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閑話休題 噂、千里を駆ける

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ー・・・もう限界かも知れない。

大きな執務机いっぱいに広がった
書類を前に俺は頭を抱えていた。

体を悪くした町長である
親父の後を継ぐために、
王都での教師の職を辞して
生まれ育ったここマールに
戻ってきたのは数年前。

久しぶりに戻ってきた町は、
昔と違って閑散として寂れていた。
その活気のなさに愕然とする。

共に育った友人達も、ほとんどが
ここでは暮らしていけないと出稼ぎや
転居で出て行っていた。

なんとかしなければ。
その思いだけで必死で学んだ。

幸いにもこの町を管理している
領主様は親父と昔から親交があり、
その領主様の元へ奉公にも行って
実務経験のない政務だの財務だのを
一から教えてもらった。

そうしてようやく仕事に
慣れ始めた矢先に親父が亡くなり、
忙しさに拍車がかかった。

毎日の町政に忙殺され
金策に走り回っていては
新しい農地を開拓するだとか
町の特産品を開発するだの、
前から考えていた事を
実行にうつすのは夢のまた夢だ。

領主様には去年納められなかった
税をすでに半年待ってもらっている。
これ以上の迷惑はかけられない。

「とりあえず、納税について
相談に行って来ないと・・・」

その時だった。副町長が慌てて
俺のところへやって来た。

「ヨセフさん、大変です!
例の癒し子様の初めての視察が
ノイエ領に決まり、明後日には
昼食時に合わせてこのマールにも
立ち寄るそうですよ!」

初めての視察を記念して、
この町にも食事振舞いがあるそうです。

そう聞いて腹が立った。

ふざけるんじゃない。
思いつきの視察で突然立ち寄られる
こちらの身にもなってみろ。

ノイエ領へと向かう街道は
修繕費もなくぼろぼろで、
町には働き盛りの若者もいないから
短い日にちで廃れた町を見目よく
飾り付けて彼らを歓待するような
人材もいない。

食事振舞いを持ってくるくらいなら
町に寄附でもして行ってくれ。

昼食だけは向こうが持ち込みで
調理するらしいが、昼飯すら
用意できないみすぼらしい町で
悪かったな。
何が王族だ、癒し子だ。
そんなものはくそくらえだ。

そんな苛立ちのまま、本来なら
ここに立ち寄る王族と癒し子は
町長である俺が迎え入れて
挨拶するべきところを副町長に
まかせ、俺は領主様の元へ
税収と金策の相談に走り回っていた。

その数日後のことだ。

俺のいる執政館に突然、大柄で
恐ろしく強面の男が現れた。
その迫力に体が硬直してしまう。

俺が癒し子を自ら歓待しなかったことで
王族の不興でも買ってしまい、
捕まえに来たのか?


だが腰の両側に帯剣し、騎士の黒服姿で
現れたその男は開口一番この町の
孤児院に隣接している小高い丘を
借り上げたいと言ってきた。

王家の勅命で土地を借り上げ、
癒し子の力で育つ果樹を
植えたいのだと言う。

話しながら、さらさらと
契約に関する書類を数枚その男は
その場で書き上げた。

殺人犯みたいな鋭い目付きと強面の
見た目に反して、書類をしたためる
その字は美しく読みやすい。

しかも契約書とおぼしきその内容も
理路整然としていて不備や矛盾もなく、
たった今話しながら書き上げたにしては
やけに整っていて、まるで優秀な文官が
練り上げたような文面だった。

・・・いや、騎士なんだよな?
身なりからして王都に配属されている
騎士団よりも一段上の身分の騎士
みたいだが。なぜそんな人物が
こんなに書類仕事に慣れているんだ。

一息で書き上げた書類を、
混乱している俺に
突き付けて男は言った。

自分はルーシャ国第二王子、
リオン殿下からこの件に関しては
全権を委任されているのだと。

今すぐこの書類に同意してもらえれば
すぐにでも癒し子の果樹はこの地に
運ばれてくるという。

しかも、植えるのと当面の管理は
ノイエ領に常駐している
あの高名なユールヴァルト家の
魔導士がこの町に住み込みで
行うらしい。

書類に目を通しても、この町に
とっていいことしか書いてない。
しかしそんなにうまい話があるものか。
一体王家は何を考えている?

そんな俺の不信感を感じ取ったらしい。

目の前の男が補足して話す内容に
驚いてしまった。

ことの発端は、この町とノイエを
繋ぐ街道の修繕費と町の寂れ具合を
気にした癒し子の提案だって?

待て、たしか癒し子は幼い少女だったと
副町長は言っていたぞ。

見た目はただのかわいらしい女の子で、
昼食をおいしそうに食べる様子は
微笑ましかったがその他は
特に変わったところはなかったと
聞いている。

そんな年端もいかない少女が
こんな小さな町の懐具合と
街道の修繕費を気にしていたと?

大の大人ですら、街道の傷み具合に
目を向ける者はそういない。

ごく稀に、ノイエ行きの途中に
立ち寄ったとおぼしき王都勤めの
行政官らしい者が街道の傷み具合に
気付いて尋ねてくるくらいだ。

それだって、その後特に街道を
直してくれるわけでもない。

だが癒し子は、街道の修繕費と
それを得るための方法を考え、
その結果ここに果樹園を
作ることを思い付いたらしい。

癒し子に対して胸の内で今まで
散々悪態をついていた自分が
急に恥ずかしくなった。

ほんの束の間、休憩のために
立ち寄ったこの町に対して
そこまで考えてくれていたとは。

ありがたくその話を受け入れると、
男はあっという間に風のように
立ち去ってしまった。

すぐに孤児院に連絡して
事の次第を説明していると、
数時間もしないうちに
またあの黒服の男が現れた。

今度は荷馬車も一緒だ。

その荷を見て呆気に取られた。
なんだこれは?リンゴなのか?

形は確かにリンゴに間違いない。
だがその色は見たこともない
黄金色をしている。
食べられるのかこれは。観賞用か?

戸惑う俺に、これが癒し子の加護が
ついたリンゴの木なのだと男は言った。

肥料も不要で受粉作業もいらない。

そして日々、イリューディア神への
感謝を忘れなければこの木は
枯れることなく実を
つけ続けるだろうとも。

ただし水やりと剪定作業、
虫がつかないかだけはきちんと
見て欲しいと言われた。

さらに、この数本だけでなく
同じような木が全部で30本も
ここに植えられるという。

恐らく孤児院の隣接地だけでは
足りなくなるだろうから、
他の農作放棄地も今から手を入れて
おいたほうがいいだろうとも言われた。

「それから」

男は金のリンゴを1つもぎ取ると
俺に投げてよこした。

「このリンゴは多少の体の不調は
治るように癒し子の加護の力が
ついている。お前も食べた方がいい。」

毎日金策に走り回り、今にも
倒れそうな日々を送っていたが
目の前の男はそれが気になって
いたらしい。

近寄り難い見た目に反して
こまかいことに気が付く上に
人の心配までするとは
案外いい奴なんだな、と
認識を改めた。

ありがたく食べたそのリンゴは、
驚くほど甘くみずみずしかった。
こんなに甘いリンゴは
いままで食べたことがない。

そして男の言っていたように、
食べ終わる頃には頭痛も腰の痛みも
すっかり消えてしまった。
体も軽く、目の疲れも取れた。

あり得ないほどの効き目に、
これは大変なことになると思った。

収穫したリンゴは町の好きに
使って良いと言われている。

ただし癒し子の希望は、できれば
これをマールで売ってこの町に
立ち寄る人を増やして欲しい
とのことだった。

こんな貴重なリンゴがあると分かれば
ノイエへ保養に来る金持ちが
ここに立ち寄らないわけがない。

しかもこのリンゴはここでしか
育たないという希少価値まで
ついているのだ。

町にたくさんの人が
立ち寄るようになるだろう。

とてもじゃないが、今住んでいる
町民達だけでは対応できそうにない。
出稼ぎに出てしまった町の人達を
呼び戻さないと。

リンゴの世話に、販売方法の確立、
果樹園の管理者やその他諸々。

途端に今まで以上に忙しくなったが、
税収に頭を痛めてあちこち
頭を下げて金策に走り回るよりは
遥かに楽しい。

そう思っていたら、今度は
あの強面の男とは
別の男が俺の前に現れた。

赤毛の、にこやかな人好きのする
そばかす顔にニコニコと笑顔を
浮かべた、黒服の男とはまるで
対照的な雰囲気の男だった。

紺色に金糸の入った制服は、
王宮に所属する魔導士団のものだ。

なぜ宮廷魔導士団の人物が?

不思議に思っていたら、
王都にいた頃の
俺の前職を確かめられた。

貴族学校の元美術教師で
依頼されれば貴族の肖像画も
描いていたようだが間違いないか、
とも聞かれた。

それから依頼されて肖像画を描いた
高名な貴族の名も幾人か上げられた。

男の言うことに間違いはない。
王都の名のある貴族に頼まれて描いた
肖像画も、皆満足していて好評だった。

そう伝えたが、話しながら不安になる。

なぜこの男は数年も前のことを
ここまで詳細に調べ上げて
俺を訪ねてきたのだ?

あの時はきちんと正当な報酬を
貰って描いたし、税も真面目に納めた。

今さら当時のことを蒸し返されても、
とやかく言われる覚えも
後ろ暗いところもない。

一体何が目的なのか・・・。

すると突然、男はがしっ!と
俺の両肩に手を置いた。

その顔にはさっきまでの
人好きのする笑顔はない。
真剣な表情で、目が爛々と輝いている。

「あんたみたいな人を
探していたっすよ‼︎
ぜひ今夜の夕食会に参加して
ユーリ様に会って欲しいっす‼︎」

そう言うと、あっという間に
どこからか礼服を取り出して
ノイエ領の領事館で開催される
夕食会の招待状まで押し付けてきた。

夕刻には、夕食会に間に合うよう
馬車も手配してここに来させると言う。

人好きのする親しげな雰囲気とは
真逆に、有無を言わさぬ強引さで
俺のノイエ領での夕食会行きを
決めると男はじゃあまた夕食会で!と
言って風のように去って行った。

呆然としてそれを見送り
気が付けば夕刻、迎えに来た馬車に
揺られて状況に流されるままに
夕食会に俺は参加していた。

そこに先ほどの男が現れ、
自分は魔導士団副団長の
ユリウスだと名乗られる。

魔導士団副団長⁉︎
なんでそんな凄い人物が
わざわざ俺なんかを
ここに連れてきたのか。

意味が分からないまま、
ルーシャ国の第二王子で癒し子の
後見人のリオン殿下や
魔導士団長とも面会させられた。

ふと見ると、殿下の後ろにはあの
強面の黒い騎士服の男が控えている。

彼にも会釈をしながら
護衛だったのか・・・と思いつつ、

それにしてもあの書類作成能力や
判断力といい、護衛というよりも
殿下の側近じゃないのか?と
もう一度彼の姿を確かめたが、
剣を携え周囲に気を配る姿や
その出立ちはどう見ても護衛の騎士だ。

王子の護衛騎士ともなれば
並の文官以上の能力まで
必要とされるのかと
感心していた時だ。

ユリウスというあの魔導士団の
副団長が俺のそばに急いで
やって来た。

「ユーリ様が今到着したっす!
いいですか、俺がこれからあんたを
ユーリ様に紹介しますけど、
あくまでもリンゴの木を貰った
町長としてだけ対応するっすよ?
肖像画だとか前職は美術教師だとか、
余計な事は言わないでとにかく
その目にユーリ様の姿を
焼き付けて帰るっす‼︎
そんでもって、後日必ず今日の姿の
ユーリ様の肖像画をアントン様と
リオン殿下、俺に届けること‼︎」

ものすごい早口で今日の俺の
役目を言い聞かせられた。

そうなのだ。この男は、癒し子・・・
ユーリ様という、彼女の肖像画を
密かに描かせるために
俺のような絵心のある人間を
探していたらしい。

ただし、ユーリ様は恥ずかしがり屋で
周りがどんなに頼んでも
自分の肖像画などはあまり
残して欲しくないと言うのだとか。

そのため、この男はノイエ領の
領事官長と策を講じて本人には
内緒で絵を残すことにしたらしい。

いいのか、それは・・・。

そのままユリウス殿にぐいぐい
腕を引かれてユーリ様の元へ
案内された。と、突然歩みを止めた
ユリウス殿が驚いた声を上げる。

ーユーリ様がますますネコっぽく
なっている。

そんな言葉に内心首を傾げた。

人間がネコっぽいとはどういう意味だ?
しかも『ますます』ネコっぽいとは?

ユリウス殿の視線の先を追う。

そこにはさっきまで挨拶をさせて
いただいていたリオン殿下に
シグウェル魔導士団長がいた。
それからあの強面の騎士。

そしてもう1人。
そんな彼らに囲まれて、
紺色のドレスに
身を包んだ少女がいた。

大の大人に囲まれても
臆することなく楽しげに
話しているその頭には、
・・・・猫の耳?

ユリウス殿の声にぱっ、と
こちらを振り向いた少女の顔立ちは
少し吊り上がったアーモンド型の
大きな瞳が印象的だ。

ドレスの色と同じ色合いの瞳を
丸くしてこちらをじっと
見つめているが、その首元には
鈴のついた首輪・・・ではなく
ネックレスとチョーカーが
はまっている。

ああ、これを見てユリウス殿は
猫っぽいと言ったのか。

納得してもう一度その顔を見る。

なめらかな黒髪に金色の頭飾りが
煌めいていて、どうやら髪の毛で
作ってあるらしい猫の耳が、
俺を注意深く伺うようにこちらへと
やや傾いている。

丸く見開かれた瞳は漆黒・・・いや、
よくよく見れば深い紫や紺色など
複雑な色味が入り混じっていて、
更には金色の光が瞳の中に
ちらちらと揺れている。

今までに見た事もない瞳の色だ。

この美しい瞳を、可愛らしい顔立ちを、
そしてなんともいえない庇護欲を
かき立てる佇まいをどうやって
絵に表現すればいいのだろう。

俺に描き上げられるだろうか。

小首を傾げてこちらを見つめられると、
なんとも落ち着かない気恥ずかしさに
襲われて視線を合わせられない。

年端もいかない少女に対して
頬を染めるなど、初めての経験だ。

そんな俺に対して、ユーリ様は
町にリンゴを植える許可を
出したことについて
丁寧に礼をしてくれた。

礼を言うのはこちらのほうだ。

もう何年も為す術なく
廃れていく生まれ故郷を
見てきたのに、あのリンゴの
おかげで町に活気が戻るかも知れない。

その上、さらにたくさんの果樹を
送ってくれる約束までしてくれた。
本当に頭が下がる思いだ。

そう思ってこちらも礼をしたが、
にこにこと俺を見るユーリ様が動くと
リン、と首の鈴が軽やかな音を立てて
彼女の仔猫らしさを引き立てる。

ユリウス殿の言った
『ますます猫っぽい』という
言葉を思い出してしまい、
落ち着かない気分でいたら
その当のユリウス殿に
ちゃんとユーリ様をみるっすよ‼︎と
脇から小突かれた。

そうだった、俺はこの子の
肖像画を描かなければいけなかった。

しかし、見ていると絵を
描くだけではない、
別の創作意欲も湧いてくる。

そうだ、リンゴを加工したお菓子を
売る袋にあの猫耳姿の横顔を
シルエットにした絵を入れるのは
どうだろう。

あの猫耳も、髪型で再現するのは
難しいがカチューシャなら
誰でも手軽に付けられるのでは
ないだろうか?

カチューシャなら猫耳だけでなく、
ウサギやクマなど色々な形にも
出来るし、軽いから行商で持たせて
あちこちの領地の祭の屋台で
売ってもいい。

ユーリ様を見ていると
色々なアイデアが生まれてくる。

ああ、この場を去るのは惜しいが
早く町へ帰ってこのアイデアを
形にしたい。

それからユーリ様の愛らしさを
忘れないうちに肖像画も描かなければ。

様々な思いが溢れ出てきて、
こんなにも気分が高揚するのは
久しぶりだった。

・・・この後数年をかけて、
我が町マールは癒し子様の加護が
ついた果物の一大産地として
有名になり町は活気を取り戻す。

しかしそれ以上に、俺の考えた
猫耳カチューシャが大当たりして
ルーシャ国中で流行することになる。

原因は、この時の夕食会に
参加していた王都の貴族連中が
吹聴したらしい
『あのカチューシャは癒し子様
お気に入りの髪型を模したものだ』
という噂が国中を駆け巡った
結果なのだが、この時はまさか
そんなことになってしまうとは
俺を含めてその場の誰も
知る由もないのであった。































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