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16_パーティーの表舞台
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ミュラメント聖国からの使者を迎えた翌日、自室で祝賀パーティーの身支度を終えた祈里が鏡の前で自分の服装を確認していると、聞きなれたノック音がした。
「どうぞ」
祈里が返事をすると、柊と朝日が一緒に部屋に入って来た。柊も朝日も何時もの服とは異なり、それぞれ文官と武官で定められている礼服を身にまとっている。礼服は基本の布地やデザインは同じだが、装飾がより細やかで華美な造りになっているのだ。
柊と朝日は祈里を見て驚いた表情をした。祈里も二人と同様に、祝賀パーティー用に何時もとは異なる礼服を身に付けていたからだろう。祈里が身に付けているのは黒い夜会用の礼服だった。光沢のある黒いロングジャケットに、黒い糸で刺繍が施されているものだ。一見オーソドックスな夜会服に見えるが、所々に凝った装飾がされており、洒脱ながらも上品な印象がある。
「珍しい色ですね」
柊の言葉に、祈里は「侍女たちが張り切ってくれて」と少し照れながら返事をした。神帝は基本的に神々しさを表現するため白や金といった色の服しか着ないため、こう言った暗い服を身に付けるのは滅多にないのだ。だが、もう今の祈里には神の威光を示すことで国民の信仰を集めることも他国を牽制することも必要ではない。その為、「夜会服は自由に決めてくれ」と侍女長に頼んだところ、このような装いが出来上がったのだ。
「準備は?」
「手筈通りに」
祈里の問いに、柊は簡潔に返事をした。柊は何時も通り飄々とした表情を浮かべており、それが逆に祈里を安心させた。
祈里と柊は調印式の準備に追われる傍ら、ある計画を練っていた。そして、その計画はこの歓迎パーティーと同じ時刻に実行される手筈になっている。
「柊、頼んだぞ」
「お任せください」
柊は返事をしながら、何時もの皮肉気な笑みを浮かべた。この笑みも、祈里にとってはすっかり見慣れたものになってしまった。最初は冷笑家ゆえの笑みかと思っていたが、柊は基本的にこの笑みしか浮かべられないらしい。今ではこの不器用な笑顔も、祈里にとっては好ましいものになっていた。
「朝日も……危険な役回りだが、よろしく頼む」
「はっ」
恭しく頭を下げて朝日が返事をする。朝日はこれまで通り、忠実に祈里の警護武官の任を全うしていた。こうしていると、まるであの夜のことが夢だったのではないかという錯覚に陥る。だが、あの朝日の情熱的な告白は、呪いの様に祈里の脳裏に焼き付いていた。
その後、柊と祈里は踵を返して部屋から出て行く。朝日が出て行った後、柊は扉に手を掛けて不意に祈里に振り返った。
「朝日と何かありましたか」
どきりと、祈里の心臓が跳ねた。何時も通り接しているつもりだったが、やはりどこかぎこちなさが出てしまっただろうか。
「何もないよ」
逡巡の末、祈里はこう言うしかなかった。柊は一瞬目を細めて祈里を見詰めたが、それ以上追及することは無かった。祈里の言葉を嘘だと見抜いているが、無理に問い詰める必要もないと思ったのだろう。
「パーティーの方は貴方に任せます。どうか存分に楽しみつつ、貴方が変えたこの国を皆に見せつけてきて下さい」
***
二人が退室した後、祈里も夜月の先導で部屋を後にした。
祝賀会が行われるのは神宮の中にある広いホールである。最大で五百人ほどの人間が入れる、とても大きく豪奢な部屋だ。帝国の伝統的な木造建築で造られているこのホールは、他国の使者を出迎える目的で建てられたものだった。だが、恐らく本来の目的で使われるのは今回が初めてだろう。他国の使者など、国交を武力行使でしか行わないこの国では、滅多に招くことが無かったからだ。
祈里がホールの傍まで来ると、扉の前に人影があった。
「お待ちしておりました」
そこに立っていたのはクリスだった。祈里は一瞬パーティーの事も忘れて、クリスの姿に目を奪われてしまう。クリスは聖国の騎士が着用する白いタキシード風の礼服を身に付けていたのだ。何時もの騎士服も凛々しいクリスにはよく似合っているが、礼服を身に付けたクリスはまるで童話に出て来る王子の様な貴公子ぶりだ。今のクリスに手の甲に口付けされる聖国式の挨拶をされたら、世の女性たちは皆卒倒してしまうだろう。
「このような目出度い日にエスコート役を任せて頂いて光栄です、陛下」
クリスに言葉にハッと我に返った祈里は、熱くなった頬を誤魔化すように視線を落とした。今回は友好の象徴としてエスコート役をクリスに頼んだのだ。
「あ、ああ。こちらこそ……」
クリスに見惚れていたせいで変な返答をしてしまったことに気付いた祈里は、熱い頬が更に熱くなっていくことを感じた。きっと今の祈里は誰が見ても林檎のように真っ赤になっていることだろう。そんな祈里に何を思ったのか、クリスは一瞬ふっと口角を上げると、そっと膝をついて右手を差し出した。
「お手をどうぞ」
祈里の事を大切な恋人の様に扱うクリスに、いよいよ祈里は動揺を隠せなくなってしまう。震える手を何とか言い聞かせ、冷静を装ってクリスの手を取る。クリスはそのまま立ち上がると、そつのない動作でエスコートを始めた。クリスに手を引かれながら、祈里は早鐘の様に鳴る心音がクリスに気付かれないことを祈っていた。
「桜持祈里陛下の入場で御座います」
侍従の声と共に祈里とクリスがホールにある階段に姿を現すと、ホール内に集まっていた大勢の人々が一斉に顔を上げた。階段から降りて来る二人の姿に、人々は感嘆の声を漏らす。何時もの白い服は天使のような神々しさを感じさせるが、黒い礼服に身を包んだ祈里は吸い込まれそうな色香を放っていた。艶やかな黒髪もその魅力を引き立て、誰もがその足元にかしずきたくなるような気にさせる、まさに魔性の雰囲気を纏っていた。白い礼服のクリスと共に歩く姿は、正反対であるはずなのに、まるで唯一無二の対であるかのような錯覚さえ人々に与えた。
そんな視線にも気付かず、階段から降りた祈里は侍従から用意されていたグラスを受け取り、ホール内をぐるりと見廻した。そして、シャンパンの入ったグラスをゆっくりと頭上に掲げる。ホール内の視線を一身に集め、祈里は出来るだけ優しく、だが威厳を含ませた声で言った。
「本日は二国間の記念すべき日だ。長らく敵同士だった我々だが、今日からは無二の友好国になる。その第一歩として、本日のパーティーでは心ゆくまで交流して欲しい」
「この良き日に」と祈里が言うと同時に、ホール内の人々も一斉に声を上げてグラスを掲げた。その声は明るく、人々の顔は穏やかだ。ホール内に音楽が流れ始めると、皆それぞれの交流の輪に戻って行った。クリスも祈里に目礼をすると、そっとホールの中心へ姿を消した。
代わるがわる訪れる人々の挨拶を受けつつ、祈里はそっとホール内の様子を探った。このパーティーには国内の有力な貴族や官吏の他、大きな商会の長も数人呼んでいる。神秘主義である帝国ではあまり国交は盛んに行われていないが、これを機に貿易面でも交流を強化しようという考えがあったからだ。今まであまり文化や物品を外国に流すことの無かった帝国のものが各国の市場に並ぶことになれば、高い価値が付いて国が潤うだけではなく、大陸の人々が帝国に持っている「正体が分からない怖さ」を払拭できるのではないかと思ったからである。また、封鎖的な帝国民の気風にも多少良い影響があればいいという欲目もあった。こうしてホールで交流している人々を見ている限り、今のところはその思惑は成功だったようだ。
祈里が一通り挨拶を受けたところで、この会の主役であるルイゼオが話しかけてきた。背が高く優男風のルイゼオに、クリスと同じタキシード風の礼服は恐ろしい程似合っていた。
「素敵なパーティーを開いて下さり感謝します、陛下」
「ルイゼオ皇子、楽しんで頂けていますか」
「ええ、貴国の文化は中々触れられるものではありませんでしたから、何もかもが新鮮で飽きません。それに……」
人好きのする笑みを浮かべているルイゼオは、不意に視線をホール内に向けた。その視線の先には、ルイゼオと同じく騎士式の礼服を纏っている男がいた。クリスだ。数人の武官たちと何か会話をしているようだ。武官たちは親し気にクリスに話しかけており、クリスもどこか嬉しそうに見える。
「クリスティアナが元気そうで安心しました。貴国に滞在したことはよい経験になったでしょう」
ルイゼオの言葉に、祈里は「そうだと良いのですが」と歯切れ悪く答えることしか出来なかった。この国に滞在したことは、クリスにとっては辛いことの方が多かっただろう。今でこそ穏やかな関係ではあるが、クリスはこの国に来てから祈里の情人として多くの夜を共に過ごした。その間、祈里はクリスの尊厳を踏みにじったことで蛇蝎のごとく嫌われていたのだから。
祈里の僅かな憂いを知ってか知らずか、ルイゼオは「ここだけの話」と声を潜めて言葉を続けた。
「当初の予定では、私が貴国に滞在する予定だったのですよ」
「そうなのですか?」
「ええ。ですが、クリスが自分が行くことを望んだのです」
祈里が驚いてルイゼオを見返すと、ルイゼオはまるで内緒話をする悪戯好きの少年の様な笑みを浮かべた。その笑顔は、クリスの偶に見せる少年らしい無邪気な笑みによく似ていた。
聖国の三人の皇子は、「内政」「外交」「国防」という役割をそれぞれ担っている。その中で外交を主に担当しているルイゼオは、洗練された立ち振る舞いと軽快なコミュニケーションに長けているという。実際にこうして話してみると、その完璧な紳士ぶりとは裏腹に、ルイゼオはかなり親しみやすい性格のようだった。
「どうしてクリスは自分から言い出したのでしょう……?」
「私にも分かりませんが、貴国に何か思うところがあったようですよ」
祈里は首を傾げて今までのクリスとの会話を思い返したが、特にクリスからそういった話は聞いたことが無かった。確かに神殺しの聖剣に選ばれた騎士をわざわざこの帝国の使者に選んだとは不思議に思っていたが、まさかクリスが自ら望んだことだとは思わなかった。長年敵対してきた国に対して、恨みこそすれ行きたいと望むようなことがあるとは思えなかった。
「ところで、陛下は伴侶を作らないのですか」
「は、伴侶ですか?」
思考に耽っていた祈里は、ルイゼオから振られた予想外の話題に一気に現実に引き戻された。どう答えたらいいのか分からず、ルイゼオを戸惑った表情で見詰めてしまう。
「ええ、神帝だからといって婚姻を禁じられている訳ではないのでしょう」
ルイゼオはそんな祈里を特に気にする様子もなく、ごく当たり前の様に尋ねる。国を統べる王室や皇族の人間にとって、伴侶を得ることは当然の事であり、血統を守ることは義務だ。しかし、神によって統治されるこの国では、それは不必要なことであった。
「法としては問題ありませんが……ご存知通り、神帝は血縁で受け継がれる訳ではありません。代替わりの度に国の中から最も適性のある若者が選ばれます。故に、血縁者を残す義務は無いのですよ」
僅かに逡巡した後に、祈里は「それに……」と言葉を続けた。
「神帝は短命です。伴侶は共に生きる時間より、残される時間の方がずっと長い」
これはこの国では周知の事実だった。歴代神帝は神の力を得ることで外傷や病といったものとは無縁であったが、みな総じて短命であった。大体齢を三十過ぎたあたりで、衰弱死の様に命を落とす。それは人間の身には強すぎる神性を宿すため、寿命が他の人間より早く尽きるからと言われている。
だが、今の祈里はその本当の理由を知っている。神帝が短命なのは、自分の命を使ってこの国に結界を張っているからだ。あの悪夢は見なくなって久しいが、結界が維持されていることを見ると、祈里の寿命も刻一刻と擦り減っているに違いない。きっと、祈里もあと十年足らずでこの世を去るだろう。
「だからこそ、運命と出会ったら自身の持ちうる全てで愛しぬくべきではありませんか」
だがルイゼオから返ってきたのは意外な答えだった。ルイゼオは相変わらず人好きする笑みを浮かべているが、その声は真剣そのものだった。もしかすると、彼はもう自分の運命に出会っているのかもしれない。祈里にとっての、クリスの様な存在に。
運命の人と言われれば、祈里にとってはクリスしかいない。だが、この愛は一方的で身勝手な想いでしかなく、幸せな結末など望めないものだ。
「皇子は情熱的な方ですね」
「聖国では私のような人間が意外と多いのですよ。我が国の建国叙事詩は英雄譚と言われていますが、壮大な恋愛物語と例えられることもあります。昔から色恋に情熱を注ぐ人間が多いのでしょうね」
ルイゼオの言葉に、祈里はなるほどと納得した。聖国の建国叙事詩は有名で、祈里でも大体の内容は知っている。大陸では絵本や戯曲として人々に親しまれていた。
遥か昔、数多の神が人々を見守り支配していた時代。生贄を求める悪神を倒すため、神を殺す聖剣を鍛え、戦った青年がいた。長きに渡る激戦の末、その青年は神を打ち倒し、神からの支配を終わらせ、人間の時代を築いた。確かその青年がミュラメント王室の始まりだったはずだ。
「確か、その青年は生贄に選ばれた少女を愛した故に戦うことを決意したのでしたね」
「ええ。我が国が騎士の国と呼ばれている所以でもあります。ミュラメントの血族が全員騎士になるのは、王室の人間は愛すべき国に仕え、愛すべき人間を守るべきである、という考えがあるからです」
そう言ったルイゼオは、自身の腰に差している豪奢な剣に目線を向けた。基本的にこういったパーティーの場では武器の着用は認められていないが、聖国の騎士は如何なる時も剣を手放さない慣習がある。その為、こういった場では刃の潰された儀式用の剣を携帯するのだ。
「こういった物語が残っているからか、昔から聖国には一途な人間が多いのですよ。伴侶を選ぶには良い国だと思います」
意外な着地をした会話に、祈里は一瞬不思議に思ったが、ある考えに思い至った。もしや、これは祈里に政略結婚を勧めているのではないか、と。同盟を結ぶ国同士で婚姻を結ぶことはよくあることだ。国同士の繋がりを強化するだけではなく、他国にもアピールできる有効な外交手段だ。
親し気に見えて抜け目ないルイゼオに驚きつつ、祈里はルイゼオの提案に乗る気はないことをどう伝えようか思案した。祈里には伴侶を作るつもりはないと、失礼にならないよう理解してもらわなければならない。
祈里はクリス以外の人間を愛することは出来ないし、政略結婚だからと愛のない結婚をするつもりもない。祈里の欲しい人間は、今も昔も一人だけだ。そして、それは祈里が死ぬまで変わらない。
「ルイゼオ皇子、私は――」
やんわりと断りを入れようとした瞬間、どこからか乾いた音が響いた。耳を澄まさなければ聞こえない小さな音だったが、その音の正体に気付いたのか、ルイゼオの表情が一瞬固まった。そして、警戒するように周囲に視線を向ける。
一度でも戦場に出た人間なら、その音の正体にすぐ気が付くだろう。祈里も直ぐに勘付いた。先ほどの音は、拳銃による発砲音だ。
「どうぞ」
祈里が返事をすると、柊と朝日が一緒に部屋に入って来た。柊も朝日も何時もの服とは異なり、それぞれ文官と武官で定められている礼服を身にまとっている。礼服は基本の布地やデザインは同じだが、装飾がより細やかで華美な造りになっているのだ。
柊と朝日は祈里を見て驚いた表情をした。祈里も二人と同様に、祝賀パーティー用に何時もとは異なる礼服を身に付けていたからだろう。祈里が身に付けているのは黒い夜会用の礼服だった。光沢のある黒いロングジャケットに、黒い糸で刺繍が施されているものだ。一見オーソドックスな夜会服に見えるが、所々に凝った装飾がされており、洒脱ながらも上品な印象がある。
「珍しい色ですね」
柊の言葉に、祈里は「侍女たちが張り切ってくれて」と少し照れながら返事をした。神帝は基本的に神々しさを表現するため白や金といった色の服しか着ないため、こう言った暗い服を身に付けるのは滅多にないのだ。だが、もう今の祈里には神の威光を示すことで国民の信仰を集めることも他国を牽制することも必要ではない。その為、「夜会服は自由に決めてくれ」と侍女長に頼んだところ、このような装いが出来上がったのだ。
「準備は?」
「手筈通りに」
祈里の問いに、柊は簡潔に返事をした。柊は何時も通り飄々とした表情を浮かべており、それが逆に祈里を安心させた。
祈里と柊は調印式の準備に追われる傍ら、ある計画を練っていた。そして、その計画はこの歓迎パーティーと同じ時刻に実行される手筈になっている。
「柊、頼んだぞ」
「お任せください」
柊は返事をしながら、何時もの皮肉気な笑みを浮かべた。この笑みも、祈里にとってはすっかり見慣れたものになってしまった。最初は冷笑家ゆえの笑みかと思っていたが、柊は基本的にこの笑みしか浮かべられないらしい。今ではこの不器用な笑顔も、祈里にとっては好ましいものになっていた。
「朝日も……危険な役回りだが、よろしく頼む」
「はっ」
恭しく頭を下げて朝日が返事をする。朝日はこれまで通り、忠実に祈里の警護武官の任を全うしていた。こうしていると、まるであの夜のことが夢だったのではないかという錯覚に陥る。だが、あの朝日の情熱的な告白は、呪いの様に祈里の脳裏に焼き付いていた。
その後、柊と祈里は踵を返して部屋から出て行く。朝日が出て行った後、柊は扉に手を掛けて不意に祈里に振り返った。
「朝日と何かありましたか」
どきりと、祈里の心臓が跳ねた。何時も通り接しているつもりだったが、やはりどこかぎこちなさが出てしまっただろうか。
「何もないよ」
逡巡の末、祈里はこう言うしかなかった。柊は一瞬目を細めて祈里を見詰めたが、それ以上追及することは無かった。祈里の言葉を嘘だと見抜いているが、無理に問い詰める必要もないと思ったのだろう。
「パーティーの方は貴方に任せます。どうか存分に楽しみつつ、貴方が変えたこの国を皆に見せつけてきて下さい」
***
二人が退室した後、祈里も夜月の先導で部屋を後にした。
祝賀会が行われるのは神宮の中にある広いホールである。最大で五百人ほどの人間が入れる、とても大きく豪奢な部屋だ。帝国の伝統的な木造建築で造られているこのホールは、他国の使者を出迎える目的で建てられたものだった。だが、恐らく本来の目的で使われるのは今回が初めてだろう。他国の使者など、国交を武力行使でしか行わないこの国では、滅多に招くことが無かったからだ。
祈里がホールの傍まで来ると、扉の前に人影があった。
「お待ちしておりました」
そこに立っていたのはクリスだった。祈里は一瞬パーティーの事も忘れて、クリスの姿に目を奪われてしまう。クリスは聖国の騎士が着用する白いタキシード風の礼服を身に付けていたのだ。何時もの騎士服も凛々しいクリスにはよく似合っているが、礼服を身に付けたクリスはまるで童話に出て来る王子の様な貴公子ぶりだ。今のクリスに手の甲に口付けされる聖国式の挨拶をされたら、世の女性たちは皆卒倒してしまうだろう。
「このような目出度い日にエスコート役を任せて頂いて光栄です、陛下」
クリスに言葉にハッと我に返った祈里は、熱くなった頬を誤魔化すように視線を落とした。今回は友好の象徴としてエスコート役をクリスに頼んだのだ。
「あ、ああ。こちらこそ……」
クリスに見惚れていたせいで変な返答をしてしまったことに気付いた祈里は、熱い頬が更に熱くなっていくことを感じた。きっと今の祈里は誰が見ても林檎のように真っ赤になっていることだろう。そんな祈里に何を思ったのか、クリスは一瞬ふっと口角を上げると、そっと膝をついて右手を差し出した。
「お手をどうぞ」
祈里の事を大切な恋人の様に扱うクリスに、いよいよ祈里は動揺を隠せなくなってしまう。震える手を何とか言い聞かせ、冷静を装ってクリスの手を取る。クリスはそのまま立ち上がると、そつのない動作でエスコートを始めた。クリスに手を引かれながら、祈里は早鐘の様に鳴る心音がクリスに気付かれないことを祈っていた。
「桜持祈里陛下の入場で御座います」
侍従の声と共に祈里とクリスがホールにある階段に姿を現すと、ホール内に集まっていた大勢の人々が一斉に顔を上げた。階段から降りて来る二人の姿に、人々は感嘆の声を漏らす。何時もの白い服は天使のような神々しさを感じさせるが、黒い礼服に身を包んだ祈里は吸い込まれそうな色香を放っていた。艶やかな黒髪もその魅力を引き立て、誰もがその足元にかしずきたくなるような気にさせる、まさに魔性の雰囲気を纏っていた。白い礼服のクリスと共に歩く姿は、正反対であるはずなのに、まるで唯一無二の対であるかのような錯覚さえ人々に与えた。
そんな視線にも気付かず、階段から降りた祈里は侍従から用意されていたグラスを受け取り、ホール内をぐるりと見廻した。そして、シャンパンの入ったグラスをゆっくりと頭上に掲げる。ホール内の視線を一身に集め、祈里は出来るだけ優しく、だが威厳を含ませた声で言った。
「本日は二国間の記念すべき日だ。長らく敵同士だった我々だが、今日からは無二の友好国になる。その第一歩として、本日のパーティーでは心ゆくまで交流して欲しい」
「この良き日に」と祈里が言うと同時に、ホール内の人々も一斉に声を上げてグラスを掲げた。その声は明るく、人々の顔は穏やかだ。ホール内に音楽が流れ始めると、皆それぞれの交流の輪に戻って行った。クリスも祈里に目礼をすると、そっとホールの中心へ姿を消した。
代わるがわる訪れる人々の挨拶を受けつつ、祈里はそっとホール内の様子を探った。このパーティーには国内の有力な貴族や官吏の他、大きな商会の長も数人呼んでいる。神秘主義である帝国ではあまり国交は盛んに行われていないが、これを機に貿易面でも交流を強化しようという考えがあったからだ。今まであまり文化や物品を外国に流すことの無かった帝国のものが各国の市場に並ぶことになれば、高い価値が付いて国が潤うだけではなく、大陸の人々が帝国に持っている「正体が分からない怖さ」を払拭できるのではないかと思ったからである。また、封鎖的な帝国民の気風にも多少良い影響があればいいという欲目もあった。こうしてホールで交流している人々を見ている限り、今のところはその思惑は成功だったようだ。
祈里が一通り挨拶を受けたところで、この会の主役であるルイゼオが話しかけてきた。背が高く優男風のルイゼオに、クリスと同じタキシード風の礼服は恐ろしい程似合っていた。
「素敵なパーティーを開いて下さり感謝します、陛下」
「ルイゼオ皇子、楽しんで頂けていますか」
「ええ、貴国の文化は中々触れられるものではありませんでしたから、何もかもが新鮮で飽きません。それに……」
人好きのする笑みを浮かべているルイゼオは、不意に視線をホール内に向けた。その視線の先には、ルイゼオと同じく騎士式の礼服を纏っている男がいた。クリスだ。数人の武官たちと何か会話をしているようだ。武官たちは親し気にクリスに話しかけており、クリスもどこか嬉しそうに見える。
「クリスティアナが元気そうで安心しました。貴国に滞在したことはよい経験になったでしょう」
ルイゼオの言葉に、祈里は「そうだと良いのですが」と歯切れ悪く答えることしか出来なかった。この国に滞在したことは、クリスにとっては辛いことの方が多かっただろう。今でこそ穏やかな関係ではあるが、クリスはこの国に来てから祈里の情人として多くの夜を共に過ごした。その間、祈里はクリスの尊厳を踏みにじったことで蛇蝎のごとく嫌われていたのだから。
祈里の僅かな憂いを知ってか知らずか、ルイゼオは「ここだけの話」と声を潜めて言葉を続けた。
「当初の予定では、私が貴国に滞在する予定だったのですよ」
「そうなのですか?」
「ええ。ですが、クリスが自分が行くことを望んだのです」
祈里が驚いてルイゼオを見返すと、ルイゼオはまるで内緒話をする悪戯好きの少年の様な笑みを浮かべた。その笑顔は、クリスの偶に見せる少年らしい無邪気な笑みによく似ていた。
聖国の三人の皇子は、「内政」「外交」「国防」という役割をそれぞれ担っている。その中で外交を主に担当しているルイゼオは、洗練された立ち振る舞いと軽快なコミュニケーションに長けているという。実際にこうして話してみると、その完璧な紳士ぶりとは裏腹に、ルイゼオはかなり親しみやすい性格のようだった。
「どうしてクリスは自分から言い出したのでしょう……?」
「私にも分かりませんが、貴国に何か思うところがあったようですよ」
祈里は首を傾げて今までのクリスとの会話を思い返したが、特にクリスからそういった話は聞いたことが無かった。確かに神殺しの聖剣に選ばれた騎士をわざわざこの帝国の使者に選んだとは不思議に思っていたが、まさかクリスが自ら望んだことだとは思わなかった。長年敵対してきた国に対して、恨みこそすれ行きたいと望むようなことがあるとは思えなかった。
「ところで、陛下は伴侶を作らないのですか」
「は、伴侶ですか?」
思考に耽っていた祈里は、ルイゼオから振られた予想外の話題に一気に現実に引き戻された。どう答えたらいいのか分からず、ルイゼオを戸惑った表情で見詰めてしまう。
「ええ、神帝だからといって婚姻を禁じられている訳ではないのでしょう」
ルイゼオはそんな祈里を特に気にする様子もなく、ごく当たり前の様に尋ねる。国を統べる王室や皇族の人間にとって、伴侶を得ることは当然の事であり、血統を守ることは義務だ。しかし、神によって統治されるこの国では、それは不必要なことであった。
「法としては問題ありませんが……ご存知通り、神帝は血縁で受け継がれる訳ではありません。代替わりの度に国の中から最も適性のある若者が選ばれます。故に、血縁者を残す義務は無いのですよ」
僅かに逡巡した後に、祈里は「それに……」と言葉を続けた。
「神帝は短命です。伴侶は共に生きる時間より、残される時間の方がずっと長い」
これはこの国では周知の事実だった。歴代神帝は神の力を得ることで外傷や病といったものとは無縁であったが、みな総じて短命であった。大体齢を三十過ぎたあたりで、衰弱死の様に命を落とす。それは人間の身には強すぎる神性を宿すため、寿命が他の人間より早く尽きるからと言われている。
だが、今の祈里はその本当の理由を知っている。神帝が短命なのは、自分の命を使ってこの国に結界を張っているからだ。あの悪夢は見なくなって久しいが、結界が維持されていることを見ると、祈里の寿命も刻一刻と擦り減っているに違いない。きっと、祈里もあと十年足らずでこの世を去るだろう。
「だからこそ、運命と出会ったら自身の持ちうる全てで愛しぬくべきではありませんか」
だがルイゼオから返ってきたのは意外な答えだった。ルイゼオは相変わらず人好きする笑みを浮かべているが、その声は真剣そのものだった。もしかすると、彼はもう自分の運命に出会っているのかもしれない。祈里にとっての、クリスの様な存在に。
運命の人と言われれば、祈里にとってはクリスしかいない。だが、この愛は一方的で身勝手な想いでしかなく、幸せな結末など望めないものだ。
「皇子は情熱的な方ですね」
「聖国では私のような人間が意外と多いのですよ。我が国の建国叙事詩は英雄譚と言われていますが、壮大な恋愛物語と例えられることもあります。昔から色恋に情熱を注ぐ人間が多いのでしょうね」
ルイゼオの言葉に、祈里はなるほどと納得した。聖国の建国叙事詩は有名で、祈里でも大体の内容は知っている。大陸では絵本や戯曲として人々に親しまれていた。
遥か昔、数多の神が人々を見守り支配していた時代。生贄を求める悪神を倒すため、神を殺す聖剣を鍛え、戦った青年がいた。長きに渡る激戦の末、その青年は神を打ち倒し、神からの支配を終わらせ、人間の時代を築いた。確かその青年がミュラメント王室の始まりだったはずだ。
「確か、その青年は生贄に選ばれた少女を愛した故に戦うことを決意したのでしたね」
「ええ。我が国が騎士の国と呼ばれている所以でもあります。ミュラメントの血族が全員騎士になるのは、王室の人間は愛すべき国に仕え、愛すべき人間を守るべきである、という考えがあるからです」
そう言ったルイゼオは、自身の腰に差している豪奢な剣に目線を向けた。基本的にこういったパーティーの場では武器の着用は認められていないが、聖国の騎士は如何なる時も剣を手放さない慣習がある。その為、こういった場では刃の潰された儀式用の剣を携帯するのだ。
「こういった物語が残っているからか、昔から聖国には一途な人間が多いのですよ。伴侶を選ぶには良い国だと思います」
意外な着地をした会話に、祈里は一瞬不思議に思ったが、ある考えに思い至った。もしや、これは祈里に政略結婚を勧めているのではないか、と。同盟を結ぶ国同士で婚姻を結ぶことはよくあることだ。国同士の繋がりを強化するだけではなく、他国にもアピールできる有効な外交手段だ。
親し気に見えて抜け目ないルイゼオに驚きつつ、祈里はルイゼオの提案に乗る気はないことをどう伝えようか思案した。祈里には伴侶を作るつもりはないと、失礼にならないよう理解してもらわなければならない。
祈里はクリス以外の人間を愛することは出来ないし、政略結婚だからと愛のない結婚をするつもりもない。祈里の欲しい人間は、今も昔も一人だけだ。そして、それは祈里が死ぬまで変わらない。
「ルイゼオ皇子、私は――」
やんわりと断りを入れようとした瞬間、どこからか乾いた音が響いた。耳を澄まさなければ聞こえない小さな音だったが、その音の正体に気付いたのか、ルイゼオの表情が一瞬固まった。そして、警戒するように周囲に視線を向ける。
一度でも戦場に出た人間なら、その音の正体にすぐ気が付くだろう。祈里も直ぐに勘付いた。先ほどの音は、拳銃による発砲音だ。
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本当なら魔王様と話すことも叶わなかった卑しい俺を、ディニス様はとても可愛がってくれた。
だがそんなディニス様も俺が成長するにつれて距離を取り冷たくなっていく。自分の醜悪な見た目が原因か、あるいは知能の低さゆえか…
どうにかしてディニス様の愛情を取り戻そうとするが上手くいかず、周りの魔族たちからも蔑まれる日々。
大好きなディニス様に冷たくされることが耐えきれず、せめて最後にもう一度微笑みかけてほしい…そう思った俺は彼のために勇者一行に挑むが…
2度目の異世界移転。あの時の少年がいい歳になっていて殺気立って睨んでくるんだけど。
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高校一年の時、道路陥没の事故に巻き込まれ、三日間記憶がない。
異世界転移した記憶はあるんだけど、夢だと思っていた。
二年後、どうやら異世界転移してしまったらしい。
しかもこれは二度目で、あれは夢ではなかったようだった。
再会した少年はすっかりいい歳になっていて、殺気立って睨んでくるんだけど。
神獣様の森にて。
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どこ、ここ.......?
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いつもの日常から、急に非日常になり、日常に変わる、そんなお話。
7話完結。完結後、別のペアの話を更新致します。
勇者様への片思いを拗らせていた僕は勇者様から溺愛される
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蓮とリアムは共に孤児院育ちの幼馴染。
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ある日、蓮は何者かに誘拐されてしまい……
スパダリ勇者×ツンデレ陰陽師(忘却の術熟練者)
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