白の皇国物語

白沢戌亥

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第四章:万世流転編

第二五話「神域突入」 その四

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 登舷礼を受けて〈天照〉内部へと足を踏み入れたレクティファールは、ほぼ完全に滅菌された空気と周囲から隔絶されたような静かな通路に目を細めた。
 どうやら〈皇剣〉はこの空間に似た環境を知っているらしく、初めて立ち入る場所で起動する透過探知機能は働かなかった。
 その事実に苦笑するレクティファールに、細い影が近付く。
「ようこそ〈天照〉へ、帝弟陛下。このたび案内役を務める、海軍少佐、工藤晴と申します」
 挙手の礼をしたのは、どこか当代のイチモンジ家当主によく似た雰囲気の女性士官だった。
 レクティファールは彼女が名乗った肩書きに首を傾げる。
「海軍……私戦に参じて大丈夫なのか?」
「〈天照〉乗員は総て八洲帝家の直臣です。わたしは今、休暇中ですのでご心配なく」
 朝臣となれば、今回の戦いに参加しても問題ないという建前らしい。
 確かにこれだけの艦をまともに稼動させるならば、艦をよく知る者たちを配置しなければならないだろう。
「分かった。感謝する」
「では、陛下がお待ちですので艦橋へご案内します。ただ申し訳ありませんが、艦橋上部長官席は皇族の方のみ立ち入ることを許された場所、亜国皇家家臣の方々には、上甲板に待機室を用意させて頂きました故、そちらへ」
「聞こえたな、カール」
 レクティファールは背後に控えるカールを呼ぶ。
「は、では皆で〈天照〉を楽しませて頂きます」
 街中の傭兵のような姿格好をしたカールは、深々と頭を下げて了承した。
 レクティファールはそれを確認し、工藤に頷いてみせる。
「では、こちらへ」
 工藤は背筋を伸ばした美しい姿のまま、レクティファールを先導する。
 皺一つない白の詰め襟に導かれて昇降機に乗り込み、まったく振動を感じない空間で口を開いた。
「君に似た女性を知っている」
 それは状況さえ違っていたら、別の意味に取られたかもしれない言葉だった。
 だが、工藤は正しくその言葉を理解し、振り返ることなく答える。
「三代前に、亜国一文字家より八洲工藤家に輿入れいたしました」
「なるほど、ありがとう」
 やはりイチモンジ家の血筋であるらしい。
 レクティファールは育児の悪戦苦闘の中に居るであろう女性の姿を想い、薄く笑みを浮かべた。
 そしてちょうどそのとき、昇降機は目的の場所へと辿り着く。
「帝弟陛下、おいでになりました」
 工藤の声に応えるように、昇降機の扉が開いた。

〈天照〉艦橋、それは広大な空間だった。
 空を見ることも海を見ることもできるその場所は、まるで巨大な劇場のようにも感じることができる。
 しかしそこで演じられるのは、並みの生き物では生きていけない星々の狭間での殺し合い。こうして星の上で用いられるのは、この艦にとっては余技なのだ。
「良く来た。レクティファール」
 扉の向こう、一〇メイテルほど進んだ先にある椅子に座っていたこの艦の主が、レクティファールの姿に喜びの表情を浮かべ、こちらに近付いてくる。
 その背後に控えているのは、立場としてはレクティファールと同じ帝弟である赤輪宮細周海軍少将だ。
「こちらこそ、まさかこれを出して頂けるとは思わず」
「何、帝家の喧嘩にこれを使わぬ道理もない。何より、我が家にはこれ以外、そなたらと轡を並べるだけの力がなかった」
 正周は寂しげに笑い、八洲帝家の戦力の乏しさを吐露する。
「我が海兵を用いて頂いてもよかったものを。連中、此度の喧嘩から外されて男泣きしておりましたぞ」
 細周が兄の愚痴に答え、自らが指揮する海軍海兵隊の名を出す。海兵隊は皇国ならば陸戦師団と呼ばれる海軍の陸上戦力だ。
 この艦に記録されていた揚陸部隊の由緒ある名とされているが、その興りまで知っている者はこの次元には存在しなかった。
「まあ許せ。あれらは余と国の至宝よ。私戦に用いては民に顔向けが立たぬ」
「分かりました。彼らにはその通りに伝えましょう。宥めねば瀬川殿とぶつかりかねませんので」
 細周は苦笑し、レクティファールに向き直る。
「義兄上も、瀬川殿を焚き付けるような真似はやめて頂きたいものです」
「自ら火を纏っているのだから、息を吹き掛けただけでも火は大きくなる。誰かが海にでも放り込んでくれれば多少は楽になるさ」
「ふふ、なるほど、それは検討に値する策でありますな。次の兵儀演習の題目にでもしましょうか」
 レクティファールと細周は笑い合い、その様子に正周が苦笑する。
 少なくともアルトデステニア皇王家とイズモ帝家の間に目立った諍いはない。彼らにとってお互いはあまりにも違いすぎ、諍いを起こすほどの利害の衝突がないからだった。
「陛下、そろそろ」
 立ち話を続けようとする三人を制したのは、工藤だった。
 正周は不承不承といった様子で小さく頷き、レクティファールと共に長官席へと向かう。
 いつの間にか、正周の席の斜め前方にもうひとつの椅子が現れており、正周はそこにレクティファールを案内した。
「本来ならば隣でも良いかと思ったが、どうせレクティファールは一番槍であろう? ならばどこに座っても同じということで、普段の細周の席を借りたのだ」
「それは申し訳ないことを」
 レクティファールは細周に頭を下げたが、若き海軍少将は大きく頭を振った。
「義兄を立たせて自分が座っているよりは、席を譲って兄の後ろ姿でも眺めていた方が楽しみがあります。士官候補生であった頃に隠れて艦長席に座り、分隊長より大目玉を食らったのが兄であります故」
「あれは賭で負けたのだ。次はきちんと勝った」
 正周は弟が晒した己の過去の汚点に不機嫌そうな表情を浮かべ、どかりと長官席に座った。
「レクティファール。そろそろ出航だ」
「はい」
 レクティファールが席に着くと、それを合図にしたかのように艦橋内の半球表示壁に次々と明かりが灯っていく。
 表示される諸元は〈天照〉各部位の状況、周辺の空間観測結果、そして搭載されていく兵器群の詳細情報などである。
「艦長、出航」
 正周が静かに呟くと、階下から割れ鐘のような声が聞こえてきた。
「承知致しました、陛下! 全艦出港準備、各部位点検開始!」
 レクティファールが〈皇剣〉の指示に従って肘掛けの上面で指を滑らせるような操作をすると、先ほど全艦に指示を出した偉丈夫の姿がレクティファールの前に表示された。
 相手にもレクティファールの姿が見えているのか、矢継ぎ早に指示を出しながらも、余裕のある笑みを返してきた。
《海軍代将、伊東播乃丞であります。陛下。このような形での挨拶となったこと、ご容赦願いたい》
「こちらこそ、忙しい中失礼した。妻を救いたい。どうか力添えを頼む」
 レクティファールの言葉に播乃丞は真っ白い歯を剥き出し、喉の奥から低い笑い声を出した。
《麗しき女子おなごを救いに幽世へ赴く、八洲男子としての本懐であります、陛下。このような戦にお声を掛けて頂き、感謝の念に堪えませぬ》
 レクティファールが頷き返すと、表示板に残っていた赤い表示が総て消えていた。
《艦長、全艦出港準備よろし》
 艦長の隣に立つ副長が、総ての安全確認を終えたことを報告する。
 それはそのまま艦内総てに放送によって伝えられ、八洲の星船は久方ぶりの星海へと向かおうとしていた。
 正周は手元を操作し、艦内放送へ割り込む。
《こちらは国軍大元帥、正周だ。我らこれより八洲武士としての本懐を果たしに参る。敵は敬愛する神々ではあるが、救うべきは我らが守るべき八洲の子。子を守るべく親に楯突くは、我ら人の子の本懐なり》
 正周はそこで一度、レクティファールに視線をくれた。
 レクティファールは振り返り、しっかりと頷いた。
《我が始祖は、こうして戦うことを選べなかった。戦うべきと知っていながら、それをしなかった。当家には、その後悔を綴った文が幾つも残っている。妻を救えず、永遠の後悔の中で朽ちていった始祖の無念、晴らすべきはこの一戦のみである》
 幾星霜の果て、瑠子という失われた過去を取り戻すため、八洲帝家はようやく歩を踏み出そうとしていた。
《永かった。永すぎた。されど我らはそれを忘れず、こうして八洲の誇る武士たちが星空を貫く槍を持ち、帚星を切り裂く刃を携え、星船に跨がって異国の戦友と共に故地へ赴く。この正周、そなたらに幾億と幾千の感謝を》
 放送が終わり、艦橋内に小さく拍手の音が鳴る。
 正周は天井を見上げ、ほんのりと目尻を濡らした涙を堪えた。
「陛下、これを」
「ああ、すまぬな晴」
 そっと正周に駆け寄った工藤が、自らの手巾を手渡す。
 ふたりのやりとりを眺めていたレクティファールに、細周が静かに近寄ってきた。
「――兄のアレソレでございます義兄上。士官学校に行幸した際、見初めたとか」
「――ほほう」
「――十年ほど文通のみでしたので、我ら弟妹図りましてようやくここまで」
「――兄想いの弟妹たちだ。羨ましい限り」
「――この戦にこの上なく相応しい者と思いまして、案内役にいたしました」
「――良くやった細周」
「――恐悦に存じます」
 鷹揚に頷くレクティファールと、恭しく頭を垂れる細周。
 その姿は主君と忠臣のようであったが、本来の細周の主君は恥ずかしげに頬を染めて吼えた。
「貴様ら喧しいわ!! さっさと持ち場に戻れ!! さっさと出るぞ!!」
「聞こえていたな艦長」
 細周が告げると、艦橋上層に播乃丞の暑苦しい顔が大写しになる。
《しかと聞き申した。では、機関始動!》
 播乃丞の命令に従い、〈天照〉の主機関である縮退機関がほんの少しだけ目蓋を開ける。
 主機関の出力は惑星上で使用するにはあまりに強力で、通常は補機である融合機関のみで運用されていた。しかし今回、〈天照〉は一度宇宙空間へと上昇し、そこで主機関を戦闘出力まで回転させ、その後、座標観測した神域へと突入を図るのだ。
 補機のみでは神域への転移に必要な出力を吐き出せないため、このような手段を用いることになった。
《空間固定錨解除。前進微速》
《錨上げ、前進微速》
 空間に艦体を固定する不可視の錨を上げ、〈天照〉はゆっくりと水上を滑り始める。
 艦橋から見える友軍艦の甲板上に帽子を振る乗組員たちと、旗旒竿に『汝の航海の無事を祈念す』の旗旒信号が確認出来た。
〈天照〉は彼らの見送りを受け、沖合へと舳先を向けた。
《前進半速》
《前進半速。三、二、一、離水速度到達》
 身体には何も感じることはないが、艦橋から見える風景が後ろへと流れていく。
 星空を進むべき艦にとって、この程度の速度はまだ序の口だ。
《主推進器、大気圏内方式にて点火》
《主推進器点火、出力上昇――離水します》
 その声と同時に、両刃の短剣のような姿の《天照》が海水を雨のように滴らせながら空へと上がる。
《重力機関始動。このまま軌道上へ上がる》
《重力機関始動宜候、自重干渉開始。上昇速度、二〇、四〇、六〇、八〇、大気圏離脱速度到達》
 ほとんど垂直に、主推進器の残滓を光の尾のように曳きながら〈天照〉は上昇する。
 その様子は遠く離れた皇国の沿岸都市からも視認でき、何枚もの写真が後世に残されることになる。彼ら民にとっていずれ当たり前の光景となる登り星の、最初の一条であった。
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