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010 グボラの赤面
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「馬鹿か?」
「う゛」
父上からの容赦ない一言に渡された懐かしい書類を握る手に思わず力が入ってしまう。
「あのなあ、当時婚約者候補の一人でしかなかったヴェリアを、他でもないお前が『ぜったいにあのこがこんやくしゃでなくちゃいやだ! じゃなきゃくになんかつがない!』って言って婚約者にしたんだぞ? 他にも有力な侯爵家の令嬢とか候補に挙がっていたのにもかかわらずだ」
「ソウデスネ」
「それを今更本人を目の前にしてヘタレを発揮して足踏みとか、情けなさすぎるだろう」
「父上、言葉を選んでください」
「これでも選んでいるぞ? 何だったら思うがままに罵詈雑言をくれてやってもいいが?」
「すみません、勘弁してください」
珍しく父上直々のお呼び出しに何事かと思って執務室ではなく、私室のほうを訪ねた際に渡された書類にも顔を引きつらせてしまったが、続けて放たれた言葉にさらに顔を引きつらせてしまう。
幼い手ながらもしっかりと書かれている私とヴェリアのサインが入った婚約誓約書。
「俺の息子なら覚悟見せろよなあ」
「出来れば父上を反面教師として育っていたいです」
「それでへたってたら笑い話にもならないな」
「うぅ……」
ぐうの音も出ない。
こんな姿をヴェリアが見たら失望してしまうのではないだろうか?
いや、そもそももうされているのか?
……そう考えると、ずーんと背に重いものがのしかかってくるような感覚に、知らず背中が丸まってしまう。
「はあ、話には聞いてたが重傷だな。あのな、グボラ」
「なんでしょう、父上」
「王妃教育がすさまじく厳しいってお前に教えたよな?」
「はい、聞きました」
「下手したら、国王になるための帝王学よりも厳しいんだからな? 確かに武芸に関してはたしなみ程度しかやらないが、その分尋常じゃない量の城中の采配をしなけりゃならないんだぞ、それを何年もかけて叩きこまれるんだぞ」
「そうですね、ヴェリアはよくやってくれています」
「その尋常じゃない厳しい王妃教育を、五歳児の幼女の時から今まで文句ひとつ言わずに粛々とこなすのに、義務感以外の感情があるとは思わないのか?」
「それは、この国の未来を思うからとか」
「お前、本当に俺の息子か?」
思ったことを素直に言っただけなのに随分な言われようだ。
納得がいかないといわんばかりに眉間にしわを寄せて父上をジト目で見ると、深々とため息を吐き出されてしまった。
「はたから見てればこんなにわかりやすいのに、当人同士が気が付いてないとか、厄介だな。面白いんだが、ここまで拗らせるとは予想外というか、ある意味優秀な子供達を褒めそやすべきか?」
意味の分からないことを言い始めた父上から目をそらせて、手の中に納まっている婚約誓約書を見る。
あの時だって、父上にはギャーギャー喚いてわがままを言ったが、ヴェリアの前ではすました顔をしてサインをした記憶がある。
綺麗なお人形の婚約者になるのだから、立派な王子にならなくてはと自分なりに考えた結果だった。
はあ、この一カ月ろくにヴェリアと口をきいていない。
会話をしても弾むことなくバツンと会話が途切れてしまうのだ、こんな男ではつまらないと思われてしまうに決まっている。
もしかしたら、ヴェリアの方から婚約破棄を申し込んでくるかもしれない。
そんなことになったら立ち直れない。
「とりあえず、機会を作ってやるから一晩でも二晩でも何なら一週間でもいいから二人で話せ」
「は!?」
「あ、これ勅命な」
「簡単に勅命とか使わないでいただけますか!?」
「だってそうでもしないとお前らいつまでたってもうじうじうじうじと、キノコ生やしそうだしなあ」
否定はできない。
◇
一週間後、王宮に急遽呼び出されたヴェリアは私の部屋に軟禁されている。
どうしてこうなった!?
重い沈黙の中、侍従が淹れてくれた紅茶はとうの昔に冷めているが、替えてくれる気はないらしい。
「あ、あのヴェリア」
「ハイっ」
あ、困ってる、ヴェリアがめちゃくちゃ困っている。
それはそうだ、いきなり私の部屋に連れてこられたと思ったら軟禁状態、侍従や侍女も部屋の隅に下がって気配を消しているとなれば、ほぼ完全にこの部屋は二人っきりでいるのと同じような状態なわけで、ここ最近はこんな状況にならないようにお互いに意識していただけに、なんというか…………。
「いたたまれない」
「っ!」
思わず心の声がポロリと漏れてしまった瞬間、息をのむ音が聞こえてその方向を見れば、ボロリと大粒の涙を一粒流したヴェリアがいた。
「ヴェリ「申し訳ありません。わたくしがいたらないばかりに、グボラ様には心労をおかけしてしまい、あまつさえいたたまれないなどっ、このようなわたくしでは、グボラ様の妃としてふさわしいなどと言えるはずもございませんわよね。不敬なのはわかっておりますけれども、この度の婚約につきましては、どうぞなかったことに「だめだ! 絶対に婚約破棄なんて認めない!」
勢いあまって立ち上がったせいで膝を思いっきりテーブルにぶつけたがこの際そんなことはどうでもいい。
「仮に私以外の誰かを想うと言ったとしても、私はヴェリアとの婚約を解消するつもりなんかない!」
「ですが、今しがたいたたまれないとおっしゃったではありませんか」
「それは、ここ最近ヴェリアが私を避けているし、会話も弾まないから、つい」
「それは、……申し訳ないと思っておりますが、その、グボラ様のお顔を見るとどうしても、その、浅ましい欲が首をもたげそうになってしまって」
「ヴェリアは浅ましくなどないだろう」
「いいえ、わたくしは浅ましいのです。わたくしはこんな欲深い自分なんて知りたくなかったのです。ただ隣にいることができればそれでいいと思っていたのに、それ以上を望んでしまう浅ましい自分など、グボラ様のご迷惑だとわかっているにもかかわらず、望むことを止められないのです」
ポロポロとこぼれてくる涙を隠すように手で顔を隠してうつむいてしまったヴェリアの言葉を反芻する。
あれ? 私は嫌われてるんじゃないということでいいのだろうか。
むしろ好かれている? 私を好きで、今以上に傍にいたいという感情を持つことを恐れて避けていた?
……………………………うっわ、何それかわいい。
あぁ、やばい、今の私絶対顔が赤い。
落ち着け、ヴェリアの婚約者としてふさわしい立派な王子であると決めた初心に立ち返るんだ。
深呼吸、深呼吸。
って、ヴェリアが泣いてる!
あああ、ハンカチっ。
「泣くな、ヴェリア」
すっと立ち上がった体勢のままいつの間にか近寄っていた侍従からハンカチを受け取ってヴェリアに差し出すと、顔をうつ向かせたまま手だけが伸ばされたのでその上にハンカチを乗せてやれば、そっとそれが顔に当てられる。
正直に言おう、今の私はそのハンカチにすら嫉妬している。
ヴェリアの涙を受け止めるとか、ハンカチとはいえずるくないか? ずるいよな? ヴェリアの涙なら私が吸い取ってもいいはずだよな? 出来ないけどな!
「もうしわけございません」
「構わない。私の言葉も悪かった」
ああ、笑ってるヴェリアの顔も見たいけど泣き顔も美しいのだろうな、見たいな。
「ヴェリア、顔を上げてくれ」
「みっともない顔になっております。お許しください」
「私はどんなヴェリアだって美しいと感じる」
「ウソです」
「本当だ」
「グボラ様はわたくしの醜い心をご存じないからそんなことを言えるのです。こんな欲深い浅ましい女が妃では、いずれ後宮をお作りになった時に支障が出ます。わたくしは、グボラ様が他の女人のもとに渡ると考えただけでっ」
想像したのだろうか、声が震えてハンカチを握っている手に力が入ったようだ。
私がヴェリア以外の女に手を出す?
何を馬鹿なことを言っているのだろうか、ありえないだろう。
「私は、ヴェリアだけだ」
「ウソです。グボラ様はいずれ国王陛下におなりになるのですから、後宮を作らぬ道理は」
「ヴェリアが産めばいい」
「え?」
「側妃の分まで、ヴェリアが私の子を産めばいいじゃないか」
咄嗟に出た言葉に顔を上げたヴェリアと目が合ってたっぷり十五秒ほど数えたところで、同時に音を立てるように顔が真っ赤になる。
「ちょっと待ってくれ、後生だから今の私を見ないでくれ」
「わたくしも方もお願いでございます、こちらを見ないでくださいませ」
あああああ、今まで築き上げてきたクールなヴェリアの婚約者のイメージが台無しじゃないか。
そう思いながら、見るなと言われたヴェリアの顔が気になるのも確かで、横目でチラリとみれば、熟れたトマトのように頬を染め、涙を流していたせいもあるのだろうが目が潤んでおり、なんというか、すさまじく美しい。
やはり、ヴェリアはどんな姿であっても美しいな。
って違う、私も早く自分の赤い顔を何とかしないと。
「う゛」
父上からの容赦ない一言に渡された懐かしい書類を握る手に思わず力が入ってしまう。
「あのなあ、当時婚約者候補の一人でしかなかったヴェリアを、他でもないお前が『ぜったいにあのこがこんやくしゃでなくちゃいやだ! じゃなきゃくになんかつがない!』って言って婚約者にしたんだぞ? 他にも有力な侯爵家の令嬢とか候補に挙がっていたのにもかかわらずだ」
「ソウデスネ」
「それを今更本人を目の前にしてヘタレを発揮して足踏みとか、情けなさすぎるだろう」
「父上、言葉を選んでください」
「これでも選んでいるぞ? 何だったら思うがままに罵詈雑言をくれてやってもいいが?」
「すみません、勘弁してください」
珍しく父上直々のお呼び出しに何事かと思って執務室ではなく、私室のほうを訪ねた際に渡された書類にも顔を引きつらせてしまったが、続けて放たれた言葉にさらに顔を引きつらせてしまう。
幼い手ながらもしっかりと書かれている私とヴェリアのサインが入った婚約誓約書。
「俺の息子なら覚悟見せろよなあ」
「出来れば父上を反面教師として育っていたいです」
「それでへたってたら笑い話にもならないな」
「うぅ……」
ぐうの音も出ない。
こんな姿をヴェリアが見たら失望してしまうのではないだろうか?
いや、そもそももうされているのか?
……そう考えると、ずーんと背に重いものがのしかかってくるような感覚に、知らず背中が丸まってしまう。
「はあ、話には聞いてたが重傷だな。あのな、グボラ」
「なんでしょう、父上」
「王妃教育がすさまじく厳しいってお前に教えたよな?」
「はい、聞きました」
「下手したら、国王になるための帝王学よりも厳しいんだからな? 確かに武芸に関してはたしなみ程度しかやらないが、その分尋常じゃない量の城中の采配をしなけりゃならないんだぞ、それを何年もかけて叩きこまれるんだぞ」
「そうですね、ヴェリアはよくやってくれています」
「その尋常じゃない厳しい王妃教育を、五歳児の幼女の時から今まで文句ひとつ言わずに粛々とこなすのに、義務感以外の感情があるとは思わないのか?」
「それは、この国の未来を思うからとか」
「お前、本当に俺の息子か?」
思ったことを素直に言っただけなのに随分な言われようだ。
納得がいかないといわんばかりに眉間にしわを寄せて父上をジト目で見ると、深々とため息を吐き出されてしまった。
「はたから見てればこんなにわかりやすいのに、当人同士が気が付いてないとか、厄介だな。面白いんだが、ここまで拗らせるとは予想外というか、ある意味優秀な子供達を褒めそやすべきか?」
意味の分からないことを言い始めた父上から目をそらせて、手の中に納まっている婚約誓約書を見る。
あの時だって、父上にはギャーギャー喚いてわがままを言ったが、ヴェリアの前ではすました顔をしてサインをした記憶がある。
綺麗なお人形の婚約者になるのだから、立派な王子にならなくてはと自分なりに考えた結果だった。
はあ、この一カ月ろくにヴェリアと口をきいていない。
会話をしても弾むことなくバツンと会話が途切れてしまうのだ、こんな男ではつまらないと思われてしまうに決まっている。
もしかしたら、ヴェリアの方から婚約破棄を申し込んでくるかもしれない。
そんなことになったら立ち直れない。
「とりあえず、機会を作ってやるから一晩でも二晩でも何なら一週間でもいいから二人で話せ」
「は!?」
「あ、これ勅命な」
「簡単に勅命とか使わないでいただけますか!?」
「だってそうでもしないとお前らいつまでたってもうじうじうじうじと、キノコ生やしそうだしなあ」
否定はできない。
◇
一週間後、王宮に急遽呼び出されたヴェリアは私の部屋に軟禁されている。
どうしてこうなった!?
重い沈黙の中、侍従が淹れてくれた紅茶はとうの昔に冷めているが、替えてくれる気はないらしい。
「あ、あのヴェリア」
「ハイっ」
あ、困ってる、ヴェリアがめちゃくちゃ困っている。
それはそうだ、いきなり私の部屋に連れてこられたと思ったら軟禁状態、侍従や侍女も部屋の隅に下がって気配を消しているとなれば、ほぼ完全にこの部屋は二人っきりでいるのと同じような状態なわけで、ここ最近はこんな状況にならないようにお互いに意識していただけに、なんというか…………。
「いたたまれない」
「っ!」
思わず心の声がポロリと漏れてしまった瞬間、息をのむ音が聞こえてその方向を見れば、ボロリと大粒の涙を一粒流したヴェリアがいた。
「ヴェリ「申し訳ありません。わたくしがいたらないばかりに、グボラ様には心労をおかけしてしまい、あまつさえいたたまれないなどっ、このようなわたくしでは、グボラ様の妃としてふさわしいなどと言えるはずもございませんわよね。不敬なのはわかっておりますけれども、この度の婚約につきましては、どうぞなかったことに「だめだ! 絶対に婚約破棄なんて認めない!」
勢いあまって立ち上がったせいで膝を思いっきりテーブルにぶつけたがこの際そんなことはどうでもいい。
「仮に私以外の誰かを想うと言ったとしても、私はヴェリアとの婚約を解消するつもりなんかない!」
「ですが、今しがたいたたまれないとおっしゃったではありませんか」
「それは、ここ最近ヴェリアが私を避けているし、会話も弾まないから、つい」
「それは、……申し訳ないと思っておりますが、その、グボラ様のお顔を見るとどうしても、その、浅ましい欲が首をもたげそうになってしまって」
「ヴェリアは浅ましくなどないだろう」
「いいえ、わたくしは浅ましいのです。わたくしはこんな欲深い自分なんて知りたくなかったのです。ただ隣にいることができればそれでいいと思っていたのに、それ以上を望んでしまう浅ましい自分など、グボラ様のご迷惑だとわかっているにもかかわらず、望むことを止められないのです」
ポロポロとこぼれてくる涙を隠すように手で顔を隠してうつむいてしまったヴェリアの言葉を反芻する。
あれ? 私は嫌われてるんじゃないということでいいのだろうか。
むしろ好かれている? 私を好きで、今以上に傍にいたいという感情を持つことを恐れて避けていた?
……………………………うっわ、何それかわいい。
あぁ、やばい、今の私絶対顔が赤い。
落ち着け、ヴェリアの婚約者としてふさわしい立派な王子であると決めた初心に立ち返るんだ。
深呼吸、深呼吸。
って、ヴェリアが泣いてる!
あああ、ハンカチっ。
「泣くな、ヴェリア」
すっと立ち上がった体勢のままいつの間にか近寄っていた侍従からハンカチを受け取ってヴェリアに差し出すと、顔をうつ向かせたまま手だけが伸ばされたのでその上にハンカチを乗せてやれば、そっとそれが顔に当てられる。
正直に言おう、今の私はそのハンカチにすら嫉妬している。
ヴェリアの涙を受け止めるとか、ハンカチとはいえずるくないか? ずるいよな? ヴェリアの涙なら私が吸い取ってもいいはずだよな? 出来ないけどな!
「もうしわけございません」
「構わない。私の言葉も悪かった」
ああ、笑ってるヴェリアの顔も見たいけど泣き顔も美しいのだろうな、見たいな。
「ヴェリア、顔を上げてくれ」
「みっともない顔になっております。お許しください」
「私はどんなヴェリアだって美しいと感じる」
「ウソです」
「本当だ」
「グボラ様はわたくしの醜い心をご存じないからそんなことを言えるのです。こんな欲深い浅ましい女が妃では、いずれ後宮をお作りになった時に支障が出ます。わたくしは、グボラ様が他の女人のもとに渡ると考えただけでっ」
想像したのだろうか、声が震えてハンカチを握っている手に力が入ったようだ。
私がヴェリア以外の女に手を出す?
何を馬鹿なことを言っているのだろうか、ありえないだろう。
「私は、ヴェリアだけだ」
「ウソです。グボラ様はいずれ国王陛下におなりになるのですから、後宮を作らぬ道理は」
「ヴェリアが産めばいい」
「え?」
「側妃の分まで、ヴェリアが私の子を産めばいいじゃないか」
咄嗟に出た言葉に顔を上げたヴェリアと目が合ってたっぷり十五秒ほど数えたところで、同時に音を立てるように顔が真っ赤になる。
「ちょっと待ってくれ、後生だから今の私を見ないでくれ」
「わたくしも方もお願いでございます、こちらを見ないでくださいませ」
あああああ、今まで築き上げてきたクールなヴェリアの婚約者のイメージが台無しじゃないか。
そう思いながら、見るなと言われたヴェリアの顔が気になるのも確かで、横目でチラリとみれば、熟れたトマトのように頬を染め、涙を流していたせいもあるのだろうが目が潤んでおり、なんというか、すさまじく美しい。
やはり、ヴェリアはどんな姿であっても美しいな。
って違う、私も早く自分の赤い顔を何とかしないと。
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