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20_祈里の答え
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御前試合はトーナメント方式で行われる。一対一の決闘を繰り返していき、最後まで勝ち残った二人が決勝戦を行って優勝者が決まる。試合は三日間かけて行われることになっており、一日目二日目と、何事もなく順調に進んでいった。
ルールはごく簡単なものであり、胸に付けたリボンを落とされるか、剣を手放した者が敗者となる。使用する剣は刃を潰したものであり、基本的に殺傷行為は禁止になっていた。
クリスを含めた聖国の騎士も少人数ではあるが参加しているということもあり、試合は大いに盛り上がった。お互いに異なる剣技を披露し、技を高め合うとともに勝敗が付けば互いに称え合った。試合の傍ら、帝国の軍人と聖国の騎士が雑談するようなこともあり、穏やかに交流をしている様子に祈里もほっとした。やはり戦場に身を置く者同士、剣を合わせた方がお互いに分かり合えることもあるのだろう。
祈里はルイゼオと共に全ての試合を見届け、二日目が終わった時には決勝戦へ進む二人が決まった。優秀な戦士たちを倒して勝ち抜いたのは、ほとんどの人間が予想していた通り、クリスと朝日の二人だった。
二人ともお互いの国では一二を争う剣の使い手だが、剣技の質は正反対だった。騎士として訓練されたクリスは洗練された美しい動作で剣を振るうが、朝日は戦場上がりの実践的な剣技を扱う。それぞれの国から、それも部下からの人望が厚い二人という事もあり、人々の決勝戦への期待度はかなり高まっていた。
***
決勝戦の日、決闘場から少し離れた森の中で、柊は一人で湖の傍を歩いていた。透き通った湖には時折魚が跳ね、周囲からは穏やかな小鳥の鳴き声が聞こえてくる。文官である柊は神前試合の間は比較的に時間に余裕があった為、こうしてここ数日の忙しさですり減った精神を休めるために散歩にやってきたのだ。
深呼吸をすると、冷たい空気が体中を通り抜けていくような心地になる。普段知略を巡らせて神帝を支えている柊だが、時たまこうして何もかもを忘れて頭を空っぽにする時間をとるようにしていた。
柊が湖を覗き込むと、そこには疲れた顔をした自分が映っていた。ここ数日が激務だったことも原因の一つだが、柊は最近何か自身に違和感を抱いており、そのせいで妙に気が休まらなかったのだ。頭に靄がかかったように思考が上手くまとまらず、何か大切なことを忘れているかのような、そんな焦燥感が常に柊の心を占めていた。
「柊殿」
突然声をかけられ、ぼんやりと湖を覗いていた柊は驚いて思わずバランスを崩した。湖に落ちそうになったところを、ぐいっと何者かに腕を引っ張られて助けられる。柊を助けたのはクリスだった。頭脳の代わりに運動神経を犠牲に生きてきた柊は、湖に落ちそうになった羞恥心を完全に隠し、何事も無かったかのようにクリスに向き合った。
「ミュラメント卿、どうしてここに? そろそろ決勝戦でしょう。早く決闘場に戻った方がいい」
「少し、気になったことがありまして」
そう言ったクリスは何も言わずじっと柊を見詰めてくる。柊はクリスの意図がよく分からなかったが、そのまま黙って待つことにした。柊は朝日と違い、クリスに対してどちらかと言うと良い印象を持っていた。帝国に来てずっと彼が誠実に職務を全うして来たことは知っていたし、何より第二師団を撤退させる際にクリスに助力してもらった恩もあったからだ。それに、あの敏い神帝が恋慕するからにはよっぽど何か惹かれるところがあるのだろうと、そう柊は思っていた。
「貴方、何か混ざっていますね」
「……どういうことですか?」
言葉の意味が分からず柊が聞き返すと、クリスは真剣な表情で言った。
「ごく最近、強い異能に触れましたね」
「……!」
クリスの問いに、柊は身に覚えがあった。最近心から離れないこの違和感。何かを思い出さなければならないという切迫感。これはきっと強い異能によって精神操作されたせいだと思い至る。恐らくあの祝賀パーティーの夜だ。主犯をとり逃した時、何か記憶を弄られたに違いない。
今まで気づかずにいた自身への怒りもあるが、今は自身に使われた異能をどうにかする方法を考えるのが先決だ。だが精神的な異能は掛けられた人間が自分で解くことは不可能に近い。異能というものは、力の強い人間が絶対的に有利な特徴がある。柊に異能を使うことが出来たという事は、相手は柊より強い異能者だ。この場合、異能力が劣る柊にはどうにもすること出来ない。
だが、今なら解決方法は柊の目の前にある。
「貴方なら、どうにか出来ますか」
「ええ」
柊の言葉に、クリスは事も無げに頷いた。クリスの持つ神殺しの聖剣はあらゆる神性、異能を無効化する。ならば、柊にかけられた異能を解くことも出来るはずだ。
柊はクリスが腰に下げている聖剣に視線を向けた。それにしても、聖剣の力は柊が思っていた以上に異能に対して敏感なようだ。かけられた本人も気付かない程の巧妙な異能力に気付くとは、驚くべき探知能力だ。
「ですが、そこまで混ざっているとこうするしかありません」
クリスは聖剣を抜くと、ゆっくり刃を柊に向けた。その動作に、柊はクリスの考えを理解する。戦場に出たことのない柊でも、その痛みは容易に想像できた。これから起こることに内心冷や汗をかいたが、柊はそれを隠すように何時もの皮肉気な笑みを浮かべた。
「構いません」
クリスはその返事に僅かに頷くと、剣を天高く振り上げた。
***
決勝戦が始まる直前、祈里は落ち着かない気持ちで特別席に座っていた。あと一時間ほどで決勝戦が始まる。その結果によって、祈里の運命も決まると言っても過言ではない。クリスが勝てば、祈里の望み通りクリスは祖国に帰り、祈里はこの国で一人生きていくことになる。もし朝日が勝ってしまったら、クリスは祖国に帰れず、祈里は朝日の望みを叶えなくてはならなくなる。
過った悪い想像を振り払うように、祈里は頭を振った。自分が気を揉んでも、もう何も出来ることは無い。自分はただクリスが勝利することを祈るしかないのだ。それに、祈里には試合の前に一つやらなければならないことがあった。
祈里は椅子から立ち上がると、ルイゼオに断りを入れて天蓋から出た。そして出場者の控室扱いになっている隣の天蓋の中をそっと覗いた。流石と言うべきか、中にいたクリスは敏感にその気配を感じ取ったようで、祈里にすぐ声をかけてきた。
「陛下」
「少し、時間を貰ってもいいかな」
クリスに「勿論です」と返事をもらい、祈里は天蓋に入った。椅子に座っていたクリスは立ち上がり、祈里に挨拶代わりの礼をした。祈里は何と声をかけようか迷った挙句、最初は当たり障りのない話題を口にすることにした。
「……調子はどう?」
「問題ありません」
クリスの簡潔な返事に、すぐ沈黙が訪れる。祈里が話をどう切り出そうか逡巡しているのが伝わったのか、クリスは祈里の言葉を待っているようだ。色々と考えた結果、祈里は素直に伝えたいことを言う事にした。
「……前にクリスが言っていたことを、考えてたんだ」
じわじわと頬が熱くなる。クリスの顔を見られなくなり、祈里は視線を床に落とした。クリスの表情は分からないが、きっと祈里の突然の話題に戸惑っているだろう。
「前に……クリスのどこが好きなのか考えて欲しいって、言っていたこと…」
「ああ。執務室で話した時ですね」
クリスの言葉に、祈里はこくりと頷いた。
『陛下は、私のどこが好きなのですか?』
『私の何が好きだったのか、今の貴方に答えられますか』
クリスのあの言葉が、祈里はずっと心に引っかかっていた。一体クリスが何を伝えたかったのか、祈里はずっと考えていたのだ。そして考えていく中で、祈里はクリスの言いたかったことを何となく察した。きっと、クリスは祈里が色恋からクリスと閨を共にしていたのではなく、クリスの尊厳を傷つけるためにしていたと思っているのではないか。その為、その行為を愛と勘違いするなと、そう祈里に釘を刺したのではないかと思ったのだ。
そう思い至った時、祈里はどうしてもこれだけはクリスに伝えなければならないと思ったのだ。この御前試合が終わればきっともうクリスときちんと話す機会はなくなるだろう。だから、どうしてもこのタイミングで話したかった。
「……ク、クリスの…」
心臓がドキドキと音を立てる。緊張のあまりうわずった声で、祈里は決死の思いで言葉を紡いだ。
「笑った顔が好きだ」
クリスは何も言わなかった。俯いている祈里には、クリスがどんな表情をしているのか分からない。祈里の突然の言葉に戸惑っているか、もしかしたら嫌悪感を抱いているかもしれない。だが、祈里はもうなる様になれという気持ちで、一気に言葉を続けた。
「何時もの穏やかな笑みも、ちょっと子供っぽい笑顔も」
「あと迷いのない剣筋も見ていて気持ちいい」
「敵国であるこの帝国の文化に敬意を払ってくれた」
「通りがよくて優しい声も好きだ」
「正義感が強くて何時も人を守ろうとする」
「あ、でももう少し自分のことも大切にして欲しいかな……クリスは自分を犠牲にしても人を守ろうとするし」
「あの……何を」
クリスの戸惑った声に、祈里ははっと我に返った。途端に自分の言葉が恥ずかしくなり、もごもごと小さい言葉で結論を言う。
「だから…ちゃんと……クリスの事、好き…だなって……」
「……」
「あ、あの、……それだけ言いたかっただけだから」
段々と声が小さくなり、語尾はほぼかすれ声になってしまう。何も言わないクリスのことを見るのが怖くて、祈里は俯いたまま背を向けた。
祈里は最後にどうしてもこのことをクリスに伝えたかったのだ。自分は本当にクリスの事が好きだったのだと、どうしても知って欲しかった。決して、クリスの事を傷付けたかった訳じゃない。ただ遊びで夜を共にしていた訳じゃない。心を失った唯一の拠り所がクリスだった。今でも、時折クリスに抱かれた日々を思い出す。あの時間が、あの夜が、祈里にとって一番幸せな時間だった。
クリスの心境を考えると居た堪れなくなり、沈黙がずしんと祈里の上にのし掛かっているようだった。伝えたいことは伝えられたので、もう戻ろうと祈里が外に出ようとした時だった。
「あっはっはっはっはっは!」
突然響き渡った快活な笑い声に、祈里は心臓が飛び出るほど驚いて後ろを振り返った。そこには大きな口を開けて笑っているクリスが立っていた。クリスのそんな姿は初めて見たので、そのごく普通な青年の様なクリスの姿に見惚れるより、一体どうしてしまったのかと戸惑う気持ちが勝ってしまう。だがその心底楽しそうに笑うクリスの姿はとても自然に見えて、もしかしたらこういった朗らかで明るい性格がクリスの本来の性格なのではないかと思える程だった。
「いえ、失礼しました」
ひとしきり笑ったクリスは、何事も無かったかのように普段の騎士然とした姿に戻った。だがいつもよりどこか柔らかい雰囲気を纏っている。そして、何もできず立ち尽くしていた祈里の手をそっと持ち上げた。
「陛下。いえ、祈里」
手を握られ、初めて名前を呼ばれた祈里はそのまま動けずに固まってしまう。どうしたらいいのか分からず、真っ赤な顔でクリスの顔を見詰めた。
「祈里のお陰で僕も覚悟が決まった」
何で急に名前を? 何の覚悟? 僕? と色々な疑問がぐるぐると祈里の頭を埋め尽くした。一体何をどう聞けばいいのか分からず迷っている時、天蓋の外から試合時間になったことを告げる声が聞こえた。
「どうか、待っていてください。必ず優勝します」
クリスは祈里の手の甲に誓うような口づけをすると、外に向かって歩き出した。天蓋から出て行く直前、クリスが半ば呆然としている祈里に振り返った。その表情は晴れ晴れとしていて、祈里が憧れ続けたあの青い空そのものだった。
「後でゆっくり話しましょう。これからの事も、昔、貴方と交わした約束の事も」
ルールはごく簡単なものであり、胸に付けたリボンを落とされるか、剣を手放した者が敗者となる。使用する剣は刃を潰したものであり、基本的に殺傷行為は禁止になっていた。
クリスを含めた聖国の騎士も少人数ではあるが参加しているということもあり、試合は大いに盛り上がった。お互いに異なる剣技を披露し、技を高め合うとともに勝敗が付けば互いに称え合った。試合の傍ら、帝国の軍人と聖国の騎士が雑談するようなこともあり、穏やかに交流をしている様子に祈里もほっとした。やはり戦場に身を置く者同士、剣を合わせた方がお互いに分かり合えることもあるのだろう。
祈里はルイゼオと共に全ての試合を見届け、二日目が終わった時には決勝戦へ進む二人が決まった。優秀な戦士たちを倒して勝ち抜いたのは、ほとんどの人間が予想していた通り、クリスと朝日の二人だった。
二人ともお互いの国では一二を争う剣の使い手だが、剣技の質は正反対だった。騎士として訓練されたクリスは洗練された美しい動作で剣を振るうが、朝日は戦場上がりの実践的な剣技を扱う。それぞれの国から、それも部下からの人望が厚い二人という事もあり、人々の決勝戦への期待度はかなり高まっていた。
***
決勝戦の日、決闘場から少し離れた森の中で、柊は一人で湖の傍を歩いていた。透き通った湖には時折魚が跳ね、周囲からは穏やかな小鳥の鳴き声が聞こえてくる。文官である柊は神前試合の間は比較的に時間に余裕があった為、こうしてここ数日の忙しさですり減った精神を休めるために散歩にやってきたのだ。
深呼吸をすると、冷たい空気が体中を通り抜けていくような心地になる。普段知略を巡らせて神帝を支えている柊だが、時たまこうして何もかもを忘れて頭を空っぽにする時間をとるようにしていた。
柊が湖を覗き込むと、そこには疲れた顔をした自分が映っていた。ここ数日が激務だったことも原因の一つだが、柊は最近何か自身に違和感を抱いており、そのせいで妙に気が休まらなかったのだ。頭に靄がかかったように思考が上手くまとまらず、何か大切なことを忘れているかのような、そんな焦燥感が常に柊の心を占めていた。
「柊殿」
突然声をかけられ、ぼんやりと湖を覗いていた柊は驚いて思わずバランスを崩した。湖に落ちそうになったところを、ぐいっと何者かに腕を引っ張られて助けられる。柊を助けたのはクリスだった。頭脳の代わりに運動神経を犠牲に生きてきた柊は、湖に落ちそうになった羞恥心を完全に隠し、何事も無かったかのようにクリスに向き合った。
「ミュラメント卿、どうしてここに? そろそろ決勝戦でしょう。早く決闘場に戻った方がいい」
「少し、気になったことがありまして」
そう言ったクリスは何も言わずじっと柊を見詰めてくる。柊はクリスの意図がよく分からなかったが、そのまま黙って待つことにした。柊は朝日と違い、クリスに対してどちらかと言うと良い印象を持っていた。帝国に来てずっと彼が誠実に職務を全うして来たことは知っていたし、何より第二師団を撤退させる際にクリスに助力してもらった恩もあったからだ。それに、あの敏い神帝が恋慕するからにはよっぽど何か惹かれるところがあるのだろうと、そう柊は思っていた。
「貴方、何か混ざっていますね」
「……どういうことですか?」
言葉の意味が分からず柊が聞き返すと、クリスは真剣な表情で言った。
「ごく最近、強い異能に触れましたね」
「……!」
クリスの問いに、柊は身に覚えがあった。最近心から離れないこの違和感。何かを思い出さなければならないという切迫感。これはきっと強い異能によって精神操作されたせいだと思い至る。恐らくあの祝賀パーティーの夜だ。主犯をとり逃した時、何か記憶を弄られたに違いない。
今まで気づかずにいた自身への怒りもあるが、今は自身に使われた異能をどうにかする方法を考えるのが先決だ。だが精神的な異能は掛けられた人間が自分で解くことは不可能に近い。異能というものは、力の強い人間が絶対的に有利な特徴がある。柊に異能を使うことが出来たという事は、相手は柊より強い異能者だ。この場合、異能力が劣る柊にはどうにもすること出来ない。
だが、今なら解決方法は柊の目の前にある。
「貴方なら、どうにか出来ますか」
「ええ」
柊の言葉に、クリスは事も無げに頷いた。クリスの持つ神殺しの聖剣はあらゆる神性、異能を無効化する。ならば、柊にかけられた異能を解くことも出来るはずだ。
柊はクリスが腰に下げている聖剣に視線を向けた。それにしても、聖剣の力は柊が思っていた以上に異能に対して敏感なようだ。かけられた本人も気付かない程の巧妙な異能力に気付くとは、驚くべき探知能力だ。
「ですが、そこまで混ざっているとこうするしかありません」
クリスは聖剣を抜くと、ゆっくり刃を柊に向けた。その動作に、柊はクリスの考えを理解する。戦場に出たことのない柊でも、その痛みは容易に想像できた。これから起こることに内心冷や汗をかいたが、柊はそれを隠すように何時もの皮肉気な笑みを浮かべた。
「構いません」
クリスはその返事に僅かに頷くと、剣を天高く振り上げた。
***
決勝戦が始まる直前、祈里は落ち着かない気持ちで特別席に座っていた。あと一時間ほどで決勝戦が始まる。その結果によって、祈里の運命も決まると言っても過言ではない。クリスが勝てば、祈里の望み通りクリスは祖国に帰り、祈里はこの国で一人生きていくことになる。もし朝日が勝ってしまったら、クリスは祖国に帰れず、祈里は朝日の望みを叶えなくてはならなくなる。
過った悪い想像を振り払うように、祈里は頭を振った。自分が気を揉んでも、もう何も出来ることは無い。自分はただクリスが勝利することを祈るしかないのだ。それに、祈里には試合の前に一つやらなければならないことがあった。
祈里は椅子から立ち上がると、ルイゼオに断りを入れて天蓋から出た。そして出場者の控室扱いになっている隣の天蓋の中をそっと覗いた。流石と言うべきか、中にいたクリスは敏感にその気配を感じ取ったようで、祈里にすぐ声をかけてきた。
「陛下」
「少し、時間を貰ってもいいかな」
クリスに「勿論です」と返事をもらい、祈里は天蓋に入った。椅子に座っていたクリスは立ち上がり、祈里に挨拶代わりの礼をした。祈里は何と声をかけようか迷った挙句、最初は当たり障りのない話題を口にすることにした。
「……調子はどう?」
「問題ありません」
クリスの簡潔な返事に、すぐ沈黙が訪れる。祈里が話をどう切り出そうか逡巡しているのが伝わったのか、クリスは祈里の言葉を待っているようだ。色々と考えた結果、祈里は素直に伝えたいことを言う事にした。
「……前にクリスが言っていたことを、考えてたんだ」
じわじわと頬が熱くなる。クリスの顔を見られなくなり、祈里は視線を床に落とした。クリスの表情は分からないが、きっと祈里の突然の話題に戸惑っているだろう。
「前に……クリスのどこが好きなのか考えて欲しいって、言っていたこと…」
「ああ。執務室で話した時ですね」
クリスの言葉に、祈里はこくりと頷いた。
『陛下は、私のどこが好きなのですか?』
『私の何が好きだったのか、今の貴方に答えられますか』
クリスのあの言葉が、祈里はずっと心に引っかかっていた。一体クリスが何を伝えたかったのか、祈里はずっと考えていたのだ。そして考えていく中で、祈里はクリスの言いたかったことを何となく察した。きっと、クリスは祈里が色恋からクリスと閨を共にしていたのではなく、クリスの尊厳を傷つけるためにしていたと思っているのではないか。その為、その行為を愛と勘違いするなと、そう祈里に釘を刺したのではないかと思ったのだ。
そう思い至った時、祈里はどうしてもこれだけはクリスに伝えなければならないと思ったのだ。この御前試合が終わればきっともうクリスときちんと話す機会はなくなるだろう。だから、どうしてもこのタイミングで話したかった。
「……ク、クリスの…」
心臓がドキドキと音を立てる。緊張のあまりうわずった声で、祈里は決死の思いで言葉を紡いだ。
「笑った顔が好きだ」
クリスは何も言わなかった。俯いている祈里には、クリスがどんな表情をしているのか分からない。祈里の突然の言葉に戸惑っているか、もしかしたら嫌悪感を抱いているかもしれない。だが、祈里はもうなる様になれという気持ちで、一気に言葉を続けた。
「何時もの穏やかな笑みも、ちょっと子供っぽい笑顔も」
「あと迷いのない剣筋も見ていて気持ちいい」
「敵国であるこの帝国の文化に敬意を払ってくれた」
「通りがよくて優しい声も好きだ」
「正義感が強くて何時も人を守ろうとする」
「あ、でももう少し自分のことも大切にして欲しいかな……クリスは自分を犠牲にしても人を守ろうとするし」
「あの……何を」
クリスの戸惑った声に、祈里ははっと我に返った。途端に自分の言葉が恥ずかしくなり、もごもごと小さい言葉で結論を言う。
「だから…ちゃんと……クリスの事、好き…だなって……」
「……」
「あ、あの、……それだけ言いたかっただけだから」
段々と声が小さくなり、語尾はほぼかすれ声になってしまう。何も言わないクリスのことを見るのが怖くて、祈里は俯いたまま背を向けた。
祈里は最後にどうしてもこのことをクリスに伝えたかったのだ。自分は本当にクリスの事が好きだったのだと、どうしても知って欲しかった。決して、クリスの事を傷付けたかった訳じゃない。ただ遊びで夜を共にしていた訳じゃない。心を失った唯一の拠り所がクリスだった。今でも、時折クリスに抱かれた日々を思い出す。あの時間が、あの夜が、祈里にとって一番幸せな時間だった。
クリスの心境を考えると居た堪れなくなり、沈黙がずしんと祈里の上にのし掛かっているようだった。伝えたいことは伝えられたので、もう戻ろうと祈里が外に出ようとした時だった。
「あっはっはっはっはっは!」
突然響き渡った快活な笑い声に、祈里は心臓が飛び出るほど驚いて後ろを振り返った。そこには大きな口を開けて笑っているクリスが立っていた。クリスのそんな姿は初めて見たので、そのごく普通な青年の様なクリスの姿に見惚れるより、一体どうしてしまったのかと戸惑う気持ちが勝ってしまう。だがその心底楽しそうに笑うクリスの姿はとても自然に見えて、もしかしたらこういった朗らかで明るい性格がクリスの本来の性格なのではないかと思える程だった。
「いえ、失礼しました」
ひとしきり笑ったクリスは、何事も無かったかのように普段の騎士然とした姿に戻った。だがいつもよりどこか柔らかい雰囲気を纏っている。そして、何もできず立ち尽くしていた祈里の手をそっと持ち上げた。
「陛下。いえ、祈里」
手を握られ、初めて名前を呼ばれた祈里はそのまま動けずに固まってしまう。どうしたらいいのか分からず、真っ赤な顔でクリスの顔を見詰めた。
「祈里のお陰で僕も覚悟が決まった」
何で急に名前を? 何の覚悟? 僕? と色々な疑問がぐるぐると祈里の頭を埋め尽くした。一体何をどう聞けばいいのか分からず迷っている時、天蓋の外から試合時間になったことを告げる声が聞こえた。
「どうか、待っていてください。必ず優勝します」
クリスは祈里の手の甲に誓うような口づけをすると、外に向かって歩き出した。天蓋から出て行く直前、クリスが半ば呆然としている祈里に振り返った。その表情は晴れ晴れとしていて、祈里が憧れ続けたあの青い空そのものだった。
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