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空中にいる魔王ベルグラと私の間にある距離は遠いが、その顔を見間違えるはずがない。
五百年以上たった今でも彼のことは鮮明に覚えている。
…だが、前世の記憶のベルとは少し違うようだった。
長かった長髪は短く切りそろえられていたが、違和感はそれだけではない。
優しげな微笑みを浮かべていた記憶の中の彼は現在、眉間に深いしわを刻みながら美しい顔を歪めていた。
黄金色の瞳を細めると、まるで外界の虫けらでも見下すように言葉を放つ。
「煩わしい羽虫どもめ」
吐き捨てるように言うとベルグラはチッと舌打ちをした。
私は聞き間違いかと思った。
(あのベルが…人間を羽虫扱い、だと…?)
平和主義で温厚な性格だったベルは虫も人も殺すのをためらうような青年だった。
羽虫にも命はあるのだから嫌ってやるなと言う側だったはずだが。
私は軽いショックを受けた。
「よほど滅ぼされたいらしいな?いいだろう。俺が相手をしてやる。指揮官はどこだ?」
地上にいる兵士たちを眺めた後、王家の旗を見つけると王族の鎧を身に着けたガレットへ狙いを定める。
ベルグラは赤い口元を釣り上げて笑った。
「その心臓をえぐり取って我が妻に捧げよう」
獰猛な笑みを浮かべると魔王ベルグラは腰に吊るした剣を引き抜く。
剣の柄も鞘も黒一色であり、引き抜かれたその刀身もまた黒く、鈍い輝きを反射していた。
(…あれは…魔剣クラディアか?)
あの剣をベルが扱うところなんて…私は式典以外ではあまり見たことはなかった。
人を斬るとしても、それは魔族を暗殺しようとした罪人ばかりであり、こんな戦場で扱うところを見るとは思わなかった。
初めての結婚記念日に私が送った物だ。
同時に魔王として君臨し、魔王ベルグラとして戴冠した祝いでもあった。
当時のベルはその魔剣を私から受け取った際、この剣に相応しい魔王になれるように大事にするとはにかみながら言った。
二千五百年以上前のことだ。
その剣を手に取ると、ベルグラは闇色狼から降りて空中に身を躍らせた。
(まずい)
普通の人間があの魔剣を受けとめるのは難しい。
私は瞬時にガレットのもとへ走った。
人間の足で間に合うかはわからなかったが。
「はへッ!?」
近衛騎士団の間をかいくぐり、私が懐に飛び込んでくるとガレットは間抜けな声を漏らす。
「失礼」
自らの手に持った剣を構えると、私は今から訪れる反動に備えた。
闇の魔法を扱うわけにはいかないため、術を扱うのはやめて、純粋に自分の魔力のみで補うしかない。
肉体の強化のために身体中の血に魔力を流し込んで内側を守ることにした。
自分の人間の肉体がどこまで持つかわからない。
それでもやるしかなかった。
ドオォォォッと爆発するような轟音が手元の剣にぶつかり、歯を食いしばって耐える。
風圧を受けただけで肌がチリチリと焦げるような嫌な感覚に襲われた。
「!」
目の前にベルグラがいた。
私の剣に彼の魔剣がぶつかると、その反動で両腕が軋んだ。
痛みで腕が持っていかれそうになる。
(ぐぅっ!)
思わず魔力で身体を強化したものの、このままでは腕が折れるのが先になるのではないのかと嫌な予感がした。
突然、私の手元が輝きを放つ。
何事かと思い剣の柄を見れば、刻まれた刻印が光り輝いている。
(これは)
剣の持ち主を守る加護が発動して、それ以上の痛みは肉体にやってこなかった。
私の体は無事だ。
(レゼル兄様ありがとう)
贈り物は大げさではなかった。
あなたの思いは私を守ってくれた。
おかげで少しだけでもベルと対話することができそうだ。
「フン。これを受け止めたか…虫にしてはよくやるな」
ベルグラが私を見据えて低い声音で呟いた。
正面から剣と剣を交えて睨み合いがはじまる。
私はここを動けない。
後ろを振り返ることは出来ないが、背面のガレットが尻餅をついて動けなくなっている気配がするから。
「殺すまでの猶予を与えてやろう。どうだ?泣きわめきながら命乞いをする準備でもしていろ」
「私を虫扱いとは見損なったぞ。命乞いをするつもりはない」
前世の私ならこんな事を言われた後なら、しばらく口を利かなくなっていただろう。
生まれ変わった後、顔を突き合わせた途端にこうなることは覚悟していたが、やるせない。
「ずいぶん態度がでかい虫だな?」
魔王は私を鼻先であざ笑う。
正面から向かい合っても、ベルは私のことには気がついていない。
(無理もないか)
魂の色と形を確認すれば一発でわかるのだが、魔王がいちいち人間の魂を確認するとは思えない。
「本当に君は魔王ベルグラで間違いないのだな?」
「この力を受け止めてもなお、俺が魔王であることを疑うのか?」
私の剣と彼の魔剣がぶつかったままギリギリと火花が散る。
魔族の力は人間が受け止められるものではない。
このまま押されたら確実に私が負ける。
それはわかっている。
だが、それでも確かめたかった。
「魔王の戦いの発端は常闇の魔女リアーネの死によるものなのか?」
その言葉にベルグラの眉がピクリと動く。
眉間のしわがこれでもかと深く刻まれると、口を開いた。
「知れたことを」
睨みを効かせてベルグラは言葉を放った。
「人間が俺から奪ったのだ!!!忘れたとは言わせない!!!」
「…。」
「いくつもの人間の心臓を捧げた!だが、足りない。戻ってこない!!俺はおいていかれたのだ!!!」
悲痛な彼の叫びは、前世の私が最後に聞いた声と全く同じものだった。
「あの日においていかれた者の気持ちなど、貴様には到底わからないだろうな!!人間!!!!」
「…あぁ」
そうだろう。
そうだろうな。
(私は何も知らなかった)
私は転生するまでの五百年間のことを何も知らなかった。
ベルはあの日から人間たちを恨み続けていたということがやっとわかったほどだ。
戦いの発端は紛れもなく前世の私の死であった。
怒り狂うベルを目の前にして、私は彼を待たせてしまったことに対する重大さを痛感していた。
政略結婚により長い道のりを二人で歩んできたが、決められた婚姻に振り回された彼がこれからの幸せを享受する権利はあると思っていた。
魔族と魔女の結婚が二千年続いたのだ。
それで十分じゃないか、と。
彼は今頃、自分で選んだ想い人でも見つけて、その魔族の手をとって愛を誓っているはずだ、などと、呑気に思っていた。
だが、そんな幸せなひと時など、彼には存在しなかったのだ。
彼が恨んでいるのは人間などではない。
ベルが本当に恨んでいるのは、人間ではなく。
―――――前世の私だったのだから。
五百年以上たった今でも彼のことは鮮明に覚えている。
…だが、前世の記憶のベルとは少し違うようだった。
長かった長髪は短く切りそろえられていたが、違和感はそれだけではない。
優しげな微笑みを浮かべていた記憶の中の彼は現在、眉間に深いしわを刻みながら美しい顔を歪めていた。
黄金色の瞳を細めると、まるで外界の虫けらでも見下すように言葉を放つ。
「煩わしい羽虫どもめ」
吐き捨てるように言うとベルグラはチッと舌打ちをした。
私は聞き間違いかと思った。
(あのベルが…人間を羽虫扱い、だと…?)
平和主義で温厚な性格だったベルは虫も人も殺すのをためらうような青年だった。
羽虫にも命はあるのだから嫌ってやるなと言う側だったはずだが。
私は軽いショックを受けた。
「よほど滅ぼされたいらしいな?いいだろう。俺が相手をしてやる。指揮官はどこだ?」
地上にいる兵士たちを眺めた後、王家の旗を見つけると王族の鎧を身に着けたガレットへ狙いを定める。
ベルグラは赤い口元を釣り上げて笑った。
「その心臓をえぐり取って我が妻に捧げよう」
獰猛な笑みを浮かべると魔王ベルグラは腰に吊るした剣を引き抜く。
剣の柄も鞘も黒一色であり、引き抜かれたその刀身もまた黒く、鈍い輝きを反射していた。
(…あれは…魔剣クラディアか?)
あの剣をベルが扱うところなんて…私は式典以外ではあまり見たことはなかった。
人を斬るとしても、それは魔族を暗殺しようとした罪人ばかりであり、こんな戦場で扱うところを見るとは思わなかった。
初めての結婚記念日に私が送った物だ。
同時に魔王として君臨し、魔王ベルグラとして戴冠した祝いでもあった。
当時のベルはその魔剣を私から受け取った際、この剣に相応しい魔王になれるように大事にするとはにかみながら言った。
二千五百年以上前のことだ。
その剣を手に取ると、ベルグラは闇色狼から降りて空中に身を躍らせた。
(まずい)
普通の人間があの魔剣を受けとめるのは難しい。
私は瞬時にガレットのもとへ走った。
人間の足で間に合うかはわからなかったが。
「はへッ!?」
近衛騎士団の間をかいくぐり、私が懐に飛び込んでくるとガレットは間抜けな声を漏らす。
「失礼」
自らの手に持った剣を構えると、私は今から訪れる反動に備えた。
闇の魔法を扱うわけにはいかないため、術を扱うのはやめて、純粋に自分の魔力のみで補うしかない。
肉体の強化のために身体中の血に魔力を流し込んで内側を守ることにした。
自分の人間の肉体がどこまで持つかわからない。
それでもやるしかなかった。
ドオォォォッと爆発するような轟音が手元の剣にぶつかり、歯を食いしばって耐える。
風圧を受けただけで肌がチリチリと焦げるような嫌な感覚に襲われた。
「!」
目の前にベルグラがいた。
私の剣に彼の魔剣がぶつかると、その反動で両腕が軋んだ。
痛みで腕が持っていかれそうになる。
(ぐぅっ!)
思わず魔力で身体を強化したものの、このままでは腕が折れるのが先になるのではないのかと嫌な予感がした。
突然、私の手元が輝きを放つ。
何事かと思い剣の柄を見れば、刻まれた刻印が光り輝いている。
(これは)
剣の持ち主を守る加護が発動して、それ以上の痛みは肉体にやってこなかった。
私の体は無事だ。
(レゼル兄様ありがとう)
贈り物は大げさではなかった。
あなたの思いは私を守ってくれた。
おかげで少しだけでもベルと対話することができそうだ。
「フン。これを受け止めたか…虫にしてはよくやるな」
ベルグラが私を見据えて低い声音で呟いた。
正面から剣と剣を交えて睨み合いがはじまる。
私はここを動けない。
後ろを振り返ることは出来ないが、背面のガレットが尻餅をついて動けなくなっている気配がするから。
「殺すまでの猶予を与えてやろう。どうだ?泣きわめきながら命乞いをする準備でもしていろ」
「私を虫扱いとは見損なったぞ。命乞いをするつもりはない」
前世の私ならこんな事を言われた後なら、しばらく口を利かなくなっていただろう。
生まれ変わった後、顔を突き合わせた途端にこうなることは覚悟していたが、やるせない。
「ずいぶん態度がでかい虫だな?」
魔王は私を鼻先であざ笑う。
正面から向かい合っても、ベルは私のことには気がついていない。
(無理もないか)
魂の色と形を確認すれば一発でわかるのだが、魔王がいちいち人間の魂を確認するとは思えない。
「本当に君は魔王ベルグラで間違いないのだな?」
「この力を受け止めてもなお、俺が魔王であることを疑うのか?」
私の剣と彼の魔剣がぶつかったままギリギリと火花が散る。
魔族の力は人間が受け止められるものではない。
このまま押されたら確実に私が負ける。
それはわかっている。
だが、それでも確かめたかった。
「魔王の戦いの発端は常闇の魔女リアーネの死によるものなのか?」
その言葉にベルグラの眉がピクリと動く。
眉間のしわがこれでもかと深く刻まれると、口を開いた。
「知れたことを」
睨みを効かせてベルグラは言葉を放った。
「人間が俺から奪ったのだ!!!忘れたとは言わせない!!!」
「…。」
「いくつもの人間の心臓を捧げた!だが、足りない。戻ってこない!!俺はおいていかれたのだ!!!」
悲痛な彼の叫びは、前世の私が最後に聞いた声と全く同じものだった。
「あの日においていかれた者の気持ちなど、貴様には到底わからないだろうな!!人間!!!!」
「…あぁ」
そうだろう。
そうだろうな。
(私は何も知らなかった)
私は転生するまでの五百年間のことを何も知らなかった。
ベルはあの日から人間たちを恨み続けていたということがやっとわかったほどだ。
戦いの発端は紛れもなく前世の私の死であった。
怒り狂うベルを目の前にして、私は彼を待たせてしまったことに対する重大さを痛感していた。
政略結婚により長い道のりを二人で歩んできたが、決められた婚姻に振り回された彼がこれからの幸せを享受する権利はあると思っていた。
魔族と魔女の結婚が二千年続いたのだ。
それで十分じゃないか、と。
彼は今頃、自分で選んだ想い人でも見つけて、その魔族の手をとって愛を誓っているはずだ、などと、呑気に思っていた。
だが、そんな幸せなひと時など、彼には存在しなかったのだ。
彼が恨んでいるのは人間などではない。
ベルが本当に恨んでいるのは、人間ではなく。
―――――前世の私だったのだから。
応援ありがとうございます!
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