったし、練習。で、雨が降ってきたから切り上げて、職員室に鍵返しに行ったら、ここの鍵がまだ戻ってきてないからって」
「そうか」
俺は普通に話せているだろうか。
「僕も、さぁ。先生と話したいなぁって思ってたし」
「え?」
ずい、と圭が俺の体を押し込む。意外と強いその腕の力に驚きながら、数歩下がった。
圭の背中のその向こうで、扉が閉まる。
「……ねぇ。僕、先生になんかした?」
頭の中が痺れるような気がした。
「ずっと、避けてたよな?定期テストの、期間中」
「そ、れは」
「僕、けっこうあんたのこと好きなのに。そりゃ先生だって人だから、生徒の好き嫌いだってあるだろうけどさ」
視線を落ち着きなく彷徨わせる。細い太ももの前で握った拳が、震えているのが見えた。
「そ、そりゃ、僕は、さぁ。友達の龍太とかみたいに頭がいいわけじゃ、ねぇけど。あんたの、亮吾先生の授業、けっこう、がんばったんだよ。テストも」
「……なあ、お前、それわざとやってんの?」
そんなわけはない。わけはないのに、頭の中をみっともない嫉妬がぐるぐると巡る。
――俺が目の前にいるのに。他の男の名前を出さなくてもいいだろう、と。
圭が龍太、と呼ぶ友人のことは知っていた。リーダーシップに溢れ、友達思いで。とにかく目立つし、俺たちとしても頼りになる生徒だということも。
でも、だから。余計に嫉妬の火が燃え上がって、消えてくれそうにない。こいつの、圭の隣に、何の負い目もなく堂々といられる同級生の友人に。
俺の言葉に、何を言われているのかおそらく理解していない圭の目が上げられる。
「こっち、きて」
「……え……」
俺の声に戸惑いを全面に映した表情に、若干の後悔が湧き上がってきた。だけどきっと、こいつはこのぐらいしないとわからない。
震えの止まった手。その手首を思い切り掴み、少しの距離を引き寄せる。バランスを崩した細い体を受け止めて、何か言いたげに動いたその口を塞いだ。
びく、と肩が跳ねる。驚きに開かれたままのそこから舌を入れて、これでもかと中を蹂躙して。
背中を指先でなぞれば、くぐもった声を漏らす。そんなものに夢中になって、何度も角度を変えては余すところなく、圭の口腔を犯した。
「っ……は、ぅ……っ」
力の入らない体が、俺に体重を預けてくる。それを引きはがし、すぐ近くの机に寄りかからせた。
「……こういうことになるから、避けてた」
「せ、んせ」
「頼むから、帰れ。今すぐ、俺の前から――」
突然、近くで轟音が鳴り響く。
二人して一瞬飛び上がり、圭は猫のように身を竦ませ。俺はカーテンを開けて窓の外を見た。
轟音の原因は、光る空のせいだ。雨が強くなっているにも関わらず、そこらじゅうで雷が響いている。
カーテンを閉めて、元の位置に戻ると、その場にしゃがみ込んだ圭がいた。
「なに、お前……雷、苦手なの?」
「と、ととと、得意な、ひと、なんて、いんの?!」
光は暗室のカーテンで遮断できているものの、響く轟音はそうはいかない。どこかに落ちたんじゃないかと思うような音が聞こえるたびに、びくびくと体を震わせている。
それを見ていると、かわいいという感情が膨れ上がってきて。同時に、さっきまでの毒気はどこかへ抜かれてしまったようで、手近な椅子を引き寄せるとそれに腰を下した。
「なぁ、圭」
「な、なな、なに」
「なにって、さっき俺にされたこと忘れた?」
雷に怯えつつも、不思議そうな目が俺を見上げる。一瞬のあと、ぼっと音がしたんじゃないかっていうぐらい、顔が真っ赤に染まった。
「あ、あの、え、っと」
「悪い、先言わせて。俺、どうもお前のことが好きになってたっぽいわ」
え、という形に固まった口。衝動的とはいえ、それに触れたことを思うだけで立ち上がれなくなりそうで、足を組み替えた。
「……別に、何か期待してるわけじゃないから。ただ、言わないとなんで俺がお前を避けてんのかわかんねえだろ」
「それ、はっ」
「さっきみたいに、口塞いでさ。逃げられないように強く抱きしめて、背中撫でて。んで、その制服全部丁寧に剥ぎ取って押し倒して、全身くまなく触りたいし」
呆然とした赤い顔が、俺を見つめる。それもかわいい、なんて思ってしまうんだから重症だ。
「いいとこ探して気持ちよくさせて泣かせて縋らせて、わけわかんなくしてやりたい。声が枯れるまで喘がせて――」
「な、なななな、なに言って、なに言ってんの?!」
「なにって、俺の本音」
一定の距離を空けて、触れないように。必死に理性を総動員し、続ける。
「軽蔑するだろ?先生面して、頭の中じゃそんなことばっか考えてる」
「……い、いま、も……?」
「当然。じゃなきゃあんなキスするかよ」
はあ、とため息で何かを逃がし、乾燥の終わった写真を手に取った。
「だからもう近づくな。帰れ」
「……ぼ、僕」
「このまま、こんな狭くて暗い部屋にいたら本当に何するかわかんねえぞ」
そう言ってはみるけれど。圭はその場にぺたんと座り込んだまま、俺を睨みつけてくる。
その震える涙目が煽ってくるのに、わかってないっていうのは厄介だ。
「た、たてな……」
小さな声が聞こえた。え、と問い返す。
「さ、さっき、の、雷で……腰、ぬけて、立てない」
「……マジか」
「そ、それ、に、あの、えっと、その」
もごもごと口の中で何やらつぶやくから、椅子から下りて近寄った。
みないで、というさらにか細い声。何を、と思いながら視線を動かす。それは、暗い中でもすぐにわかってしまった。
「……お前、どんだけ食われてえの」
「ち、ちが、っ」
「俺がお前をどうしたいかって言ったよな?で、なにこれ」
「っ、ひ、うっ」
制服のズボンを押し上げる、勃ち上がった圭自身を指先で撫でる。びくりと跳ねて、俺の腕を弱々しく掴んだ。
「ち、ちが、っ、ちがく、て、せんせい、が、あんなこと、言うから、っ」
「……ふーん?なに、想像した?」
「あ、ぅあ、っ、だ、だめ、手、だめっ」
少しの動きにすら、びくびくと反応を返すから。このまま押し倒して既成事実でも作ってやろうかと思う。
一応それは思うだけにしておいて、耳元に唇をよせ囁いた。
「どっちにしたって、まだ雷治まってないしな。帰れないだろ」
「っあ、ああっ!」
ベルトを緩め、前を寛げる。腰上げて、と低く言えばできない、と返ってきた。
どうやら、腰が抜けているのは本当らしい。苦笑して、もう片方の手で軽く持ち上げてやる。
ズボンと下着を一緒にずらすと、とろりと透明な雫を零すそれが震えた。
「や、だ……みない、で」
「何言ってんだお前。見るに決まってんじゃん」
「な、んで、や、っ」
「……悪い。挿れたりしない、から……」
手を貸して、と言えばおずおずと差し出される。
「サンキュ……ん、っ、そう、一緒に、握って」
「え、あ、ぁうっ、あ、あぁっ」
圭のそれを目の当たりにして、痛いぐらいに固くなった俺自身を擦り合わせた。
「んっ、あ、あぁ、っ……あ、つぃ、っ……」
「……ああ、熱いな」
「せん、せの……あつぃ……っ」
涙の膜が浮いて、とろけた両目が俺を見る。止まらなくなりそうで、これだけ、もう少しだけ、と近づいた唇を重ねた。
「ふ、ぅう、う、ぁあっ」
「っ、は……やばい、出る」
「あ、う……も、もう……むり、っ」
濡れた音は、雨と雷のそれにかき消されるはずなのに。はっきりと俺の耳に届いて、否応なく手の動きを速めてしまう。
「あ、ぁあ、あああっ!」
「っ、く、あ……っ」
びく、と。一瞬先に絶頂を迎えた圭の体が仰け反って、腰が突き出されて。その動きに誘われるように、俺もその薄い腹へと欲を吐き出した。
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