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12.本棚で出会ったのは
しおりを挟むマリィがルークを保護して半年。ルークは1歳になった。
「よし、これで終わりだわ」
マリィは分厚い書類の束を紐で閉じると、カバンにそれを入れ、颯爽と玄関に向かった。
その衣服はいつものシンプルなドレスとは違った。
貴婦人に似合うシックな赤のドレスにドレスと一緒に誂えた赤いレースのハット。
マリィは外出用の服に身を包み出かけようとしていた。
そこにルークを抱えた乳母がやってきた。
「奥様、お気をつけてくださいませ。事故などに遭ったら大変ですからね。特にそのカバンは絶対に手放してはなりませんよ」
「えぇ。分かってるわ。今日は大事な日だもの。気合い入れて行くわ。ルークを頼むわね」
「はい。ルーク様とお待ちしております」
乳母とそう話すとマリィはルークに手を振って玄関を出た。
……マリィを見送るルークの口元には小さな笑みがあった。
マリィは別邸の外に待たせていた馬車に御者の手を取って乗り込む。
向かう先は一つ。セレスチア行政庁王都区域支所。
そこにマリィは重要な申請書を出すのだ。
……ルークを養子にする、その養子縁組の申請書を。
マリィは申請書の入った分厚いカバンを抱きしめながら感慨深くなった。
(やっとルークを引き取ることが出来る……)
マリィがルークを引き取ると決めてから、なかなか大変だった。
国王の許可はすぐ下りた。元々好きにやれと言われていたこともあり、彼は全く反対しなかった。
問題はクリフォードとシルヴィーだった。実の両親である2人のサインがなければルークを養子に出来ない。だというのに、彼らはルークに酷く無関心だった。
反対された方が遥かにマシだった。彼らに幾ら許可を求めても何度も無視された。手紙を何度も出そうが直談判しようが彼らは読むことも聞くこともない。マリィの言葉など彼らは鳥のさえずりと同じらしい。
先日、シルヴィーが懐妊したせいもある。本邸は出産に向けて慌ただしくなっており、別邸のことなど構う暇がないらしい。
そして、1週間前、あまりに無視されて堪忍袋の緒が切れたマリィは本邸の侍女に協力してもらい、どうにかサインをもらった。
クリフォードもシルヴィーも侍女の説明をろくに聞かず請求書のサインだと勘違いしてサインしたらしいが、それでも良い。
ようやくルークをあの2人から引き離して、ルークを自分の子どもに出来る。
支所の役員に書類を確認してもらいサインをもらう。
……これで、書類上、ルークはマリィの実子になった。
すっかり空っぽになったカバンを満面の笑みで抱えながらマリィは支所から出る。
「はぁ、無事終わったわ」
達成感に心が満たされる。これで堂々ルークを育てられる。
「 また子どもを作ったあの2人に思うところはあるけれど……ともかく、やっとこれで大手を振ってルークの為に色んなことが出来るわ。
本当、ルークを実子に出来て良かったわ」
だが、安堵するには早い。まだまだ懸念すべきことはある。
あのルークの不思議な力だ。
マリィがクローゼットの下敷きになったあの事件以来、ルークが人を傷つけることはなかったものの、今後同じようなことが何度も起きたらルークの将来が心配だ。
せめて、あの力が何なのか調べないといけない。
ヒントは今のところクリフォードが零した魔法使いという言葉だけ。
マリィは帰宅せず、御者に頼んで王立図書館に向かった。
そこにはセレスチア建国以来出版されてきた全ての本が揃う。魔法使いについて何か分かるはずだ。
しかし、マリィは着いて早々、躓くこととなった。
「読めない……現代語訳がないなんて困ったわ」
壁のように聳え立つ本棚と本棚の間、マリィは分厚い本を抱えてため息を吐いた。
確かに魔法使いに関する本はあった。しかし、王立図書館の人気もない奥の奥の本棚にひっそりと置かれたその本は殆どセレスチアの古語、それも聖職者や王族など限られた一部の者しか読めない文字で書かれており、マリィが読めたものではなかった。
王立図書館の職員ですら読める人間がおらず、翻訳書もない。マリィは途方に暮れた。
「地道に読めそうなものを探すしかないわね」
図書館の3段の脚立を借りて、本棚にある本を一つ一つ覗いては読めないか探る。しかし、あまり成果は得られなかった。
これでは魔法使いが何か分からない。
しかし、ルークと乳母を家に待たせている今、あまり時間もかけられない。
焦りを感じたマリィは早く見つけようと、脚立に乗って次の本を取り出そうとする。
しかし、黒い背表紙のその本には、やや身長の小さいマリィでは脚立に乗っても指の先が届くのがやっとだった。
「もう少し……!」
脚立の上で飛び跳ねて本を掴もうとする。
その時だった。
「おい、跳ぶな。危ないだろう 」
マリィは後ろから誰かに注意された。
振り返るとそこにはいつの間にか青年が立っている。
歳の頃はクリフォードと同じくらいだろうか。顔半分を覆うような長い前髪に丸眼鏡、黒い外套を羽織った影のある雰囲気の青年だった。
……一目見た瞬間、不思議な青年だとマリィは思った。
彼はまるで冴えない青年のような風貌だった。だが、その艶かかな黒髪に陶磁器のような白い肌、すらりとした長身、何処か品のある所作。
直感でしかないが、マリィは彼が只者ではない気がした。
思わずマリィは青年をじっと見つめてしまう。そんなマリィに青年はため息を吐いた。
「危なかっしい人だ。転倒したらただで済まないんだぞ」
「ご、ごめんなさい。本が届かなくて……」
「職員に頼めば良かったろうに……。
一端の令嬢がドレス姿で脚立の上で跳ねるんじゃない。何をやっているんだ」
青年はマリィに呆れている。
マリィは段々と恥ずかしくなり俯いた。
言われて初めて気づいたが、ドレス姿で脚立の上で跳ねる……なんてはしたないことをしてしまったのだろう。最悪、スカートの中が見えてしまう。こんなこと娼婦でもしない。
顔を真っ赤にしてマリィは手で顔を覆う。
そんなマリィを見ていられなかったのか、彼は頭を掻きながら視線を逸らした。
「あぁ、うん……ここがほぼ無人で良かったな……いや、万が一転倒した時を思ったら誰かいた方が良かったのか?
どちらにせよ。もうやるなよ。いい歳した令嬢がやるものではない」
「…………はい」
「……どれを取ろうとした?」
「はい?」
「お前が探していた本はどれだ。代わりに取ってやる」
マリィが見ていた本棚まで青年は来ると、マリィと入れ替わりで脚立の上に昇って、彼はマリィが見たい本を全部取ってくれた。そして、マリィが中身を確認すると黙々と元の場所に戻す。
その優しさにマリィは感動した。
(クリフォード様に国王陛下。私の身近にいる男がみんなロクでもないからか、このちょっとした親切が凄く嬉しいわ)
2人はこの人の爪の垢を煎じて飲んでくれ、とマリィが思っていると、青年がマリィに話しかけてきた。
「貴方は魔法使いを調べているのか?」
「えぇ、そうなのです。魔法使いがどんなものか知りたくて……でも、なかなか私でも読める本がなくて……」
「……。なるほど。そういうことか。
初めに何を探しているのか聞けば良かったな。魔法使いについての書物で現代語訳にされているものの殆どは学院の研究室に貸し出されている。残念だがここにはない」
「え? 研究室?」
どうやら青年はマリィが求めるものの居場所を知っていたらしい。青年は申し訳なさそうにマリィを見つめた。
「おまけに、ざっと棚を見ただけが、魔法使いそのものについての説明が書かれた希少な蔵書も貸し出されていてここにはないようだ。ここにあるのは魔法使いという存在が普遍的なものだった頃の記録だけ。貴方が求めるものはない」
「そんな……」
マリィは肩を落とした。ルークのことが何かわかると思ったのだが、これでは徒労になってしまう。
そんなマリィを見て何か思ったのか青年は思案すると……。
「今から時間はあるか?」
「え? 時間は……少しだけなら」
「そうか。少しか。
俺で良ければ魔法使いについて教えようか?
恩師のような専門家ではないが貴方の役に立つかもしれない。
どうだろうか?」
「よ、良いのですか? よろしくお願い致します」
渡りに船とはこのことか。表情が明るくなり微笑みを浮かべるマリィ。青年は照れくさそうに視線を逸らした。
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