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27 レオナール

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レオナールとセリアは、二人で様々な事を話し合い、決めていく内に、
自然と打ち解けていた。

セリアは感じが良く、そして、聞き上手でもあり、話し易かった。
声も落ち着いていて、耳心地が良い。
それでいて、突飛な想像力を発揮する面があり、レオナールを驚かせた。
彼女の話に引き込まれ、つい、年齢差など忘れ、親しく話していた。

これならば、周囲を納得させる事も出来るかもしれない___

レオナールは、自分の思い付きと、セリアを選んだ事に満足していた。

契約結婚ではあるが、上手く行くだろう。
いや、契約結婚だから、上手く行くのだ___

契約を交わしていれば、擦れ違いは起こらない。
互いに不満を持つ事も無い。
ある日、突如として消える、そんな事も起こらないだろう…

誰かと親しくなればなる程に、いつも母の事が思い出された。
あの日、姿を消した母。
池に浮かんでいた母。
その時の事が、鮮明に思い出される。
それは、レオナールに纏わり付いて離れず、彼を不安に陥れるのだ。

今、「愛している」と言っていても、いつか自分を置いて去るのではないか。

愛など一瞬の事だ、それが冷めた時、自分は捨てられ、独り残されるのだ。
訳も分からずに、ただ、繰り返し、その日の事を思い出し、自分を責める事になる___

レオナールはその考えに囚われ、情緒が不安定となり、
自然、関係はいつも破綻した。

ディアナとの結婚生活は少し違っていた。
最初こそ、好意的ではあったものの、互いへの不満が気持ちを冷めさせた。
いや、もしかしたら、母の事で、無意識にディアナを遠避けようとしていたのかもしれない…
後々になり、それに気付いたが、
当時のレオナールはといえば、只管に、ディアナの欠点を責めていた。
そして、彼女が他の男と親しくしている姿を目にすると、《その日》が近いと感じ、
心の整理をしていたのだ。

契約結婚であれば、そんな不安は必要無かった。


◇◇


セリアとの契約結婚は、レオナールが考えていた以上に、上手くいった。

セリアは使用人たちにも優しく、感じが良く、使用人たちから慕われた。
そして、あのディアナさえも手懐けてしまった。
いつも喧嘩腰だったディアナは、その棘と牙をすっかり抜かれ、行儀が良くなった。
それに、趣味の悪いドレスを着るのを止め、さっぱりとした動きやすいドレスで、
伯爵家の庭園に通い、庭仕事を手伝っている。

セリアから、ディアナが館に来る目的は、レオナールではなく薔薇園だと聞かされた時、
とても信じられなかったが、ディアナと会い、自分の思い違いを知らされた。
離婚は金で解決した。それで十分だと考えていた。
一時期でも妻であったというのに、ディアナの求めるものを知らなかった。
自分は彼女を理解しようとしたか?ただ、欠点を責めていただけだ___
自分が如何に最低な夫だったかを思い知った。

ディアナと和解出来、従兄妹として関係を修復出来た。
全て、セリアのお陰だった。

それだけではない、セリアはレオナールの為に心を尽くしてくれた。

パーラーでピアノを聴き、眠ってしまったレオナールに、ブランケットを掛けてくれた。
そして、起こさない様に、静かに待っていたのだ。
その気遣いに、レオナールは胸を掴まれた。
セリアは『契約だから』ではなく、その優しい性質から、そっと、自分を支えてくれているのだ。
レオナールは自分でも気付かぬ内に、彼女に惹かれていった。

それと同時に、セリアに対し、強い独占欲が沸いていた。

誰にでも優しいセリアを好ましく思いながらも、
他の者と親しくする彼女に、苛立ちを覚えるのだ。

気付くと、庭園へ行く姿を書斎の窓から眺めてしまっていた。
セリアにはパーラーでピアノを弾いていて欲しかったが、
それを命令する事は、流石に憚られた。

「それでは傲慢過ぎる、セリアだって嫌がるだろう…」

そんな風に自分を抑えていたが、
ある時、荷物を抱えて庭園から戻って来たセリアを見て、衝動的に書斎を出ていた。

螺旋階段を上がって来たセリアは、レオナールに気付き、「きゃっ!」と声を上げた。
そんな風に驚かれるとは思ってもみず、レオナールの機嫌は下がった。
まるで、何かやましい事でもあるみたいだ…

「驚かせて悪かったね、その荷物は何かな?」

セリアは何やら箱を抱えている。
箱の上に乗っているのは、ハーブだろうが、その下が気になる。

「これは、湯舟に入れる為のハーブです、これから作ろうかと思い…」

セリアは昨夜、レオナールが気分転換出来る様にと、
小袋にハーブを詰め、湯舟に入れる様、メイドに渡してくれていた。
だが、それにしては、何処か声がたどたどしい。

「大変そうだね、持ってあげよう」

箱に手を伸ばすと、彼女は身を捩り、それを避けた。
ここまで来ると、レオナールの疑念は怒りと共に膨れ上がった。

「いえ!軽いものですので、ご安心下さい、どうぞ、お仕事に戻られて下さい」

「契約書に書いておくべきだったが、私は隠し事をされるのが嫌いだ。
君を信じられなくなる___」

セリアが息を飲む。
驚きと恐怖の色を見て、レオナールは苛立ちのまま踵を返した。

「レオナール!待って下さい!」

セリアが追って来るのが分かったが、レオナールは早く書斎に逃げ込みたかった。
気を落ち着けたかったのだ。
だが、彼女の悲鳴と騒々しい物音に、レオナールは足を止めた。
振り返ると、セリアが床に蹲っていた。

「セリア!!」

レオナールは先の事など忘れ、彼女の元に駆けつけていた。

箱は放り出され、ハーブが一面に広がり、小瓶が幾つか転がっている。
散々な状況だったが、レオナールの目には、セリアしか映っていなかった。

「セリア!大丈夫か!?怪我をしたのか!?」

レオナールは片膝を付き、セリアを支える様にし、彼女を覗き込んだ。
すると、その薄い青色の瞳はみるみる潤んでいき、涙を零した。

「ああ、泣かなくていい、何処が痛い?」

「わたしは大丈夫です…ですが、折角作ったのに…台無しです!」

セリアは手で顔を覆って泣き出した。
レオナールは堪らず、彼女を胸に抱いていた。

「すまなかった、私の所為だね…」

「隠し事をしました…でも、あなたを驚かせたかっただけです…
あなたの驚く顔が見たかったから…喜んだ顔も…」

自分の為にしてくれていた事だったのだと知り、レオナールは喜びに震えた。
それと同時に、罪悪感に襲われ、自分を恥じた。
自分は何と馬鹿な事をしてしまったのか___!

「すまない、私は自分の知らない所で何かが起こっていると感じると、
酷く不安になるんだ、冷静でいられなくなる…怒ってしまってすまなかった…」

レオナールの謝罪に、セリアは顔を上げた。
そして、大きな瞳でレオナールを見つめた。

「謝らないで下さい!わたしがいけないのです…
お見せして、お話すべきでした…
これからは、お尋ねになられた事には、正直にお返事すると、
お約束致します___」

「ありがとう…君は寛大だね」

これまで、レオナールが心の内を明かしても、ここまで言ってくれた者はいなかった。
皆、疑ったり、軽蔑したり、憐れむ様な目をするだけだった。
セリアの言葉に勇気付けられ、レオナールは零した。

「きっと、私が過剰過ぎなのだろう…責められても仕方が無い、
狂っているのかもしれないと、自分でも思うよ…」

「何か、抱えておられるのでしょう?
ご自分を責められる事はありませんわ、話したくない、
話せないのであれば、わたしはそれでも構いません。
いつか、話せる時が来たら、話して下さい…」

「そんな風に言ってくれたのは、君が初めてだよ、君は優しいね…」

視線が重なる。
レオナールはセリアに触れたくなった。

導かれるかの様に、唇が近付き、重なった。

その瞬間、レオナールは我を忘れていた。
彼女の後頭部をしっかりと押さえ、唇を貪っていた。
セリアは拒絶する所か、レオナールに体を預け、肩を掴んでくる。
最早、レオナールを止められるものは何も無かった。

夢中で、互いを求め合った。

その波はやがて、静けさを取り戻し、互いに唇を離していた。

「はぁ、は…はぁ…」
「はぁ、はぁ…」

信じられない思いがレオナールを包み、後悔に襲われた。
その一方で、互いの熱い息に、興奮していた。
手は理性とは別に動き、セリアの頭から肩へ、するりと撫で下ろされた。

未だ、彼女の体温を求めていた___

だが、寸前で、レオナールの理性が勝った。
レオナールはセリアの肩を掴むと、その体を離し、保護者の仮面を着けた。

「すまなかったね、衝動を抑えられなかった、
こんな事はもうしないと約束するよ、許して貰えるかな?」

厚かましく勝手な言い分に、レオナールは自分の舌を噛みたくなった。
セリアはというと、先程まであった情熱をすっかり消していた。

「構いません、あなたは夫ですから、ですが、少し上品ではありませんでしたね」

レオナールは調子を合わせる事にした。
軽口を言い合っていた方が安全に思えたからだ。

「ああ、その通りだ、メイドが見たら腰を抜かすかもしれないね」
「若い者たちは平気でしょう、問題は、セバスとメイド長です」
「それは避けなくてはいけないね」

笑い合うと、いつもの関係に戻れた気がした。

先の事は、気の迷いだ。
セリアも後悔しているだろう、二度と無い様にしなくては…
レオナールは自分を戒めた。

レオナールは片付けを手伝った。
この惨状を引き起こしたのは、レオナールだ。
それを放って、自分だけ仕事に戻る事は出来ない。

その時、レオナールは改めて小瓶に目を留めた。
セリアがレオナールを驚かせ様としていた物だ。
白い層とハーブの層が、綺麗に交互になっている。
それはレオナールが見た事の無いものだった。

「これは何?」

「ポプリです、少し乾燥させたハーブや花を、塩と交互に入れて、一月置けば完成です」

「それでは、一月、秘密にするつもりだった?」

気の遠くなる話だが、セリア自身はうれしそうに見えた。

「その通りです、一日目にしてバレてしまいましたが…」

「それは、悪かったね…一月後を楽しみにしているよ」

レオナールは小瓶を小箱に戻した。
それから、思い出した様に、礼を言った。

「昨夜もハーブをありがとう、湯舟が良い匂いだった」

「落ち着かれましたか?」

「ああ、良く眠れたよ」

レオナールは反射的に、相手が求めるだろう答えを口にしていた。
だが、セリアが求めていた事とは違っていたらしく、
彼女は訝し気にレオナールを見つめてきた。

「本当ですか?嘘は吐かないで下さいね?」

「降参するよ、確かに、良く眠れたというのは嘘だ。
だけど、気持ちが良かった、落ち着いたよ」

「それでは、続けますね、今日のハーブも期待していて下さい!
ガストンに選りすぐりを頂きましたので」

「ガストンに…?」

ガストンは庭師だ。ハーブにも詳しいだろう。
だが、セリアが親し気にその名を口にした事が、レオナールの胸を騒がせた。

「はい、ガストンは植物の事に詳しいですから、それに親切ですし…」

「そうか、だが、あまり邪魔をしてはいけないよ」

レオナールは冷たい声で言っていた。
そして、早急にその場を立ち去ったのだった。

書斎に戻ったレオナールは、漸く自分を取り戻した。

「私は一体、何をやっているんだ!」

レオナールは拳を机に打ち付けた。
自分自身が腹立たしい。

胸に激しく渦巻くものの正体に、レオナールは気付きたくなかった。
必死に否定しようと抗ったが、どうする事も出来ずに、頭を抱えた。


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