「お淑やかな令嬢」は本日で廃業いたしました!文句ありますか?

小梅りこ

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「……ご、五百……。五百金貨だと……?」

王都で最も格調高いとされる宝石店『ラピス・リュクス』の特別室。
カイル王子は、差し出された請求書を二度、三度と見直し、そのたびに顔色を土気色に変えていた。

「はい、殿下。リリア様がお選びになった『真実の愛のティアラ』、およびそれに付随するイヤリングとネックレスの合計でございます。……特別に、端数は切り捨てさせていただきました」

店主は揉み手をして、にこやかに微笑んでいる。
隣では、リリアが鏡の前で新しい宝飾品を身につけ、うっとりと自分に見惚れていた。

「素敵……! やっぱり、未来の王妃になる私には、これくらいの輝きがなくてはね。ねぇ、カイル様?」

「……リリア。……少し、落ち着いてくれないか。五百金貨というのは、地方の騎士団が一年間運営できるほどの額だぞ」

カイルの声が、情けなく裏返った。
これまでの「お淑やかなナギ」との交際で、彼は金銭的な苦労など一度もしたことがなかった。
ナギは公爵家からの持参金で全てを賄い、カイルにねだるどころか、彼の誕生日には家宝級の品を「お近づきの印に」と贈ってくれていたのだから。

「まぁ! カイル様、まさかリリアとの愛を、そんなむさ苦しい騎士様たちと比べるのですか? 悲しい……。リリア、ショックで寝込んじゃいそう……」

リリアが、いつものように潤んだ瞳でカイルを見上げる。
これまではこの「泣き落とし」に弱かったカイルだったが、今日は胃の辺りがキリキリと痛むのを感じた。

「……リリア。愛は金で買うものではないと言ったのは、君ではないか」

「ええ、言いましたわ! でも、愛を『形』にするには、それなりの誠意(おかね)が必要でしょう? まさか王子様が、これしきの額で文句を言うなんて……。ナギ様と婚約していた頃は、もっと余裕があったのではないですか?」

「……っ!」

リリアが口にした「ナギ」という名前に、カイルの胸がズキンと跳ねた。
そうだ。ナギは、一度も「買ってほしい」などと言わなかった。
むしろ、カイルが贈った安物の髪飾り(彼はセンスが壊滅的だった)を、彼女は「家宝にします」と言って、いつも大切に箱にしまっていた。

(……いや、あれは単に『ダサすぎて着けられなかった』だけではないのか?)

一瞬、冷徹な真実が頭をよぎったが、今のカイルにはそれすらも「謙虚で奥ゆかしい美徳」に思えてしまうほど、目の前の現実は過酷だった。

「……カイル様。まさか、あの『岩砕き女』を思い出しているのですか?」

リリアの声から、愛らしさが消えた。
彼女は宝石を外すと、テーブルに音を立てて置いた。

「……王子。はっきり言っておきますけど、私は男爵令嬢なのよ? 後ろ盾もなければ、貯金だって底を突いているの。あなたが私を『真実の愛』だと言って連れ出したんだから、最後まで責任を取るのが筋でしょう?」

「……責任、か。だが、王族の個人資産にも限界がある」

「限界? そんなの、増税すればいいじゃない。あるいは、あのナギ様の公爵家に『慰謝料』を請求するとか……」

「……リリア! それは不敬だぞ! 婚約を破棄したのはこちらなんだ。……むしろ、慰謝料を払わなければならないのは……」

「ふん。あんな女、殿下の優しさに甘えていただけじゃない。……いいわ。今日はこれくらいにしてあげる。でも、次のお茶会までには、ちゃんとこの代金、用意しておいてくださいね?」

リリアは、店主に向かって「これは取っておいて」と傲慢に言い放つと、カイルを置いて部屋を出て行ってしまった。

残されたカイルは、五百金貨の請求書を握りしめ、膝をついた。
……刺激。
確かに、毎日が心臓の止まるような刺激に満ちている。
だが、彼が求めていた刺激は、決して「口座残高が激減する恐怖」ではなかったはずだ。

「……ナギ。……君は、今、何を食べて……いや、何をしているんだ……」

カイルの独り言に答える者はいない。
店主の「殿下、お支払いは一括でよろしいですか?」という無慈悲な確認の声が、虚しく響くだけだった。


一方、その頃。
カーム公爵邸の裏庭では、ナギが「別の意味での限界」に挑戦していた。

「……ふんっ! ぬんっ! ……せいやぁぁぁあ!!」

ドォォォン!!

ナギの正拳突きが、特製の「鋼鉄入りサンドバッグ」を真っ二つに引き裂いた。
中から飛び出した砂と鉄の破片が、夕陽に照らされてキラキラと舞う。

「……ふぅ。……九千九百九十八。……あと二回ね」

「ナギ様。……サンドバッグはこれで今週五個目です。お父様が『ナギのストレスが爆発しすぎて、屋敷の備品が足りなくなる』と、半泣きで新しい発注書を書いておられましたよ」

エラが、お盆に乗せたプロテイン(ナギ特製、卵と肉汁のブレンド)を差し出しながら溜息をついた。

「あら、お父様には『これは精神修行の一環です。いつか来るかもしれない魔王の襲撃に備えているのです』って言っておいて」

「……この国に魔王なんていません。いるのは、あなたのパンチで泣かされたゴロツキくらいです」

ナギはプロテインを一気に飲み干し、豪快に口元を拭った。

「あー、美味しい! やっぱり、自分の力を出し切った後の補給は最高ね!……ねえ、エラ。さっき、なんだか変な寒気がしたんだけど……。どこかのかぼちゃ頭が、私を思い出して泣いていたりしないかしら?」

「さあ。もしそうなら、その涙を瓶に詰めて売れば、サンドバッグの修理代くらいにはなるかもしれませんね」

「ふふ、いいわねそれ!……さて、あと二回! 今度は、あの木を素手で抜いてみようかしら!」

「ナギ様! 庭師のトムさんが、本当に寝込んじゃいますから、やめてください!」

ナギの高笑いが、平和な公爵邸の空に響き渡った。
彼女の心には、かつての婚約者への未練など、微塵も残っていなかった。
あるのは、次なる肉と、次なる筋力への、飽くなき渇望だけである。
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