真実の愛の犠牲になるつもりはありませんー私は貴方の子どもさえ幸せに出来たらいいー

春目

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23. 暗中

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セレスチアの上空を占拠したドラゴンは暴風を伴いながら物色するように街の上を旋回していた。

既にドラゴンの狙いは貴族ではなく平民達に変わっていた。

眼下では、強大なドラゴンの存在に怯え、人々が逃げ惑っている。


そんな人々を絶望させるように恐怖の竜は咆哮した。


一方、ドラゴンがようやく去ったルクセン通りには国王が手配した救助隊が到着し、ランタンの光を片手に逃げ延びた人や瓦礫に埋もれた人を救い出していた。

救護班配給班など様々な部署に分かれ、被害に遭った人々の為に救助隊は懸命にその職務を全うしていた。

そんな救助隊の中心部、司令班には王太子セロンがいた。

セロンは王太子ながらこの国難に対し何か出来ないかと前線とも言えるこの場所に危険を顧みず自らやってきたのだ。

「被害集計は後でいい。
とにかく被災者を片っ端から全員助けろ!形振り構うな。
医療班も既に到着済み、しばらくすれば、騎士団の応援も来るだろう。
後ろは任せろ。お前達は安心して人を救いにいけ!」

「はっ……!」

セロンの命令と共に救助隊員は駆け出していく。
その背を見送りながらセロンは司令班のテントの壁に張り出してある巨大な地図を見た。

ルクセン通り周辺を詳細に書いたその地図は、赤ペンで描かれた‪✕‬マークで真っ赤になっている。

セロンは険しい表情になった。

ルクセン通り周辺地域だけで既に1万戸の邸宅が大破し、その邸宅に住んでいた大多数の人間が行方不明になっている。

恐ろしいのはあのドラゴンが現れてからまだ2時間しか経っていないことだ。

既にこんなにも甚大な被害が出ているというのに……まだ序の口なのだ。

「クソッ……!」

セロンは歯噛みした。

王都に聖女がいればもっと迅速に対処できるはずだが、今、彼女は北の果ての地、グランバーにいる。王都帰ってくるには最低でも3日かかる。彼女を待っている間に王都はあのドラゴンに食い潰されるだろう。

「どうにかならないものか……!」

セロンはやるせない怒りから拳を握りしめた。

そんな時、外から誰かがヒソヒソと会話する声が聞こえる。テントの外は簡易的な救護室が幾つも並んでおり、そこで治療を施している。その会話は怪我をした貴族の会話のようだった。

「よりによってドラゴンが現われるなんておかしくないか?
だってアイツら、人を襲ったりしないどころか人とは関わらない連中のはずだ。彼らは人間より知能がある言われているし……」

「それもおかしいが……どうして結界で守られているはずの王都に魔物が出たんだろうか?
聖女の結界が破られたとしか思えんぞ」

「はぁ……確かに。
前々国王の代から、聖女の力が弱まっているとは薄々感じていたが、とうとうここまで来たか。
特に今の聖女様は前のシルヴィーが大罪を犯したせいか、一際弱くなっている……。
きっと神はお怒りなんだ。人に祝福を与えるのを躊躇っている……」

「シルヴィーの件で教会の信用もだいぶ落ちて、教会離れも起こっているからな……。
神が人間に失望しているとしか思えない。
何か嫌な予感がするよ。
……このドラゴンは始まりなんじゃないかって」


その話を盗み聞きして、セロンは何とも言えない顔になり、俯いた。










ドラゴンはまだ猛威を振るっている。

家屋と人を襲い、各地で深刻な被害をもたらしていた。

そんなドラゴンの身体の中は、底なしの異常な広さを持ち無重力に支配された異空間になっていた。
瓦礫と気を失った人々が空間の中で宙を浮き漂っている。

小難しい本や、まだ温かいお茶の入ったポット、箪笥、屋根……犬、侍女、老執事、貴族令息、夫人、どこかの貴族の当主……。

浮いているものに差別はなく、皆、等しく呑まれ、そこにある。


そんな空間の中で、ルークは1人膝を抱え俯いていた。

とうに涙も枯れ果ててしまった、もうその瞳には光は無く、昏く、まるで深淵のようだった。

もうルークはドラゴンのことなど眼中になかった。

止めなくてはいけないと分かっている。だが、ルークの絶望から生まれたあれはもうルークの手には負えない存在になった。きっとルークが何を言っても、何もかも破壊するのを止めないだろう。

それにルークは止める気力もなかった。

今更止めたところで、街も人もボロボロでどうしようもないところまで来ている。

その上、止めたところで……マリィは。

「マリィ……」

マリィがどうなったか全く分からない。ルークには調べる術もない。
だが、あの侯爵の話ではもう……。

「……っ」

ルークは拳を握る。

どんなに握っても痛みがあるだけで、温もりも何もなかった。

「マリィ……ごめんなさい……。
僕の親が違う人だったなら……そもそも僕がいなければ……マリィが酷い目に遭わずに済んだのに……!
ごめんなさい……。
僕はマリィを幸せにしたかったのに!
結局、僕は傷つけて!
僕はきっと本当に悪魔なんだ!
……ごめんなさい、マリィ……マリィ……!」

冷たい世界で独り、ルークは泣き腫らした顔をその小さな手で覆う。

その慟哭と共に、ドラゴンは天高く咆哮を上げた。








そんなドラゴンを地上から彼は見据えていた。


ルクセン通りを望む大聖堂。

南に張り出した巨大なステンドグラスの窓は暗闇を映して今や真っ黒になってしまっており、毎日人々が祈るその場所も一部半壊し、既に無人となっていた。

その屋根にマリィとフィルバートはいた。

ドラゴンはこちらに気づいていないが、2人を妨害するように大聖堂には強風が吹き付け、足を踏ん張っていなければ直ぐによろめいてしまいそうだ。だが、マリィはともかく、フィルバートは一切その姿勢をブレさせることなくそこに立っていた。

「さて、マリィ夫人、一つ、約束して欲しい」

マリィがフィルバートを見上げると、彼は徐に耳にかけている眼鏡に手を伸ばし、外した。

「これから見るもの聞くもの全ては他言無用で頼む。
あの人……国王陛下でさえ口に出してはいけない極秘事項だ。
理由は話せないが……。
……貴方なら多分察しはついているんじゃないか?」

長い前髪の下で、彼は自嘲する。

マリィはそんな彼から視線を逸らす。彼にどういう表情を向ければいいのか、分からなかった。
だが、敢えて、冷静な振りをして口を開いた。


「貴方は……魔法使い。
そうですよね?」


風が吹くだけの無言の時間がこの場を支配し過ぎていく。
不安そうなマリィに対し、彼は笑っていた。


「そうだ……俺は、魔法使いだ」


冷たい風が吹き荒ぶそこで彼は淡々と語り始めた。

「魔法使いは人であるが故に危険な爆発物のようなものでもある。
現に、こうして彼は龍になってしまった。
あの域になると、既に魔法使い自身の意思とは関係なくただ暴れるだけの存在になる。
心が揺らぐだけでそうなるんだ。魔法使いは厄災を振り撒く存在とも言える。
だが……」

その瞬間、彼の手に何処からともなく一本の杖が現れる。彼の腰の高さまであるそれはただの杖ではなく金と黒檀で作られ巧緻を極めた見事な杖だった。

そんな杖を持つ彼を見て、何故かマリィはまるでどこかの国の風格ある王と相対しているような畏怖を感じた。

風が彼の前髪を揺らし、その瞳を僅かに見せる。

その琥珀色の目はどこまでも真っ直ぐに前を見ていた。

彼はマリィに告げる。

「俺は俺自身をこう定義している。
希望の魔法使いだと……」

その瞬間、教会を中心に、光が放たれた。








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