妹を殺された兄が、偽りの聖女候補になって王弟に溺愛されるまで~妹を殺した奴らに、ハッピーエンドなど与えない~

桜塚あお華

文字の大きさ
4 / 8

第04話 禁術の決意、妹の仮面を被る夜

しおりを挟む
 誰かが息を潜めて眠っているような夜に、俺は動き出す。
 漆黒の闇が王都を覆い、遠く霞む灯りだけが、その存在をかろうじて示している。
 北の外れ、古びた〈白霧の祠〉には、人の営みなど届かない。生活の音も、人々の喧騒も、欲望の気配すらも。
 すべてが断絶されたこの場所には、【静寂】そのものが支配する空気が淀んでいた。
 風に揺れる枯れ草すら、この場所では不気味な音を立てる。
 
 ここは、古く捨てられた神殿。
 嘗ては聖なる祈りが捧げられていたのかもしれない。

 だが今は、誰も祈らず、朽ち果てた石壁に苔が根を張り、空気は死んだ香りを孕んでおり、崩れかけた天井から差し込む月明かりが塵と瓦礫に奇妙な影を落とす。
 けれど──この場所には、まだ【力】が残っている。
 神代の昔――禁忌の魔術師たちがその身を捧げたという、禍々しいまでの魔力の残滓。それが、大地から滲むように満ちている。
 肌にまとわりつくような、腐敗と甘さが混じり合った、死の匂い。
 震える指で灯籠に火を灯し、冷たい祭壇の上に小さな布包みを広げた。
 火の揺らめきが、俺の顔に影を落とし、暗闇の中、唯一この明かりだけが、俺の存在を辛うじて証明していた。
 布の中身は――リリスの髪の一房と、彼女の血で染まったハンカチ。
 王都神殿から密かに回収した、遺された【記憶】。
 信仰深い下位神官の一人が、灰にすることを拒み、密かに保管していてくれたもの。彼がいなければ、この禁術は決して成立しなかっただろう。
 手に取ると、まだ温もりがある気がしてならない――まるで、リリスがすぐそこにいるかのように。
 だが、これらは【儀式の“器】なのだ。
 ただの遺品ではない。
 リリスの血肉の痕跡。魂の記憶が宿る依代、これを媒介に俺の存在そのものを、彼女の姿に塗り替える。
 俺の肉体を、リリスの形へと──強制的に歪めるのだ。

「……すまない、リリス」

 声が掠れる。喉が張り付くように乾き、言葉一つ吐き出すだけで、肺が軋んだ。

「これが、俺の復讐の始まりだ。お前の名を穢し、お前の生を奪った者たちへの……最初の一歩。俺自身の存在すら偽る、穢れた儀式だ」

 祠の中心に、黒砂で円を描く。
 陣形は、古代の魔術文書にのみ記されていた禁忌の幾何学。
 触れることすら恐れられた、その禁術の形。
 図形が淡く光り、砂が微かに震える。
 俺の血で描いた魔法陣が、赤黒く脈動を始めた瞬間──世界が歪んだ。
 空気が、圧し掛かるように重くなり、肺が潰れるように圧迫され、喉が焼けた。そして、蝋燭の炎が青白く揺れ、光が魂を吸い取っていくように儚く見えた。
 視界の端が、ぐにゃりと溶ける。
 見えざる【何か】が、すぐ背後に立ってこちらを覗き込んでいる気配。
 この世ならざる古き存在が、術の成就を見下ろして、嗤っているような──そんな錯覚が肌にまとわりつく。

 そして、意識の境界が──溶け出した。

 魂の外郭を破壊し、新たな姿を強制的に被せる禁術。
 これは、存在の根幹を踏みにじる行為。
 精神までも侵す、女神の加護なき冒涜。

 ──構わない。

 俺の魂は、リリスを失った時点で燃え尽きている。
 もはや神の赦しも、加護もいらない。
 この身がどうなろうと構わない。
 地獄に堕ちようとも、リリスを奪った者を許すつもりはない。

 ──その瞬間、閃光が弾けた。

 白が世界を焼き尽くし、思考が断ち切られる、耳が割れた。脳の内側で爆音が炸裂したような衝撃。

「──が、ぁ、ああああっ……!!」

 全身を焼き尽くすような激痛が襲いかかる。
 皮膚が裂け、骨が軋み、筋肉が引きちぎられる感覚。
 脊髄がねじ切られ、神経の一本一本が灼けるように痛む。

「ッ、く、あ……ぐっ……!」

 喉が張り裂けるように叫び、声にならない嗚咽が口から漏れた。
 視界は白く塗り潰され、まぶたの裏からすら光が焼き付く。
 脳が拒絶し、身体が拒み、それでも儀式は止まらない。
 骨が縮む、肉が削られる、内臓がひしゃげて再構築される。
 心臓の鼓動が乱れ、全身が痙攣し、自我すら溶けていく。

「っ……う、ぁ、あぁあッッ……!!」

 もはや何を叫んでいるのかもわからない。
 地獄の熱と、死の寒気が同時に身体を蝕む。
 冷たい石床に膝をつき、息をすることすらできない。

 ──どれほどの時間が経ったのか、わからなかった。

 ただ、ようやく訪れた静寂の中で、俺は気づく。
 全身が震え、激しい頭痛と吐き気が、意識を断絶の縁へ追いやっていた。
 胃が痙攣し、喉が焼けつき、手足が痺れ、だが、それと同時に──感じる、妙な軽さだった。
 この身体は……違う。
 嘗て。剣を握り、重い鎧を着た肉体ではない。
 幼さを帯びた、柔らかく、華奢な身体。
 まるで、リリスのそれのような――そこには、リリスがいた。
 白い肌、柔らかそうな髪、どこか憂いを帯びた、透き通るような瞳――あまりにも完璧な、あの子の姿。
 だが、その瞳の奥は、違っていた。
 そこに宿るのは、復讐の炎であり、無垢なリリスではない。
 獲物を仕留める男の眼が、そこにあった。
 服の袖が滑り落ちた左腕は、かつて剣を握っていたそれとは思えぬほど細く、胸の膨らみはない。だが、声の高さ、指の細さ、全てが【リリス】そのもの。

 ──完璧な、模倣。

 ただし、二つだけ違っていた。

 一つ目は右目の火傷、それだけは、どんな魔術をもってしても消せなかった。
 昔、火事の中でリリスをかばった時の傷だ。それだけはどうしても消す事が出来なかったらしい。
 そしてもう一つは性別。
 それは、俺の罪の証であり、兄である【ヨシュア】がまだここにいることの唯一の証明だった。

(……性別までは、変えられないか)

 だから、どれだけ完璧にリリスの顔を作っても──俺は完全にはなれない。
 この火傷が、偽りの中にある唯一の真実となり、そして、復讐者ヨシュアの烙印でもあった。
 水面の【妹】が、ぞっとするほど儚げな微笑を浮かべた。
 慈愛に満ちた、かつてリリスが浮かべていたのと寸分違わぬ微笑み。

「――私はアリス。リリスの双子の妹です……この傷のせいで、ずっと塔に隠されていましたの」

 自分の口から出たその声に、背筋が粟立つ。
 子供のような高い声。
 だがその内側に、黒い憎悪と殺意を隠している――この声で、俺は【嘘】を語る。
 右目を隠すように髪を流し、整える。
 これが、俺の新たな仮面。
 この傷は、決して誰にも見せてはならない。

「ようやく……幕が上がる」

 その言葉は、アリスの声で。
 だが、ヨシュアの決意を乗せて、祠の静寂へと消えていった。

(――クララ)

 お前の【物語】に、俺が乗ってやる。
 敷かれたレールを、俺が堂々と歩いてやる。
 だがな、筋書きは、俺が書き換える。
 お前が思い描いたハッピーエンドなど、存在しない。
 お前が築き上げた偽りの栄光は、俺が喰らい尽くす。
 【主人公】の座ごと、奪い返してやる。
 そして──見せてやる。
 この【世界】の終わらせ方を。
 お前の物語の、その結末は。
 俺の手で、地獄に塗り潰される。

 ――だけど、その時の俺は知らなかった。
 まさか、この後に予想外の出来事が待ち受けているなどとは。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

(無自覚)妖精に転生した僕は、騎士の溺愛に気づかない。

キノア9g
BL
※主人公が傷つけられるシーンがありますので、苦手な方はご注意ください。 気がつくと、僕は見知らぬ不思議な森にいた。 木や草花どれもやけに大きく見えるし、自分の体も妙に華奢だった。 色々疑問に思いながらも、1人は寂しくて人間に会うために森をさまよい歩く。 ようやく出会えた初めての人間に思わず話しかけたものの、言葉は通じず、なぜか捕らえられてしまい、無残な目に遭うことに。 捨てられ、意識が薄れる中、僕を助けてくれたのは、優しい騎士だった。 彼の献身的な看病に心が癒される僕だけれど、彼がどんな思いで僕を守っているのかは、まだ気づかないまま。 少しずつ深まっていくこの絆が、僕にどんな運命をもたらすのか──? 騎士×妖精

悪役令息を改めたら皆の様子がおかしいです?

  *  ゆるゆ
BL
王太子から伴侶(予定)契約を破棄された瞬間、前世の記憶がよみがえって、悪役令息だと気づいたよ! しかし気づいたのが終了した後な件について。 悪役令息で断罪なんて絶対だめだ! 泣いちゃう! せっかく前世を思い出したんだから、これからは心を入れ替えて、真面目にがんばっていこう! と思ったんだけど……あれ? 皆やさしい? 主人公はあっちだよー? ご感想欄 、うれしくてすぐ承認を押してしまい(笑)ネタバレ 配慮できないので、ご覧になる時は、お気をつけください! できるかぎり毎日? お話の予告と皆の裏話? のあがるインスタとYouTube インスタ @yuruyu0 絵もあがります Youtube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます プロフのWebサイトから、両方に飛べるので、もしよかったら! 名前が  *   ゆるゆ  になりましたー! 中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!

愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない

了承
BL
卒業パーティー。 皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。 青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。 皇子が目を向けた、その瞬間——。 「この瞬間だと思った。」 すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。   IFストーリーあり 誤字あれば報告お願いします!

偽物勇者は愛を乞う

きっせつ
BL
ある日。異世界から本物の勇者が召喚された。 六年間、左目を失いながらも勇者として戦い続けたニルは偽物の烙印を押され、勇者パーティから追い出されてしまう。 偽物勇者として逃げるように人里離れた森の奥の小屋で隠遁生活をし始めたニル。悲嘆に暮れる…事はなく、勇者の重圧から解放された彼は没落人生を楽しもうとして居た矢先、何故か勇者パーティとして今も戦っている筈の騎士が彼の前に現れて……。

お花畑な母親が正当な跡取りである兄を差し置いて俺を跡取りにしようとしている。誰か助けて……

karon
ファンタジー
我が家にはおまけがいる。それは俺の兄、しかし兄はすべてに置いて俺に勝っており、俺は凡人以下。兄を差し置いて俺が跡取りになったら俺は詰む。何とかこの状況から逃げ出したい。

追放された味見係、【神の舌】で冷徹皇帝と聖獣の胃袋を掴んで溺愛される

水凪しおん
BL
「無能」と罵られ、故郷の王宮を追放された「味見係」のリオ。 行き場を失った彼を拾ったのは、氷のような美貌を持つ隣国の冷徹皇帝アレスだった。 「聖獣に何か食わせろ」という無理難題に対し、リオが作ったのは素朴な野菜スープ。しかしその料理には、食べた者を癒やす伝説のスキル【神の舌】の力が宿っていた! 聖獣を元気にし、皇帝の凍てついた心をも溶かしていくリオ。 「君は俺の宝だ」 冷酷だと思われていた皇帝からの、不器用で真っ直ぐな溺愛。 これは、捨てられた料理人が温かいご飯で居場所を作り、最高にハッピーになる物語。

義理の家族に虐げられている伯爵令息ですが、気にしてないので平気です。王子にも興味はありません。

竜鳴躍
BL
性格の悪い傲慢な王太子のどこが素敵なのか分かりません。王妃なんて一番めんどくさいポジションだと思います。僕は一応伯爵令息ですが、子どもの頃に両親が亡くなって叔父家族が伯爵家を相続したので、居候のようなものです。 あれこれめんどくさいです。 学校も身づくろいも適当でいいんです。僕は、僕の才能を使いたい人のために使います。 冴えない取り柄もないと思っていた主人公が、実は…。 主人公は虐げる人の知らないところで輝いています。 全てを知って後悔するのは…。 ☆2022年6月29日 BL 1位ありがとうございます!一瞬でも嬉しいです! ☆2,022年7月7日 実は子どもが主人公の話を始めてます。 囚われの親指王子が瀕死の騎士を助けたら、王子さまでした。https://www.alphapolis.co.jp/novel/355043923/237646317

ゲームの悪役パパに転生したけど、勇者になる息子が親離れしないので完全に詰んでる

街風
ファンタジー
「お前を追放する!」 ゲームの悪役貴族に転生したルドルフは、シナリオ通りに息子のハイネ(後に世界を救う勇者)を追放した。 しかし、前世では子煩悩な父親だったルドルフのこれまでの人生は、ゲームのシナリオに大きく影響を与えていた。旅にでるはずだった勇者は旅に出ず、悪人になる人は善人になっていた。勇者でもないただの中年ルドルフは魔人から世界を救えるのか。

処理中です...