白の皇国物語

白沢戌亥

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第四章:万世流転編

第十話「生者の意味」 その一

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「リシィ、大丈夫?」
「ああ、問題ない」
 アーリュ――源霊教司祭アーリュ・ヴィト・ヴィレトはハイドリシアの着替えを手伝いながら、友人の表情が凍り付いたままであることに胸を痛めていた。
 医師――アーリュたちにとっては常識外の女性の医師だった――の診察を受けている間も、彼女は為すがままに身を委ねるだけで最低限の反応しか示さなかった。
 時折小さく、「何故だ」と呟く以外は。
 アーリュはその言葉に対する答えを持っていたが、自分で口にする勇気はなかった。それに、それは自分の役目だと自負している者が待っている。
「ロディたちも心配してるから、元気な姿を見せてあげましょう?」
「分かった」
 巨大な姿見の前でハイドリシアの身なりを整え、アーリュは部屋の外へと友人を誘う。その表情には深い慈愛があった。だが、その心中には不安が満ちていた。
(ふたりと話して、少しは気が晴れると良いけど……)
 アーリュが扉を開けると、ハイドリシアは少し怯えるようにして部屋を出た。
 扉の脇に控えていた侍女が一礼し、ふたりを先導して歩き始める。
「ふたりはもう待っているかしら」
「はい。先ほどから落ち着かない様子だと聞いております」
「ふふ、やっぱりリシィのことが心配なのね」
 そう言って隣を歩くハイドリシアを見ると、彼女は周囲に注意深く視線を向けている。その様子は目覚めた直後のアーリュと同じだった。
「リシィ。そう気を張らなくても大丈夫よ」
「しかし、ここは敵地じゃないか」
 ハイドリシアの言い分は、目が覚めた直後に宿敵の顔を見せられては仕方がないことだが、アーリュは前方を歩く侍女を気にしながら、ハイドリシアの手をしっかりと握ることで彼女の緊張を解そうとした。
「大丈夫だから、わたしを信じて?」
「それは……」
 アーリュはハイドリシアが悩んでいる様を見詰め、やはりと思った。
 勇者と呼ばれ、多くの魔族を屠ってきたハイドリシアには、自分とその国を害する者がいない平穏が異質に思えるのだろう。
 従軍神官として複数の戦いに参加し、魔族との決戦でも活躍したアーリュだが、そんな彼女でも平穏な幼少時代というものが存在する。
 しかし、ハイドリシアにはそれがないと聞いている。勇者の血統として神槍を受け継ぐ才能を持っていた彼女は、物心ついたときから戦う術を叩き込まれてきた。
 姉が女王として人々の中心で傅かれている間、ハイドリシアは斬り捨てた魔族の骸を跪かせていた。
「こちらです」
 侍女がひとつの扉の前で立ち止まる。
 ハイドリシアはそこでようやく、自分に向き直った侍女の姿をまじまじと見詰めた。耳が隠れる程度に切り揃えられた濃紫の髪と、意志の強さを感じさせる切れ長の目。その腰に吊ってある剣に自然と視線が向いたが、その直後アーリュに手を引かれた。
「行きましょう」
「あ、ああ」
 侍女が扉を開くと、アーリュがハイドリシアを引っ張って部屋の中に入っていく。
 そこは大きな窓と白い洋琴が鎮座する部屋で、軽食の準備が整えられた大机にふたりの仲間が待っていた。
「リシィ、待ってたよ」
「随分と寝坊をしていたな」
 かつてハイドリシアと共に魔王連合と戦ったふたりの戦士。
 魔法使いライエス――ライエス・ブラッズ・ヘディズと、神殿騎士ロディ――ロディ・ファルムだった。
「さっきは色々揉めていたからろくに話もできなかったけど、無事で良かった」
 ライエスが立ち上がり、笑みを浮かべてハイドリシアに歩み寄る。
 椅子に座ったままのロディは何度も頷き、ほとんど表情は変わらないものの、その目が優しげに弧を描いていた。
「さあ、お茶にしましょう。色々話をしながら、ね」
 アーリュが手を叩き、元勇者とその仲間たちの茶会が始まった。


「取り繕ってもしょうがないからはっきり言おう。僕らも君と同じようにして、預かった精霊武具を取り上げられたんだ」
「目が覚めた瞬間に陛下の顔があったかと思ったら、中身はあの邪鬼神だった。済まないとは思うが……」
 ライエスとロディは紅茶の入った磁碗を弄びつつ、自分たちが目覚めたときに起きたことを詳らかに口にした。
 ハイドリシアは仲間を不甲斐ないとは思わなかった。あの女は、自分たちのような戦いに慣れた者が取るべき行動を見通した上で、もっとも効率よく武具を回収したのだ。
 あれを奪われた彼らには、邪鬼神と戦えるような力はほとんどない。それだけ、彼らとリリスフィールの力は隔絶していた。
「あなたの前に目が覚めたのはわたしだったけど、やっぱり似たような感じで持ってかれちゃった。もう神殿魔法は使えなかったとはいえ、陛下にお預かりしたものだったのに……」
「魔法が使えない?」
 ハイドリシアはアーリュの発した魔法が使用できないという言葉に反応した。
 彼女は今の今まで、魔法が使えないのは何らかの妨害手段で魔法が封じられていると思っていたのだ。脱走防止のためと考えれば、決して間違った考えではない。
「それは僕から説明するよ」
 ライエスはそう言って立ち上がり、部屋の片隅に置いてあった宝珠付の杖を手に取った。
「これはこの国では一般的な魔法使用者用の補助道具で、僕が以前使っていたものと同じような機能があるんだけど、ちょっと見てて」
 杖を掲げたライエスは、そう言って仲間たちの注目を集めると、部屋の隅にある観葉植物に向けて小さく呪文を唱えた。
 彼らの世界の魔法使いがごく初期に覚える、真空切断魔法の呪文だった。
「集え風精の息吹、我が前に立つ敵を斬り裂け――バリュエス」
 ハイドリシアは呪文が発せられた瞬間、観葉植物が切断されて倒れると思った。
 だが、いつまで経っても観葉植物に変化はなく、また魔法の発動に必要なマナが集まる気配もなかった。
「――ご覧の通り、無詠唱でもこの部屋の壁ぐらいなら両断できた僕のバリュエスも、まったく発動する気配がない」
「身体作用系の魔法も同じだ。そうだな、アーリュ」
 ライエスの様子を眺めていたロディが肩を竦めてアーリュを見れば、癒やしの魔法を得意としていた神官は「困ったものね」と呟くだけだった。
「そこで色々調べた結果、この世界には僕らが『マナ』と呼称するものが存在しないということが分かったんだ。対応する言葉さえない状態でね。こっちの人にマナについて説明するのは苦労したよ」
 自分の椅子に戻り、大きな溜息を吐くライエス。
 アーリュが新しいお茶を淹れても、それを眺めているだけで手を付けようとしない。
「魔族たちの煉素も同じく存在しない。ただ、魔法は存在しているようだね」
「そうなのか」
 ハイドリシアは驚きはしたものの、よくよく考えてみれば、目が覚めた部屋にいた騎士たちは魔法によって姿を隠していたように見えた。
 そう考えれば、自分たちの魔法とは全く別の技術による魔法がこの世界に存在していても納得できる。
「魔素というものがこの世界の魔法の元だ。僕らのマナとは根本的に別物だったけど……」
 ライエスは再び嘆息した。
「僕らは人間は大気中のマナを取り込んで力にする。魔族は煉素を取り込んだり自分で生成したりして力にする。でもこの世界の魔素は、マナや煉素よりももっと根源的なものなんだ」
 マナや煉素はあくまでも大気中に存在する特殊物質の一種だった。人間は煉素を扱えず、魔族もまた大半の種族がマナを扱うことができなかった。彼らは自分たちが扱えるマナや煉素を用いて魔法や煉素術と呼ばれる技術を行使していたのだ。
 だが、魔素はその他のあらゆる『力』の根源である。
 魔法に限らず、この世界で行われるあらゆる運動にその存在は欠かすことができない。初代皇王が「夢の第一の力か未知の第五の力」と称していたことにより、魔素は学会で根源力と呼称されることもあった。
 ただ、魔素について完全な解明が成されたことは一度もない。
 ライエスは続けた。
「マナや煉素が生成されない以上、僕らの魔法理論は一からやり直さないといけない。まあ、この世界の魔法を使った方が早いだろうけどね」
 うっすらとした笑みを浮かべるライエス。その表情は、ハイドリシアにはどこか自暴自棄になっているようにも見えた。
 それは、正しかった。
「はっきり言おうリシィ。僕らはもう選ばれし勇者やその仲間じゃない。僕らが守ってきた人々と同じ、ただの無力なヒトだ」
 薄々感じていた事実。だが、それを信頼する仲間から告げられたハイドリシアは、ただ呆然とするしかなかった。
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