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魔法薬学の教室へ向かう途中、廊下の先にエリアーヌとジョルジュの姿を見付け、わたしは反射的に息を飲んだ。
周囲には他にも生徒はいるのに、何故見付けてしまったのか…
そして、何故、動けなくなるのか…!

「フルール、こっちだよ」

テオがわたしの肩を支え、誘導し、自然に道を変えてくれた。
わたしは頭が回っておらず、ただそれに従っていた。
少し遠回りをして、魔法薬学の教室へ入ると、漸く息を吐く事が出来た。
だが、手はぶるぶると震えている。
それに気付いた途端、恐怖に囚われ息が出来ず、苦しくなった。

「フルール、座って」

テオは倒れそうなわたしを支え、椅子に座らせてくれた。

「深呼吸して」

ぶるぶると震えているわたしの手を、テオはその両手で包み、擦ってくれた。
温かさが伝わり、体の強張りが解けていく。

「わたし、どうして…!」

平気だと思っていたのに…
こんな風になる自分が、自分でも信じられなかった。

「焦らなくていい、もっと時間が必要なんだよ、忘れるには…」

思いやりのある言葉だったが、わたしは頭を振っていた。
これは、『忘れる』とか、そういう事では無い___

ただ、ただ、恐ろしいのだ!

エリアーヌが___

それに気付き、わたしは愕然とした。

「気分が悪そうだよ、フルール、保健室に行こう___」

テオは心配し言ってくれたが、わたしは頭を振った。

「いえ、授業を受けていた方が、気は紛れますので…」

それは本当だ、保健室に行ったとしても、何も解決などしない。
寧ろ、独りでいる方が怖い___





わたしがテオ、ヒューゴ、ヴィクと一緒にいるようになり、わたしへの悪口は陰を顰めた。
少なくとも、彼らが一緒の時には何も聞こえて来なくなった。
それは、テオ、ヒューゴ、ヴィクに、悪感情を持たれるのを恐れての事だろう。

テオ、ヒューゴ、ヴィクは、魔法学園の中で一番といって良い程、目立つグループだ。
成績優秀、将来有望、加えて家柄も良いとくれば、敵対するよりも取り入った方が得である事は、誰にでも分かった。

だが、怖い者知らずの者たちも、少数だが存在していた。


教室へ戻る途中、テオとわたしは、突然、数名の女子生徒たちに行く手を阻まれた。
彼女たちは、声高々に、わたしの悪行を言い連ねた。

「テオフィル様は、その女に騙されているのです!」
「その女は、妹が作った物を自分が作った物と言い、婚約者に渡していたのです!」
「ジョルジュ様も最初は妹の方を婚約者にしたかったと申しております!」
「それを、その女が横取りしたのです!」
「その様な卑しい女とは、付き合ってはいけませんわ!」
「大事な家の名を穢してしまいますわ!」

わたしはあまりの事に息を飲み、真っ青になった。
テオがわたしの手をぐっと強く掴んだ。
驚き見ると、彼は普段は決してしない、恐ろしい目で女子生徒たちを睨み付けていた。
女子生徒たちは声を失くし、震え上がっていた。

「そんな戯言に付き合う気はない、僕の友人を侮辱しないでくれないか」

冷たい声で言い放った彼は、わたしの手を掴んだまま、足早に廊下を突き進んだ。


「ごめん、つい感情的になってしまって、驚かせたね…」

暫く歩き、周囲に人気も無くなると、落ち着いたのか、
テオは足を緩め、わたしの手を離すと、ぽつりと零した。
後悔の滲む声だったが、その目には、まだ怒りがあった。

「いえ…庇って頂き、ありがとうございます」

『友人を侮辱するな』と言って下さった…
きっとテオは、彼女たちの言葉を信じていないのだ!
それが分かり、どんなにうれしかったか…

「自分たちに都合の良い『正義』を作り出し、それを振り翳し声を上げてくる。
真実と掛け離れた嘘や噂が、どれ程人を傷付けるか、誰も考えようとしない…!」

テオの足が止まる。
彼は頭を振ると、手で目元を押さえ、深く息を吐いた。
銀色の髪が落ち、彼の顔を隠す。

「ヒューゴとヴィクには言えなかった事があるんだ…」

『サーラ』の事だと察し、わたしは静かに「はい」と頷いた。

「サーラは体が少し弱くて…だけど、問題は無かった、魔法学園も卒業したし、十分普通に生活出来ていた、重い病を持っている訳では無かったからね。
だが、それを知った異国の者が、面白おかしく花嫁を『奇病』と騒ぎ立てたんだ。
多くの民がそれを信じ、サーラを迎えないようにと騒ぎ…
異国の王は、我が国に病を持ち込まれては困る、その様な者を差し向けようとしたガラヴァン王国とは親交は結べないと…
婚約破棄と友好条約の破棄を突き付けてきた…
サーラは自分の所為だと…こんな自分が王女であってはならないと…!」

テオの体が震え、泣いているのが分かった。
わたしはローブを脱ぎ、彼を隠すように掛けた。
きっと、誰にも知られたくない筈だから___

テオが怒っていた意味が分かった。
サーラの事を思い出したのだと。
わたしは彼女を知らない、だけど、テオの話を聞き、サーラの心情を思うと、胸が痛んだ。

「君も泣いてくれるの?」

ローブから、綺麗なオリーブグレーの瞳が覗いていた。
その優しい微笑みに、わたしは瞬きする。
指で頬を触れると冷たくて、驚いた。

「一緒に泣くと、悲しみも半分になるでしょうか?」

「うん、そうだね、ありがとう、フルール」

テオは笑みを見せ、ローブをわたしに掛けてくれた。


「フルールは、婚約者に何を作ってあげたの?」

テオに聞かれ、わたしはつい声を上げてしまった。

「わたしの事を、信じて下さるのですか!?」
「勿論だよ、信じていないと思っていたの?」

丸い目で見られ、わたしは「すみません」と謝った。
思えば、疑うなど、相手に対して失礼だ。
だが、テオは咎めず、「ふふっ」と笑った。

「僕は君を知っているからね、君は誠実で勤勉で嘘の吐けない、素晴らしい令嬢だよ、フルール」

テオは恭しくわたしの手を取ると、その甲にキスを落とした。

「!?」

社交的では無いわたしは、こんな扱いを受けた事はあまりなく、しかも、同年代からは記憶に無い事で…固まってしまった。
ああ…きっと、顔は真っ赤だろう…!
「フルール?」テオに不思議そうな顔をされ、わたしは慌てて言っていた。

「あ、いえ!その、信じて頂けてうれしいです…
今まで、誰も信じてくれませんでしたから…」

両親でさえも、エリアーヌを信じ、わたしの声は無視された。

「僕だけじゃない、ヴィクもヒューゴも…君を知っている者は、皆君を信じるよ。
ただ、大きな声に掻き消されて、君に届いていないだけだよ」

テオの言葉は、きっとサーラに伝えたかった事だろう…
わたしは微笑み、「はい」と頷いた。

「それで、婚約者には何を?」
「刺繍や、お菓子を…」
「僕にも作ってくれる?」

え?

聞き間違えかと思い、テオの顔をまじまじと見てしまったが、彼はニコニコと笑みを見せている。
そして、もう一度言った。

「僕にも作ってくれないかな、フルール」

「ええ!?」

「やっぱり、嫌かな、僕相手になんて…」

しゅんとした顔をされ、わたしは慌てて手を振った。

「いえいえ!そういう事では無く!…そんな…差し上げるような、立派な物ではありませんので…」

「欲しい、勿論彼と同じ物じゃなく、僕を想って作って欲しいんだ」

深いオリーブグレーの瞳にみつめられ、わたしはドキリとした。
きっと、これを断れる者はいないだろう…

「はい…」





『僕を想って作って欲しい』

テオを思い浮かべると、色々な姿や表情が、鮮明に浮かんで来た。
不思議だ、初めて言葉を交わした日から、然程経っていない筈なのに…

高貴で、礼儀正しく、優しく、親切で優等生なテオ。
だけど、お喋りになったり、時に冗談も言うし、子供のような無邪気さも持っていて…

「はしゃいだり、しますものね…」

思い出し、笑ってしまう。

好きな事を語る時には、目をキラキラさせ、少年のように見えた。
そして、深い愛情を持ち、涙を流す人…

わたしはそれを知る度に、心を揺さぶられる。

「どんな柄が、似合うでしょうか…」

折角なら、テオが喜ぶものが良い…
わたしはハンカチを持ったまま、暫しの時間を過ごした。
何気無く、並んだ色取り取りの刺繍糸を眺めていて、『それ』を思い出した。

高貴で、それでいて、優しく、甘く包み込んでくれた…
わたしに力を、勇気をくれた、あの樹が、テオと重なった。


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