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「!!」

わたしは息を飲み、目を見開いた。
見知らぬ、白塗りの天井が目に入った。
わたしは、その高い天井に、手を伸ばした。

ああ…

「わたし、死んだのね?」

「いいえ、今の所は生きているみたいですよ」

思い掛けず返事があり、正直、少し気が削がれた。
然程寝心地が良いとは言えない、素朴なベッドから体を起こし、
怪訝に見ると、壁を背にし、紅茶のカップを手にした男が立っていた。

背が高く、白衣を服の上に着ているが、スラリとして見え、ルックスが良い事は難なく分かった。
長い銀髪を後ろで一つに纏め、銀縁の眼鏡をしている。
青灰色の目、彫りの深い整った顔立ち…驚く程の美形だ。

海外モデルみたい…
スタイル良さそうだし、下着モデルとか似合うんじゃないかしら?

見惚れてしまいそうになりつつ、わたしは思考を巡らせた。

ええと…彼は…誰だったかしら?

一瞬、思い出せなかったが、直ぐにそれを思い出した。

「サイファー・オッド先生?」

サイファー・オッド、彼は魔法学園の薬学教師だ。
穏やかで優しい雰囲気があり、話し掛け易くはあるが、個人的な質問には話をはぐらかす所があり、
『淡泊』『秘密主義』『掴み処がない』というのが、生徒たちの中での総意だった。

「頭を強く打った様ですが、思い出せたなら問題は無さそうですね」

「先生がどうして、ここに?」

医務室には、専門の医師が常駐している筈だ。
何故、全く関係の無い薬学教師が、ここで図々しくも紅茶を飲んでいるのか?
不審がるには十分な理由だったが、当のサイファーは銀縁の向こうの目を細め、
穏やかな笑みを見せた。

「残念な事に、君が転落した場に居合わせてしまいましてね、
ここまで運んで来た処、誰も居なかった為、成り行き上、付き添う事になってしまいました」

まぁ!ご親切だこと!

「それは、大変なご迷惑をお掛けしてしまい、申し訳ありませんでした。
もう、大丈夫ですから、どうぞ、お戻り下さい」

「私を追い払いたい様ですね?
でも、折角淹れたのですから、これを楽しんでからでいいでしょうか?」

サイファーは紅茶を味わっている様だ。
わたしはその図々しさに唖然としたが、
『そんな事よりも…』と、再びベッドに仰向けになり、上掛けを引き上げた。

頭を整理しなくちゃ!

今、わたしの頭の中には、多くの情報で溢れ返っていた。

わたしは死んだ。
いいえ、正しくは、《遠藤志保》が死んだ。

平凡な大学生だった。
一度もスポットライトを浴びる事なく、地味に生き、地味に死んでいった《彼女》。
それがわたしの《前世》だ。

まぁ、階段から落ちて亡くなったのだから、地味に死んだとは言えないかしら?
全然、うれしくなんて無いけど。
一体、どれだけの人に見られたか…サークルの子たち全員?
ああ!!考えたくない!!

「酷い恰好をしてなければいいけど…」

「ああ、足は丸出しでしたが、下着は見えていませんでしたよ。
その後は私が上手く運んで来ましたので、安心して下さい」

「!!そっちの話じゃ…むむ、それは、忘れて下さい!!」

わたしはキツク言い、目を閉じた。
年頃の娘に向かって、何て無神経な教師だろう!!
いや、それよりも…

わたしの頭には、もう一人の少女の記憶があった。
そして、それこそが、《今世》の自分だと、この長い金色の髪と、
労働を知らない、白く美しい手、磨き上げられた爪が教えてくれている。

「わたしの名は、アラベラ・ドレイパー…」

妙な既視感と違和感を覚える響きだ。

ここは、オースウッド王国。
前世とは違い、《魔法》の存在する世界だ。
婚約者は、第二王子のアンドリュー。
そして、《わたし》が突き落とそうとしていた娘は…エリー・ハート。

「そうだわ!!」

わたしは再び《遠藤志保》の記憶を辿り、それに行き着いた。

《遠藤志保》だった時にやっていた…
乙女ゲーム、【白竜と予言の乙女】と同じ設定だ!と。

普段はゲームなどやらないのだが、大学の友人に勧められ、やってみると案外面白く、
気付くと、夢中になってやり込んでいた。
舞台は中世ヨーロッパ風の異世界で、魔法も使える。
ヒロインは魔法学園でイケメン美男子たちと親しくなり、恋愛をし、
イベントをこなして経験値を上げていき、想いの彼と結ばれ、世界を救う…

ゲームは頑張れば報われるから好きよ。

不意に、《遠藤志保》のどす黒い感情が、顔を出し始め、
わたしは「それはそれとして…」と、思考を反らした。

ここは、あのゲームの世界なの?
勿論、ゲームではないが、登場人物、世界観、設定が同じなのではないか?

「乙女ゲームの世界に、転生した…」

いきなり、前世を思い出しただけでも驚きなのに、
前世で嗜んでいた、ゲームの世界観に転生しているなんて…
こんな事が自分の身に起こるなんて、考えた事もなかった。
もしかしたら、壮大な夢を見ているのかもしれない。
だけど、もし、本当だったら…

【白竜と予言の乙女】の世界に転生出来るなんて!最高ね!!

宝くじに当たった事は無いけど、きっと、こんな風だろう。
テンション爆上がり!興奮が抑えられない!布団の中でジタバタしちゃうわ!
地味な人生が、一気に華やいだのだ、無理も無いと見逃して欲しい。
だが、その一瞬後、その華やいでいたものは、無残に飛び散った。

待って、待って!!
ああ、なんて事かしら!!《最高》だなんて、とんでもないわ!!

だって、わたしは…

「アラベラ・ドレイパーは、最悪最低の《悪役令嬢》じゃない!!」

「《最悪最低の悪役令嬢》とは、どういったものですか?」

「ああ、もう!先生は口を挟まないで!さっさと紅茶を飲んで、出て行って下さい!!」

わたしは叫ぶと、上掛けを頭から被り、苦悶した。

折角、好きな世界に転生出来たというのに、《悪役令嬢》だなんて!!
詰んだ!終わった!これじゃ、夢も希望も無いじゃない!

もしかして、前世で、死ぬ前に闇落ちしてた所為??
あれは違うのよ!誤解です神様!
ほんの一瞬、気落ちしただけなの!誰にだってある事でしょう?
神様にだって、そんな時はあるわよね?

それなのに、《悪役令嬢》だなんて…

神様、あんまりよぉぉぉぉ


◇◇


乙女ゲーム、【白竜と予言の乙女】

中世ヨーロッパに似た世界観で、魔法が存在している。
魔力の《容量》《強さ》には個人差があり、それは生まれ持つもので、
大きく変動したりはしない。
中でも、魔術師になれる程の強大な魔力を持つ者は、そう多くは無く、
それだけで、《選ばれし者》なのだ。

主人公ヒロインであるエリー・ハートは、家が貧しく、両親、親族たちが
然程強い魔力を持っていなかった事から、魔力鑑定などには縁が無く、
自分の力を知らずに育った。
十五歳になり、鑑定の儀を受け、その魔力が認められ、
魔法学園に入学が決まる所から、ゲームは始まる。

魔法のスキルを上げつつ、攻略対象者との親密度を上げていく、
《恋愛》を主としたゲームだ。

攻略対象者は複数いて、誰と結ばれるかによって、エンディングも違う。
大規模な戦や災害が起こり、対象者が死んでしまったり…と、
ハッピーエンドにならない事もある。

トゥルーエンドは、アラベラの婚約者である、第二王子アンドリューとのルートで、
《聖女》となったエリーが、《世界を救う予言》をする。
それは、国の滅びの根源である、白竜に生贄を捧げる事で、
その生贄に名指しされるのは、アラベラだ。
白竜はアラベラを喰らい、その魔力により千年の眠りにつき、世界に平和が訪れる___

戦も起きず、災害も起こらず、誰も命を落とす事無く、平和な世が訪れる…

「アラベラの命と引き換えにね!!」

力を入れた瞬間に、ペン先が潰れ、ざらざらとした用紙に、黒いインクが飛び散った。

「ああ!もう!羽ペンなんて時代錯誤よ!」

使い難くて敵わないわ!
ああ、ボールペンやシャーペンが恋しい…

わたしは嘆息と共に羽ペンを置くと、用紙を掲げ持った。
前世の記憶を頼りに、役に立ちそうな情報を書き出してみたのだが、
中々良く書けている。インクの飛び散りは愛嬌だ。

「【白竜と予言の乙女】の世界の住人になったんだもの、予備知識は必要よね!」

だが、思い出せば思い出す程、アラベラに救いは無かった。

「事故死、毒殺、自害、生贄…
ゲーム作家は、何が何でもアラベラを殺したいみたいね?」

ゲームをしていた時は、アラベラの断罪の場面では、「待ってました!」と拍手喝采を送り、
醜態を晒し生贄となるアラベラには、胸のすく思いだった。
聖女が言うには、『白竜に食べられる事で、その魂は浄化される』そうだから、
憂いなど何一つ無かった。

だが、アラベラとなった今、自然、顔を顰めてしまう。

「死にたくない」

誰だって、そうだろう。
折角、こんな面白そうな世界に転生出来たというのに、
これから半年後には死んでしまうなんてあんまりだ!
わたしには《短命の呪い》でも掛けられているのだろうか?

「だけど、避けられないのなら…」

事故死、毒殺、自害…
無意味に死ぬなんて嫌だ。

「世界を救って命を落とすなら、犬死にはならないわよね?」

世界を救ったのは、《聖女》の予言じゃない、アラベラが生贄になったからよ!
そう言ってくれる人が、誰か一人位はいるかもしれない…

「それに、白竜への生贄だなんて…
経験しようと思っても出来ない、大舞台だわ!」

世界を救うために、白竜に身を差し出す、美しく儚い少女…
ああ、正に、陰のヒロインではないか!

わたしはうっとりと目を閉じた。

「だけど、白竜に食べられるのよね?」

丸のみ?それとも、噛み砕くのかしら?
それを想像し、「やっぱり、無いわ」と頭を振った。

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