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第四章:万世流転編
第十二話「白砂の城」 その五
しおりを挟むウィルマグス中央駅特別区。
それは軍の管轄下に置かれている軍用区画だ。そこに滑り込んだ装甲列車からひとりの男が降り立ち、外套の襟を整えている。発着歩廊の柱に取り付けられた時計は、予定よりも少し早い時間を指していた。
「ん? 貴様、ガラハか?」
背後から声を掛けられ、皇国軍中将ガラハ・ド・ラグダナは口元を引き締めて振り返った。
彼に向かって足早に近付いてくるのは、ノールトヴェンツェル辺境伯アルブレヒトだ。その表情は明るく、秘書らしい壮年の男に先に政庁へ戻るように指示を出している。
ここ数日、同じように声を掛けられることが多い。そしてそれを嫌だと思わない自分がいる。ガラハは自分の新たな一面を発見し、少し驚いていた。
「閣下、何か御用でも?」
「何かではない。リーデ準皇妃殿下のことだ。まあ、貴様も内心飽き飽きしているだろうが、儂も祝いの品を贈らない訳にはいかぬ。知恵を貸してはくれんか?」
「知恵も何も、小官はあれの元上官でしかありません」
ガラハは最近の決まり文句となった言葉で答えた。
だが、相手がリーデに阿るために贈り物をしようとしているならば、この時点でより強い口調で拒否し、断っている。相手もガラハの威圧感に耐えられず、さっさと退散するのだ。
もっとも、純粋にリーデと皇王家を想っている者も少なくない。
「それでも、だ。儂もこの地での暮らしが長くなってあまり宮城の流行りは詳しくない。妻に任せようかとも思ったが、ここで貴様と会ったのも歴代様の思し召し、ほれ、素直に手伝わんかい」
「閣下、小官は守備軍本部に……」
「こっちの仕事が終わったら連れて行ってやる。何、領主に現況報告でもしていたということにすればいい」
アルブレヒトはガラハの肩を抱くと、そのまま下階へと降りる階段へ彼を引き摺っていく。老いてもなお恵まれた体格を維持しているアルブレヒトに、ガラハは為す術なく誘拐された。
「儂としては直接祝詞を言上したかったのだが、先頃の一件で帝国も安定しているとは言えん。せめて書と品だけでもと思ったのだ」
駅の貴賓室で、ガラハは神妙な面持ちのアルブレヒトと卓を共にしていた。
貴賓室専属の給仕が挽き立ての黒豆茶を置いて下がってから、この地を預かる領主は深刻な面持ちで口を開いた。その口から発せられたのは、今日ガラハが〈パラティオン要塞〉から出向いた理由と同じものだった。
「今でこそ安定しているように見えるが、所詮は上辺だけの平穏よ。そのせいで、儂はこの慶事にろくでもない仕事をしなければならぬ」
「帝国の連中からすれば、これで我らが宮城に歪みでも生まれればというところでしょうな。あちらの常識と歴史を鑑みれば、皇子であろうと皇女であろうと火種に過ぎません」
ガラハは黒豆茶の香りを確かめ、磁碗に口を付けた。
皇族にも提供される茶だけあって、ガラハが普段飲んでいるものとは較べものにならないほど深みのある味だった。
「儂らからすれば閨閥だのなんだのは理解し難いことだが、連中からみれば権力拡大の好機か。我らが後宮での争いなど、せいぜいリリシア様とメリエラ様が菓子の大きさで取っ組み合いをする程度だと思っていたが……」
「それは正しいでしょう。リーデも……失礼、リーデ殿下もそう仰っておられた。陛下の寵愛を巡って争うよりも平和で結構ではないですか」
現実には、それに類した戦いも存在しない訳ではない。だが、その兆候が見えた瞬間に夜警総局によって順番が変更され、適宜レクティファールによる“夫婦の話し合い”が行われる。それに関して、レクティファールは夜警総局の犬であった。
「確かに、儂らが何を言ったところで皇王府の連中には適うまいよ。妃殿下は後宮のみで咲く花であれば良い」
「はい」
皇妃が政治に関わらないと同時に、政治もまた皇妃には極力関わろうとしない。
皇国にとって皇妃とは皇王の配偶者であってそれ以上の存在ではないのだ。
「さて、それでは本題に入ろうか。ガラハ、何でも良いから知恵を出せ」
アルブレヒトは卓に身を乗り出し、ガラハに迫る。
こと皇王家への忠誠に関しては、この男は皇国でも抜きんでている。生半可な品では納得するまい。
「知恵も何も、あれの好むところなど小官は存じません。小官から見ても、無趣味でありましたから」
ガラハは記憶を探り、いつも本ばかりを読んでいたリーデの姿を思い出す。
そのせいで目が弱り、眼鏡を掛けるようになったのだ。
「しかし、何もないという訳ではあるまい?」
「それは……」
アルブレヒトは諦めない。
妻に用意させればそれなりの品を選び出すだろう。その点について、彼は自分の連れ合いの能力を疑ってはいない。しかし、自分の手で忠誠心を示す機会があるならば、それを逃す男ではなかった。
「父君の仇であるからな、帝王の首と言われても驚きはすまい。だが、陛下が選んだ女性であるからには、我が子の祝いにそのような品など望む訳はない。さあ、白状せよガラハ」
「そこまで仰るなら……」
ガラハは鼻息が掛かるほど近付いてきたアルブレヒトに顔を引き攣らせながら、記憶の奥底から適当な情報を引っ張り出した。
「あれが好きであった童話。その原本などは如何でしょう。子が生まれるならば読み聞かせる機会もあろうかと思いますが」
「おお! それは良い! して、それは如何様なものだ?」
アルブレヒトはその巌のような顔に笑みを浮かべた。貴重な童話書であれば他の者と重なる可能性は低い。
「ウォーリムの童話で、確か『来訪者たちの旅路』と呼ばれるものだったかと」
「ふむ、舶来の品か。こちらでは手に入らぬやもしれんな」
アルブレヒトは顎髭を扱き、自らの伝手の中にそれを手に入れることができるものがあるだろうかと考える。馴染みの中にはそういったものを扱う商会もあるが、確実に手に入れるならば別の手も講じた方が良いかもしれない。
「イズモの方にも声を掛けるか」
「それも良いかと。イズモ商人は世界中で商いをしておりますし、ウォーリムであればそれなりに手広くやっているでしょう」
〈イズモ神州連合〉の目下の仮想敵は、皇国から南北のウォーリム教国に移っている。当然、その情報を集めるために多くのイズモ人が渡っているはずだ。
イズモ執政府の意を受けた商家も多い。
「そうだな。では早速手配することにしよう。手間を取らせてすまなんだな」
「いえ、閣下とはこの地で一蓮托生。この程度のことであればお気にならず」
「うむ、貴様も気をつけてな。車は呼んでおく」
「は、ありがとうございます」
アルブレヒトは頷くと、ガラハを置いて貴賓室を去った。
ガラハはその背を見送り、懐から一枚の写真を取り出す。
ガリアンに指差し笑われながら、おっかなびっくり赤子のリーデを抱くガラハの写真だった。
「この赤ん坊が、赤ん坊を産むのか」
ガラハが理解できないほど、人間の営みの歩調は早い。
彼からすれば、リーデが赤ん坊だったのは昨日どころか今朝のことのようにも感じられる。だが、世界は彼の認識よりも早く動いている。
「うーむ。その内その赤ん坊もまた赤ん坊を産むのか」
腕を組んで天井を見上げるガラハ。
この当時の彼は、もうすぐ誕生するリーデの子が自分の妻となることなど予想だにしていなかった。皇国有数の良将とされ、皇国軍人の代名詞となる彼も、自分の未来については全くの盆暗であったのだ。
「むう、よく分からん」
彼にそれを強制的に理解させる女性が現われるまで、あと十五年の年月が必要だった。
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