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上田先生、お見合いするってよ。
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皆が待ち望んだゴールデンウィークも迫る、四月最後の週のことである。
「知ってる知ってるー? 上田先生って、お見合いするんだってよー」
机に突っ伏したりお喋りしたりプロレス技を掛け合ったりして昼休みを過ごしていた二年一組一同だったが、誰かのひと声で蜂の巣を突いたような騒ぎになった。俺達は皆クマのプーさんで、大好きな噂話は甘くて重たい蜂蜜の味がする。
「さっき職員室で、先生達が回し見していたお見合い写真を覗いてきたのよ」
目鼻立ちのはっきりした派手な美人だったと物見高い女子生徒が言うと、
「上田先生が前にいた学校の校長先生の娘さんで、ゴールデンウィーク中にお見合いするんだって。なんかその校長先生にえらく気に入られちゃったんだってさー」
と、誰かがさらに詳しい情報を掛け合いのように繋げていく。
何故だか俺は、五、六時間目の授業なんて、ほとんど頭に入らなくなった。
説明不能な苛立ちで上田先生の顔も見られなかったが、先生自身も気もそぞろのようだ。帰りのホームルームを終えるなり、さっさと職員室へ戻ってしまった。
俺の後ろでは、石井がスマフォでググった画面を得意げに見せながら、
「ほら見ろっ、中学校の用務員募集の求人には、学歴・年齢不問って書いてあるんだっ! だから長谷川さんは、本当に幼女かもしれないじゃないかっ!」
「求人で不問っていうのは、若造でもある程度年取っててもいいって程度だろ。長谷川さん自身の年齢には、なんら因果関係が発生しないだろうが?」
秋山はいつも通り無慈悲だった。ちょっと安心した。
「ってか、マジで幼女だったりしたら、未成年だから労働基準法違反だからな? そんなリスクを冒してまで幼女を用務員に雇う必要がどこにあるってんだ?」
「そっ、それはっ」
万全を期したはずの石井は論破されて狼狽えたが、
「それは、幼女だからさっ!」
「おめー、いっぺん死んでこいや、脳ミソ湧いてんのか」
そんな二人の慣れ親しんだ遣り取りも、右の耳から左の耳へ抜けていくばかりで、俺の心にはまるで響かない。もっとも、普段から響いた試しもなかったが。
『長谷川さん、好きですっ、愛していますっ!』
『またー、上田先生ったらー。寝言は寝てから言ってくださいー』
『長谷川さん、結婚を前提に僕と付き合ってくださいっ!』
『またまたー、この間、初めてお会いしたばかりじゃないですかー』
『長谷川さん、君のためなら死ねるっ!』
『あいにくと、今のところ命を賭けて貰うような事態には陥ってないですー』
『長谷川さん、月が綺麗ですねっ!』
『まだ昼間ですー、昼間の月は野暮ったいだけですー』
何故だか胸のもやもやがつかえて、俺は苦しくて仕方なかった。
俺が猫なら、猫草を食ってこのもやもやを毛玉ごと吐き出したいところだ。
来る日も来る日も、俺はずっと上田先生のプロポーズを見せつけられてきた。長谷川さんに冗談扱いされても、上田先生自身はずっと本気だと思っていたのだ。
幼女のように見えても、決して幼女のはずがない長谷川さん。
一介の生徒に過ぎない俺にとやかく言う権利などないが、もし万が一、上田先生の求婚を長谷川さんが受け入れていたとしたら、上田先生はどうするつもりだったんだろう。お見合いなんていう格式張った行事が、急に決まったりするはずがない。
上田先生はお見合いすることが分かっていて、長谷川さんを口説いていたのだろうか。最初から、長谷川さんを愛人にでも据えるつもりだったのか。
俺のささやかな脳ミソは大人の事情に耐え切れず、無限ループだ。
「――だーっ 何がどうなってんだっ!」
自身の叫び声に驚いて教室を見回せば、すでに誰も居なかった。そういえば、かなり前に石井や秋山達と挨拶を交わしたことを思い出す。時刻は四時半、どうやら一時間以上もひとりで悶々と考え込んでいたらしい。外はすでにオレンジ色だ。
だけど、よく考えればこれはこれでいいじゃないか。上田先生は最低だが、お見合いが上手くまとまれば、表立って長谷川さんを口説くことはなくなるはず。
「それでも尚、長谷川さんに付き纏うようなら――俺は上田先生を許さない」
口走ってから、自分の発した言葉の意味についてまた考え込み始めそうだったので、俺は机の中の物を肩掛けカバンへ乱暴に詰め込む。その時だった。
「――たぶん、重ねちゃってるんだよ」
そう言って前の引き戸から入ってきたのは、紺のジャージ姿の遠藤こはるだった。緑の便所スリッパが、無理にねじ込んだお尻のポケットからはみ出している。
「重ねるって、誰と誰を?」
「長谷川さんと、ちまりちゃん」
面食らった俺は、思わず目を瞬かせた。だから、どうしてそこにちまりが出てこなけりゃならないんだ。あの二人は、全然関係がないじゃないか。
中一だけど俺の脳内では小一のちまりと、大人のはずだけど幼女疑惑の長谷川さん。ちまりの真っ赤なランドセルと、長谷川さんの鈴付きの真っ赤な首輪。
ちまりのふたつに結った髪と、長谷川さんのふたつに分けた――。
「……でしょ? 六年前、お父さんに連れていかれてしまった時の、ちまりちゃんによく似ているのよ、長谷川さんって。顔とかじゃなくて、イメージが」
口籠る俺の心の中を見透かしたように、こはるは続ける。
「長谷川さんを手伝っている時の武君は、とっても幸せそう。長谷川さんにちまりちゃんの姿を重ねながら、きっと昔の幸せだった時のことを思い出してるんだわ」
こはるはまるで、すべての殺人が終わってしまったあとの名探偵みたいに、愁いを帯びた表情をしていた。俺の心を暴き立てたことを気にしているのかもしれない。
だが言われてみれば、俺は最初から長谷川さんの存在を受け入れていた。
穴に嵌った長谷川さんを助け出した時、俺は何のためらいもなく長谷川さんの身体に触れた。初対面でしかも大人の異性の身体に、である。
泥を払う為とはいえ無造作に叩くなんて、よく考えたらあり得ない。
あの時から長谷川さんは、ちまりの代わりに面倒をみる対象になっていたのだ。
いいように使われていたのではなく、俺が、長谷川さんを必要としていた。
なんだか無性に、長谷川さんの顔が見たい。時刻が五時近くとあっては、仕事を終えて帰ってしまったかもしれない。それでも、俺の足は自然に動き始めていた。
「ご、ごめん、こはる。ちょっと行ってくる。その、いつもありがとう、な」
こはるは何も言わない。俺は後ろ髪を引かれる思いながらも、こはるを残して教室をあとにした。気のせいだろうか、こはるの上がり目が潤んでいるように見えた。
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