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14. モーグーのワイン蒸しと……
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カガチはディスプレイクロークを使いこなせなかった。
ゴブリンたちの中には未熟ながら魔術師もいて、その者なら鏡面化の能力を発動させることもできたのだろうが、結局は当初の予定通りに、クダンがクロークを受け取って持ち帰ることになった。
もともとカガチの体格に合わせて作っていたこともあるし、
「少し思いついたことがある。それで上手くいかなかったら、また持ってくらぁ」
と、クダンがそう言ったからだ。
この村の住人はクダンが言えば、大抵のことは反対しないのだった。
クダンが純白の外套を持ち帰ると決めたところで、腹の虫を刺激する香気が広場近くの大きな小屋から漂ってきた。
その小屋は集会場として使えるように建てられたもので、十名くらいなら余裕で寛げる広さがあって、その広さに見合った土間がある。その土間で、ゴブリンたちが狩ってきたばかりのお化け菌肢類が調理されていたのだった。
「クダン様とカガチさんも食べていってくださいますよね」
ビアンカから誘われるまでもなく、カガチの腹が、獲れたての茸を食べるまで帰らないぞ、と唸りを上げた。
「あ、うぅ……!」
咄嗟に自分の腹を押さえたカガチの頭を、クダンがくしゃりと髪を混ぜるように撫でる。
「いいよ、食ってくか」
苦笑するクダンに、カガチは自分が師に催促してしまったみたいな気分になって、赤らめていた頬をますます赤くする。
「そうしていると親子ですね」
ビアンカが少しばかり悪戯っぽく頬笑むと、クダンは自分の顔をこんこんと指で叩いて、
「仮面の男が親父に見えるのか」
「……見えませんね」
ビアンカは、降参です、とばかりに掌を見せて肩を竦めた。
食事は、集会所ではなく、太陽が見下ろす広場のほうで振る舞われる運びになった。村周辺の哨戒を受け持ったゴブリンと男衆を除いた全員が集まると、さすがに集会場でも入りきらなかったからだ。
柔らかな茎や蔓で編んだ茣蓙が敷かれた上に、集まってきた村人たちが車座になって座る。
「わっ、わ……わわっ……!」
カガチが大興奮していた。
隣に座っていたクダンは、その様子を横目に見やって呟く。
「……ああ、そうか。うちじゃ、俺とスースとおまえの三人だけだもんな」
「んっ」
即座に頷いたカガチだったが、はっと気づいたようにクダンを見上げて、あわあわと弁解。
「さ、さっ、三人のご、ご飯もっ……た、楽しっ、よっ!」
「ん? ……ははっ、大勢で食うのに興奮したからって怒りゃしねぇよ。俺もこういう宴会みたいなのは、まあ……嫌いってわけじゃねぇからな」
「……?」
クダンの返事が微妙に歯切れの悪いものになったことに気づいたカガチは、クダンの顔を見上げたまま首を傾げる。そして、クダンの指がたぶん無意識に顔を撫でたのを見て、気がついた。
「あっ……」
クダンは仮面をしている。その仮面は卵形で、顔全体を覆っている。口元に穴が開いてはいるが、それは空気孔でしかなくて、不自由なく食事ができるほど大きくない。つまり、食事時には仮面を取らないといけないのだ。
カガチも、クダンが自分の顔を他人に見られるのを嫌っているらしいことは何となく察していた。でも、カガチ自身はクダンの顔を気にしたことがないし、クダンもカガチを気にして仮面を被ることはないために、すっかり失念していたのだった。もし覚えていたら、腹の虫がどれだけ不満の声を上げようとも、ビアンカに誘いを断っていただろう。
「ごっ、ごめ……なさい……か、仮面のこ、ことっ……かっ、考えてなくっ、て……」
「……仮面?」
首を傾げたクダンに、カガチは「食事時に仮面を外さなくてはならないことを考えてなかった」と告げて謝った。けれど、クダンの返答は、さもおかしそうな笑い声だった。
「はっはっ! 悪ぃな、勘違いさせちまって。ちぃと昔の嫌なことを思い出してただけで、仮面は関係ねぇんだ。ほら、食事用の替えもある」
クダンは身につけているゆったりした服の内側から、鼻から下が大きく開いた仮面を取り出し、素早く付け替えた。
「ここで食事に誘われたのは今日が初めてってわけじゃねぇからな。全部断るのはさすがに気が引けるから、こっちの仮面を用意するようになったんだ」
「……そ、でしたか」
カガチは澄まして答えたつもりだったが、勘違いしていた恥ずかしさで目元がほんのり赤らんでいた。クダンは気がつかないふりをしてやった。
そうこうしているうちに、料理が運ばれてくる。
筋骨隆々のゴブリンが両手に抱えて運んできたのは、ぶつ切りにされた茸の山盛りを載せて大皿だった。大皿はひとつではなく、同じ料理を載せたものがさらに三枚運ばれてきて、車座の中央にどん、どんっ、どどんっと置かれていった。
「ふっ、ふぁ!」
隣から聞こえてきた妙な歓声。クダンは横目でそちらを窺えば、カガチが慌てて口元を拭っているところだった。涎を垂らしかけていたようだった。
「まあ、分かんなくもねぇや」
大皿から漂ってくる爆発的な香気は、否応なく食欲を刺激する暴力だった。
分厚いステーキを三枚重ねしたような分厚さに切り分けられた茸肉が、大皿の上に煉瓦のごとく積み上げられていた。茸肉はどれも白く艶々と輝いている。とても燃えやすい身質のため、直火ではなく、蒸籠を使って白ワインで蒸し上げたのだ。
集会所の土間には、巨大な獲物を狩ってくることが多いというこの村の立地条件に合わせて、クダンが巨大な竈やら調理器具やらを用意していた。竈は魔石を使って火を作ることもできる豪華仕様で、薪をケチる必要もないという優れものである。魔石を使うためにいちいち呼ばれるゴブリン魔術師は少し大変そうだけど、それに見合うだけの便利な竈だった。
白ワインの仄かに甘い香りと、モーグー本来の野趣に富んだ香りとが渾然一体となって、居並ぶ村人たちの鼻を擽る。それは暴力的でもあり、同時に官能的でもあった。
田舎娘だったモーグーは白ワインの香りという都会の洗礼を受けて、手練手管を身につけた夜の蝶へと生まれ変わったのだ――そんな物語が脳裏を去来する香りだった。
「それでは――いただきましょう」
大皿のモーグーが全員の取り皿に分けられたところで、ビアンカが短く告げる。それを合図に、全員一斉に、弾かれたように食べ始めた。全員が全員、溢れる香りに中てられていたのだった。
「はぐっ、んんっ、んっ」
陶然とした顔で食べてるカガチ。閉じている唇の隙間から漏れてくる吐息が妙に艶めかしい。
蕩けた顔をしているのはカガチだけではない。ビアンカたち女性陣を始めとして、人間の男たちと、そもそも男しかいないゴブリンたちまでが揃って頬の皮を垂れ下がらせていた。
無論、クダンもその例に漏れていない。
「むはぁ……モーグー、久々に食ったが……はあぁ」
感想を口にしようとすると、胸いっぱいに満ちた旨味たっぷりの香気が言葉を蕩かせてしまって、ねっとりした吐息を漏らすことしかできなくなってしまう。
いかに巨大なお化け茸の肉とはいえ、ファットモーグーもつまるところは茸だ。肉とは全然、食べ応えが違う。肉だけが持つ、あのどっしりと胃袋を膨らませる存在感はない。しかしながら、程よい歯触りを感じさせながら、繊維に沿ってすっと噛み切られていくときの心地好さは、茸ならではの食感だ。
そして、噛み切った瞬間にぶわっと溢れる香りと旨味の小爆発。分厚い塊のまま蒸しているのに、モーグーの身には芯までしっかりワインの風味が染み入っている。
モーグーの中でもとくにファットモーグーはその巨大さから大味だろうと想像されるかもしれないが、そんなことはない。むしろ、その逆だ。巨大化していく過程で成熟された身の味は、尻尾が生える前よりもずっと濃厚で玄妙な味わいになるのだ。
ただし、モーグーの身をそのまま炙ったりしたのでは、ただの野趣が強い茸でしかない。火に弱いその身が燃えてしまわない程度の温度でじっくり芯まで熱を通すことで、強すぎる野趣がこくや甘みに変わって、旨味がいや増すことになるのだ。そのために、ビアンカたちは蒸すという料理法を選んだのだった。しかも、白ワインを惜しげもなく使って風味を染み込ませることで、野趣をさらに丸くさせることに成功していた。
強いて改善点を挙げるのならば、自家製ワインがもっと個性の強いもの、あるいはもっと上品なものであったならば、料理としての格は後ひとつ上がっていたことだろう。けれどもまあ、そこは現状、仕方のないところだ。酒の味にこだわれるほど、村での生活事情は余裕のあるものではないのだから。
「酒もいずれはどうにかしてぇな」
クダンは呟くと、ふっと小さく自嘲する。いま美味いものを食べて満ち足りていたところだというのに、その余韻がまだ舌に残っているうちからもう、他の美味いものを求めてしまっている。何もかも捨てて引き籠もったはずなのに、俺はどうしてこうも欲深いのか――クダンはそんなことを思ってしまったのだった。
ゴブリンたちの中には未熟ながら魔術師もいて、その者なら鏡面化の能力を発動させることもできたのだろうが、結局は当初の予定通りに、クダンがクロークを受け取って持ち帰ることになった。
もともとカガチの体格に合わせて作っていたこともあるし、
「少し思いついたことがある。それで上手くいかなかったら、また持ってくらぁ」
と、クダンがそう言ったからだ。
この村の住人はクダンが言えば、大抵のことは反対しないのだった。
クダンが純白の外套を持ち帰ると決めたところで、腹の虫を刺激する香気が広場近くの大きな小屋から漂ってきた。
その小屋は集会場として使えるように建てられたもので、十名くらいなら余裕で寛げる広さがあって、その広さに見合った土間がある。その土間で、ゴブリンたちが狩ってきたばかりのお化け菌肢類が調理されていたのだった。
「クダン様とカガチさんも食べていってくださいますよね」
ビアンカから誘われるまでもなく、カガチの腹が、獲れたての茸を食べるまで帰らないぞ、と唸りを上げた。
「あ、うぅ……!」
咄嗟に自分の腹を押さえたカガチの頭を、クダンがくしゃりと髪を混ぜるように撫でる。
「いいよ、食ってくか」
苦笑するクダンに、カガチは自分が師に催促してしまったみたいな気分になって、赤らめていた頬をますます赤くする。
「そうしていると親子ですね」
ビアンカが少しばかり悪戯っぽく頬笑むと、クダンは自分の顔をこんこんと指で叩いて、
「仮面の男が親父に見えるのか」
「……見えませんね」
ビアンカは、降参です、とばかりに掌を見せて肩を竦めた。
食事は、集会所ではなく、太陽が見下ろす広場のほうで振る舞われる運びになった。村周辺の哨戒を受け持ったゴブリンと男衆を除いた全員が集まると、さすがに集会場でも入りきらなかったからだ。
柔らかな茎や蔓で編んだ茣蓙が敷かれた上に、集まってきた村人たちが車座になって座る。
「わっ、わ……わわっ……!」
カガチが大興奮していた。
隣に座っていたクダンは、その様子を横目に見やって呟く。
「……ああ、そうか。うちじゃ、俺とスースとおまえの三人だけだもんな」
「んっ」
即座に頷いたカガチだったが、はっと気づいたようにクダンを見上げて、あわあわと弁解。
「さ、さっ、三人のご、ご飯もっ……た、楽しっ、よっ!」
「ん? ……ははっ、大勢で食うのに興奮したからって怒りゃしねぇよ。俺もこういう宴会みたいなのは、まあ……嫌いってわけじゃねぇからな」
「……?」
クダンの返事が微妙に歯切れの悪いものになったことに気づいたカガチは、クダンの顔を見上げたまま首を傾げる。そして、クダンの指がたぶん無意識に顔を撫でたのを見て、気がついた。
「あっ……」
クダンは仮面をしている。その仮面は卵形で、顔全体を覆っている。口元に穴が開いてはいるが、それは空気孔でしかなくて、不自由なく食事ができるほど大きくない。つまり、食事時には仮面を取らないといけないのだ。
カガチも、クダンが自分の顔を他人に見られるのを嫌っているらしいことは何となく察していた。でも、カガチ自身はクダンの顔を気にしたことがないし、クダンもカガチを気にして仮面を被ることはないために、すっかり失念していたのだった。もし覚えていたら、腹の虫がどれだけ不満の声を上げようとも、ビアンカに誘いを断っていただろう。
「ごっ、ごめ……なさい……か、仮面のこ、ことっ……かっ、考えてなくっ、て……」
「……仮面?」
首を傾げたクダンに、カガチは「食事時に仮面を外さなくてはならないことを考えてなかった」と告げて謝った。けれど、クダンの返答は、さもおかしそうな笑い声だった。
「はっはっ! 悪ぃな、勘違いさせちまって。ちぃと昔の嫌なことを思い出してただけで、仮面は関係ねぇんだ。ほら、食事用の替えもある」
クダンは身につけているゆったりした服の内側から、鼻から下が大きく開いた仮面を取り出し、素早く付け替えた。
「ここで食事に誘われたのは今日が初めてってわけじゃねぇからな。全部断るのはさすがに気が引けるから、こっちの仮面を用意するようになったんだ」
「……そ、でしたか」
カガチは澄まして答えたつもりだったが、勘違いしていた恥ずかしさで目元がほんのり赤らんでいた。クダンは気がつかないふりをしてやった。
そうこうしているうちに、料理が運ばれてくる。
筋骨隆々のゴブリンが両手に抱えて運んできたのは、ぶつ切りにされた茸の山盛りを載せて大皿だった。大皿はひとつではなく、同じ料理を載せたものがさらに三枚運ばれてきて、車座の中央にどん、どんっ、どどんっと置かれていった。
「ふっ、ふぁ!」
隣から聞こえてきた妙な歓声。クダンは横目でそちらを窺えば、カガチが慌てて口元を拭っているところだった。涎を垂らしかけていたようだった。
「まあ、分かんなくもねぇや」
大皿から漂ってくる爆発的な香気は、否応なく食欲を刺激する暴力だった。
分厚いステーキを三枚重ねしたような分厚さに切り分けられた茸肉が、大皿の上に煉瓦のごとく積み上げられていた。茸肉はどれも白く艶々と輝いている。とても燃えやすい身質のため、直火ではなく、蒸籠を使って白ワインで蒸し上げたのだ。
集会所の土間には、巨大な獲物を狩ってくることが多いというこの村の立地条件に合わせて、クダンが巨大な竈やら調理器具やらを用意していた。竈は魔石を使って火を作ることもできる豪華仕様で、薪をケチる必要もないという優れものである。魔石を使うためにいちいち呼ばれるゴブリン魔術師は少し大変そうだけど、それに見合うだけの便利な竈だった。
白ワインの仄かに甘い香りと、モーグー本来の野趣に富んだ香りとが渾然一体となって、居並ぶ村人たちの鼻を擽る。それは暴力的でもあり、同時に官能的でもあった。
田舎娘だったモーグーは白ワインの香りという都会の洗礼を受けて、手練手管を身につけた夜の蝶へと生まれ変わったのだ――そんな物語が脳裏を去来する香りだった。
「それでは――いただきましょう」
大皿のモーグーが全員の取り皿に分けられたところで、ビアンカが短く告げる。それを合図に、全員一斉に、弾かれたように食べ始めた。全員が全員、溢れる香りに中てられていたのだった。
「はぐっ、んんっ、んっ」
陶然とした顔で食べてるカガチ。閉じている唇の隙間から漏れてくる吐息が妙に艶めかしい。
蕩けた顔をしているのはカガチだけではない。ビアンカたち女性陣を始めとして、人間の男たちと、そもそも男しかいないゴブリンたちまでが揃って頬の皮を垂れ下がらせていた。
無論、クダンもその例に漏れていない。
「むはぁ……モーグー、久々に食ったが……はあぁ」
感想を口にしようとすると、胸いっぱいに満ちた旨味たっぷりの香気が言葉を蕩かせてしまって、ねっとりした吐息を漏らすことしかできなくなってしまう。
いかに巨大なお化け茸の肉とはいえ、ファットモーグーもつまるところは茸だ。肉とは全然、食べ応えが違う。肉だけが持つ、あのどっしりと胃袋を膨らませる存在感はない。しかしながら、程よい歯触りを感じさせながら、繊維に沿ってすっと噛み切られていくときの心地好さは、茸ならではの食感だ。
そして、噛み切った瞬間にぶわっと溢れる香りと旨味の小爆発。分厚い塊のまま蒸しているのに、モーグーの身には芯までしっかりワインの風味が染み入っている。
モーグーの中でもとくにファットモーグーはその巨大さから大味だろうと想像されるかもしれないが、そんなことはない。むしろ、その逆だ。巨大化していく過程で成熟された身の味は、尻尾が生える前よりもずっと濃厚で玄妙な味わいになるのだ。
ただし、モーグーの身をそのまま炙ったりしたのでは、ただの野趣が強い茸でしかない。火に弱いその身が燃えてしまわない程度の温度でじっくり芯まで熱を通すことで、強すぎる野趣がこくや甘みに変わって、旨味がいや増すことになるのだ。そのために、ビアンカたちは蒸すという料理法を選んだのだった。しかも、白ワインを惜しげもなく使って風味を染み込ませることで、野趣をさらに丸くさせることに成功していた。
強いて改善点を挙げるのならば、自家製ワインがもっと個性の強いもの、あるいはもっと上品なものであったならば、料理としての格は後ひとつ上がっていたことだろう。けれどもまあ、そこは現状、仕方のないところだ。酒の味にこだわれるほど、村での生活事情は余裕のあるものではないのだから。
「酒もいずれはどうにかしてぇな」
クダンは呟くと、ふっと小さく自嘲する。いま美味いものを食べて満ち足りていたところだというのに、その余韻がまだ舌に残っているうちからもう、他の美味いものを求めてしまっている。何もかも捨てて引き籠もったはずなのに、俺はどうしてこうも欲深いのか――クダンはそんなことを思ってしまったのだった。
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