白の皇国物語

白沢戌亥

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第五章:因果去来編

第一話「神の贄」その三

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 かつて謁見の間と呼ばれて、ハルワントの威光を訪れる者に知らしめていた空間は、今その国の滅びと共にかつての力を失いつつあった。
 柱に巻き付いていた蔦は焼け落ち、あちこちが焼けた赤絨毯には戦いの痕跡である血と鉄が染み込んでいる。
「ぐ……この神騙りどもめが……!」
 脇腹から血を流し、玉座に寄り掛かるようにして来訪者を睨んでいるのは、当代ハルワント王バザルだ。鍛え上げられた肉体と、神話の時代から伝わるという宝剣でウォーリム兵を十人以上斬り捨てていた。
「閣下……」
 バザルと対峙するハルワント王国鎮定軍、陸師提督マソール・アドゥ・ヴァンの傍らに副官が駆け寄る。
「逃亡した王族ですが……」
 副官の口から語られたのは、王族の確保のために皇国公使館に向かった部隊が、何の成果も得られずに公使館の包囲を継続しているという報告だった。
 この戦いの中で未だ公使館の機能を残している国がいるとは思っていなかったが、それがアルトデステニアだと聞けば、さもあろうという気持ちになるから不思議だ。
「そうか」
 マソールは蓄えた頬髭を撫でながら、副官を下がらせる。
 その様を見て、バザルがにやりと口を歪めていた。
 口の端から溢れる血が、玉座に落ちる。
「我が子らは逃げおおせたようだな」
「あの国なら、やるだろう。一歩間違えれば――いいや、我らが気紛れを起こすだけで公使館職員が皆殺しにされるというのに、よくやる」
 口では皇国を責めるような言葉を吐きながらも、マソールは文官ですらそれほどの気骨のある皇国を羨ましく思っていた。
 三代以上ウォーリム教徒でなければ官僚として働くこともできない自国では、彼らは一種の特権階級と化している。
 大神に仕え、人々の幸福を追求するという役目を忘れ、貴族のように振る舞っているのだ。
「余は、あの国が嫌いでしょうがないが、あの国ほど信用できる国もない」
 バザルは宝剣を杖代わりに身を起こすと、玉座を離れ、階段をゆっくりと降りてくる。マソールの周囲にいる兵士たちが連弩や剣を構えるが、マソールはそれを手を掲げて制した。
「ことあるごとに余の政治に口を出し、まるで小言の多い母親のようであった」
 ずるずると宝剣を引き摺るバザルの目には、すでにマソールの姿は映っていない。
 彼に見えているのは、彼の敵である超大国の姿だけだ。
「だが、あれだけであった。我らのような小国にも貴様のような大国にも態度を変えなんだのは……」
 ああ、そうだろうとも――とマソールは溜息を吐く。
 あの国は国のように見えて国に非ず。
 二〇〇〇年も前から続く、ひとつの家族なのだ。
「神騙りの将よ。貴様らの目的は、我らが神であろう?」
 バザルはマソールの前に立つと、宝剣を肩に担ぐ。
 脇腹からは赤黒い血が絨毯に落ち、黒い染みが広がっていた。
「我らが神と呼ぶのは大神のみ。だが、この地の精霊に用があるのは事実だ」
「――あの国の者から聞いたことがある。その方ら、神の力を用いた不届きな機関カラクリを作っておるそうだな」
「――――」
 マソールの顔から表情が消える。
 精霊機関と呼ばれるその存在は、国家最高機密として厳重に秘匿されているはずだった。
 それが、バザルほどの小さな国の王にまで知られている。
「各地の神を集め、なにを考えているかは知らんが――その方らは勝てんよ」
「なにを……!!」
 半死人に嘲られ、兵士のひとりが激昂した。
 彼は連弩の引き金を引き絞り、十二本の棒矢をバザルの身体に突き刺す。
「やめろ!!」
 マソールが叫んだところでもう遅い。
 バザルの命の火は、急速に萎んでいく。
「くははは……! この余ていどの王に怒りを隠せないようでは、貴様らの先など知れたもの! 冥府にて、貴様らが滅びる様を眺めるとしよう! それほど遠い未来ではなさそうだ!」
 呵々と笑い、血反吐を撒き散らしながら、バザルは息絶える。
 謁見の間の中央で、宝剣を手に、倒れることなく、ハルワントの王は死んだ。
 それはある種、王としてこれ以上ない死に様だろう。
「片付けておけ」
「ははっ」
 マソールはバザルの死体を処理するよう部下に命じ、謁見の間を出る。
 王宮の各所はすでに火が回っており、彼の兵士たちが各所で略奪を続けているはずだ。
 ウォーリムの軍法では、異教徒の持つ財貨を浄化するのは大神の子の役割だとされている。当然、あらゆるものが略奪の対象とされた。
 黄金や芸術品などはもちろん、酒や人さえも価値があるとされるものは総て略奪される。
 現在の神帝は幼少の頃に奴隷に落とされたことがあり、即位と同時に国内での奴隷制を全面的に禁じたが、ウォーリムでは未だ『異教徒の浄化』を名分にして事実上の奴隷制度が継続されていた。
 マソールは異教徒の浄化など不可能だと思っている。上辺だけの信仰を押し付けたところで、大神には到底届かない。心の底から神への尊敬を抱いてこそ、大神の僕に相応しい。
「――クズどもめ」
 彼の視線の先では、王宮の奥に隠れていた女官たちが兵たちに襲われていた。
 そうした行為を積極的に行うのは、大抵の場合南ウォーリム出身の兵である。女神帝を戴く北ウォーリム兵は兵士として経験が浅い者以外、積極的に暴行に加わろうとしないのだ。
 そうすることが信仰に繋がると信じているからである。そしてマソールもまた北ウォーリム出身の将だった。
 南北ウォーリムが統合されて十年。いまだ兵士たちの間で諍いは絶えない。
 同じ信仰を持つといっても、その教義に対する姿勢はかなりの部分でことなるからだ。
 男性上位の南と、女性上位の北ではそれも当然のことかもしれない。
「きゃああああッ!!」
「ぎゃはははっ!! ほら、もっと大きな声で鳴け!! 萎えちまうだろうが!!」
 女の悲鳴と、それ以上に大きな兵の罵声。
 マソールは眉を顰め、無意識のうちに近くにあった石柱に身体を向けていた。
「――――」
 そして、短い呼気と共に腰の曲剣を引き抜き、横に一閃させる。
 ギィン、という耳障りな音が周囲に響き渡り、先ほどまで騒いでいた兵士たちがマソールに目を向ける。
 そして彼らが見守る中で、石柱が大きな音を立てて倒れた。
「――貴様らの任務は、女を抱くことか」
 マソールの低い低い声に、兵士たちが直立不動の姿勢を取る。
「提督閣下ッ! これは……異教徒の浄化を……!」
「貴様は異教徒を清められるほどの教力を持っているのか。もしそうなら、俺よりもよほど高位の信徒なのだろうなぁ……」
「は……いえ……それは……」
 兵士たちの顔が蒼くなり、丸出しになった下半身が縮こまる。
 マソールはそれを見て舌打ちし、曲剣を腰に戻した。
「貴様らは消火活動に当たれ」
「いえ、我々は第二兵団長より……」
 知っている。マソールの下にいる五人の兵団長のうち、第二兵団の長は南ウォーリム出身で、常にマソールを目の敵にしている男だ。
 この鎮定軍の副司令官であり、マソールがいなければ鎮定軍提督としてこの土地で好き放題に暴れていただろう。
 そんなことをすれば、ウォーリムへの恨みだけが生み出されるというのに。
「貴様ら……二度と俺に同じ言葉を言わせるなッ!!」
「は……ははっ!!」
 兵士たちが慌ててその場から逃げていく。
 残された女官たちに目を向けようとして、マソールはそれを押さえた。そして女官たちに背を向けたまま兵たちが逃げていった方角とは逆を指差し、言う。
「あちらにいる青い服の兵たちに投降せよ。少なくとも女をどうこうしようという者はおらん。いたら俺が叩き切る」
 そちらにいるのは、マソール直属の第一兵団の将兵だ。
 北ウォーリムの古参兵で占められており、大暴れする他の兵団の将兵たちを牽制しつつ王宮を制圧していた。
「ですが、わたしたちは陛下を……」
「バザル王はすでにない。我が手の兵の多くを道連れに冥府へ旅立った」
「っ!!」
 背後で女官たちが息を呑む。
 バザル王は粗野な男だったが、王宮で働く者たちを家族のように扱った。
 女官たちもバザルを父や兄のように思っていた。
「あ、あなたが……」
 女官のひとりが殺意の籠もった視線をマソールに向ける。
 それを背中で感じながら、マソールは吐き捨てた。
「その怒りが十年続くならば、いつかバザル王の仇も取れるであろうよ。しかし、それまで保たぬならば、いまここでバザル王の娘がひとり死ぬだけだ」
「そ、それは……」
「それまで俺が生きていたなら、一度くらいは殺す機会を用意してやる。今は、疾く逃げ落ちよ」
 マソールはそう言い捨てて先ほど兵士たちが走っていた方角へと向かう。
 おそらくそちらには第二兵団が陣を敷いているだろう。
 略奪したものを教国ではなく個人の懐に仕舞おうとする不信心者を糺さなければならない。
(南の野人どもめ。両聖下の御心を無にしおって)
 かつて国を追われたひと組の男女。
 後に神帝として北と南を統べることになるふたりを引き合わせることになった男は今、その頃をただ懐かしみながら、大国となった自国の未来を憂いだ。
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