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名前を呼ばれた日

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「す、すいません……」

わたしは、小さくなってアレクシス殿下に謝った。

しがみついて号泣して。
その結果何が起こったかと言えば、アレクシス殿下の服をびしょ濡れにする、という事態だ。
申し訳なさ過ぎる。

「気にするな」

落ち込むわたしに掛けられた言葉は、やはり優しかった。


わたしが号泣している間に届いていたらしい食事は、少し冷めていた。

温め直すと言われたけれど、そこまでしてもらうほどじゃない。
冷めている事よりも、ドロッとした形のない食事であったことの方が不満だ。

「言っとくが、お前丸一日寝ていたんだ。卒業パーティーから三日。つまりお前は三日何も食べていないんだ。そんな奴に固形物を出せるか」

もっともだ。何も反論が浮かばない。
かつて、一週間食事抜きにされた後にすぐ、普通に肉を食べて、お腹が痛くなったことを思い出した。

けれど、だからこそ疑問もある。

「なぜ、何も食べていない、とご存じなんですか?」
「クリフォードに聞いた」

出てきた名前に、スプーンを動かす手が止まった。
わたしの、弟の名前だ。

「クリフォードが王宮に乗り込んできたんだ。お前の母親を助けて欲しい、と言ってな」

そして、わたしは、ここに至るまでの経過を、全部聞いたのだった。



一番驚いたのは、自分が死ぬ一歩手前までいっていたことだろうか。

騎士団長様に抗議した、という牢番の兵士の話は、ヒヤッとした。一兵士がそんな抗議なんかして、大丈夫だったんだろうか。

「団長は、普段から兵士と話をして、色々意見を聞くようにしているからな。抗議されたからと言って、処罰するような団長じゃない」

わたしの心配を見越したような殿下の言葉に、ホッとした。

ここに移されてすぐ、アレクシス殿下と交わしたらしい会話を、全く覚えていないのは、本当に申し訳なかった。

その時に、母を保護している、という話をして下さっていたらしいから、同じような説明を二回繰り返させてしまったことになる。

「すいません……」

何度謝ればいいのか。いくら謝っても、謝り足りない気がしてきた。



そして、最後は、カルビン様について。

わたしは、頭に手を触れる。
入浴時以外は外すな、と言われていたカツラ。今はそれを付けていない。

そのカツラが外れてしまったとき、カルビン様が仰っていた言葉を、アレクシス殿下は隠さずに教えてくれた。

でも、それに対しての答えは、わたしの中ではとっくに出ている。

「どんな理由があったとしても、わたしがカルビン様にした事は消せません。ですから、カルビン様が気に病む必要も、許して頂く必要もありません。そのように、お話し下さい」

「それが出来るくらいなら、カルビンは最初から悩んだりしないぞ」

「悩まれる必要なんて、ありません」

間違ったことを言っているつもりはないのに、アレクシス殿下に困った顔をされた。
なんて言ったらいいのだろうか。

けれど、言葉を探している内に、殿下が口を開いた。

「俺がどうこう言う問題ではないからな。カルビンにはそのまま伝えておく。あとはあいつが判断することだからな」

そう言われてしまえば、わたしもそれ以上何も言えない。
黙って頷いた。


食べ終わった食器が下げられる。
それを何となく見送る。

「リィカルナ。近いうちにロドル伯爵の件について、取り調べがあると思うが、今日の所はゆっくり休め」

コクン、と頷く。

公爵閣下のことを気にしなくていいなんて、引き取られてから一度たりともなかった。
本当に安心して休めそうだった。

「それと……」

アレクシス殿下の声が緊張を帯びた。
その表情も、緊張しているようだった。

「何でしょうか?」

聞くと、アレクシス殿下は一つ息をついた。

「……リィカ、と言うのだと。お前の本当の名前はリィカなのだと、お前の母親から、そう聞いた」

目を、見開いた。
母以外に、呼ばれなくなった名前。

望んでもいない、リィカルナという名前を付けられて、そう呼ばれるようになって、どこか麻痺していた。
もう自分はリィカではないんだと、諦めていた。

「だから、これからは、リィカ、と呼んでいいか?」

こんな事を言われる日が来るなんて思わなかった。
夢中で、首を縦に振る。

声は出なかった。
口を開けば、嗚咽がもれそうだ。

けれど、我慢しきれなかった涙が、こぼれ落ちる。

「泣け、リィカ。服なんかいくらでも濡らしていいから」

早速、名前を呼ばれた。
声が優しい。抱き締められた。

この短時間で二度も泣きすぎだ。
そう頭の隅で思ったけれど、零れだした涙は止まらない。

アレクシス殿下に抱き締められたまま、またわたしは泣き続けたのだった。


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