白の皇国物語

白沢戌亥

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第四章:万世流転編

第十一話「意志の鉾先」 その三

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 暗い部屋の中でほんの少しだけ窓掛を開け、外の風景を覗き見る。
 ハイドリシアは仲間たちが今後の生活のために行動している間、ずっとそんなことをして過ごしていた。
 以前は毎食ごとに顔を合わせていた仲間たちは、日を経るごとに集まる機会が減っていった。今では四人が揃うことは稀で、迎賓館の外に出ることが増えてきたロディとライエスなどはもう何日も顔を見ていない。
 同じ迎賓館の中に居るはずのアーリュさえ、一日に一度、夕食の時間に顔を合わせるだけだ。そこで交わされる会話は、ほとんどがアーリュの口から出る思い出話で、それはハイドリシアを気遣ってのものだ。
 ハイドリシアは、アーリュがこの世界で新たな信仰を見出そうとしていることに気付いていた。
 失ったものは戻ってこない。それは物質的な存在だけではなく、精神的な存在も含まれる。あの世界にあった精霊への信仰は、この世界では一から作り上げなくてはならないものなのだ。
 本来ならば、ハイドリシアが先頭に立って仲間たちの新たな生活を構築しなくてはならない。だが、その役目はこの国の官僚たちが請け負っている。
 様々な形での難民の処理に慣れた皇国の内政官僚たちは、何も知らないハイドリシアよりもよほど効率的に仲間たちの未来への道筋を提示した。
 民を守る騎士としての生き方を望んだロディは、皇国にある様々な兵科学校への入学を提示され、世話役の若手官僚と共に各地の学校を回っている。
 ほんの僅かな故郷存続の希望を捨てきれないライエスは、皇国の誇る次元観測機関のひとつである皇立天文台への就職を目指し、皇都の大学校への編入を目指して勉学に励んでいる。
 そして新しい信仰の形を模索しているアーリュには、数多ある皇国の宗教を研究している皇王府直轄の研究機関、ファルディバル記念研究所への所属が提示された。
 今はまだ迎賓館の中で自らの信仰を論文として纏めている最中だが、いずれはここを出て行くだろう。
 その三人に対し、ハイドリシアは何一つとして先を見据えた行動を起こしていない。当然、三人のように皇国側から何らかの情報が提供されることはなく、緩慢とした日々を過ごしているだけだ。
「姉上……」
 女王として人々を導いてきた姉。その姿に倣って仲間たちを率いて戦ってきたが、目標としていた姉が世界崩壊の切っ掛けを作ったと聞かされ、ハイドリシアの中からは目標が消えた。
 救うべき世界もなく、抱くべき信念もなく、振るうべき力もなく、そして率いるべき仲間もいない。
 もはや、勇者ハイドリシアとしての総てが存在しない。
 どれだけ絶望的な戦いの中でも感じたことのない虚無感。多くの仲間を失った魔王連合との戦いの中でさえ、これほどの無力感を覚えたことはなかった。
 自分の存在が、自分によって否定されている。
「わたしは、何をしてるんだ」
 寝台の上で膝を抱え、顔を伏せる。
 しなやかな筋肉に覆われていた身体はすでに衰えている。その力は市井の娘と何ら変わらないだろう。
 剣を振るっていた頃は固く肉刺だらけだったはずのそれは、この迎賓館で過ごしている間に柔らかな感触を取り戻しつつある。乙女騎士たちのために調合された薬湯風呂は、ハイドリシアの身体の傷を区別なく癒やしていた。
 身体中に刻まれていたはずの傷も薄くなり、身体と同じように傷付いていた髪は姉のような光沢を取り戻している。
 ハイドリシアは自分の姿を姿見で見るたびに、勇者としてではなく単なるハイドリシアとして生きていた頃を思い出すのだ。
 唯一残ったはずの自身の身体からさえ、勇者としての記憶が消えていく。
「わたしは……なにをすればいい」
 仇敵であった邪神以外に、明確に勇者であることを否定されたことはない。
 仲間たちは変わらずハイドリシアを救世の勇者であると認めているし、皇国の者たちもハイドリシア一行の過去を知ってか、彼女たちに敬意を払っている。
 だからこそハイドリシアが塞ぎ込んでいることも責任感の裏返しだと思っており、彼女の行動を責めるような意見はほとんど聞こえてこない。
 何より、彼女たちはこの国の皇王の客人だ。
 力など持っていなくても責められることはなく、日々を過ごすことに困窮するなどありえない。
 そう、誰もハイドリシアを責めなかったのだ。
「何故だ……!」
 両手で顔を覆い、ハイドリシアは声を震わせる。
 何故誰も勇者としての自分を責めないのだ。
 人々を守れなかったばかりではなく、その根幹である世界の崩壊さえ止めることができなかった。姉を止めることができたのは、あの時点で自分だけだった筈なのに、誰もそれを責めようとしない。
「わたしが悪いんだ! 罪を犯した! 間違いを犯した!」
 叫んでも、答えが戻ってくることはない。
 彼女の言葉はある一定の視点――彼女を信じた数多の者たちの視点で見れば正しいように思える。だがしかし、その視点を持つ者たちはこの世界には存在しない。
 彼女の故郷ごと消えてしまった。
「ああああああああああ!」
 客観的に見れば、ハイドリシアの精神は袋小路の中にあった。
 彼女にとって最も重視するべきは勇者の使命であり、それを達成するための勝利だ。それは彼女がずっと人々から聞かされ続けてきた真理であり、それ以外に自分の価値は存在しないと思っている。
 それは結局、教会による教育の結果だ。
 教会は自分たちの権威を維持することが秩序の維持にもっとも適していると思い、実際にその通りだった。
 教会ほど人類の諸国家に影響力のある存在はなく、その権威の維持は確かに人類社会を保つために正しい選択だった。
 その方法として勇者を取り込んだとしても、これを一概に責めることはできない。
 教会の本心がどのようなものであったにせよ、行動そのものは間違っていなかったのだ。
 その結果としてハイドリシアが自分の存在価値を見失ったとしても、やはり間違ってはいない。
 正しい行動の結果が正しいものであるとは限らない。その逆もまた然りである。
 ハイドリシアの現状は正しい行動の結果である。
「だからこそ、苦しみは永遠に続く」
「誰!?」
 ハイドリシアは部屋の扉に向けて、世界を遍く憎むかのような視線を向けた。
 かつて勇者として戦ってきたときと、その視線だけは変わらなかった。
 だが、その変わらない視線さえ歯牙にもかけない存在が、この国には数多く存在する。その中でも、ハイドリシアの目の前にいる人物は一際大きな力を持っていた。
「久しいな、勇者殿」
「レクティファール陛下……」
 ハイドリシアは自分の部屋に入ってきた人物が、自分たちの庇護者であることに気付いた。だが、居住まいを正す間もなく静かに近付いてきたレクティファールに、その腕を掴まれる。
「くっ」
 ハイドリシアは困惑と反発を滲ませた目で、レクティファールを睨んだ。
 レクティファールにとって自分たちの価値が塵芥に等しいことは理解している。それと同時に、自分たちの形を保護していることもまた理解しており、それはハイドリシアにとって決して許すことのできないことだった。
「何をする!」
「何もしていない。ただ、其方が望む通りのことをしている」
 莫大な情報量を秘めた銀の眼に瞳を覗き込まれ、ハイドリシアは息を詰まらせた。
 人の瞳には感情という多くの情報が秘められている。
 人々は無意識のうちにそれを読み取り、意思疏通の助けにしているが、レクティファールの瞳にはそれがまったくと言って良いほど通用しない。
 普段は意図して人々と同じように感情を表しているが、それはレクティファールの意思一つでやめることができる。
 そうなったとき、レクティファールに相対した者は恐ろしいほどに違和感を覚える瞳を見ることになる。
 感情の一切が感じられない人形のような眼。
 だが確かに目の前の人物からは意思が感じられる。
 それは人々にとって恐怖だ。
 ハイドリシアもまた、人の姿をしたヒトではない存在を前に恐怖を抱いた。
「其方の望む通り、その罪を教えてやろう」
 自分の身体が震えていることに、ハイドリシアはようやく気付いた。
 久しく感じていなかった、個人としての恐怖だった。
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