白の皇国物語

白沢戌亥

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第四章:万世流転編

第十三話「神々の座」 その五

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 部屋に入った瞬間、レクティファールの眼前に黄金色の草原が広がる。
 傾き始めた太陽に照らされ、風に揺れる黄金たち。それは皇国でも見られる稲穂の海であった。
 レクティファールは畦道に立ったまま、周囲を見渡す。
「――幻像? 違うな」
 僅かに靴底を地面に擦り付ければ、そこから得られる感触が土と石によるものだと直ぐに分った。この時点で単なる光学的な幻影ではない。
「空間技術による疑似次元転移か」
 レクティファールは盆を抱えたまま呟いた。
「然り、我らの次元とこちらの次元を繋ぐ次元歪曲技法じゃ。しかしこうも簡単に種が割れては、陛下は奇術など見てもあまり面白くないやもしれぬな」
 背後からの声に、レクティファールは驚いた様子を見せることなく振り返る。
 そこには稲穂よりも深い金色の尾を『九』本従えた狐耳の女性がいた。その茶色の髪は日の光によって金色に煌めき、新緑の色を持つ瞳がレクティファールを見詰める。
 その瞳に力強い神威を見て取り、レクティファールは目の前の人物が神々の席を占める人物だと察した。そして、妃である真子の気配を目の前の女性から感じると、口元に僅かな笑みを浮かべた。
「いつもの隠れ鬼には飽きた、そう受け取っても良いので?」
 レクティファールは婚姻に先立ち、義兄となるイズモ帝正周から真子の内に宿る存在についてある程度の説明を受けていた。
 もちろん、それは正周にとってみれば苦渋の決断である。双方ともに国家を背負う元首同士、それを繋ぐ真子に関する秘事はふたりの信頼関係を傷付け、さらには両国間の猜疑心を育てる苗床となってしまう。
 正周は自分の知りうる限りの情報をレクティファールに教えた。その際に瑠子に対する悪罵を一切口にしなかったのは、瑠子に対するそれはあくまで彼個人の言葉であり、イズモ国主としてのそれではなかったからだ。
 イズモ国内の評判は別にしても、瑠子という存在は国母と呼ぶに相応しい実績を持っている。彼女が初代イズモ帝に嫁いだからこそ、現在に至るまでのイズモ帝家の権威であり、正周が〈帝〉である限りそれを否定するようなことはできない。
 ただ、レクティファールが瑠子に対して抱いた感想は、正周のそれとは随分と趣きを異にするものだった。
 だからこそ、レクティファールは瑠子を置いたまま畦道を進み始める。
 手に持った盆をどこかに置きたいと思ったのだ。
 瑠子はそんなレクティファールの行動を自分への隔意故と受け取ったのか、その背を追いながら薄い唇で笑みを描いた。
「やはり、知っておったか。“兄上”からさぞ面白い話を聞いておるのだろう? 蔑むもよし、詰るもよし、好きにすれば良いではないか。妾はその程度の男の癇癪で愛想を尽かすような女ではないぞ?」
 どこからか取り出した扇で口元を隠して笑う瑠子だが、レクティファールはそんな瑠子の態度を気にすることなく、腰を落ち着けられる場所を見付けて安堵した。
 下り坂になっている畦道の横に、小さな祠があった。その周囲には草が生い茂っており、“ふたり”でところてんを食べる分には十分な広さがある。
「理由もなく癇癪を起こすのは子どもと女の特権と聞いているので、遠慮しておきます。とりあえずあそこでこのところてんを片付けてしまいましょうか」
「――むぅ」
 瑠子は自分の皮肉に望むような反応を示さないレクティファールに不満そうだったが、唸ることはあっても彼の背を追うことはやめなかった。
 祠の横にレクティファールが上衣を敷き、瑠子を促す。自分は広げた上衣の横に直に座ってしまった。
「イズモなら外で食べることもあるようですし、なかなか風景も良い。うん、こういう間食もいいじゃないですか」
 どこか嬉しそうに話すレクティファールに、瑠子は困ったように眉を下げた。
 こんな風に自分に接してくる相手は今までに会ったことがなかった。まるで他の妃たちと同じ扱いではないか。
 瑠子は良くも悪くも女性の扱いにいい加減さが残るレクティファールを見て、諦めたように溜息を吐いた。自分ばかり気にしていては不公平だと思った。
 彼女はレクティファールの敷いた上衣の真ん中に座り、九尾を折り重ねるように畳んだ。
「味の好みは知らないので、取り敢えず真子のものをどうぞ」
「あの娘の好みは妾から移ったものじゃ」
「そうですか。確かに、姉妹が一緒に育つと好みが似るとは言いますしね」
 レクティファールの妃には、一緒に育った結果、男の好みが似てしまった義姉妹もいる。生まれよりも育ちこそが性格と嗜好を決定するのだ。
「姉妹……いや、もうよい」
 瑠子は呆れとも諦念ともいえない微妙な表情を浮かべ、結局竹匙を手にしてところてんに意識を向けた。
 ふたりはそのまま黙々とところてんを口に運んだ。
 時折風が吹いて稲穂を鳴らし、瑠子の尾の金毛を波立たせるが、ふたりが言葉を発することはない。
 目の前の風景がどこのものであるのか、レクティファールは全く知らなかった。
 しかし、ヒトの営みと自然が調和した風景は彼に深い憧憬を抱かせた。人々の活動もまた、自然による営みを逸脱することはできない。そう思った。
「不思議な男よな、陛下は」
 ところてんを食べ終えた瑠子は、尾の内の一本を抱き寄せて櫛を通しながら呟いた。言いたいことは山のようにある。
 だが、それを口に出すことに意味があるのかと考えてしまうのだ。
 自分の過去を口にしたとき、レクティファールはどんな表情を浮かべるだろうと考え、結局大した表情を引き出すことはできないのだろうと結論付ける。
 同時に、他に何を話しても同じような結果に落ち着くように思え、自分が決意して何か発することの意味さえ疑わしい。
「喋り甲斐のない男よ。つまらぬ」
「喋って貰っても構いませんよ。ただ、相鎚は得意ですが気の利いた返しは苦手です」
「だから宰相殿に余計な小言を言われるのじゃ。向こうもさぞ困っておろう。ま、〈皇剣〉にしろ龍にしろ神にしろ、ヒトよりも頭の巡りが早いのは確かじゃな」
 二者の思考体系そのものが異なる場合、その間の意思疏通には多くの傷害が伴う。レクティファールは〈皇剣〉が人の振りをしている面もあり、こと会話に関してはまだまだ経験が不足していた。
「妾も、失敗したのやもしれぬ……」
 瑠子は櫛を持つ手を止め、山の端に隠れ始めた太陽を見た。まだまだ光は強く、扇で庇を作ってようやく見ることができた。
「神はあの太陽のようなものじゃ。力なき従神であればともかく、妾のような第一世代の神がヒトの世界で暮らそうと思えば、周囲を焼き焦がしてしまうのも道理、焼かれたヒトが怒り狂うのもまた、道理」
 問題は力の有無ではない。両者の意識の差異だ。
 意識とは相手を如何にして受け止めるかという判断であり、太陽を恵みとして受け入れる者もいれば、旱魃をもたらす劫火として忌避する者もいる。そしてそれは、同じ人物である場合もある。
「のう陛下、こんな話はつまらぬか?」
 瑠子はレクティファールを見遣り、訊ねた。
 自分のことを取るに足らない存在だと見る者を、瑠子は知らなかった。だからこそ、自分の言葉がレクティファールにとってどのような意味を持つのか気になった。
 レクティファールは瑠子の言葉の間中、ずっと周囲を見渡していた。瑠子の言葉を真摯に聞くという意思はまったく感じられない。だが、瑠子はそれが妙に嬉しかった。まるで自分が人々と同じ営みに属しているかのような錯覚を抱くからだ。
「つまらぬ話とは、面白いものなのであろう?」
 瑠子は真子の中から、妃同士の取り留めのない会話をずっと聞いていた。
 かつての宮城では見られなかった同性同士の会話。それが瑠子にはもの珍しく、あまりに貴重なもののように思えた。
 座にいる頃、第一世代の神である彼女に気安く言葉を掛けてくる者はいなかった。
 だが、妃たちの会話にあるのは言葉に留まらない表情や仕草による意思の交流だ。時折口論が取っ組み合いに発展することもあったが、それさえ瑠子には輝かしいものに見えた。
「あの方とも、こんな会話をすれば良かった」
 レクティファールが自分に目を向けた瞬間、瑠子はそう呟いていた。
 今まさにふたりがいる場所で、瑠子はかつての夫と同じ光景を見た。瑠子はまだ座の神で、夫は地の神の末裔。そんな立場を気にしてろくに言葉を交わすこともできなかった。
 そのときはそれでいいと思った。実際、ふたりはお互いを想い合っていたし、言葉を交わさずとも幸せだった。
「ふむ、それなら私もつまらない話でもしましょうかね」
 レクティファールは瑠子が何を想っているか分からなかった。だからこそ、瑠子が何かを考えようとするのを阻止することにした。
 この男にできる精一杯だった。
「ほう、何か面白い話でもあるのかの」
 瑠子はそのレクティファールの思惑に乗ってしまった。かつての夫との思い出は確かな像を結ぶ前に消え、この遙かに年下の新しい夫の言葉を如何にして笑おうかという意思が彼女の内心を占めた。
「期待されても困りますが、騎士学校で水練場の女子更衣室に放り込まれたときの話とか、試験中に教官の鬘がずれた話とか、この間真子がマティリエの髪を結んだら前衛芸術になった話とか」
「ふむふむ、なかなか良いではないかお前様よ。特に最後の奴は、妾も知らなんだぞ、真子の中で寝てたときか?」
 自身の内から真子の抗議の声が聞こえてくるも、瑠子はそれに聞こえぬ振りで答えた。わーわーと騒ぐ分つ身の声も、レクティファールの口から発せられる声も、瑠子には等しくつまらなく面白い音に感じられた。
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