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011 なぜいらしたのですか

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 秋も中ごろ、そろそろ冬の訪れを感じ始める頃、チリン、とお店の扉のベルを鳴らしてその方はやっていらっしゃいました。

「ああ、やっと見つけたぞ、ティナ」
「バシレウ様っ」

 そのお姿を見て、その名を呼んだわたくしの声は震えておりました。
 なんたる失態、この方の前でこのような無様な姿を見せてしまうなんて。
この方の前でだけは、常に完璧な姿でいたいと、そういうわたくしなのだと心の片隅にでも留めていただければと思っていましたのに、これではあまりにも情けないではありませんか。

「いらっしゃいませ、ようこそベリー商店へ。本日はどのようなご用件でしょうか? 各種道具を取り揃えて、魔王討伐に向かう方へのサポートに心を配ります。お持ちいただいた素材の買取も行っておりますのでお気軽にお申し付けください」

 震える声でいつもの口上を吐き出します。

「探し物を探しに来た」
「そうでございますか。でしたらここに居るのは時間の無駄でございましょう、早く目的のものを探しに行った方がよろしいですわ」
「探し物は見つかった」
「そう、ですか」

 震える声を必死に隠しながら、わたくしはにっこりと微笑みます。
 どうか、どうかそれ以上この店の中に踏み入れないでという願いは、バシレウ様があっさりと足を動かしたことで叶いませんでした。

「父上が、ティナの後を追うのなら、王籍から私を抜くと仰った」
「そんな、ではなぜこのような所にいらっしゃったのですか。貴方は、バシレウ様は王都にて、陛下のお傍にあるべきお方です」
「くだらない婚約の申し込みも推薦も、私にとっては全て無意味なことなんだ。私が欲しているのは、初めから決まっていたからな」

 そう言いながら、一歩ずつ確実に近づいてくるバシレウ様に、わたくしはカウンターの奥に向かって一歩ずつ下がっていきます。

「ティナの所在は、魔法ギルドの職員が不正行為をしたという事が発覚し、その内容が当時魔法ギルド本部の調査員に協力していた私にも知れた」

 なんということでしょう。
 まさかバシレウ様が調査に関わるとは思いませんでした。

「マルウィンからの、ティナの事が書かれた報告書は、私の目に入る前に父上が燃やしてしまっていたが、不正をした職員が朧気ながらもその内容を覚えていた」

 そう言ってまた一歩近づいていらっしゃいます。
 店は狭くはありませんが、扉からカウンターまでは三メートルもありません。
 今やわたくしとバシレウ様を隔てている物がカウンターだけになって、わたくしはカウンターの奥の部屋に続く扉に背をつけ、バシレウ様を凝視したまま目が離せずにいます。

「不滅のダンジョン前村のベリー商店で、シュティーナという若い我が国出身の女が働いていると、記載してあったそうだ」
「そっれは……」
「ここに居ることを責めているわけじゃない。私が言いたいのは、なぜ私に何も言わずに姿を消した」

 その言葉に、わたくしはごくりとつばを飲み込みます。

「一夜の遊びだったとでもいうのか、あの時、私をずっと愛していたと言い、私の愛を受け入れてくれたのは、遊びだったのだというのか」
「っ」

 ひゅっ、と息を飲みこみ、わたくしの体はカタカタと小刻みに震え始めてしまいます。
 激高してはいらっしゃいません、けれどもその煌めく宝石のような瞳には明確に怒りの感情が浮かんでいます。

「あの夜、私は言ったはずだ。ティナと共になら死んでも構わない、どこまで落ちても構わないと。初めて会った時から、愛しているのはティナだけだと、確かに言ったはずだ。そして、ティナも同じ気持ちだと、ずっと私を愛していると言ってくれたのに、なぜ、私に黙って姿を消した」
「許されない、こと、だからですわ。汚点のある、傷物のわたくしなど、バシレウ様の隣にあるべきではないのです。愛しております、今でもずっと。けれども、だからこそ、わたくしはバシレウ様のお傍に居る事は出来ません」

 わたくしはそこまで言って震える体を両腕で包み込み、やっとの思いでバシレウ様から目をそらすと、震えたままの声で「お帰り下さい」と告げました。
 しばらくして、「また来る」とだけ告げてバシレウ様は踵を返し、チリン、と扉を開けてお店から出ていかれました。
 バシレウ様が居なくなった後も、わたくしはしばらく動くことが出来ず、三十分ほど経ってやっとずるずると壁伝いに床に腰を下ろしました。
 どうして、いらしてしまったのですか、わたくしはバシレウ様に合わせる顔などないというのに。
 両手で顔を覆って、流れてくる涙が止まるまで、わたくしはそのままずっと床に座り込んでおりました。
 どのぐらい時間が経ったのかはわかりませんが、ふと顔を上げて時計を見れば十七時五十分で、そろそろ閉店の支度をしなければいけない時刻です。
 のろのろと這いつくばるようにして体を起こし、壁に手を突きながら立ち上がって、人形に店の片づけをするように指示を出し、わたくしはいまだに震える足を叱咤しながら店の扉に向かいます。
 いつもでしたら誰かいらっしゃらないか扉を開けて確認するのですが、今はどなたにもお会いしたくないので、そのまま鍵をかけました。
 そうして、誰も入ってくることが出来ない状況になって、わたくしは扉に手をついてずるずると体が下に落ちていき、最後には床にうずくまるようにして扉から離した手で顔を覆いました。
 忘れたい、けれども忘れることなどできはしない、夢であればどれほど幸せであったかと思えるほどに現実は残酷で、あまりの苦しさにこの地まで逃げてきたというのに、貴方様は追ってきてしまったのですね。
 一夜の過ちだったと、忘れてくださればよかったのに。
 わたくしのことなど、自分の前から何も言わず立ち去った女だと、怒りでも呆れでもいいから、捨て置いてくださればよかったのに。
 うずくまったまま動かないわたくしを心配してか、人形二体がわたくしの周りをクルクルと飛び回ります。
 この子達は言葉を発せず、自分の意志で動くことなどほとんどできないけれども、れっきとした魔道具であり、組み込まれた魔法の効果なのか自我があるのです。
 そして知っている、わたくしの罪も悲しみも苦しみも、この子達は全て見てきているのです。

「お会いしたくなど、無かったのに」

 震える声で呟いた声に、ドンッとお店のドアが叩かれました。
 その音にビクリと体が震えます。

「私は、ティナにずっと会いたかったぞ」

 その声に、わたくしは驚きのあまり叫びだしそうになってしまいました。
 まだ冬ではないとはいえ、肌寒くなっているこの時期にいったいどれほどの時間、外に居たと、扉の傍に居たというのでしょうか。

「お帰り下さい、と、もうし、ました」
「店からは出ていった。ティナが私の顔を見たくなさそうだったから、顔が見えないようにした」
「それはっ」
「私に幻滅したか? なにかティナの気に障るようなことをしたか?」
「ちが、……わたくしは、もう、バシレウ様にお見せできる顔など、ないのです。風が冷たくなってきます。宿をお取りになってお休みください。そして、明日には国に帰り、陛下に謝罪なさってください」
「それは出来ないな。言ったはずだ、ティナを追うのであれば王籍を抜くと言われた、と。追ってきた俺はもう王家の人間ではない」

 バシレウ様のその言葉に、わたくしは「あぁ」と無意識に声とも言えぬ息を吐き出しました。
 何も言わなかったゆえにわたくしを追ってきたというのなら、あの時いっそ、ただの遊びだったのだと嘘をついてでも貴方様に嫌われるべきだったのでしょうか。
 でもできなかったのです。
 あの時のわたくしは、ただバシレウ様の前から逃げるように姿を消すしかなかったのです。

「お帰り下さい。お願いします」

 届くはずがない、触れることが出来るはずがないとわかっていながら扉に手を伸ばし、ぺたりと触れ、口ではそう呟きました。

「私は、諦める気はない。あの夜の事を夢だ、遊びだ、過ちだなどと言うつもりは毛頭ない。私はティナを愛している」

 その言葉を最後に、今度こそ扉の外の気配が遠のいていくことを感じ、わたくしは透視魔法を使って離れていくその背中を見つめました。
 どうか、もういらっしゃらないでください。
 そう願って、わたくしはその姿が見えなくなるまで見つめ続け、やっとの思いで体を起こし、おぼつかない足取りで寝起きしている居住スペースに移動いたしました。
 何かを食べる気力もわかず、わたくしはのろのろと浴室に向かい衣服を脱いで洗濯籠の中に放り込むと、熱いシャワーを浴びました。
 いつもなら丁寧に洗って手入れをする髪もおざなりにして、適当に水気をふき取るとタオルを巻き付け夜着に着替え、ふらついた足取りで寝室に向かいました。
 朝開けられたままのカーテン、レースカーテンの向こうには満月が見えます。

『満月の夜に森の湖に行くと精霊に出会える』

 実しやかに囁かれているおとぎ話。
 その話を思い出して、わたくしの足は玄関に向かいます。
 玄関の扉に手をかけようとした所で、顔の前に柔らかい感触が触れ、思わず動きを止めると、パシパシとノブに手をかけようとしていた手を何かが叩いてきます。
 ゆっくりともう片方の手で顔の前の柔らかいものを引きはがすとクマの人形で、下に視線を向ければ、わたくしの手を叩いていたのは猫の人形でした。
 わたくしを止めようとしているかのような二体の行動に、わたくしは珍しいと思いつつもじっと人形を見つめます。
 わたくしの魔力がなければ動くことのないこの人形達は、わたくしの魔力過多が発覚してから一族一の魔法具作成師が作り上げた最高傑作なのでございます。
 本当に、国の重要文化財になってもおかしくない、それほどの出来栄えの物で、共に過ごす間にその中にただの魔道具ではない自我が存在し始めたのだと気が付いたのは学園に入る前でございました。
 わたくしが指示をしていなくても、この人形達はわたくしの意志をくみ取ったかのように動くのです。
 けれども、わたくしはそれを素直に受け入れました。
 異国では長く存在するモノや概念に神が宿るのだとか。
 この人形にも、神ではないにしろ、何かしらの自我が宿ったのだとしてもおかしな話ではないとわたくしは思っているのです。
 毎日、二十四時間、この人形達はわたくしの魔力を吸い上げ、わたくしの為に動くのですから、自我が芽生えるなど、些事でございましょう。

「いくな、と?」

 わたくしの言葉に、猫の人形がさらにパシパシと手を叩いてきて、わたくしが掴んでいるクマの人形がじたばたと手足を動かします。
 わたくしはその動きをしばらくの間じっと見つめ、クマの人形から手を離し、ノブに掛けようとしていた手を下ろしました。

「大丈夫ですわよ。わたくしがこのお店を放置して居なくなるわけがありませんでしょう」

 務めて明るく聞こえるように声を出してそう言うと、人形達はわたくしの周りをくるくると回り、まるでわたくしの言葉の真偽を確かめているようでございました。
 その時、扉のベルが鳴り、思わず身をすくめながら透視魔法で扉の外の人物を確認すると、そこには息を切らしたビーチェが立っていたので、わたくしは慌てて鍵を開けて扉を開けました。

「ティナ!」
「ビーチェ!? どうなさいましたの?」

 扉を開けた途端わたくしに勢いよく抱き着いてきたビーチェに驚いていると、人形がそっと扉を閉めているのがビーチェ越しに見えました。
 鍵はわたくししかかけられないので、扉を閉めただけですけれども。

「バシレウ様を宿屋で見ましたわ。大丈夫ですの?」

 その言葉に、思わず息を飲んでしまいました。
 ビーチェはそれだけで察したらしく、さらにきつくわたくしを抱きしめてきます。

「ごめんなさい、わたくしから口止めしておけばこんなことにはならなかったのに」
「わたくしも口止めをしておりませんでしたもの、ビーチェを責めたりなんて致しませんわ。とりあえず、ここではなんですから、中へどうぞ」
「そうですわね」

 ビーチェがそう言って体を離してくれましたので、わたくしは扉の鍵を改めてかけると、ビーチェと一緒にダイニングに向かい、いつものようにダイニングチェアにそれぞれ腰掛けました。

「それで、会ってしまったのですね?」
「ええ、バシレウ様はお店にいらっしゃいましたわ」
「何か言われましたの?」
「なぜ何も言わずにいなくなったのか、とか、あの夜の事を遊びや夢、過ちにする事は無いとか、わたくしの事を、愛していると」

 だんだん小さくなっていく声に、ダイニングテーブルの上に置いていたわたくしの手にビーチェが手を重ねてくださいました。

「あの方は、なにも知らないのですね?」
「何もお話ししておりませんわ。けれど、わたくしはもうあの方に合わせる顔などないのです」
「話しても、バシレウ様はお怒りになどなりませんわよ」
「それでも、お優しいあの方はきっと悲しんでしまいます。わたくしはそのような思いをさせることも嫌なのです。それならばいっそ、わたくしを憎んでくだされば、呆れてくださればいいと、そう思って姿を消しましたのに」

 わたくしの事情を知っている商人ギルド本部、魔法ギルド本部、ベリー商店本店の方々はわたくしの願いを聞いてくださってずっとわたくしの居場所については秘匿にしてくださっております。
 魔法大学を卒業後、卒業報告に王宮に行き、出会ってしまったバシレウ様の手を拒むことが出来ず、いいえ、わたくしも心のどこかで望んだ結果、わたくしは一夜のお情けを頂いたのです。
 夢のような時間を過ごして、その後一週間ほど経ってわたくしは商人ギルド本部に研修に向かいました。
 商人ギルドでの一ヶ月の研修、その後魔法ギルド本部での一ヶ月の研修の時、あれは起きてしまったのです。

「ねえ、ビーチェ。言えるわけがありませんわ、バシレウ様のお子が流れてしまっただなんて、どの口で言えるというのですか」

 ボロリ、と涙が零れ落ち、霞んだ視界の向こうでビーチェが苦しそうに顔をゆがませているのが見えました。
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