お伽話 

六笠 嵩也

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第三章

3-24

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翌朝、鈴虫が目を覚ますと、残念な事に目の前に喜一郎の顔があった。

まさか喜一郎が自分の隣に寝ているなんて思いもよらない。どうせならば佐吉だったら良かったのにと、鈴虫はちょっとだけ残念に思う。

「…ん……さみぃなぁ…なんだ…お前も起きたのか……」

「うん、喜一郎兄様、おはよ。おら、ちょっと前に目ぇ覚めたよ。」

「そうか…お前、何か食い物、作れるか?」

「…むり。」

「しょうがねぇなぁ…じゃぁ、お婆様にお願いして来てくれ、八人分の飯を。」

「え?なんで八人なの?」

鈴虫はゆっくりと体を起こして部屋の中を見渡す。

喜一郎の後ろには嘉平が同じようにして寝転んでいる。鈴虫は自分を入れて三人、お妙を入れて四人、さて八人とは何だろうと指を折って数えながら振り返り、驚いて思わず小さな悲鳴を上げてしまった。そこには褌一枚の見知らぬ男が三人、好き勝手な格好で雑魚寝しているではないか。知らなかったとは言え、複数の、しかもほぼ裸の男と一夜を伴にしてしまったかと思うと恐怖がじわじわと湧いてくる。起きた時点で着ている物に乱れは無かったし、痛いところも特に無い。しかし、それだけでは鈴虫は心配な気持ちは止まらない。とりあえず何か自分の体に変わったことが無いか、あちこち触って確認してみた。

「なに、股座またぐらさわってんだよ、汚ねぇな~!ムシでも湧いてケツ痒いのか?それとも小便か?もう明るいんだから厠くらい一人で勝手に行けよ。バカ!」

「ちっ、ちがう…にいさま…あのひとたち…おら、寝てる間に……」

「はぁ?朝っぱらから卑しい事を考えてたのかよ。ったく、馬鹿なこと言ってないでさっさとお婆様の所へ行け。あぁ、そうだ、みんな徹夜したんだから起こさないように静かにな。」

「えっ!?えぇっ…う、うん、わかった。」

鈴虫は足音を忍ばせて部屋を出ると、お妙の部屋に向かいながら両手の指を折って数え始める。先程の三人を足すと七人。あとのもう一人が堂の中に居れば八人。八人分の食事と言えばいつもの倍だ。寺子屋で算術を習った事の無い鈴虫は、こうしてようやく合点がいった。
鈴虫はお妙の枕元へと歩みを速め、眠っているところを揺り起こすと、指を折って説明しながら八人分の食事を作って欲しいと訴えた。お妙は寝起きの頭で鈴虫の拙い説明を根気よく聞いていたが、堂の中に一人閉じ込められている人がいると聞けば、話を最後まで聞かなくとも全ての察しが付く。どうやら自分が眠っている間に大変な事になってしまっていたようだ。本来であれば現身の事に関して、中心となって対処してゆくべき役割を負っていると言うのに、今回は全く役に立つ事が出来なかった。そう思うとお妙は口惜しくて堪らない。きっとみんな疲れ切っているはず。お妙は急いで寝床を離れると竈に火を入れた。とりあえず昨夜の残りの粥を温め直し、芋や大根のあり合わせで手早く煮物に仕上げてゆく。鈴虫もそんなお妙の傍で来客用の皿を出したりと、自分に出来そうな事を手伝った。

良い具合に食事の支度が出来た頃、ゾロゾロ…と嘉平、喜一郎を先頭にして褌一枚の男衆が廊下に出て来た。先程は動揺していてあまり細かく見ていなかったが、全員がどこかしらに引っ搔き傷や青痣がある。しかも、寝不足なのだろうか、疲れ切った顔の目元にはくっきりと隈が出来ている。きっと寝床で微睡んでいる時にこんな集団が部屋に入って来たら、落ち武者か何かの亡霊だと思ってしまうに違いない。そんな集団がゾロゾロ…とお妙と鈴虫の方に近付いて来る。鈴虫は思わず厨の隅に身を隠した。

廊下の向こうからやって来る嘉平にも喜一郎にも男衆にも、鈴虫が慌てて隠れたのはしっかりと見えていた。他の村からの来客に対して失礼な態度ではあるが、自分達がどんな格好をしているか考えると鈴虫が怖がるのも仕方が無い。こういう時は、鈴虫の警戒心が解け、自分から近付いて来るまでは敢えて呼び付けない方が良いだろう。近付いてこない鈴虫をほっといて、男衆は皆で板の間で車座に席をとると、待ちかねたと言わんがばかりに温かい食事に箸をつけ始めた。昨日から飲まず食わずで走りまわって、ようやく食べ物にありつく事が出来たのだ。

鈴虫が遠くの方から恐る恐る声を掛けた。

「…あ、あのね、おっ、おら、えらい人たちからお着物いっぱい貰ったから…おらの…着る?」

「ばぁぁぁかッ!大の男がお前の紅い御べべなんか着るわけないだろ!」

「…そか。」

「いや、いや、喜一郎さん、鈴虫様はお優しい御方ですよ。お気持ちだけでもありがたいですよ。…そう思いませんか?」

清兵衛が鈴虫の拍子抜けした申し出をやんわりと断り、沈痛な面持ちで自分の腕に残るミミズ腫に目を落とす。それを見ていた喜一郎も昨夜の出来事を思い出した。此処に居る男衆は皆が満身創痍。昨夜の大捕り物が如何に大変であったのかを物語っている。こうしてみると、喜一郎にしてみれば煩わしい存在の鈴虫も、他の村の者からすれば扱いやすく可愛いらしいものなのかも知れない。

警戒心剥き出しで厨の片隅から出て来れない鈴虫を見かねて嘉平が奥から着る物を持って来た。これで少しは鈴虫も安心するだろう。

「皆様の着ていた物は干してありますが、まだ乾いておりません。喜一郎ので宜しければお貸しいたしましょう。さぁ、どうぞ遠慮なく袖を通して下され。…さて、それで、観世音菩薩様の御光臨があったのが昨日の事でしたっけ?」

「あぁ、嘉平様、喜一郎さん、有難うございます。いいえ、川に落ちたのが昨日で、その前に丸一日山の中を逃げ回っていたので、観世音菩薩様が体に入られたのは一昨日だと思われます。」

「という事はあと四、五日は堂の中に閉じ込めておかなければなりませんな。堂に居る間はこちらで面倒を見るとして…その後はどうされますか?」

「…嘉平様、正直なところまだ先の事を考える余裕がありません。ですが、あまり嘉平様にご迷惑を掛けるわけにもいきませんし……どうでしょう、御光臨の終わる五日後の朝にお迎えに上がるという約束では?」

「ええ、それが宜しいでしょう。では、五日後の朝にお待ちしております。今日のところは着物が乾くまでゆっくりしていって下さい。堂は施錠してありますし、格子窓も半分は閉じているので大丈夫でしょう。」

当面の話はついたようだ。吸い込んだ者を獣へと豹変させる禁断の香りを放つ現身を堂から出すのは自殺行為であり、堂に閉じ込めて遣り過ごすと言う判断は間違いでは無いだろう。これから先、五日もの間、嘉平には現身の面倒を見る自信が正直なところ無い。だが、そうかと言って他に方法が思いつかなかったのだ。

「…ね、お父様、お堂にもう一人いらっしゃるんでしょ?…おなか減ってないかなぁ?もしかすると…お届けできるのは……お婆様か、おらだけか?」

嘉平はその言葉にすぐには返事が出来ない。周りの男衆も、喜一郎も渋い顔をして考え込んでいる。厭な沈黙が続くとだんだんと鈴虫も何か悪い事を言ってしまったのではないかと不安になってきた。見かねた喜一郎が聞えるように深い溜息を吐いて、箸を持ったまま右腕を鈴虫に向けて突き出した。

「鈴虫、お前、やっぱりバカだな。これを見て、ただ事じゃないって思わないのか!?」

「…ぁぁ…い、痛いね…紫色になってるの、それ…歯形?噛まれたの?…兄様、だいじょうぶ?」

「ったく、どうしたもこうしたもねぇだろ。腕力で勝てないからって引っ掻くわ、噛みつくわ!牙と爪って、猫のケンカ技かよ!もう、面倒臭くなったから五、六っ発、ぶん殴ってやったぜ。そうしたら気を失って大人しくなったけどな。菩薩の現身だろうが知った事か!…ぅ…ん、お前以外の現身ってのに初めて会ったが…まぁ、アイツに比べたらお前の方が多少は物分かりが良いんだろうな。」

思わぬところで喜一郎から褒められたことで鈴虫は嬉しくて堪らなくなった。もしかしたら喜一郎から好意的な言葉を掛けて貰ったのは生まれて初めてだったかも知れない。まぁ、喜一郎としては「お前よりも質の悪いヤツがいた」と言う意味なのだろうが、鈴虫はたとえそうであっても構わない。ほんの少しだけでも認めて貰えたという喜びが鈴虫の心の中で大きな自信を生んだ。

「喜一郎兄様、おら、大丈夫だよ。お芋と大根を食べさせるだけでしょ?」

「お前じゃ無理だって言ってんだろう!体に痕が残るような傷を付けられたらどうするんだ!バカ!」

「…じゃぁ…誰が行くの?お婆様か?それとも喜一郎兄様かお父様が行くの?」

そう言われてしまうと皆が言葉に詰まる。咳に体力を奪われてお妙の体調ますます悪くなっていると言うのに、今日は八人分もの食事の支度をさせてしまった。もうあまり無理はさせられないだろう。しかも相手は野良育ちで鈴虫のようにおとなしくは無い。足腰の弱った老女が押されて転んだりしたら命にかかわる。考えに考えた挙句、嘉平は仕方なく腹を括った。

「鈴虫や、頼りはお前だけだよ。」

「はいッ!」

お妙が盆に水と食べ物を用意する間、嘉平は心配でたまらず注意するべき点をあれこれとあげつらっている。喜一郎はそんな様子を傍で見ながら、どうせ鈴虫が全部を覚えていられるわけが無いのにと呆れていた。要は、猿轡を外し、食べ物を口に詰め込んで戻って来る。言われた事を忠実に実行出来る人間にとっては簡単な任務だ。しかし、人慣れしていない鈴虫だと甘言に乗って体を縛った麻縄を解いてしまうかも知れない。そうなると箱入り息子の鈴虫が腕力で勝てるわけが無い。しかも、相手は容赦なく噛付いて来る山猫のようなヤツだ。喜一郎は眉を顰めながら最悪の結末を思い浮かべていた。

「おい、なんかあったら大きな声で助けてくれって叫ぶんだぞ。いざとなったら俺がぶん殴って大人しくさせるからな。それから、逃げられたらもう一度捕まえるのは難しいんだから絶対に縄を解くなよ!わかったか?」

「ふふふっ…うん、大丈夫…だとおもうよ?おら、怖くなったらおっきな声で喜一郎兄様~っ!て呼ぶね。」

「なに笑ってるんだ、ふざけてるのか!相手はお前より力が強いんだからな。気を抜くんじゃねぇ!」

「ふざけてないよぉ!…だってさ、兄様がしかめっ面してるから…。さ、行かなきゃ…きっと、おなか空かせてるよ。」

「…あぁ、さっさと行け。」

山手から吹く風は庭を渡り、お妙と鈴虫に付き添って廊下まで来た喜一郎の鼻先を擽った。それは鈴虫の甘く蕩けるような葛の花の香りとはまた違った、少々癖のある香り。まるで男を挑発するかのように香っては、鈴虫以外にも現身が存在するという現実を喜一郎の身体に示し、確実に侵食してゆく。ありったけの高潔さと嫌悪感を掻き集めて抗ってみても、衣一枚の下で暴れ出しそうな人間の本性は、もう限界を迎えてしまいそうだ。喜一郎がこの状況から抜け出すには、相手を力で捻じ伏せて手っ取り早く大人しくさせるしか無いだろう。お妙が居るうちはそれでも良い。しかし、この遣り方のままでは、いつか取り返しのつかない事になってしまうかも知れない。この先どうなってゆくのか、果たしてどうすれば上手く行くのか、喜一郎の胸の内から蟠りが消えることは無かった。

南京錠の鍵を持ったお妙と盆を抱えた鈴虫が庭の奥の堂まで歩いて行く。お妙が鍵を開けている間、鈴虫は振り返えって喜一郎に向かってもう一度笑顔を見せた。それはまるで庭の端で満開に咲いている白い菊の花のように凛として、喜一郎に険しい顔をしないでと諭しているようだ。

「一番臆病なのは俺なのかもしれないな……」

喜一郎は堂の中へと消えて行く鈴虫の背中を見送りながらポツリと呟いた。

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