真実の愛の犠牲になるつもりはありませんー私は貴方の子どもさえ幸せに出来たらいいー

春目

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9. お帰りください

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「…………はぁ?」

マリィはタチの悪い笑えない冗談のようなことを嬉々と発言したクリフォードを2度見した。
あまりの内容に一瞬何を言われたかも理解出来なかったが、マリィはすぐに勘づいた。

(この人、何も知らないんだわ)

しかし、そんなマリィの目の前にいる男は勘違いだとも気づかず、水を得た魚のようにベラベラと話し始めた。

「やたらシルヴィーがルークの話をしたがると思えば……そうか! お前、攫ったのか!
私が期待するなと突き放したから、代わりに私の子どもを愛することで自身を慰めていたのだな! そうルークは私の代役! なんと倒錯的だろう。正気ではない!
ははっ! 哀れな女だ! なんと滑稽だ!
そうまでする程に私を愛していたのだな!
この前の夜会、私に素っ気なかったのはやはり私の気を惹く為だったのか!
初対面の時、あれだけのたまっておいて随分素直ではないな!」

クリフォードは舞い上がっていた。
今やこの国で最も価値のある女がシルヴィーから子どもを攫うほど自分を愛しているということに。
溢れる優越感に酔ってしまう。皆が称える女も所詮この程度だったかという失望がクリフォードを安心させ、この女が気が狂うほど自分を愛している事実にこれ以上ないほど高揚した。
今、人生で1番幸福ではないかと思ってしまうほどにクリフォードは有頂天だった。
しかし。

そんなクリフォードの目を覚まさせるように、文字通り、冷や水がかけられた。

「……ッ!」

突然水をかけられクリフォードは目が点になる。
水が滴る前髪の向こうには空の花瓶を持った、底冷えするほど冷たい目をしたマリィがいた。

「妄言を宣うだけならお帰りくださいませ」
「……マ、マリィ……?」
「もうすぐルークは昼寝をせねばなりません。貴方に付き合う暇などこちらにはないのです」

恐ろしく冷たい目に睨みつけられクリフォードは思わず怖気付いた。
まるで仇を見る目だ。しかし、彼女は自分を愛しているはずだとクリフォードは思い直し口を開けた。

「図星だったから気に食わないのか? ハハッ、それは悪かったなぁ、だが、私は寛容だ。この程度許し……」
「妄言を宣うだけなら帰ってくださいと二度も言わねば分からないのですか? クリフォード・ズィーガー様?」
「……っ」

部屋に沈黙が降りる。
マリィの凍てついた目がクリフォードを睨みつけ、彼を震え上がらせる。まるで蛇に睨まれた蛙だ。クリフォードは竦み上がり、口をはくはくと開閉させることしか出来なかった。
マリィはそんなクリフォードに淡々と告げた。

「勘違いしないでいただきたいですわ。
私がルークと共にいるのは、本邸の誰かさんがルークをこの別邸に置き去りにしたからです」
「…………なんだと……?」

クリフォードは青ざめた。マリィは攫ってなどいなかったのだ。クリフォードには信じられなかった。しかし、目の前にいるマリィはとても嘘を言っているようには見えなかった。
驚愕するクリフォードを置いて、マリィは淡々と続けた。

「再三、私の方から本邸に連絡し質問したのですが、全く知らないのですね。
私は聞きました。ルークをどうして置いていったのか、今後どうするのか。しかし、聞いても聞いても全て無視されてしまい困っていたのですよ。貴方方が何かを考えているのか分からずじまいでしたし。
けれど……蓋を開けてみれば、想像以上でしたわ。ルークの父親である前にご当主なのに邸内のことも把握していないのですね、貴方は」
「なっ!」

そのマリィの物言いには明らかな嘲笑が含まれていた。
馬鹿にされたのだと理解し、その瞬間、クリフォードの頭に血が昇る。

「貴様!! 私を馬鹿にするなど許さないぞ!!」
「あら、ルークにしたように私に暴力を振るうのですか?」
「そんなの知るか! 子育ては女がやることだろう! 私が関与するところではない! そもそも子どもなど私の価値を高めるわけでもないただ五月蝿い存在に興味もない!
そんなくだらないことよりもマリィ! よくも私を騙したな! 舞い上がっていた私の気持ちを踏み弄りやがって!」

逆上したクリフォードは腕を大きく振り被る。
マリィはルークを庇うように抱きしめ、来るだろう衝撃に目をつぶった、しかし。

「ぎゃああああああああああ」

悲鳴を上げたのはクリフォードの方だった。
何事かとマリィは驚いて目を開けると、信じられない光景が広がっていた。
開け放たれた窓。
宙を舞う絵本や花瓶、玩具。
それらに一斉に叩かれ投げつけられるクリフォード。
マリィの目の前で部屋中の小物という小物がクリフォードを襲っていた。クリフォードもマリィもあまりに現実離れした光景に目を見開いた。

「痛いっ! 痛い! 何故、どうなって!?
何が起こっている! 魔法使いでもいるのか! やめろ! やめろ!」

絵本がクリフォードを頭をひっぱたき、ガラスの花瓶が勢いよくクリフォードの身体に叩きつけられ、クリフォードは足元にあった車の玩具に足を引っ掛けられ転ばされた。
突然起こった異常にマリィは腕の中にいるルークの方を見る。
ルークは相変わらず無表情だったが……その目はクリフォードを凝視していた。

「ルーク! お願いだからやめて!これ以上やったらダメ!」

マリィは直感から直ぐにルークを説得した。しかし、クリフォードを襲うその勢いは止まらない。近くにあったクローゼットまで動き出しマリィは青ざめた。

「ルーク!」

マリィはルークを床に置いて咄嗟に足を踏み出す。クリフォードを庇う訳では無い。これ以上ルークに人を傷つけさせない為にその身を踊らせた。

勢い良く飛ばされたクローゼットがマリィにぶつかる。

部屋にけたたましい酷く嫌な音がした。





 それからどれくらい時間がたっただろう。

「……ッ、あ……」

気がつけばマリィはクローゼットの下敷きになって床に横たわっていた。
ぼんやりしている視界の中、誰かが腰を抜かしながら部屋の外に走り去っていくのが見えた。しかし、マリィは我が身可愛さに妻を見捨てて逃げていく彼など興味もない。
そんなことよりもっと大切なことがある。
マリィはクローゼットに挟まれた手を必死に動かしてそちらへ伸ばした。

先程からずっとその声は聞こえていた。

子どもの泣き声。

自分の感情を抑えきれずに泣いているその声。

マリィは手を伸ばし泣き止まないその子どもをあやすように頭を撫でた。

「貴方……泣けたのね。ルーク……」

そこでマリィは気を失った。
それからまもなくして別邸に、唯ならぬ様子を察知して部屋に駆け込んできた侍女達と乳母の悲鳴が響き渡った。





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