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22_雷光
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「それでは決勝戦を執り行います。ミュラメント聖国第三王子、クリスティナ=ミュラメント殿」
審判に名前を呼ばれ、クリスは大勢の視線を受けながら前に歩み出た。
「久遠神帝国少将、朝日朔也殿」
そしてクリスと同様に名前を呼ばれた朝日が、クリスの正面に対峙するように歩み出る。根っからの軍人である朝日らしい堂々とした歩き方と生真面目な表情はいつもと変わらないように見えたが、クリスはその真剣な視線に何か不穏なものを感じとった。その不穏さの理由を、クリスは長年腰に差してきた聖剣の力ですぐに理解した。
クリスが今腰に差しているのは、神前試合用の刃が潰されたものと神殺しの聖剣の二本の剣だ。長年聖剣と共に過ごしたことで聖剣の性質が少なからず体に沁みついているクリスは、聖剣を抜かずとも本能で察する。この肌が粟立つ感覚は、相手が神性を帯びている証拠だ。そして、異能をない朝日が神性を帯びていることの異常さに、クリスは気付いていた。
「構え」
審判の言葉にお互いに一礼をし、剣を構える。その瞬間、どちらが勝つのかと興味津々といった様子でざわついていた周囲の人々が、一斉に口を閉ざした。二人が剣を構えた瞬間に、まるで周りの空気さえも止まってしまったかのような緊張感が空間を支配した。優勝候補とされていた朝日とクリスはその前評判通りに決勝戦であたることとなり、この試合は実質帝国と聖国の代表同士の戦いのような様相を呈している。呼吸さえ憚られるような静けさの中で、その場にいた誰もがただ二人の行く末を見詰めていた。
「始め!」
審判の言葉と同時に、朝日が目にも止まらぬ速さでクリスへと近づき、強烈な突きを放つ。それは瞬きをしただけで追いきれなくなる速さだったが、その常人では受けきれないだろう攻撃をクリスは綺麗に受けきった。この攻撃が速さだけではなく膂力も兼ね備えていることは、その攻撃を受けた金属のぶつかり合う重い音で誰もが理解しただろう。切り返した剣で攻撃に転じたクリスの流れるような剣を、今度は朝日が危なげもなく防ぐ。二人の攻防は目まぐるしく入れ替わり、激しい剣戟の音が絶え間なく続いた。
叩き上げの軍人である朝日の重く激しい剣技と、隙を全く見せない洗練された騎士らしいクリスの剣技は全くの正反対の性質をしている。これまでの生き方を表しているかのような二人の激しい打ち合いを、周囲の人間たちは半ば茫然と眺めることしか出来なくなっていた。二人の戦いに圧倒されるばかりで、誰もが楽しむどころではなくなっていたのだ。
これまでの試合からもこの二人の剣技が抜きんでていることは皆分かっていたが、こうして対等に渡り合える人間同士の戦いは今までの試合とは全くの別物だった。こうして拮抗する人間と戦うことで、初めて二人の実力は露になったのだ。
剣の切っ先がクリスの頬を掠め、切られた朝日の髪が数本宙に舞う。刃が潰された剣でも、達人が振るえばたちまちに鋭さを纏う。そんな一瞬の油断も数センチの判断ミスも許されない打ち合いが続き、不意に二人は鍔迫り合いになった。剣技も腕力も拮抗している二人の剣は、火花を散らしながら互いの間で押し合うように静止した。
「貴方のせいだ、全て。貴方のせいで、陛下は変わってしまった。あの方が誰にも心を傾けないままであったのなら、私も我慢できた。誰のものにもならない孤高で唯一の美しい人であってくれたのなら」
憎しみの籠った朝日の言葉にクリスが朝日を見詰めると、そこにはあの義を重んじる生真面目な朝日とは思えない鬼のような険しい表情の朝日がいた。
「貴方が、神である陛下を人間に堕としたんだ」
「それは違う」
呪いのような言葉を否定すると同時に、クリスは思い切り剣を横に振り切った。耳をつんざく金属音と共に、朝日が一瞬姿勢を崩す。
「先に彼の生き方を歪めたのは、神だ」
隙を見せた朝日の右腕を強かに打ち付ける。かなりの痛みがあっただろうに、朝日は表情を歪めただけで剣を落とさなかった。
「お前は陛下を嫌っていただろう! 何故今でも陛下の傍にいる。お前はあの人の心を惑わせる害悪そのものだ」
一度距離をとった朝日の目が、爛々と輝き始める。その瞳は神の威光を示すように鮮やかな青い輝きを放っており、彼が神性を纏っていることは誰の目にも明らかだった。異能を使えない朝日がここまで強い神性を帯びている理由を、クリスは既に分かっていた。
先ほどまでもとても人間とは思えない速さだった朝日が、更に速度を上げて突進してくる。異能によって身体能力が上がっているらしい朝日の動きは、とうに人間の限界を超えていた。その様子を見ていた周囲の人間達から悲鳴に近い声が上がったが、クリスは迷いのない動きで腰に差しているもう一本の剣――神殺しの聖剣を抜き去った。
「私がなぜ祈里の傍にいるのか、きっと話しても貴方には分からないだろう」
命を燃やすほどの激しさをぶつけてくる朝日とは対照的に、クリスの心中はどこまでも凪いでいた。クリスの脳裏に浮かぶのは、幼き日に見た美しく微笑む少年の姿だ。神となった祈里が忘れてしまっても、クリスだけはあの少年のことを覚えている。自分を殺して欲しいという悲壮な願いに反して、その笑みはどこまでも幸せそうに見えた。あの笑顔を見た時から、クリスにとって祈里は全てだった。クリスが祈里の傍にいる理由であり、聖剣の騎士として生きる意味であり、そして自分の人生を呪わずに生きてこられた理由である。愛と言うには歪で、運命と言うには醜すぎる。クリスにとって祈里は、そんな存在だった。
聖剣が、白光を照り返して美しく光る。いつも青空のように澄み渡っている銀色の剣が、この時だけはまるで脈打っているかのように感じられた。あれを切るべきだと、剣が自ら意志を持ってそう言っているようだった。宿敵に出会ったかのように、運命に出会ったかのように、神殺しの聖剣がその身の使命を果たそうと、刀身を一層輝かせた。
「神よ、貴方はもう人間を解放すべきだ」
朝日の中に巣くう神に向かって、クリスはその白銀の剣を振りかざした。
⁂ ⁂ ⁂
「これは……」
剣戟の音の合間に、そんな風に呟くルイゼオの言葉が聞こえた。その言葉が続かなかったのは、クリスと朝日の激しい攻防を言い表せる言葉が見つからなかったからであろう。そしてそれはこの戦いを見ている全ての人間が同様で、祈里もただひたすら打ち合う二人を見詰めることしか出来なかった。
彼らの剣技が抜きんでていることは知っていたが、多くの戦場を経験してきた祈里の目から見ても二人の戦いは目で追うのが精一杯になるほどのものだった。朝日の剣がクリスの頬に細い傷をつけた時には祈里は思わず口を押えたが、クリスは動じる様子もなく冷静に朝日の剣を捌き切る。実力は拮抗しているように見え、どちらが勝つのか誰にも分からない状態だった。
クリスを優勝者にし、彼を国に帰すこと。それを心から望んでいる祈里は、心の中でただひたすらにクリスの勝利を願った。クリスと離別することを思うと心が引き裂かれる気持ちになるが、それ以上にクリスに幸せになって欲しかった。
クリスと朝日は途中で何か喋っていたようだが、不意に朝日が勝負を決するようにクリスへと間合いを詰めた。その人ならざる速さに周囲から悲鳴が上がった瞬間、激しい金属音が会場に鳴り響いた。空中に一本の剣が日光を反射させながら飛ばされていく。その剣の持ち主は――
「陛下!」
剣を手放したのがどちらなのかを確認する前に、祈里はその切羽詰まった声に振り返った。そこには天蓋を持ち上げて駆け込んできたらしい柊が、腹部を庇うようにして立っていた。常に冷静沈着な彼がいつになく焦っている様子に驚きながら祈里が近づくと、柊の腹部は彼のものらしい血がべったりと付いていた。
「柊……!? その怪我はどうした、早く手当てを」
「私のことなどどうでもよろしい。それよりも、朝日少将は神に魅入られている。あの男は危険だ、早く殺さなければ」
その言葉に驚きつつも祈里は柊を支えようと腕を伸ばしたが、柊は乱暴にその腕を撥ねつけた。柊は息を荒げており顔には脂汗が浮かんでいる。相当な苦痛を感じているようだが、柊は余裕のない表情で祈里に向かって必死に口を開いた。
「神は貴方をとうに見放している。夏生が来る前に、早くここから逃げなさい……!」
「夏生……夏生終少将のことか?」
どうしてその名前が柊の口から出たのかと祈里が考える前に、不意に何かを切り裂くような激しい音が聞こえた。柊を庇いながら祈里が音のした方に視線を向けると、そこには剣を手にした軍服姿の男が立っていた。どうやら天蓋の布の一部を切り裂いて侵入してきたらしい。神の恩寵を誇るように濃紺の髪を伸ばしているその男の姿を見て、祈里は驚きと焦りを隠しながら敢えて静かな声で言った。
「私の許可なく入ってくるとは、何のつもりか。夏生終少将」
「無礼をお詫びいたします、陛下。ですが、これは貴方の為を想ってのことなのです」
神の御前に乱入してきた人間とは思えない丁寧さで夏生は頭を下げると、落ち着いた声でそう言いながら祈里を見た。その異常な行動を除けば、夏生の立ち振る舞いは正気なように見える。だがそれ故に、夏生が何を考えているのかが分からず祈里は恐ろしかった。その恐ろしさを柊も感じ取ったのか祈里の前に歩み出ようとしたが、祈里は腕を上げて柊を制止した。怪我をしている柊を守るように、祈里は夏生の前に立ちはだかった。
「私の為とは、何のことだ」
「貴方は変わってしまった。戦場で刀を振るう貴方ほど美しいものは無いと言うのに。血に濡れてこそ、貴方は存在する価値がある。だから――」
まるで舞踏会でいたいけな少女に向かって微笑むように、狂気など微塵も感じさせない上品な笑みを夏生は浮かべた。
「終わらせましょう、平和ごっこなど」
夏生が異能を発動させるのと同時に、祈里はルイゼオを庇うように飛び出した。夏生の掌から、白い雷光が真っすぐルイゼオに向かって行く。それは、ほんの一瞬のことだっただろう。地面に倒れ伏す前に、焼けるような痛みと衝撃が全身を襲う。
「陛下!!」
柊の叫びを聞きながら、祈里は自分の意識が遠ざかっていくのを感じた。視界が段々と狭くなっていき、何も聞こえなくなっていく。自分の心臓が遅くなっていくこの感覚を、祈里は知っていた。それはクリスに胸を貫かれた時と、全く同じ感覚だった。
審判に名前を呼ばれ、クリスは大勢の視線を受けながら前に歩み出た。
「久遠神帝国少将、朝日朔也殿」
そしてクリスと同様に名前を呼ばれた朝日が、クリスの正面に対峙するように歩み出る。根っからの軍人である朝日らしい堂々とした歩き方と生真面目な表情はいつもと変わらないように見えたが、クリスはその真剣な視線に何か不穏なものを感じとった。その不穏さの理由を、クリスは長年腰に差してきた聖剣の力ですぐに理解した。
クリスが今腰に差しているのは、神前試合用の刃が潰されたものと神殺しの聖剣の二本の剣だ。長年聖剣と共に過ごしたことで聖剣の性質が少なからず体に沁みついているクリスは、聖剣を抜かずとも本能で察する。この肌が粟立つ感覚は、相手が神性を帯びている証拠だ。そして、異能をない朝日が神性を帯びていることの異常さに、クリスは気付いていた。
「構え」
審判の言葉にお互いに一礼をし、剣を構える。その瞬間、どちらが勝つのかと興味津々といった様子でざわついていた周囲の人々が、一斉に口を閉ざした。二人が剣を構えた瞬間に、まるで周りの空気さえも止まってしまったかのような緊張感が空間を支配した。優勝候補とされていた朝日とクリスはその前評判通りに決勝戦であたることとなり、この試合は実質帝国と聖国の代表同士の戦いのような様相を呈している。呼吸さえ憚られるような静けさの中で、その場にいた誰もがただ二人の行く末を見詰めていた。
「始め!」
審判の言葉と同時に、朝日が目にも止まらぬ速さでクリスへと近づき、強烈な突きを放つ。それは瞬きをしただけで追いきれなくなる速さだったが、その常人では受けきれないだろう攻撃をクリスは綺麗に受けきった。この攻撃が速さだけではなく膂力も兼ね備えていることは、その攻撃を受けた金属のぶつかり合う重い音で誰もが理解しただろう。切り返した剣で攻撃に転じたクリスの流れるような剣を、今度は朝日が危なげもなく防ぐ。二人の攻防は目まぐるしく入れ替わり、激しい剣戟の音が絶え間なく続いた。
叩き上げの軍人である朝日の重く激しい剣技と、隙を全く見せない洗練された騎士らしいクリスの剣技は全くの正反対の性質をしている。これまでの生き方を表しているかのような二人の激しい打ち合いを、周囲の人間たちは半ば茫然と眺めることしか出来なくなっていた。二人の戦いに圧倒されるばかりで、誰もが楽しむどころではなくなっていたのだ。
これまでの試合からもこの二人の剣技が抜きんでていることは皆分かっていたが、こうして対等に渡り合える人間同士の戦いは今までの試合とは全くの別物だった。こうして拮抗する人間と戦うことで、初めて二人の実力は露になったのだ。
剣の切っ先がクリスの頬を掠め、切られた朝日の髪が数本宙に舞う。刃が潰された剣でも、達人が振るえばたちまちに鋭さを纏う。そんな一瞬の油断も数センチの判断ミスも許されない打ち合いが続き、不意に二人は鍔迫り合いになった。剣技も腕力も拮抗している二人の剣は、火花を散らしながら互いの間で押し合うように静止した。
「貴方のせいだ、全て。貴方のせいで、陛下は変わってしまった。あの方が誰にも心を傾けないままであったのなら、私も我慢できた。誰のものにもならない孤高で唯一の美しい人であってくれたのなら」
憎しみの籠った朝日の言葉にクリスが朝日を見詰めると、そこにはあの義を重んじる生真面目な朝日とは思えない鬼のような険しい表情の朝日がいた。
「貴方が、神である陛下を人間に堕としたんだ」
「それは違う」
呪いのような言葉を否定すると同時に、クリスは思い切り剣を横に振り切った。耳をつんざく金属音と共に、朝日が一瞬姿勢を崩す。
「先に彼の生き方を歪めたのは、神だ」
隙を見せた朝日の右腕を強かに打ち付ける。かなりの痛みがあっただろうに、朝日は表情を歪めただけで剣を落とさなかった。
「お前は陛下を嫌っていただろう! 何故今でも陛下の傍にいる。お前はあの人の心を惑わせる害悪そのものだ」
一度距離をとった朝日の目が、爛々と輝き始める。その瞳は神の威光を示すように鮮やかな青い輝きを放っており、彼が神性を纏っていることは誰の目にも明らかだった。異能を使えない朝日がここまで強い神性を帯びている理由を、クリスは既に分かっていた。
先ほどまでもとても人間とは思えない速さだった朝日が、更に速度を上げて突進してくる。異能によって身体能力が上がっているらしい朝日の動きは、とうに人間の限界を超えていた。その様子を見ていた周囲の人間達から悲鳴に近い声が上がったが、クリスは迷いのない動きで腰に差しているもう一本の剣――神殺しの聖剣を抜き去った。
「私がなぜ祈里の傍にいるのか、きっと話しても貴方には分からないだろう」
命を燃やすほどの激しさをぶつけてくる朝日とは対照的に、クリスの心中はどこまでも凪いでいた。クリスの脳裏に浮かぶのは、幼き日に見た美しく微笑む少年の姿だ。神となった祈里が忘れてしまっても、クリスだけはあの少年のことを覚えている。自分を殺して欲しいという悲壮な願いに反して、その笑みはどこまでも幸せそうに見えた。あの笑顔を見た時から、クリスにとって祈里は全てだった。クリスが祈里の傍にいる理由であり、聖剣の騎士として生きる意味であり、そして自分の人生を呪わずに生きてこられた理由である。愛と言うには歪で、運命と言うには醜すぎる。クリスにとって祈里は、そんな存在だった。
聖剣が、白光を照り返して美しく光る。いつも青空のように澄み渡っている銀色の剣が、この時だけはまるで脈打っているかのように感じられた。あれを切るべきだと、剣が自ら意志を持ってそう言っているようだった。宿敵に出会ったかのように、運命に出会ったかのように、神殺しの聖剣がその身の使命を果たそうと、刀身を一層輝かせた。
「神よ、貴方はもう人間を解放すべきだ」
朝日の中に巣くう神に向かって、クリスはその白銀の剣を振りかざした。
⁂ ⁂ ⁂
「これは……」
剣戟の音の合間に、そんな風に呟くルイゼオの言葉が聞こえた。その言葉が続かなかったのは、クリスと朝日の激しい攻防を言い表せる言葉が見つからなかったからであろう。そしてそれはこの戦いを見ている全ての人間が同様で、祈里もただひたすら打ち合う二人を見詰めることしか出来なかった。
彼らの剣技が抜きんでていることは知っていたが、多くの戦場を経験してきた祈里の目から見ても二人の戦いは目で追うのが精一杯になるほどのものだった。朝日の剣がクリスの頬に細い傷をつけた時には祈里は思わず口を押えたが、クリスは動じる様子もなく冷静に朝日の剣を捌き切る。実力は拮抗しているように見え、どちらが勝つのか誰にも分からない状態だった。
クリスを優勝者にし、彼を国に帰すこと。それを心から望んでいる祈里は、心の中でただひたすらにクリスの勝利を願った。クリスと離別することを思うと心が引き裂かれる気持ちになるが、それ以上にクリスに幸せになって欲しかった。
クリスと朝日は途中で何か喋っていたようだが、不意に朝日が勝負を決するようにクリスへと間合いを詰めた。その人ならざる速さに周囲から悲鳴が上がった瞬間、激しい金属音が会場に鳴り響いた。空中に一本の剣が日光を反射させながら飛ばされていく。その剣の持ち主は――
「陛下!」
剣を手放したのがどちらなのかを確認する前に、祈里はその切羽詰まった声に振り返った。そこには天蓋を持ち上げて駆け込んできたらしい柊が、腹部を庇うようにして立っていた。常に冷静沈着な彼がいつになく焦っている様子に驚きながら祈里が近づくと、柊の腹部は彼のものらしい血がべったりと付いていた。
「柊……!? その怪我はどうした、早く手当てを」
「私のことなどどうでもよろしい。それよりも、朝日少将は神に魅入られている。あの男は危険だ、早く殺さなければ」
その言葉に驚きつつも祈里は柊を支えようと腕を伸ばしたが、柊は乱暴にその腕を撥ねつけた。柊は息を荒げており顔には脂汗が浮かんでいる。相当な苦痛を感じているようだが、柊は余裕のない表情で祈里に向かって必死に口を開いた。
「神は貴方をとうに見放している。夏生が来る前に、早くここから逃げなさい……!」
「夏生……夏生終少将のことか?」
どうしてその名前が柊の口から出たのかと祈里が考える前に、不意に何かを切り裂くような激しい音が聞こえた。柊を庇いながら祈里が音のした方に視線を向けると、そこには剣を手にした軍服姿の男が立っていた。どうやら天蓋の布の一部を切り裂いて侵入してきたらしい。神の恩寵を誇るように濃紺の髪を伸ばしているその男の姿を見て、祈里は驚きと焦りを隠しながら敢えて静かな声で言った。
「私の許可なく入ってくるとは、何のつもりか。夏生終少将」
「無礼をお詫びいたします、陛下。ですが、これは貴方の為を想ってのことなのです」
神の御前に乱入してきた人間とは思えない丁寧さで夏生は頭を下げると、落ち着いた声でそう言いながら祈里を見た。その異常な行動を除けば、夏生の立ち振る舞いは正気なように見える。だがそれ故に、夏生が何を考えているのかが分からず祈里は恐ろしかった。その恐ろしさを柊も感じ取ったのか祈里の前に歩み出ようとしたが、祈里は腕を上げて柊を制止した。怪我をしている柊を守るように、祈里は夏生の前に立ちはだかった。
「私の為とは、何のことだ」
「貴方は変わってしまった。戦場で刀を振るう貴方ほど美しいものは無いと言うのに。血に濡れてこそ、貴方は存在する価値がある。だから――」
まるで舞踏会でいたいけな少女に向かって微笑むように、狂気など微塵も感じさせない上品な笑みを夏生は浮かべた。
「終わらせましょう、平和ごっこなど」
夏生が異能を発動させるのと同時に、祈里はルイゼオを庇うように飛び出した。夏生の掌から、白い雷光が真っすぐルイゼオに向かって行く。それは、ほんの一瞬のことだっただろう。地面に倒れ伏す前に、焼けるような痛みと衝撃が全身を襲う。
「陛下!!」
柊の叫びを聞きながら、祈里は自分の意識が遠ざかっていくのを感じた。視界が段々と狭くなっていき、何も聞こえなくなっていく。自分の心臓が遅くなっていくこの感覚を、祈里は知っていた。それはクリスに胸を貫かれた時と、全く同じ感覚だった。
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