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28 レオナール

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自分が嫉妬するなど、あり得ない___!

レオナールは自分の感情を、頭から否定した。
だが、次にレオナールがした事と言えば、
場所を取らない家庭用のピアノを、極秘で届けさせた事だった。


元々は、セリアがピアノを弾くのが好きだろうと、パーラーにピアノを置く事を決めた。
《契約結婚》に巻き込んだ事に負い目があり、
セリアにはなるべく楽しんで過ごして貰いたかったのだ。

だが、何故、彼女の部屋にではなく、パーラーにしたのか…
レオナールは無意識に、自分も聴きたいと望んでいたのだ。
あのパーティで、レオナールはセリアのピアノに感動した、それが忘れられなかった。

だが、途中で眠ってしまう事もあり、弾いて欲しいと頼む事が出来なかった。
そこで、寝室にピアノを置く事にした___

「これで、セリアにピアノを弾いて貰える」

レオナールはこの計画に満足していた。
その根底にあるものに気付かずに…



「君に頼みたい事がある、後で寝室に来て貰えるかい?」

セリアを誘うと、彼女は承諾してくれた。

レオナールはセリアが来るのを楽しみにし、ベッドに座り、本を開いた。
セリアが自分を驚かせようとしていた事を思い出した。

『あなたを驚かせたかっただけです』
『あなたの驚く顔が見たかったから…喜んだ顔も…』

今、正に、自分が同じ気持ちでいる事に、レオナールは笑った。


寝室の扉が叩かれると、レオナールは「来たか」と笑みを消し、演技に入った。

「セリアです」
「入ってくれ」

いつも通りに返事をすると、扉が開き、セリアが静かに入って来た。
だが、彼女はいつものドレス姿ではなく、夜着にガウンを羽織っていた。
いつも結われている白金色の髪は、降ろされ、流されている。

レオナール自身、夜着にガウン姿でいるのだから、当然といえば当然だったが、
この事態は予測しておらず、レオナールは内心で息を飲んでいた。

美しい…

つい、見惚れてしまっていた。

一瞬後に我に返り、レオナールは本を置くと立ち上がった。
そして、「こっちへ」と彼女を呼んだ。
壁際の、家庭用のスリムなピアノの前に連れて行くと、彼女は目を丸くし、驚いていた。
その顔が見たかったのだが、レオナールは集中するのが難しかった。

「寝室にピアノを置かれていたのですね…」
「いや、実は今日、運んで貰ったんだよ」
「まぁ!気付きませんでした」

気付かれない様に注意を払い、事を運んだのだから、
セリアが気付かないのも当然だった。
それが成功した事に、レオナールは満足だったが、やはり、集中出来なかった。

「来て貰ったのはね、君にピアノを弾いて貰いたかったからなんだ…」

「ピアノを?」

「パーラーで君のピアノを聴いた時、眠りに誘われてね…
ベッドに入っている時であれば、もっと深く眠れる気がするんだ、
手伝って貰えないだろうか?」

考えていた事をスラスラと口にするレオナールに、セリアは疑う事無く、笑顔を見せた。

「勿論、喜んでお手伝い致しますわ!」

「弾き終わって、もし、私が眠っていたら、そのまま部屋を出て貰って構わないよ」

あくまで、これは治療であり、自分に下心は無いと、
レオナールは必要以上に堅くなっていた。
だが、セリアの方も、まるで乳母の様だった。

「はい、承知致しました、どうぞ、ベッドにお入り下さい」

レオナールがベッドに入るのを確認し、セリアは演奏を始めた。

それは、明るく爽やかな調べだった。
レオナールは春の草原へと誘われ、いつしか眠りに落ちていた。

気持ち良く眠れていただろう。
その眠りは深く、満足感があった。

だが、目が覚め、そこに独りで居る事に気付くと、無性に物悲しさを感じた。

セリアに帰っても良いと言ったのは自分だというのに…

レオナールは嘆息し、再び目を閉じた。



レオナールの願い通り、その夜以降、セリアは毎晩寝室を訪れ、ピアノを弾いてくれた。

レオナールはセリアが来るのを心待ちにしていた。
彼女のピアノもだったが、彼女が来るだけで、レオナールの心は晴れ、胸が弾む。
少年に戻った様な自分に、レオナールは気付かない振りをしていた。

気付いてしまえば、終わってしまう___

それが分かっていたからだ。


◇◇


レオナールはフレミー卿の寄付集めのパーティに、セリアと共に出席する事を決めた。

フレミー卿との付き合いは十年近くになる。
人柄も良く知っていて、信頼出来る人だった。
だとしても、契約結婚の妻を紹介しようとは思っていなかった。
だが、どうしても、セリアに一緒に来て貰いたかった。
その理由は、ただただ、『セリアと共に過ごす時間を増やしたい』、それだけだった。

着飾ったセリアは、上品な若い貴婦人で、レオナールは息を飲み、彼女に見惚れた。
夫という立場であれば、それは許される事で、レオナールは存分にその権利を行使した。
彼女を自分のものだと言う様に、片時も離れず傍にいて、彼女に触れる。
情熱的に見つめても、それは夫婦としての演技だと、彼女は思うだろう。
レオナールは自分でも驚く程に、それを楽しんでいた。

これ程、誰かに心を許せた事は無かった。
これ程、誰かに愛情を示した事も___

レオナールは不意に我に返り、頭を振った。

自分に愛情などない。
自分は誰も愛せない人間だ。
いや、愛を恐れる人間だ___

「全て、演技だ」

演技でなくてはいけない。
演技でなくなれば、そこから先は、苦しみしかない___

レオナールは自分を戒めた。

だが、セリアが彼女の嘗ての婚約者と会っているのを見て、
レオナールは強い怒りを覚えた。
衝動的に、そちらへ向かったのだが、二人の会話がレオナールの足を止めさせた。

「…言ったじゃないか、父に逆らえなかったんだよ。
僕の父を知っているだろう?何を言っても、自分の思い通りにしてする人さ。
トラバース卿の下女にされたと聞いて、僕がどれだけ心を痛めたか…
君を想い、これまで辛い日々を過ごしてきたよ、セリア…」

呆れる言い分だ。
それでも、セリアがこれを信じ、同情したらと思うと、レオナールは気が気では無かった。
だが、次のセリアの言葉は、レオナールを安堵させた。

「ジェローム、あなたも結婚したのね?お相手は?」

セリアはそれを歓迎している様に見えた。
尤も、相手は違う様で、一転、不機嫌な声になった。

「君と結婚するつもりで準備していただろう、父が『無駄にしたくない』って、
適当な相手を見つけて来たのさ…僕は君と結婚したかったのに」

「でも、わたしたちも、親が決めた婚約だったでしょう?愛は無かったわ」

「そんな!僕らは愛し合ってたじゃないか!」

「ジェローム、止めて、わたしもあなたも結婚しているのよ?」

「そんなの関係無いよ!ああ、愛するセリア、君を助け出してあげたい…」

「必要ないわ、わたしはあなたを愛した事は無いし、
わたしが愛しているのはただ一人、夫レオナールだけよ___」

セリアの言葉がレオナールの胸を突いた。
それは、確かに、《喜び》だった。
だが、次の瞬間、相手が逆上し、手を振り上げた。

「嘘だ!この、売女!!」

レオナールは咄嗟に駆け寄ると、その腕を掴んでいた。
必要以上の力を込めて___

「女性に手を上げるなど、許されない事だ。
相手が私の妻ならば、尚更だ、二度と妻には近付かないでくれ」

レオナールが低い声で警告すると、男は力なく「はい」と項垂れた。
それでレオナールは手を離してやったのだが、男はグチグチと不満を漏らした。

「君は冷たい女になったね…僕が愛した君じゃなくなったんだ…」

その言い草に、レオナールは唖然とした。
冷たいだと!?彼女からは尤も掛け離れた言葉だ___
レオナールは苛立ち、男に詰め寄った。

「愛していたなら、何故、彼女が一番困っていた時に助けなかったんだ?」

「あなたはいいよ!伯爵だ!だけど、僕には力が無い…
どれだけ助けたいと思っても、父が許してくれなかったんだ…」

自分の不甲斐なさを、他の誰かの所為にするとは、情けない!
レオナールは怒りを込め、冷たい目で男を見下ろした。

「君は父親に何と言って説得しようとした?彼女をどれ程愛しているか訴えたのか?
彼女無しには生きて行けないと言ったのか?
私なら、大人しく後を継ぐ代わりに、彼女と妹を助けてくれと頭を下げるだろう。
彼女を本当に愛していたなら、君はどんな事をしてでも父親を説得するべきだった。
それが出来ないのならば、彼女を攫って逃げれば良かったんだ。
それすらもしなかった君に、彼女を責める権利など無い!」

レオナールは厳しく言い放つと、セリアの細い肩を抱き、「行こう」と促した。
男に対する怒りで苛立っていたが、場所を離れ、人気の無い所まで来ると、
幾分落ち着き、大人げなかったかと思えてきた。
いつまでも抱いていたかったが、この場には相応しくなく、
レオナールはその肩から手を下ろした。

「勝手な事をしてすまなかったね、だが、《夫》としては見過ごせなかった」

「いえ、助かりました…」

「彼を愛している?」

レオナールは緊張していた。
セリアが「いいえ」と頭を振った事で、それは解かれた。

「親同士が決めた婚約でしたので、愛を築くには至っていませんでした。
友の様に親しかったので、結婚に不安はありませんでしたが…
彼はわたしの両親の訃報を聞き、駆けつけてくれました。
翌日も来ると言っていましたが、彼は来ず、代わりに男爵の秘書が来て、
婚約の解消を伝えられました。
わたしが館を出て、町を出て行く時、彼が来てくれるのではないかと期待しましたが、
彼は来てくれませんでした。一度も、顔すら見せてくれなかった…
わたしは捨てられた気がし、酷く悲しみました…」

「セリア…」

彼女の悲しみや胸の痛みが、レオナールには手に取る様に分かり、
掛ける言葉が浮かばなかった。
そっと、慰めの様に、彼女の腕に触れた。
だが、セリアは苦笑し、頭を振った。

「わたしが思っていた程には、彼はわたしを好きでは無かったのだと気付きました。
そして、わたしの方も、すっかり気持ちが冷めてしまい…
今の今まで、彼の事は思い出しもしませんでした」

レオナールは内心で安堵の息を吐いた。

「あなたが彼におっしゃった事は、わたしが彼に言ってやりたかった事です。
お陰でスッキリ致しました、感謝します」

セリアが顔を上げ、笑みを見せる。
セリアは見た目よりもずっと、芯があり、強い女性だ___
レオナールも薄く微笑み返した。

「それならいい、あんな男は君には相応しくない___」

「それでは、わたしに相応しい方は、どんな男性ですか?」

勿論、私だ___

浮かんだ返事に、レオナールは愕然とした。
軽口でなら良かったが、レオナールは本気でそう思い、
そして、そんな自分に恐怖した。

「それは、また考えよう、さぁ、そろそろ戻った方がいい…」

レオナールはさっさと話を切り上げた。

だが、その後も、男が近付かない様、レオナールは、セリアから片時も離れなかった。
常に、彼女の腰や肩に触れ、時折、耳元や頬にキスを落とす。
セリアは熱い眼差しと微笑みを返してくれ、その頭をレオナールの肩に預ける事もあった。

全て、演技だ___

そう思いながらも、喜びを感じる。
レオナールは自分が保てなくなっていた。

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