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第04話 禁術の決意、妹の仮面を被る夜
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誰かが息を潜めて眠っているような夜に、俺は動き出す。
漆黒の闇が王都を覆い、遠く霞む灯りだけが、その存在をかろうじて示している。
北の外れ、古びた〈白霧の祠〉には、人の営みなど届かない。生活の音も、人々の喧騒も、欲望の気配すらも。
すべてが断絶されたこの場所には、【静寂】そのものが支配する空気が淀んでいた。
風に揺れる枯れ草すら、この場所では不気味な音を立てる。
ここは、古く捨てられた神殿。
嘗ては聖なる祈りが捧げられていたのかもしれない。
だが今は、誰も祈らず、朽ち果てた石壁に苔が根を張り、空気は死んだ香りを孕んでおり、崩れかけた天井から差し込む月明かりが塵と瓦礫に奇妙な影を落とす。
けれど──この場所には、まだ【力】が残っている。
神代の昔――禁忌の魔術師たちがその身を捧げたという、禍々しいまでの魔力の残滓。それが、大地から滲むように満ちている。
肌にまとわりつくような、腐敗と甘さが混じり合った、死の匂い。
震える指で灯籠に火を灯し、冷たい祭壇の上に小さな布包みを広げた。
火の揺らめきが、俺の顔に影を落とし、暗闇の中、唯一この明かりだけが、俺の存在を辛うじて証明していた。
布の中身は――リリスの髪の一房と、彼女の血で染まったハンカチ。
王都神殿から密かに回収した、遺された【記憶】。
信仰深い下位神官の一人が、灰にすることを拒み、密かに保管していてくれたもの。彼がいなければ、この禁術は決して成立しなかっただろう。
手に取ると、まだ温もりがある気がしてならない――まるで、リリスがすぐそこにいるかのように。
だが、これらは【儀式の“器】なのだ。
ただの遺品ではない。
リリスの血肉の痕跡。魂の記憶が宿る依代、これを媒介に俺の存在そのものを、彼女の姿に塗り替える。
俺の肉体を、リリスの形へと──強制的に歪めるのだ。
「……すまない、リリス」
声が掠れる。喉が張り付くように乾き、言葉一つ吐き出すだけで、肺が軋んだ。
「これが、俺の復讐の始まりだ。お前の名を穢し、お前の生を奪った者たちへの……最初の一歩。俺自身の存在すら偽る、穢れた儀式だ」
祠の中心に、黒砂で円を描く。
陣形は、古代の魔術文書にのみ記されていた禁忌の幾何学。
触れることすら恐れられた、その禁術の形。
図形が淡く光り、砂が微かに震える。
俺の血で描いた魔法陣が、赤黒く脈動を始めた瞬間──世界が歪んだ。
空気が、圧し掛かるように重くなり、肺が潰れるように圧迫され、喉が焼けた。そして、蝋燭の炎が青白く揺れ、光が魂を吸い取っていくように儚く見えた。
視界の端が、ぐにゃりと溶ける。
見えざる【何か】が、すぐ背後に立ってこちらを覗き込んでいる気配。
この世ならざる古き存在が、術の成就を見下ろして、嗤っているような──そんな錯覚が肌にまとわりつく。
そして、意識の境界が──溶け出した。
魂の外郭を破壊し、新たな姿を強制的に被せる禁術。
これは、存在の根幹を踏みにじる行為。
精神までも侵す、女神の加護なき冒涜。
──構わない。
俺の魂は、リリスを失った時点で燃え尽きている。
もはや神の赦しも、加護もいらない。
この身がどうなろうと構わない。
地獄に堕ちようとも、リリスを奪った者を許すつもりはない。
──その瞬間、閃光が弾けた。
白が世界を焼き尽くし、思考が断ち切られる、耳が割れた。脳の内側で爆音が炸裂したような衝撃。
「──が、ぁ、ああああっ……!!」
全身を焼き尽くすような激痛が襲いかかる。
皮膚が裂け、骨が軋み、筋肉が引きちぎられる感覚。
脊髄がねじ切られ、神経の一本一本が灼けるように痛む。
「ッ、く、あ……ぐっ……!」
喉が張り裂けるように叫び、声にならない嗚咽が口から漏れた。
視界は白く塗り潰され、まぶたの裏からすら光が焼き付く。
脳が拒絶し、身体が拒み、それでも儀式は止まらない。
骨が縮む、肉が削られる、内臓がひしゃげて再構築される。
心臓の鼓動が乱れ、全身が痙攣し、自我すら溶けていく。
「っ……う、ぁ、あぁあッッ……!!」
もはや何を叫んでいるのかもわからない。
地獄の熱と、死の寒気が同時に身体を蝕む。
冷たい石床に膝をつき、息をすることすらできない。
──どれほどの時間が経ったのか、わからなかった。
ただ、ようやく訪れた静寂の中で、俺は気づく。
全身が震え、激しい頭痛と吐き気が、意識を断絶の縁へ追いやっていた。
胃が痙攣し、喉が焼けつき、手足が痺れ、だが、それと同時に──感じる、妙な軽さだった。
この身体は……違う。
嘗て。剣を握り、重い鎧を着た肉体ではない。
幼さを帯びた、柔らかく、華奢な身体。
まるで、リリスのそれのような――そこには、リリスがいた。
白い肌、柔らかそうな髪、どこか憂いを帯びた、透き通るような瞳――あまりにも完璧な、あの子の姿。
だが、その瞳の奥は、違っていた。
そこに宿るのは、復讐の炎であり、無垢なリリスではない。
獲物を仕留める男の眼が、そこにあった。
服の袖が滑り落ちた左腕は、かつて剣を握っていたそれとは思えぬほど細く、胸の膨らみはない。だが、声の高さ、指の細さ、全てが【リリス】そのもの。
──完璧な、模倣。
ただし、二つだけ違っていた。
一つ目は右目の火傷、それだけは、どんな魔術をもってしても消せなかった。
昔、火事の中でリリスをかばった時の傷だ。それだけはどうしても消す事が出来なかったらしい。
そしてもう一つは性別。
それは、俺の罪の証であり、兄である【ヨシュア】がまだここにいることの唯一の証明だった。
(……性別までは、変えられないか)
だから、どれだけ完璧にリリスの顔を作っても──俺は完全にはなれない。
この火傷が、偽りの中にある唯一の真実となり、そして、復讐者ヨシュアの烙印でもあった。
水面の【妹】が、ぞっとするほど儚げな微笑を浮かべた。
慈愛に満ちた、かつてリリスが浮かべていたのと寸分違わぬ微笑み。
「――私はアリス。リリスの双子の妹です……この傷のせいで、ずっと塔に隠されていましたの」
自分の口から出たその声に、背筋が粟立つ。
子供のような高い声。
だがその内側に、黒い憎悪と殺意を隠している――この声で、俺は【嘘】を語る。
右目を隠すように髪を流し、整える。
これが、俺の新たな仮面。
この傷は、決して誰にも見せてはならない。
「ようやく……幕が上がる」
その言葉は、アリスの声で。
だが、ヨシュアの決意を乗せて、祠の静寂へと消えていった。
(――クララ)
お前の【物語】に、俺が乗ってやる。
敷かれたレールを、俺が堂々と歩いてやる。
だがな、筋書きは、俺が書き換える。
お前が思い描いたハッピーエンドなど、存在しない。
お前が築き上げた偽りの栄光は、俺が喰らい尽くす。
【主人公】の座ごと、奪い返してやる。
そして──見せてやる。
この【世界】の終わらせ方を。
お前の物語の、その結末は。
俺の手で、地獄に塗り潰される。
――だけど、その時の俺は知らなかった。
まさか、この後に予想外の出来事が待ち受けているなどとは。
漆黒の闇が王都を覆い、遠く霞む灯りだけが、その存在をかろうじて示している。
北の外れ、古びた〈白霧の祠〉には、人の営みなど届かない。生活の音も、人々の喧騒も、欲望の気配すらも。
すべてが断絶されたこの場所には、【静寂】そのものが支配する空気が淀んでいた。
風に揺れる枯れ草すら、この場所では不気味な音を立てる。
ここは、古く捨てられた神殿。
嘗ては聖なる祈りが捧げられていたのかもしれない。
だが今は、誰も祈らず、朽ち果てた石壁に苔が根を張り、空気は死んだ香りを孕んでおり、崩れかけた天井から差し込む月明かりが塵と瓦礫に奇妙な影を落とす。
けれど──この場所には、まだ【力】が残っている。
神代の昔――禁忌の魔術師たちがその身を捧げたという、禍々しいまでの魔力の残滓。それが、大地から滲むように満ちている。
肌にまとわりつくような、腐敗と甘さが混じり合った、死の匂い。
震える指で灯籠に火を灯し、冷たい祭壇の上に小さな布包みを広げた。
火の揺らめきが、俺の顔に影を落とし、暗闇の中、唯一この明かりだけが、俺の存在を辛うじて証明していた。
布の中身は――リリスの髪の一房と、彼女の血で染まったハンカチ。
王都神殿から密かに回収した、遺された【記憶】。
信仰深い下位神官の一人が、灰にすることを拒み、密かに保管していてくれたもの。彼がいなければ、この禁術は決して成立しなかっただろう。
手に取ると、まだ温もりがある気がしてならない――まるで、リリスがすぐそこにいるかのように。
だが、これらは【儀式の“器】なのだ。
ただの遺品ではない。
リリスの血肉の痕跡。魂の記憶が宿る依代、これを媒介に俺の存在そのものを、彼女の姿に塗り替える。
俺の肉体を、リリスの形へと──強制的に歪めるのだ。
「……すまない、リリス」
声が掠れる。喉が張り付くように乾き、言葉一つ吐き出すだけで、肺が軋んだ。
「これが、俺の復讐の始まりだ。お前の名を穢し、お前の生を奪った者たちへの……最初の一歩。俺自身の存在すら偽る、穢れた儀式だ」
祠の中心に、黒砂で円を描く。
陣形は、古代の魔術文書にのみ記されていた禁忌の幾何学。
触れることすら恐れられた、その禁術の形。
図形が淡く光り、砂が微かに震える。
俺の血で描いた魔法陣が、赤黒く脈動を始めた瞬間──世界が歪んだ。
空気が、圧し掛かるように重くなり、肺が潰れるように圧迫され、喉が焼けた。そして、蝋燭の炎が青白く揺れ、光が魂を吸い取っていくように儚く見えた。
視界の端が、ぐにゃりと溶ける。
見えざる【何か】が、すぐ背後に立ってこちらを覗き込んでいる気配。
この世ならざる古き存在が、術の成就を見下ろして、嗤っているような──そんな錯覚が肌にまとわりつく。
そして、意識の境界が──溶け出した。
魂の外郭を破壊し、新たな姿を強制的に被せる禁術。
これは、存在の根幹を踏みにじる行為。
精神までも侵す、女神の加護なき冒涜。
──構わない。
俺の魂は、リリスを失った時点で燃え尽きている。
もはや神の赦しも、加護もいらない。
この身がどうなろうと構わない。
地獄に堕ちようとも、リリスを奪った者を許すつもりはない。
──その瞬間、閃光が弾けた。
白が世界を焼き尽くし、思考が断ち切られる、耳が割れた。脳の内側で爆音が炸裂したような衝撃。
「──が、ぁ、ああああっ……!!」
全身を焼き尽くすような激痛が襲いかかる。
皮膚が裂け、骨が軋み、筋肉が引きちぎられる感覚。
脊髄がねじ切られ、神経の一本一本が灼けるように痛む。
「ッ、く、あ……ぐっ……!」
喉が張り裂けるように叫び、声にならない嗚咽が口から漏れた。
視界は白く塗り潰され、まぶたの裏からすら光が焼き付く。
脳が拒絶し、身体が拒み、それでも儀式は止まらない。
骨が縮む、肉が削られる、内臓がひしゃげて再構築される。
心臓の鼓動が乱れ、全身が痙攣し、自我すら溶けていく。
「っ……う、ぁ、あぁあッッ……!!」
もはや何を叫んでいるのかもわからない。
地獄の熱と、死の寒気が同時に身体を蝕む。
冷たい石床に膝をつき、息をすることすらできない。
──どれほどの時間が経ったのか、わからなかった。
ただ、ようやく訪れた静寂の中で、俺は気づく。
全身が震え、激しい頭痛と吐き気が、意識を断絶の縁へ追いやっていた。
胃が痙攣し、喉が焼けつき、手足が痺れ、だが、それと同時に──感じる、妙な軽さだった。
この身体は……違う。
嘗て。剣を握り、重い鎧を着た肉体ではない。
幼さを帯びた、柔らかく、華奢な身体。
まるで、リリスのそれのような――そこには、リリスがいた。
白い肌、柔らかそうな髪、どこか憂いを帯びた、透き通るような瞳――あまりにも完璧な、あの子の姿。
だが、その瞳の奥は、違っていた。
そこに宿るのは、復讐の炎であり、無垢なリリスではない。
獲物を仕留める男の眼が、そこにあった。
服の袖が滑り落ちた左腕は、かつて剣を握っていたそれとは思えぬほど細く、胸の膨らみはない。だが、声の高さ、指の細さ、全てが【リリス】そのもの。
──完璧な、模倣。
ただし、二つだけ違っていた。
一つ目は右目の火傷、それだけは、どんな魔術をもってしても消せなかった。
昔、火事の中でリリスをかばった時の傷だ。それだけはどうしても消す事が出来なかったらしい。
そしてもう一つは性別。
それは、俺の罪の証であり、兄である【ヨシュア】がまだここにいることの唯一の証明だった。
(……性別までは、変えられないか)
だから、どれだけ完璧にリリスの顔を作っても──俺は完全にはなれない。
この火傷が、偽りの中にある唯一の真実となり、そして、復讐者ヨシュアの烙印でもあった。
水面の【妹】が、ぞっとするほど儚げな微笑を浮かべた。
慈愛に満ちた、かつてリリスが浮かべていたのと寸分違わぬ微笑み。
「――私はアリス。リリスの双子の妹です……この傷のせいで、ずっと塔に隠されていましたの」
自分の口から出たその声に、背筋が粟立つ。
子供のような高い声。
だがその内側に、黒い憎悪と殺意を隠している――この声で、俺は【嘘】を語る。
右目を隠すように髪を流し、整える。
これが、俺の新たな仮面。
この傷は、決して誰にも見せてはならない。
「ようやく……幕が上がる」
その言葉は、アリスの声で。
だが、ヨシュアの決意を乗せて、祠の静寂へと消えていった。
(――クララ)
お前の【物語】に、俺が乗ってやる。
敷かれたレールを、俺が堂々と歩いてやる。
だがな、筋書きは、俺が書き換える。
お前が思い描いたハッピーエンドなど、存在しない。
お前が築き上げた偽りの栄光は、俺が喰らい尽くす。
【主人公】の座ごと、奪い返してやる。
そして──見せてやる。
この【世界】の終わらせ方を。
お前の物語の、その結末は。
俺の手で、地獄に塗り潰される。
――だけど、その時の俺は知らなかった。
まさか、この後に予想外の出来事が待ち受けているなどとは。
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