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その性癖、どうにかならないっすかね(大内君激おこ)

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 しばらく作業を続けていたが、そんな長谷川さんと俺の連係プレーに妨害が生じることになる。同じく、ずぶ濡れになったせいでブルーのジャージ上下を着込んだ、笑顔の素敵な上田先生である。ホント、笑顔だけは、な。

「ホームルームが終わるや教室を出ていったと思ったら、こんなところで奉仕活動してたのか。見上げた心掛けだな、大内。今日は良い天気ですね、長谷川さん」
「そうですねー。でも、もう夕方ですけどねー」

 先生も、どうせ来んなら力仕事の時に来いやと、自分の目付きが悪くなるのを感じた。もっとも、俺自身にもよく分からない心の動きなど、赤の他人の上田先生に伝えられるはずもない。なんとなく肌寒さを感じて、俺は捲り上げた袖を戻した。

 上田先生が挨拶だけで引くはずもない。長谷川さんの隣にしゃがみ込み、同じように移植ゴテで橙色のマリーゴールドを植え替え始めた。
 そして、まるで世間話みたいに、

「そうそう、長谷川さん」
「なんですかー?」

?」

「またまたー、上田先生ったら、冗談ばっかりもー」
「私は生れてこのかた、冗談を言ったことは一度もないんですが」
「あははー、そうなんですかー」

 ライフステージに関わるとんでもないことを言われている気がするが、長谷川さんはいつも通りの満面の笑みで受け流した。
 移植ゴテを握る手は速度を落とさず、あくまでマイペースを貫く。

 始業式で鼻血を吹いた上田先生は、鼻に突っ込んだテッシュの血が固まるより先に長谷川さんにプロポーズしたというのが、もっぱらの噂である。
 長谷川さんと出会うまでは幼女好きのヨの字もない、女子生徒にもお母様方にも人気のある、爽やか独身男性教師だったというのに。

 なぜか俺は、この習慣化しつつあるプロポーズに立ち会う機会が多かった。

 そんな俺の気まずさを打ち破るかのように、背後にある保健室のクリーム色の防火カーテンが開いた。中からショートヘアで妙齢の保険医が顔を覗かせる。

「樹里っち、ちょっといいかなー。おー、大内君頑張ってるねー。感心、感心」

 保険医の小池さんとは、樹里っち絵梨たんの愛称で呼び合う仲良しだ。ちょっと行ってくるねと言い残し、長谷川さんは保健室のガラス戸から室内に入ってしまった。後に残されたのは十八センチの小さな運動靴と、寂しき野郎が若干二名。

 代わりに長谷川さんの移植ゴテを握った俺は、しばらく上田先生と並んでザクザクやっていたのだが、そのうちになぜかイラついて黙っていられなくなって、

「その性癖、どうにかならないっすか?」

 俺の語調には、隠しようもない刺々しさが混じってしまう。
 だが、上田先生は静かに微笑んだだけだった。どうにかなるぐらいなら、もうとっくにどうにかしているとでも言うように。いや、そんなに清々しく笑い掛けられても、不思議な感動フラグとか立ちませんから。惚れたりもしません。

「いいかー、大内」
「なっ、なんっすか」
「お前達は性癖、性癖って簡単に使うが、それは別に性的な嗜好をさすわけじゃないんだぞ。それは誤用であって、本来の性癖の意味は単にを指すんだ」

 俺のへなちょこな切っ先は微妙に逸らされた。誤用なのは俺達も知ってはいるけれど、好みとか嗜好などという言葉より、性癖の方がのだ。

「じゃあ、何年かしたら意味がひっくり返るかもしれないっすね」
「そうだな、そういう可能性もまた否定できない。言葉は変わりゆくものだから」

 全花壇の植え替え作業が完了しても、長谷川さんは戻ってこなかった。
 長谷川さんの終業時間は四時四十五分、どうやら運動靴と上田先生と俺はすっかり忘れ去られたようである。



 家に帰り着いた時は、すでに暗くなり始めていた。
 俺は冷たくなった洗濯物を取り込んでから、無駄に広い戸建ての我が家の雨戸を全部閉め、カーテンを引いて回った。そして追い焚き機能で風呂を沸かし直す。

 夕飯をどうしようかと、一瞬考える。
 だが何も浮ばなかったので、鍋に水を汲んで火に掛けた。食器棚から四つ揃ったラーメン丼をひとつだけ取り出す。素ラーメンでいいか。いや、卵ぐらい入れるか。

 母さんは仕事だ、今日も遅い。保険の外交員をやっているが、仕事に打ち込めるようならけっこうなことだ。そう思った瞬間に電話が鳴って、一瞬ドキリとする。
 受話器を取ると、しばらくためらうような沈黙があってから、

「……お兄ちゃん? アタシ」
「ああ、ちまりか。久し振り、元気でやってるか?」

 ちまりはひとつ下の妹で、六年前に両親が離婚するまでこの家で暮らしていた。中学一年、本当なら同じ中学に通っていたはずだった。

「うん、まぁぼちぼち。そっちはどう?」
「こっちも相変わらずだな。母さんは仕事一筋だし、俺も学校で楽しくやってるよ」
「そう、よかった。お兄ちゃん、ちょっと要領悪いところあるから」
「なんだよ、お前だって泣き虫だったじゃないか」
「お兄ちゃん、アタシもう中学生だよ」
「そうか、そうだったな」

 離婚して以来、一度も顔を合わせたことがない。俺の頭の中のちまりはいまでも髪を二つに結んだ、真っ赤なランドセルを背負った小学一年生の時のままだった。

「お義母さんと上手くやれているか? それと……親父は相変わらずか?」
「うん、弟の面倒もちゃんとみてご機嫌取ってるから。お父さんは、仕事が忙しくてあんまり帰ってこないよ。相変わらずといえば、相変わらずだね」

 世間知らずの箱入り母さんは、子供の手が離れて仕事をし始めた途端に悪い男に引っ掛かった。相手に捨てられたあとも、生真面目だった親父は母さんの不貞を許せなかったらしい。俺は子供なりに母さんが不憫でこちらに残ったが、ちまりも許せないタイプだった。俺達は、互いの近況を簡単に話し合った。
 俺はいつの間にか息を殺し、受話器に強く耳を押し当てていたようで、

「あ、お義母さんが呼んでる。電話してるのバレると怒られるから切るね――」

 ガチャンと電話を切られた時、耳の奥に響いて思わず顔を顰める。
 ふと、蒸し暑さに気付いた俺は慌ててガスを止めに走ったが、鍋の湯は蒸発してほとんど空になっていた。
  
 
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