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エピローグ

それまで待ってて(妄想)*

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 次の瞬間、ナイは自室に引き戻されていた。
 それまで見ていた光景が夢だったのかと思うほど唐突で、しかしまだナイは自分の身体に戻ることはなく、部屋の上方に霊体で浮いていた。

 質素ながらも整とんされた部屋の片隅、寝台の上に自身の姿を発見する。
 腰まである亜麻色の髪はシーツの上に広がり、昏々と眠り続けるさまは幼い頃に母親に読んでもらったおとぎ話を思わせた。とはいえ、血の気の失せた青白い顔は美しさとは程遠い。寝台の傍に椅子を寄せ、ナイの足下に突っ伏して眠っているシシィの方が、よほどあどけなく愛らしかった。正直、自分が男だったら惚れている。

 閉め切りの鎧戸の隙間から洩れる光は、夜明けが近いことを示していた。
 永遠に変わらぬ時間の止められたような部屋に、音を出さないよう慎重に扉を開けて誰かが入ってくるのがわかった。かぶっていたフードを外す――。

「!」

 それは、勇者ライルだった。
 マントを新調して、こざっぱりと身奇麗になっている。というより、ナイの店にあった旅人用のマントだ。飾り気も無く地味だが、素材も仕立ても良いものだった。少しばかり値が張って売れ残っていたのだが、恐らくロブが代理で販売してくれたのだろう。お買い上げありがとうございますと、ナイは心の中で礼をした。

 ナイの体感では一瞬のことだけれど、北の祠から戻った勇者にとっては、戦果を教会に報告し、食事を取って休息したあとなのかもしれないと、そう思った。

 シシィの肩からずり落ちた夜具を掛け直し、勇者は寝台に横たわるナイの抜け殻に歩み寄る。そして熱心にナイの寝顔を見詰めた。ナイは自分の硬直していた感情がにわかに溶け出すのを感じ、姿も見えないというのに空中を右往左往してしまう。

 おずおずと腕を伸ばし、ナイの寝乱れた亜麻色の前髪を払ってくれた。
 勇者の指が自分の頬を辿るのを、ナイは確かに感じた。

 そして勇者は寝台の側に跪いた。掛け布団の中に収まっていたナイの暗緑色に染まった手をわざわざ引っ張りだし、手の甲にそっと口付ける。

「マシューさんに教わったよ。手の甲への口付けは、敬愛の印なんだって」

 そして指を絡めた。手のひらが厚くて堅い。剣ダコのある、思いのほか大きく暖かな手だった。そのままナイの手を引き寄せ、指先に口付ける。何度も何度も。まるで慈しむように、うっとりと食んでいる。のだろうか。

「……指先は賞賛や感謝の意味。ナイさんにはどれだけ感謝しても、し過ぎるってことはないよね」

 その勢いのまま、手のひらを上に向けさせて、唇をそっと押し当てた。
 熱い吐息で、手のひらが擽ったさを覚える。勇者は何も言わなかった。ただ、泣きそうに顔を歪めて、昏々と眠り続けるナイの横顔を見詰めている。

「……君を、この村から連れて行くわけには、いかないね」
 ――必ず戻ってくるから、それまで待ってて。

 そう、勇者の心の声が、聞こえた気がした。
 これはきっと、妄想に違いない。頭でっかちな乙女の妄想だと、ナイは思った。

 ただ、それだけだった。勇者はナイの手を掛け布団の中へ丁寧に戻し、もと来たようにひっそりと部屋を出て行く。まるで、最初からいなかったかのように。

 それまで半解けだった感情が濁流のように押し迫ってきて、ナイは思わず飲み込まれそうになり、目を閉じて耳を塞いだ。頭がぐるぐると回り、意識が暗転する――。



 がばっと飛び起きると、見慣れた自分の部屋の中には誰もいなかった。
 いや、先ほどと同じように突っ伏して寝ていたシシィが、目をこすりこすり上半身を起こす。思わず抱き締めたくなるような愛らしさだ。しかし、よく見るとシシィのエメラルドの瞳は、泣き腫らして真っ赤だった。

「ナイッ! ああ、意識が戻ったのねぇ……!」

 シシィはナイの首にむしゃぶりつき、一週間の昏睡状態の間に夏祭りが終わったこと、北の祠の魔物を昨日勇者達が退治して、この村での女神の筋書きが完了したことなどを、しゃくり上げながら語った。すべて霊体として知っている。

 だが、広場で意識を失った魔物の血塗れズタボロのナイを誰が運ぶかで、勇者とロブの間でひともめあったことは、さすがに知らなかった。

「どっちも意固地になっちゃって、アンタを左右から引っ張り合い始めるから、私が担いで帰ってきたのよぅ。もぅ、馬鹿じゃないの、男ってぇ」
「……ありがとう、重かったでしょ?」
「全然よ、アンタ軽過ぎるのよ、もっと食べなさいよぅ」

 背を撫ぜても、なおも泣き続ける幼友達の様子に、ナイはピンときた。
 シシィを退かせて寝台から下り、木靴に足を突っ込む。の使い過ぎで割れるように頭が痛いとか、身体中が千本の針で突き刺されるかのような激痛――極度の筋肉痛――に見舞われていることなどは、この際、些末なことだ。
 シシィが泣き濡れた目を丸くして、

「ちょっと、起きても大丈夫なのぉ!?」

 鎧戸の向こうから差し込む光が、先ほどの勇者の訪れとあまり時間差がないように思えるのが気のせいでないなら、まだ間に合うかもしれない。

「――行きましょうっ、シシィっ!」
「って、どこへ!?」

 ナイは手袋も填めずに――とはいえ北の祠の周辺に置き去りではあったが――シシィの手をひっ掴み、梳き髪に寝巻き姿のまま家の外へ走り出たのだった。
 
 
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