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1章 ガリさん

1-1 ガリさん

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 一羽の小鳥が「ここは高い建物ばかりだ」と言わんばかりに、視線をきょろきょろ動かしている。その小鳥が枝から飛び立ち下方を見つめた先には、何台ものバスが縦横無尽に動き回っている。心を鷲掴みする物体を発見したようだ。夕方の風を受けて羽根をはためかせながら、その物体の頭頂部に慎重に着地を試みた。
 その物体の周りには多くの人間が存在する。可憐なお花に囲まれたその物体は、お花とは似合わぬ無愛想な表情に厚ぼったい唇をようした面長な顔をしている。その顔にウェーブヘアを携えたモヤイ像と呼ばれる石像の頭頂部には、一羽の小鳥が未だに視線をきょろきょろと動かしている。
 その視線は、俺と目が合うことによって定まった。
 何秒も目が合っていた一羽の小鳥に向けて、夢遊病者のように話しかけた。
「ガリさん、見つからないよ。やっぱ、ただの都市伝説に過ぎないのかな」
 しかし、その小鳥は目を逸らし『そんなの知らんがな』という表情を浮かべて、どこかへ飛び立っていった。
 小鳥にフラれたと思いながら、モヤイ像を囲む柵に静かに腰を下ろす。

――二つ目。渋谷のモヤイ像近くで、太陽が沈みかけるころに出没する。

 これしかヒントがないのが実情だ。モヤイ像の近くでナンパしている輩に勇気を振り絞って声をかけてみたが、
「俺がガリさんかって。違う違う」
 もう少し詳しく話を聞いてくれた人もいたので、新たな情報を得るために話し込んでみると突然、
「ぜひ、あなたの守護霊を拝見させてもらえませんか」
 と言われる始末。昨日は夜通しでネット情報を探したが何も得られなかった。
 この生活も、今日で七日目。
 小さい頃に母からもらった古びたお守りを、デニムのポケットから取り出して見つめる。すると、なぜだか無性にゲームをやりたい衝動に駆られてしまった。その瞬間、先ほどの小鳥が肩にふわりと乗ってきた。枯れ葉をまとっているような羽毛をしている。
「お前は俺を慰めてくれるのか。良い子だぁ」
 人差し指を顔の前に差し出すと、ちょこんと乗ってきた。
「本当に良い子だ、お前わぁ」
 目が合って目尻を下げると、その小鳥は俺にお尻を向けて、不快な音と共に異臭を放った。豆乳の搾りかすからできる雪花菜おからのような色のフンを、顔全面にかけられた。
「コラッ。フンをかけるな」
 羽毛が枯れ葉のようだと形容したことに心証を害したのだろうか。
 慌てて顔を手でぬぐい、フンの色を見る。雪花菜色以外に、ちらほら深緑色や黒色が混じっている。フンの色があまり良くないが、この小鳥は体調が悪いのだろうか。しかし、そんな思いもどこ吹く風で、ニヒルな表情を浮かべながら飛び立っていった。
 ティッシュ配りのお姉さんにもらったティッシュでフンをふき取っていると、目の前にはお菓子の袋を持って立っている男がいる。その袋を見つめるとと書いてある。
 もしや。
 思わず口から言葉がこぼれ落ちそうになると、その男は動いた。
「お姉さん、知ってる? ガリ棒の新作が出たねん。ほら、ガーリックマンゴー味。一緒にどや?」
 く、くだらない。しかも、シカトされている。その男はすぐに立ち止まり、袋を開けてスティックを取り出すと、口を大きく開けて勢いよく食べ始めた。半分ほど食べると、独り言を漏らした。
「あれっ、うまくいかへんかった……。なんでやねん! 誰かワイの噂でもしてるのやろか。何か不吉な予感がするで……。ま、次行こか」
『なんでやねん!』じゃねぇよ。お前みたいなおっさんがうまくいくわけないだろ。ったく……。

――三つ目。ガリの名前の由来は、キングオブアイスである赤城乳業のでもなければ、寿司に添える甘酢生姜のでもない。

 あ……、あのガリガリ君に追いつけ追い越せと迫る勢いで今、話題沸騰中の……。
 俺は、いつの間にか汗ばんだ拳を握り締めていた。
 そういうことなのか。
 ガリさんのガリは、アイスのくせに中毒性のあるクレイジーなガーリック味を次から次へと発売して爆発的なブームを生み出した腹黒製氷から販売されている七十七円のアイス、、略してガリ棒とも呼ばれ、カピバラ顔が印象的なイメージキャラクターであるが由来ではないだろうか。
 しかし、普通のおっさんにしか見えない。あれが、本当に伝説のナンパ師なのだろうか。
 俺の想像では、二十代で男前のお洒落なナンパ師を想像していた。
 ところが、あの男はどうだろうか。
 四十前後のおっさんで、体型はガッチリしているが、確実にカピバラ顔。しかし、カピバラ顔にしては男前といえるかもしれない。口元を見つめると、出っ歯が目についた。
 アイスを食べている男を見ていると、やはりに似ていると感じた。しかし、噂は噂に過ぎなかったということではないだろうか。あのおっさんが伝説のナンパ師だとはとても思えない。残りわずかなアイスが落下して地面を濡らす。かなり溶けていたようだ。もったいない。マヌケだなぁ、このおっさんは。
 時間のムダだ。帰ろ帰ろ。
 帰るために振り返ろうとすると、彼は食べ終えたアイスの棒に何やらペンで書き始めた。ペンをポケットに入れると、女に向かって駆けていった。俺も気になり追いかける。
「すんまへん。いてええやろか?」
 その男が女を見つめた瞬間、時が止まったような気がした。
「いきなりなんでびっくりしました。いいですよ」
「そのマスク自作? ごっつお洒落やん」
「ありがとう」
「ヤバ。めっちゃワイのタイプやん。ちょっとだけ止まってもろてええ?」
「はい……、ナンパですか?(笑)」
「いやいや、ナンパなんてスタイリッシュなことワイにはできまへん。ただ、めっちゃ好みやから声をかけたんや」
「それがナンパだと思うのですが(笑)」
「そうなん? そのナンパってやつを生まれて初めてやるから勉強になったわ。ホンマ、おおきに。せやけど、可愛いだけやなく頭もええなんて最高やん」
「わざとらしい(笑)」
「なんでやねん! 殺生やわぁ。自分、おもろいやん。せやけど、やっぱ、唐突やった? 空模様とか時事問題とか振ってワンクッションおいた方が良かったやろか。反省せなあかんな」
「ウケるw」
 と言うと、女はずっと笑っている。
「しんど。まだおもろいこと一つも言うてないのに、なぜ腹抱えて笑ってんねん。人の顔見て笑うなんて失礼やろぉ。ま、ええわ。せや、聞いてくれへんか? ガリ棒食べたら『当たり』が出たねん。ほらほら、見てみ、見てみー。ここんとこやで~」
「自分で書いてるし。それじゃ、無理でしょ」
「ホンマか。ホンマなんか! ワイ、今気づいたわ。姉さん、めっちゃ目がええやん」
「姉さんじゃないし(笑)」
 男は女の視線を捉えて喋り続けている。ガッチリした風貌からは想像できない、女を包むような柔らかくて甘い声だった。女は先ほどの腹を抱える笑いから、頬を染めあげる微笑みに変わっていた。
「ほな、二人でコンビニに引き換えに行こか」
「だから、それハズレでしょ(笑)」
「冗談やん」
「でも、私もガリ棒好きよ」
「せやな。ホンマにうまいからな。ワイは毎日食べてんねん」
「三食ガリ棒食べてるの?」
「せやで。いや、違うわ。三時のおやつと寝る前にも食べてるから一日五食やねん」
「食べ過ぎでしょ。だから、ガリピバ先生に似てるんだ」
「せやせや。よう言われんねん。あれ、このショップって丸井にある店やん。服でもうたの?」
 女の持っているビニール袋を指して言った。
 いつの間にか、男の視線の鋭さが増したような気がした。
 一方、女も照れ笑いを浮かべているが目を逸らさず見つめている。
 なぜだかわからないが、この男が女の手を握ると嫌な様子を一切見せず、いや逆に応えるように握り返している。
 一つ一つの動きにムダがない。そして、このほんのわずかな時間で相手の心と通じているように感じた。そこには誰も入れない二人だけの空気が存在した。その空気に触れようと近づいてみたら、軽い目眩めまいのようなふらつきを覚えてしまった。この心を酔わされる空気感は何なのだろうか。
 女を見つめると、さらに頬を薄ピンク色に染めあげ目も潤んでいた。
 俺も、なぜだか感情のたかぶりを感じる。心臓の鼓動の激しさや鼻のひくつきを止めることができない。抑えようと思ったが、その努力虚しく勃起してしまった。この女も濡れているのではないだろうか。
 なんなんだ、このオーラは。何か変なフェロモンでも出しているのだろうか。訳がわからない。理由は皆目見当もつかないが、それを創り出したのは紛れもなくこの男。
 すなわち、ガリさん。
 この人があの伝説のナンパ師、ガリさんだ。絶対間違いない。

 しばらく二人は見つめ合いながら話を続け、時より男は髪を撫でていた。
「時間がないなら、とりあえず連絡先だけ交換しようや」と言いながら、携帯電話をポケットから取り出した。
「今日はこれから仕事なの。ごめんね、バイバイ」
 男は女が改札側に歩いていくのを見送っていたので、俺は今だと思い、猪が敵に突進するように向かっていった。男の前でキーパーのように手を広げながら話しかけた。
「初めまして! ガリさんですよね!」
 ガリさんは一歩後ずさりして、少し引いた顔をしている。
「せ、せやけど」
「ナ、ナ、ナン、ナンッ」
「ナン? カレーはごはんの方が好きやけど」
「いや、そうじゃなくて……」
「ナハナハ?」
「いや、せんだみつおじゃなくて。ナンパ……」
「あー、ナンパ? 日本人男子オールナンパ師化計画は誰にも言ってないはずなんやが……、誰かがネットに晒したんやろか」
「その計画は知りませんが……。ナ、ナ、ナンパを教えてください。お願いします」
 あまりにも慌てて喋ったので、豚鼻を鳴らしてしまう。
「近い近い」と言われながら、はたかれてしまった。
「別に教えるのはかまへんけど……。その前に、自分、めっちゃ顔が汚いで?」
 ガリさんから離れて深くこうべを垂れる。小鳥のフンを綺麗にふき切れていなかったのだろうか。
「すいません。さっき、小鳥にフンをかけられてしまって」
 緊張したのか、また豚鼻を鳴らしてしまう。
「自分は豚か?」と真顔で訊かれたので、『豚ではありません、たぶん』と答えようとすると、「フンまみれでナンパをやったって結果なんか出ないで」と続けて言われたので、豚疑惑を晴らすことができなかった。
「はい……。これじゃ、結果なんか出せないですよね」
 俺は眉を八の字にすると、視線を落とし唇を歪めた。
「毎週土曜日に、ワイが主催するナンパサークルの会合があんねん。来週から参加してみ。その名も『ナンパ祭』や」
 人を安心させるような優しいまなこで見つめられた。なぜだか、抱かれてもいいと一瞬思ってしまう。
「ま・つ・り……。皆で御神輿おみこしでも担ぐんですか?」
「来ればわかるで。そこで、ナンパを教えてやるからさ」
「本当ですか。ありがとうございます。お願いします」
 ガリさんはポケットから携帯を取り出し「連絡先を交換しようぜ」と言ったので、俺はポケットから財布を取り出し「携帯ないんです」とかぼそい声で答えた。
「マジでか……」
 と驚かれたので「コミュ障なんで友達もいませんし、今まで特に必要もなかったので……。すんません」と謝った。俺は眉の八の字が繋がり、人という字になったのではないだろうかと不安になる。
「携帯ぐらいは持ってた方がええと思うで。ナンパにも支障が出るしさ」
「はい……」と言うと、すぐさま財布からレシートと小さいボールペンを取り出し、ガリさんのLINEのIDを見ながらメモを始めた。緊張してうまく書けない……。
「あっ、と」
 手の平の汗でボールペンを滑らせて落としそうになる。電話番号も含め全て書き留めてからガリさんの手の平に携帯を戻した。
「参加したかったらLINEしてね。ほんなら、牛丼でも食べて帰るから。まったねぇ」
 ガリさんは手を軽く振りながら去ろうとしたので、
「では、自分は豚丼を食べて帰りますね」
 と言ってみる。すると、鼻についたのか、
「共食いにならねぇか」
 とやり返されてしまう。『ガリさんもカピバラみたいな顔をしてるくせに』と言おうと思ったが、喉のあたりで押さえて思いっきり飲み込んだ。
「じゃあなぁ」
 がに股で歩くガリさんを人混みに紛れて消えるまでずっと見ていた。
 あの人がガリさん、か。
 ふと、一人ごちて物思いにふけると、今日の太陽の出番は終えて月にたすきを渡したのか、夜の世界が広がっている。モヤイ像の前では、これから始まるそれぞれのうたげのための待ち合わせで人々が群がっている。人が多すぎてモヤイ像も汗をかいているのではないだろうか。
 今、この瞬間、俺のナンパ修行が始まったと感じた。
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